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神経衰弱

 考え違いをしていた。


 個人が持てる財産のうち、他人が奪えない唯一のものは知性であると思っていた。


 金銭は使えば消えるし暴力や詐術で容易に奪える。

 名声は悪評で潰える。

 しかし金銭を得るための知性を、名声を得るための理性を、奪うことは出来ない。


 そう思って人類の叡智の結晶である書籍類に執着したし、学んできた。


「あ、おかえりトリス」


 だけど――合部屋で。タンブラーグラスを手にしたレベッカが上機嫌に私にひらひら手を振っている――ようやく理解する。

 色情(lust)の前では理性は簡単に吹き飛ぶしIQだって容易に下がる。


「飲んでいるの?」

「トリスも飲む? おいしいよ」


 首を横に振る。私自身は酒には酔わない。第一に酩酊するほど飲まないし、そもそも体質的にアルコールが効きにくい。


「飲まないほうがいい、と言ったはずだけど」

「少しだけだし」

蒸留酒(スピリッツ)はあなたには強すぎるわ」

「そう?」


 レベッカはふふっと魅惑的な笑みを浮かべた。自分の笑顔がどんなに扇情的なのか、彼女も知ればいいと思った。


   ◇


 魔物は種族が違えども何かしらの手段でコミュニケーションを取っている。それがある周波数帯の通信であるというのは、知識・知恵・叡智・博学などの名前を冠する講では有名な話だ。

 そして『竜』はその最上位に位置する。

 そのコミュニケーションにおいて、上位格の魔物は下位の魔物を支配する。

 即ち、竜に近付けば近付くほど手ごわい魔物に囲まれることとなる。


 『始源の竜』は最強格だった。だから、単体で生息するはずのコカトリスが群れをなし、ヒュドラまでもが彼を守っていた。


 ……私には周波数帯で、どの魔物がどこにいるのかは正確に分かっていたのだけれども。


   ◇


 私は自分の自制心について問題があると考えたことはない。

 だから、誘惑に屈することは有り得ない。


 あの日までレベッカと相部屋になったことはない。男性と同室になることをフィオナやレベッカは気にしない。エヴォリュシオン伯が擁する軍ではそうなのだという。私にとってはそれは常識ではない。なので部屋割は大抵はフィオナも含めて三人か、私が一人部屋になるか、あるいは五人全員同じ部屋かのどれかだった。

 だから、いつもと違う部屋割には作為があったはずだ。


「そのお酒はどうしたの?」

「市場で買ったって。お土産に。ここの名物だから。味見してもいいよって、姉貴が」


 誰の作為かすら、あまりにも見え透いていたのに。


「味見させて」

「え? いま要らないって――」


 口付けは蒸留酒の味がした。

 最初はなすがままだったレベッカに腰を抱き寄せられ、深い口付けを返される。ぞわりとした期待感が背を掛けのぼる。


「おいしかった?」

「――わからなかったから、もういち、ど」


 息が絡んだ。


「直接飲めば良くない?」


 レベッカが律儀にタンブラーグラスを呷ってもう一度、私に口付ける。


 私は自分の自制心について問題があると考えたことはない。

 だから、自分が容易く誘惑に屈するという自覚がなかった。


   ◇


 各個人に貼り付けていたドローンを、ひとつをのぞいてすべて外した。


 竜討伐隊はその人数の少なさや装備の貧弱さに反して、それなりの成果を出し、それなりの評価を受けた。これだけの外法を使っているのだから当然だ。


 『寺院』は外法をきらう。よって『寺院』で教育を受ける一般市民も外法をきらっている。きらわないのは学識系の講ぐらいのものだ。

 エリュダイトは『寺院』と反目しているので外法はそこまできらってはいない。フィオナはかなり進取的な形質があるのだろう、逆に外法に興味津々だ。


 もちろん、その技能を分け与えることはしない。


 私は密かに索敵用のドローンを飛ばし情報を収集し解析し魔物の分布を予測しメンバーの行動を補佐していたが、隠密性の高いドローンを使ってその存在を気取らせないようにしていた。


 だから、なぜだかわからないけれど、いつもと違って突然、なにもかもうまくいかなくなった、という印象を持っただろう。

 フィオナとグスタフとブラッドは。


 レベッカだけが助かったのは偶然ではない。彼女に付けたドローンだけは、外せなかった。


   ◇


 レベッカは誘惑に屈しなかった。


 認めたくはないが、誘惑されていることに気が付かなかった、としか思えない。というより、私の必死の誘いは、誘惑の態をなしてなかった。


 求めれば返してくれるから期待するのに、それは決して叶わない。

 星の数ほど口付けを交わし蒸留酒の小瓶を空にした挙句、私が得たものは何もなかった。()()


「この宿絶対おかしいよね。天井がまわるとか普通ないよね……」


 ぐったりとベッドの上に倒れ込んだレベッカが言う。その背中に手を回して起こして、水を入れたグラスを口にさせる。飲ませ過ぎた。半分近く飲んだ私も、軽く眩暈がしていた。


「水?」

「宿酔いがいやなら飲んで」

「ありがとうトリス。あいしてる――」


 口付けを交わしていたときには終ぞ得られなかった言葉は、深い寝息に飲まれて消えた。

 後にはただ満たされない渇望(lust)だけが残った。


   ◇


 コカトリスは鶏と蛇ほかがキメラになった魔物だ。吐息に毒を持ち、視線で石化させる。通常は単体で発生する。


 コカトリスに限らずどんな魔物も番うことはない。『石』を持つ魔物は退治することができない。討伐しても討伐しても自然発生的に湧いてくる。地下には魔物が湧く鉱脈がある、という仮説が一般的な見方だ。

 学識系の名前を冠する講は見解を異にしている。表沙汰にはしていないが、石を回収した『寺院』がその石で蘇生された魔物を再配置していると推定している。

 魔物には生殖の必要がない、というのはいずれにも共通の見解だ。


 だからコカトリスが群生しているのは想定外の事態だった。

 私以外には。

 私はその情報を故意に伏せた。


   ◇


「……ぃたたたた」


 翌朝、レベッカは隣のベッドで毛布に包まって苦しんでいた。頭を抱えているので、宿酔い対策に飲ませた水はあまり効果がなかったようだ。


「あっ、トリス、あたしまたなにか迷惑かけなかった?」

「どうしてそう思うの?」

「どうしてってええと……その……」

「どうせまた記憶がないんでしょう?」

「そういうわけじゃ……」


 ひやりとする。


「なにを覚えているの?」

「ええと……」


 レベッカが赤面したので、胸が痛くなるような期待と、わずかな恐怖を感じた。


「夢を見ただけ、かも……」

「どんな」

「いやごめん。ありえないから夢だし。絶対夢だし」

「言ってみて」

「いやあの、経緯(いきさつ)はまったく覚えてないんだけれど、トリスに水を飲ませてもらったような」


 それのどこに赤面するような要素があったと言うのだろう。私はがっかりして溜息を吐く。やっぱり覚えていなかった。


「それは夢じゃない」

「え、マジで。いやあの、あれはその、え? ほんとに? 夢じゃない?」

「前にも言ったけど、あなたはお酒を飲むべきじゃない」

「あ、うん。そだね……え、ええと、そうじゃなくてあの、あたしなんか変なこと言ってなかった? 言ったよね?」

「たしか――『ありがとうトリス。あいしてる』」

「聞こえてるじゃーん。ええとあのね、つまりあの、誤解しないで欲しいんだけど、あれはそういう意味じゃなくてね、ええと」


 そういう意味なら、もう少し前のタイミングで言ってる。わかってる。


「落ち着いて。酔っ払いの言うことを真に受ける人なんていないから」

「う……ですよね」

「それにしてもあなたの態度って最低ね。前回の忘れて、も酷い話だし、今回の誤解しないで、もどうかと思う」

「う……はい。反省してます」

 

 酔っぱらってるのならどうせ忘れてしまうだろうと彼女に手を出したのは私なのに。

 私が被害者面するのは間違っていた。

 でも気持ちを傷つけられてるのは私だけ。アンフェアだった。


 彼女と相部屋でなければ。彼女が酔っぱらわなければ。彼女が魅力的でなければ。私は自分の自制心のなさには気付かずにいられたのに。彼女が私に性的な関心がないことに気付かずにいられたのに。


「あなたとの相部屋は二度としない」


 ――いっそ彼女さえいなければ、と思ってしまうのは理不尽なことだろうか。


   ◇


 そうしなければ理性を取り戻せなかった?

 そんなことは決してなかった。


 コカトリスは私たちをいい感じに分断し、壊滅させた。フィオナは鉄鍋を叩いて群れの大半を誘き寄せ大気の組成を変える『咒』を使って自爆した。グスタフが回収したフィオナの『石』は、私が壊した。生き残りのコカトリスに襲われたグスタフの『石』は粉々に砕けていて壊すまでもなかった。


 残りのコカトリスは、偶々(たまたま)その場にいたカイン・ブルーブラッドと名乗った男が片付けた。


「――アンタ、フィオナの『石』を壊したな? なぜだ」


 目に見える怪我は負っていないブラッドが私に声を殺して聞く。カインに聞こえないように。


「ええ。しばらく戻ってきて欲しくなかったから。それが何か?」

「なぜ」

「『始源の竜』は彼女には渡さない。これまで彼女が手に入れた情報は、これで消えたわ」

「なぜ。仲間だったろう?」

「仲間?」


 終始(レベッカ)をチラつかせられて操られることが仲間という言葉で括れるとは思わない。ずっと脅迫されていたようなものだ。


「そう思ったことは一度もないわ」

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