ファンタジーに事務処理は必要ですか
遺体から目ぼしい装備や貴重品を回収して『解布』を掛ける。寺院が無料配布している遺骸用の布で、1週間も経たないうちに骨まで分解してくれる。私たちは遺体を回収しない。ただ塵芥のように処分する。身体はただの容器だから。
せめてなにか弔いでも、と思ったけれど。
祈る神も弔う言葉もなにも思い出せなかった。
◇
復路は往路よりもずっと安全だった。
光学迷彩。吸音装置。乱反射音。可聴領域外音波。
ありとあらゆる魔物避けを駆使して地上を目指した。
いつも使わないのは魔物が金になるからだ。
けれどいまは、私が一人で魔物の相手をするのは無理がある。
地面はまるで泥濘んだ沼のようだった。
一歩ごと足を進めるたびに地面に沈み込む心地がした。
『討伐隊にきてくれれば、絶対に損はさせないんだけどな』
『トリスが手に入るなら妹の一人や二人、安いもんだよね』
『トリスはどう思う?』
頭の中でフィオナの声が煩い。
悪夢のなかにいるみたいだ。
耳を塞いでも塞いでも悪びれなく語りかけられている気がした。
彼女が私に好意を抱いてようが悪意を抱いてようが、そんなのどうだっていい。
ただただ不躾で無遠慮で不作法だったあれらを、彼女なりの配慮だったと好意的に解釈する義務など私にはない。
彼女は他人の心の奥を暴いて弄んだことの意味を知るべきだ。
今もフィオナの石を割ったことに後悔はない。
あれは相応の報いだ。
ああ、それにしてもフィオナの声が煩い。
――レベッカの声が聞きたい。
◇
ともすれば止まりそうになる足を交互に前に出しているうちに、地上に辿りつく。
まだ休めない。やるべきことが沢山ある。
まず御堂に行って蘇生の受付をする。
金貨10枚を払って鍵を貰う。
対となる棺桶に鍵を挿して氏名と生年月日を入力する。
所定の場所に『石』を置き、裏と表を両方読み取らせる。
読み取った情報は寺院に登録された情報と照合される。
承認されたら石をスリットに挿入する。
レベッカは寺院で同行者登録をしていたので、手続きはこれで完了だった。
次にカイン・ブルーブラッドの蘇生手続きをする。
通常ならカインの石と所有物を寺院に渡せばそれで完了だ。
寺院は所有物から規定の金品を押収して蘇生手続きし、私には礼金が支払われる。
私は彼を準同行者として手続きした。蘇生代を負担しなくてはならないが、彼の財布から支払うので実質負担はゼロだ。カイルにとってはどちらを選んでも金銭的負担は変わらない。
この手続きはベラウの魔剣について彼が所有権を主張してくる可能性に対する予防的措置だった。準同行者登録をして事前に所有物を寺院に申告すれば、所有物に関して揉めたときに寺院が調停をしてくれる。特に何も問題がなければそれで終わりだ。
棺桶に鍵を挿して氏名とでたらめな生年月日を入力する。どちらにもエラーが出る。
この手続きは『重複』――ひとつの『石』に対して二人の人間が同時に存在すること――防止のための手続きだから、ロストでない限りはエラーは無視できる。
『石』をスリットに入れる段になって、ふと疑問が浮かぶ。
魔物と人の『石』のサイズは同じだ。では、このスリットに黒い石を入れてみればどうなるのだろう? 入れてみると、エラーになって石が戻ってきた。
他の人の『石』なら? 手持ちがないので試せない。
では。『無色透明の石』なら? スリットに投入する。
エラーは出なかった。
思えば、このとき私は明らかに思考力が落ちていた。
好奇心の赴くまま何も検証せず行動してしまった。
今まで同じようなことを考えた人間がいなかったとは思えない。実際『重複』に関しては対策されている。だから、ほかの人間の石ならきっとエラーが出たはずだ。
エラーが出なかったのは、始源の竜の石だからだ。
すべての魔物の祖とはすべての魔物に成り得る可能性を秘めた属性ゼロの石のことではないだろうか。だから始まりにして、ゼロの名前がつくのかもしれない。
様々な仮説が頭のなかで渦を巻く。
だからカイン・ブルーブラッド(偽名)の余ったイエローの石を棺桶の上に置き忘れてしまったのは、思考力が落ちた私がそちらに気を取られてしまったせいで、決してわざとではなかった。
◇
レベッカの鍵が震えたので、割り当てられたベッドへ行く。
そこには傷ひとつないまっさらなレベッカが寝かされたいた。
目覚めまではあと半刻ぐらいかかる。
やらなくてはいけないことが山積みだった。
でももう何もしたくない。
レベッカのベッドに取りすがって泣いた。
◇
頭を撫でられる感触で目が覚める。
私が起きたことに気付くと、レベッカはパッと手を退けた。
寝てるふりをしていればよかった。
レベッカが私に微笑みかける。
「助けてくれたんだ?」
……なにをどう取り違えればそういう発想になるのか本気でよくわからない。
そんなわけはない。
私は意図的にあなたたちを全滅させて、仕舞いにはあなたの喉を切り裂いた。
ナイフをふりあげた私を見ていたくせに、どうしてその結論になるの。バカなの。
「――」
なにか言おうとする。でも言いたいことが混乱して言葉にならない。
「私はフィオナたちの手続きをしてくるから、あなたはカインを見てて」
辛うじて今からやろうとしていることを宣言する。
レベッカはぽかんとした表情をした。
「カイン? なんで? トリスはどうするの?」
「私は他にも、宿の部屋をまとめたり、装備を補修に出したり、やることがたくさんあるから。なにかあれば帳場に伝言を預けておくから確認して」
やっとのことで必要最小限のことだけ伝えてベッドから離れると、レベッカが溜息を吐く気配がした。
◇
ロストした『石』を、寺院が預かっているオリジナルから復活させるには、経緯を仔細に書いた『顛末書』と破損した石の一部を添えて申立を行うことが必要だ。
それでもフィオナとグスタフは石があるだけまだスムーズだ。
ブラッドは石がないから申立のほかに『失踪届』を出す。石がある人間は日常的に寺院とコンタクトを取っているから、『失踪届』提出後に半年コンタクトがなかったことを確認してから手続きが進む。
出せる申立はすべてして、それからフィオナにメッセージを送付する。
『竜討伐隊は解散しました トリス・エリュダイト』
16歳の成人時点で作ったオリジナルから『石』を更新してなければ、これだけ見ても意味はわからないだろう。
20歳の彼女なら、私に彼女と敵対する意思があるということを正しく察するだろう。
寺院のメッセージサービスを利用したので我々の居場所が特定されるが、彼女がそれに関心を払うかどうかは未知数だ。どちらでも、もうどうでもいい。フィオナのことは考えたくない。
◇
3部屋とっていた宿の部屋を、三人部屋ひとつにまとめていったん清算する。
ボロボロになった武器や防具を補修に出して合札をもらう。
帳場に合札を預けて、連れがきたら新しい部屋番号を伝えるように頼む。
他にまだやることは残っていただろうか――