第八話 August 07
August 07 at 17:12 18,101 / 100,013
甲斐と沢城姉弟の三人はハスティナープラを目指して荒野を進む。彼等の旅は決して容易なものではなかった。特に難儀したのは荒川――この世界ではサラス川と呼ばれる川の渡河だ。元の世界のように上流にダムがあるわけではないため水量が豊富で、川幅も何百メートルもある。渡河できる場所を探して右往左往して見つからず、結局泳いで渡ろうとしてその最中にモンスターに襲われて危機一髪となり、三人がかりでかろうじて倒すも河口近くまで流されて危うくそのまま溺れそうになり、何とか岸辺に這い上がるも武器以外の荷物を全部失ってしまい。
「……西ってどっちだ」
「あれよ、夕陽に向かって歩けばいい」
元々大した荷物があったわけではないが、地図を失ってしまったのは痛手だった。その地図はジュンが徹夜をして手書きでコピーしたもので、その苦労をわずか一日足らずで無為にしてしまったわけだ。
「ジュンには申し訳ないけど、こういうこともあるわ」
「その分何か手がかりを掴んで帰らないと」
諭吉の言葉に雪未は「その通り」と頷いた。
地図はなくなってしまったが、元々さほど詳細な地図だったわけではないし、そもそも選べるほどの道がない。あったとしても獣道で、川や谷や沼地や湿地で途切れている。ときに迂回し、ときに後戻りし、ときにモンスターと戦い、ときに同じプレイヤーと対立する。幸い諭吉と積極的に戦おうと考えるプレイヤーはおらず、人間相手の戦闘をすることなく進むことができた。
「グラーフ・ツェッペリン」の砦を出発して一日半が経過し、時刻は夕方。彼等は目的地・ハスティナープラから一キロメートル手前までやってきた。……何故それが判るかと言えば、
「標識……か?」
「標識だな」
「標識よね」
今、彼等の目の前には木製の粗末な標識が一つ、立っている。それには「ハスティナープラまで1km」という日本語の文字と、矢印が記されていたのだ。
「一体誰が何のために」
「それは判らないが、ともかく行くしかないんじゃないか?」
雪未は訝りながらもそれに同意し、矢印が指し示す先へと進んだ。平坦で歩きやすい道が続き、彼等はほんの一〇分ほどでハスティナープラの町に到着した。町の周囲は延々と続く高い城壁で囲まれ、その内側には石造りの塔が建ち見張りがいるのが判る。また関所も設置されており、武装した歩哨が二人ばかりそこにいる。甲斐達は警戒態勢となりながらも不審に思われないよう、何気なさを装いそこへと接近した。
「おーっと、そこの三人。止まってくれ」
歩哨が甲斐達を誰何し、彼等はそれに逆らわずに足を止めた。門番をしている一人は四〇過ぎの男だ。身長は高く手足は長く痩身だが猫背で、髪は薄くなりつつある。しょぼくれた雰囲気の、冴えない中年男だった。
彼は甲斐達の顔をとっくりと眺め、
「新顔みたいだな。この町のルールを説明する」
「ええ、お願いするわ」
「知っているようだが、町の名前はハスティナープラ。ここはプレイヤーズギルド『アーク・ロイヤル』が治めている」
一瞬で三人が中年男から距離を取り、武器を抜いた。白刃を向けられた中年男は「待て待て待て!」と慌てている。
「確かにβ版じゃ『アーク・ロイヤル』は悪さの限りを尽くしたギルドだったが、今この状況でそんなことをするわけがないだろうが。常識で考えろ、常識で」
甲斐達は互いに顔を見合わせ、一応武器を納めた。そして門番の中年男へと歩み寄り、先ほどまでとは何倍もの距離を置いて足を止める。中年男は肩をすくめた。
「アーク・ロイヤル」はβ版における四大ギルドの一つであり、最も悪名高いギルドである。積極的にPKを狙い、このギルドに殺されたプレイヤーは数知れなかった。
「ルールさえ守っていりゃ問題はない。揉め事を起こすな、喧嘩はするな。それに何より、『アーク・ロイヤル』には逆らうな、だ。難しくはないだろう?」
中年男はゆるい態度でそう言うが、甲斐達は難しい顔を並べている。それを見て取り、
「今、この世界じゃプレイヤー同士、日本人同士が互いのカルマを狙って殺し合いをしているだろう。お前等だって人を殺して今まで生き延びてきたんじゃないのか?」
中年男の指摘に雪未は一瞬怯みながらも、
「襲ってきた奴を返り討ちにしたことはあるけど、自分からプレイヤーのカルマを狙いにいったことはないわ」
「この町には何百人というプレイヤーが出入りしている、中にはPKを狙うプレイヤーだって混じっているだろう。だがそれは絶対に許さない、それが『アーク・ロイヤル』とこの町の大原則だ」
人が変わったみたいに中年男が断固たる意志を示し、甲斐達三人が息を呑んだ。
「それに異論はない、必ず守る」
少し間を置き、諭吉がそう返答。その上で、
「『アーク・ロイヤル』が不当な攻撃をしてこない限りはこちらから手を出すことはない」
と付け加えることも忘れなかった。中年男は元のゆるい空気に戻り、「はいはい」と肩をすくめる。そして彼は三人に対して門扉を開いた。
「ようこそ、ハスティナープラへ」
中年男のおどけたような言葉を背に受け、甲斐達はハスティナープラの町へと足を踏み入れた。
そして今、甲斐達三人はハスティナープラの町中にいる。
「これがハスティナープラの町……」
「まあ、町と言うほどの規模じゃないようだけど」
雪未の言う通り、ハスティナープラは町と呼ぶには人が少なすぎた。面積はそれなりにあるようだがそのほとんどがただの空き地か雑木林で、建物があって人がいる場所はごく限られている。甲斐達はその、人が集まる場所へと歩を進めた。
町の南北と東は城壁によって守られ、西側は川によって囲まれている。あの川は神田川かも、と雪未は推測した。そしてβ版ではハスティナープラ城と呼ばれていた城は、その川をまたぐように建てられていた。
川の上に石の橋を造り、そこに関所を造り、防壁や高楼を造り、とやっていたら結果として川の上に城が造られた……のかもしれない。高楼の高さは四階建てのビルくらい。ほとんど崩れることなく、非常に良い状態を保っている。城の正面には巨大なアーチ状の通路があり、本来は向こう岸までつながっているようだった。おそらくかつては頑丈な門扉があって必要に応じて開閉していたのだろうが、今はもうない。その代わりに大きな石が山と積まれ、通路が完全に埋められ、閉ざされていた。
ハスティナープラ城の周囲には粗末な小屋が並んでおり、多くのプレイヤーがそこにたむろしている。どうやらそれらの小屋はプレイヤー用の宿泊施設のようである。また、
「あれは、店か?」
城の前に店らしきものが設置されており、そこに人が集まっている。プレイヤーが店員に何かを渡し、それと交換に食料をもらっている。食料はモンスター肉の他、黒パンなどのようだった。
人が少なくなったのを見計らい、雪未がその店の店員に声をかけた。
「少しいいかな。この町は初めてなんだけど、どうやったら食料をもらえるの?」
その女性店員はマクドナルドのスタッフもかくやという笑顔を雪未へと向け、
「はい。こちらでは各種食料とカルマを交換させていただいております」
その店員が何を言ったのか、雪未達はすぐには理解できなかった。
「……カルマを?」
「はい。当ギルドに登録していただければこちらの魔道具をお貸しします」
と店員が示すのは掌サイズの壺らしきものである。白を基調とした上に輝石や金属で装飾が施されている。壺の口は硝子のような材質の何かによって塞がれていた。
「この『カルマの壺』は倒したモンスターのカルマを吸収し、貯蔵する魔道具です。貯蔵されたカルマは一定の手順で他者に受け渡すことができます」
「『アーク・ロイヤル』はこれを使ってカルマを集めているってこと?」
「はい。ギルドメンバーが集めたカルマと交換に食料を提供させていただいております。宿泊施設の利用も同様に」
店員はにこやかに丁重に説明するが、それで雪未達が「アーク・ロイヤル」に好感を抱くかどうかはまた別の話だった。
「ギルドメンバーの登録はそちらで受け付けております」
「判ったわ、仲間と相談するから」
その店から離れた雪未達三人は人気のない場所へと移動する。もっとも人のいる場所は城の周囲だけで、そこから少し離れればもう他者の耳目を気にする必要などなかったが。
「どうなってるのよ、ここは!」
雪未がいきなり憤懣を吐き捨て、甲斐と諭吉もまた似たような表情で頷いた。
「ジュンさんに考えてもらうまでもないですよね」
「ああ。どう考えても『アーク・ロイヤル』は外の誰かとつながっている」
諭吉の断言を雪未は「他に説明しようがない」と全面同意した。
「あの魔道具も、あれだけの食料も、外からの供給を受けているとしか考えられない。その外の誰かがジュンの言う『儀式管理者』である可能性は、かなり高いでしょうね」
「つまり『アーク・ロイヤル』を斬ればいいと」
剣を抜く甲斐の頭を「落ち着け」と諭吉が叩く。
「下手に動けばこの町の全員を敵に回すことになる。慎重に行動するべきだ」
「その通り。どう動くにしても判断材料が足りない、とりあえずは情報収集に専念するべきね」
雪未のその方針に甲斐はやや不満そうにするが反対はしなかった。
「まずはギルドメンバーに登録してあの『カルマの壺』を手に入れるわ。この町に滞在するのが三日か四日としても食べ物なしじゃどうしようもないし」
同意し、頷く二人に対して雪未は「ただ」と続けた。
「ギルドメンバーに登録するのは今はわたしだけよ」
「どうして」
「慎重に行動するべきと言ったのはあんたでしょうが。ギルドメンバーになることで行動に制限がかけられるかもしれない。万一の場合を考えてあんたと甲斐君はフリーにした方がいいわ」
相談がまとまった雪未達は町の中心地へと再び移動。雪未は城を訪れ、ギルドメンバー登録を申し出た。
「それではその水晶玉に手を置いてください」
城門横に設置された小さな小屋の、薄暗い屋内。そこでメイジと向き合う雪未は指示に従い水晶玉に手を置いた。メイジが呪文を唱え、水晶玉が淡い光を放つ。
「契約は完了しました。この『カルマの壺』はあなたにしか使えません。壊したりなくしたりしないようにお願いします」
「判ったわ」
登録が終わる頃にはもう日が沈んでおり、安全な場所で身を休める時間である。ハスティナープラは町全体が城壁に囲まれ、また門番や歩哨もおり、町の内側にいる限りはモンスターの心配をする必要はなかった。
「だからといって絶対安全とは限らないしね。いつものように見張りは三交代で」
三人は町の外れの適当な場所で野宿をし、一夜を明かした。
August 08 at 09:42 16,955 / 100,013
ハスティナープラに到着したその次の日。沢城姉弟はモンスターを狩りに行く一方、甲斐は町に残っての情報収集を担当した。
「甲斐君にそれができるのかな」
とこの人選については雪未もかなり悩んだのだが、諭吉は見た目が怖く人当たりが悪く無愛想だ。甲斐の、他者を警戒させない外見で人懐っこく朗らかな点が功を奏することに賭けたのである。
そんなわけで甲斐は今、ハスティナープラ城の前にいる。この町唯一の店の前ではプレイヤーが行列を作り、その近くでも大勢のプレイヤーがたむろし、駄弁に興じていた。
「β版なら酒場に行くところだけど」
β版にはPRG風ファンタジーの多くがそうであるように酒場があって、情報交換や他のプレイヤーとの交流に大きな役割を果たしていた。この現実には当然ながら酒場などない。ただ、店の近くの空き地には丸太が何本も転がり、多くのプレイヤーがベンチ代わりにしてそれに座り、休息している。また店で買った黒パンや肉を食いながら話し込んでおり、
「なるほど、これが酒場の代わりか」
一人納得した甲斐はその「酒場」へと乗り込んでいった。周囲を見回した甲斐は近くにいた男へと突撃し、
「済みません、おいしそうな肉ですね!」
「ああ?」
つい本音が漏れてしまった甲斐に対し、相対する男は怪訝そうな声を出す。二〇代後半の、体格が良くかなり強そうな、だが思慮はいまいち足りなさそうな男だ。
「分けてやらねえぜ。欲しけりゃ自分で狩ってきな」
「判りました。あと教えてほしいんでけど、あのパンはどうやったら手に入るんですか?」
「ああ、ありゃ店で交換してもらうんだよ」
その話は既に聞いていることだが、甲斐は「ふむふむ」ともっともらしい顔で頷きながら熱心に聞く。それで気分を良くした男の口は次第に滑らかとなった。
「これがその『カルマの壺』だ。これを持ってモンスターを倒すとこの壺がカルマを吸い込んでいくんだ」
甲斐は「へー」と感心する。そして、
「『アーク・ロイヤル』はどうやってこの壺を手に入れたんでしょうね!」
周囲の空気が固まったような気がしたが甲斐は気にせず、屈託なく疑問を重ねた。
「それにあのパンも不思議ですよね。あれだけの食料が一体どこから出てきたんでしょうか!」
「そりゃー、おめー……あれだよ、あれ」
「あれって?」
気まずげな男に対し、
「はっきり言えばいいじゃん。『アーク・ロイヤル』は外の誰かとつながっている、って」
何者かが口を挟んでくる。声の方をふり返ると、そこに立っているのは一人の女性だった。
身長はかなり低く、スレンダーな体格だ。髪はセミロングで、猫を想起させる顔立ち。一見すると中学生くらいだが、おそらくは甲斐よりも年上と思われた。装備は、キュロットパンツとTシャツ。その上にジャケットを羽織っているがサイズが全く合っておらず、まるで父親の服を着た子供のようだ。多分それはこの世界で手に入れたものなのだろう――襲ってきた相手を殺すなどして。
「外と? 集めたカルマを外との取引に使っているってことですか?」
「ええ、その通り。この人達が生命を懸けて狩ってきたモンスターのカルマは二束三文のライ麦と交換されている。あまりに不当で不利でぼったくりの、割の合わない取引よ」
皮肉げに言い放つその女性に対し、その場の多くは関わり合いを持たないよう距離を置くような態度を取った。だが中には、
「今あんたは『外』と言ったが、逆に言えば俺達は今どこかの内側に閉じ込められているってことか?」
そう問う者もいる。女性は「ええ、その通り」と肯定し、
「俺の知り合いはそれを『蠱毒壺の結界』って呼んでいました」
と甲斐が補足説明。女性は、
「なるほど、『蠱毒壺』か。それは言い得て妙ね。まさしくここは蠱毒壺の内側だわ」
とひとしきり感心した。
「そうなると『アーク・ロイヤル』が取引をしている外の連中って、要するに『蠱毒壺の結界』を維持している『儀式管理者』になると思うんだが」
「そうとしか考えられないわね」
「どうして放っておくんだ、そんな奴等を!」
その場の誰かが立ち上がり、怒声を上げる。
「このゲームで何人死んだと思っている! 俺の友達だってモンスターに食われて……良い奴だったのに!」
その彼が悔し涙を流して歯を軋ませた。彼の怒りはその場の全員に一瞬で伝播する。
「結界を破って外に行くべきだ!」
「そうだ! その『儀式管理者』をぶっ殺す!」
「いや、そいつ等を締め上げて俺達を元の日本に帰させるべきだ!」
「そうだ! 日本に帰るんだ!」
何十人もの人間が口々にそう叫んでいる。その場は怒りと、帰還の意志の一色となった。それに同調していないのは二人だけだ。一人は「まさかこんなに急に話が進むなんて」と呆然としている甲斐。もう一人の女性は、
「――ギルドメンバーの総意は聞いての通りだけど、どうするつもり?」
彼女が何者かにそう問い、問われた方が「そうだな」と応じた。たむろしているプレイヤーが左右に分かれる。人垣を割って姿を現したのは一人の男である。
年齢は二〇代半ば、身長は平均程度だが痩身。その容貌は整っている……と言うにはどこかバランスがおかしい。戯画の狼のような、尖った印象の男である。
その男の登場で加熱していた空気があっと言う間に沈静化した。甲斐が隣の誰かに「あの男は?」と問う。
「知らないのか? あいつが『烈風11』だ」
「七大英雄の一人か!」
甲斐は素直に驚いた。
β版においては自由にハンドルネームを名乗ることができたが、参加者が一〇万人もいる上それが重複するのも特別なことではない。例えば「烈風」のような、人気のある単語一文字では十人以上がそれを名乗ることになり、その場合二人目以降は「2・3・4……」と番号が振られるのだ。つまり彼は「烈風」というハンドルネームを使った一一番目のプレイヤーであり、また最も有名で高レベルのプレイヤーでもあった。そしてβ版で「烈風11」が「アーク・ロイヤル」と同盟関係にあったのは周知の事実だった。
「今の『アーク・ロイヤル』の方針に疑問を感じる人は大勢いる。あんにはそれに答える義務があるんじゃないの?」
「本来それはリーダーの役目で、ただの客分である俺の知ったことじゃないんだが」
と烈風11は皮肉げに口を歪めるが、
「あいにくリーダーは不在で、俺が留守を預かる身だ。その義務とやらを果たそうか」
烈風11が傲然と胸を張り、その眼前に女性が対峙する。それを何十人ものプレイヤーが囲み、固唾を呑んで二人の対決を見守った。甲斐もまたその中の一人である。
「『アーク・ロイヤル』は外の連中と取引をしている。それに間違いはない?」
「ああ、その通りだ」
「外の連中は何者なの? そいつ等がこの『蠱毒壺の儀式』を実行し、わたし達をこの世界に引きずり込んで殺し合いをさせているんじゃないの?」
「証拠は何もない。だが他には考えられないだろうな」
烈風11はそう言って肩をすくめる。
「そこまで判っていながら、どうして何もしないのよ。外の連中の首根っこを掴んで『わたし達を元の日本に戻せ』って無理矢理にでも」
「そうしたくても、できない理由がある」
「それは?」
烈風11は「簡単なことだ」と自嘲した。
「外の連中の方が強い」
女性が言葉を失う。少しの間、その場を沈黙が満たした。
「最初に仲間とこの町に入ったとき、俺達はすぐに外を目指した。外にいたのは……この結界の守護者だろう。仲間の大半がそいつに殺られて、俺は必死にこの町に逃げ戻った」
「でも、レベルアップした今なら」
「俺は今多分レベル九にはなっているが、それでもあの守護者に確実に勝てるとは思わない。それにあいつもカルマを集めて、以前より強くなっているはずだ」
女性も、周囲の者も誰も何も言えない。烈風11は一同に聞かせるように、
「ハスティナープラ城を根城にした俺達に外の連中が接触してきて、取引を申し出てきた。外の連中の戦力は結界の守護者だけじゃない、何百人って軍隊も揃えている。そんな連中に対して何ができる? どんなに不利な取引だろうと言いなりになるしかないだろう。それで少しでも食い物が手に入るのなら!」
女性も、周囲の者も誰も何も言えない。
「――でも、このままでいいわけがない」
ただ一人、甲斐だけがそう声を上げた。
「こんな申し訳程度の食い物をエサにされて、モンスターと戦いをさせられる。プレイヤー同士で殺し合いをさせられる。こうしている間にも同じプレイヤーがどんどんと死んでいくんだ。このままで、外の連中の言いなりのままで、いいわけがない」
甲斐の静かな、だが良く通る声が一同の耳朶を打ち、胸に響いた。女性が「確かにそうね」と強く頷く。
「このままこうしていても日本に帰れる保証なんかない。それに何より、わたし達をこんな目に遭わせている連中に目にものを見せてやらなきゃ、気が済まない」
女性の扇動にその場の空気は再び熱くなろうとしている。烈風11は、
「当たり前だ。俺を誰だと思っている」
とその熱気を横取りするように宣言した。
「外の連中で本当に厄介なのは結界の守護者だけだ。だがもうちょっとで奴にも追いつく。近いうちに奴を倒して、外の連中を打ち負かす!」
烈風11が固めた拳を突き上げ、一同が歓声を上げてそれに応じた。ただ二人、甲斐と女性はその高揚に加わらないままだったが。
August 08 at 18:33 15,861 / 100,013
「それで、この人が林神奈さんです」
「どーもー」
甲斐の紹介を受けた神奈という女性が手を振って軽い挨拶をする。諭吉達は「お、おう」とそれを受けた。
時刻は夕方、町中での情報収集を終えた甲斐がその成果を連れて沢城姉弟と合流したところである。「成果」とは要するに神奈のことで、彼女は烈風11と対峙した女性だった。
「わたしもこの町はそれなりに長いからね。訊きたいことがあるならできるだけは答えるわよ?」
と神奈。もちろんそれは無償ではなく、彼女は諭吉達が狩ってきたモンスター肉に遠慮なく食らい付き、貪っている。
「今の『アーク・ロイヤル』のリーダーは烈風11ってこと?」
「実質的にはね。『アーク・ロイヤル』のβ版のリーダーは住んでいたのが越谷の方だったからなかなかこの町に来ることができなかったのよ。リーダー不在の間にメンバーがこの町に集まってきて、その主導権を烈風11が握った。もともとギルド一つとあいつ一人が対等っていう力関係だったからね。あいつに逆らえるメンバーはギルドの中にはいなかったし、今もいないわ」
その説明に雪未が「なるほど」と頷く。
「しかもレベル九か。β版でどれだけレベルを上げていてもこの世界じゃ無意味だから七大英雄と言っても大したことはないと思っていたけど」
「そうね、七大英雄のうち何人生き残っているか判らない。でもあいつは下手をすると現時点の最高レベルプレイヤーかもしれないわ」
「そしてその烈風11でも勝てない『結界の守護者』……」
少しの間、その場を沈黙が満たした。
「だが烈風11が結界の守護者に勝てば、俺達が日本に帰れる芽も出てくるんじゃないのか?」
諭吉の提起に対し、
「確実に勝てるとは限らないわ」
と雪未。
「人任せは性分に合わない」
と甲斐。
「あいつにこれ以上偉そうな顔をされたくはないわね」
と神奈。諭吉は苦笑するしかなかった。
「つまりは俺達も結界の外に出て守護者と戦うってことか?」
「今、わたし達だけでそれをやる、というのはさすがに無謀よね」
雪未の冷静な一言に、剣を握っていた甲斐はそっとそれを下ろした。
「じゃあ拠点に戻って諏訪部さん達と相談する?」
「それが筋よね。元々情報収集のためにここに来たんだし」
雪未は指折り数えて、
「拠点を出て今日で四日目か。幸い食料は充分にある。明日は三人で情報収集をして明後日にここを出発して、来たときと同じだけ時間がかかってもちょうど一週間だわ」
「それでいい」
と諭吉と甲斐が頷き、三人の方針は決定した。
翌日は雪未が中心となって聞き込み等の情報収集を進めるが、特別新しい情報は手に入らなかった。そしてさらに翌日、三人はハスティナープラの町を出て「グラーフ・ツェッペリン」の拠点への帰路に就く。往路ほどではないがサラス川の渡河にはやはり苦労をさせられ、また小さな砦一つを探すのも難儀であり、彼等三人がジュン達の下に戻ってきたのは一日半後。この砦を出てからちょうど一週間後のこととなった。
August 12 at 18:33 9,880 / 100,013
「なるほど、これが『カルマの壺』か。今、これの中にカルマがあるのかい?」
「ええ。手違いで一匹分入っちゃった」
ジュンは雪未から手渡された「カルマの壺」を興味深げに眺め回している。場所は「グラーフ・ツェッペリン」が拠点としている砦の中庭、時刻は既に夜。一同は焚き火を囲み、それぞれがモンスター肉に食らい付いている。ジュンは帰還した甲斐達三人から一通りの報告を受け終えたところだった。
「一体どういう技術を使ってカルマなんてものを扱っているのか興味は尽きないが、考えてみればこの『蠱毒壺の結界』自体がカルマを扱う魔法技術の結晶というべきものだ。規模は違うが両者は同系列の魔法技術を利用していると見るべきだろう」
「つまりは『アーク・ロイヤル』の取引相手と『儀式管理者』が同一だと?」
「そこまでは言えない。状況証拠の一つくらいにはなるだろうけど」
とジュンは即断を避けた。
「それで、どう思いますか? 俺はみんなで結界の突破に挑戦するべきだと思います」
「そうだな。すぐにではなくても戦力が整ったなら」
まずは甲斐が積極案を主張し、諭吉がそれに同調する。雪未はそれに反対せず、アキラは、
「どうしやすか、姐さん」
と判断をジュンに委ねるようだった。ジュンは顎に手を当てて「そうだな」と少し考え込む。
「……『儀式管理者』というのがどういう存在なのか考えてみたんだが、何か意見がある人はいるかな?」
甲斐と諭吉は顔を見合わせるが、そこに答えがないのは訊かずとも判ることだった。一方雪未は、
「国……じゃないの?」
「わたしもそう思う。『ナラクエ』の舞台であるポータラカ王国、『儀式管理者』とはそれの一部か、全部だ」
甲斐は少しの間言葉を失い、
「で、でもどうしてそんなことが」
「少し考えれば判るだろう? わたし達が閉じ込められている蠱毒壺の大きさは直径二九キロメートル、全周九一キロメートル。関東平野の主要部分を占める大きさだ。こんなもの、一国の力をもってしなければ用意できるわけがない」
考えてみれば当然のことを言われ、甲斐は大きく目を見開く。甲斐の代わりに諭吉が確認した。
「それじゃ烈風11が見たっていう何百という軍隊は」
「ポータラカ王国軍、ということになるだろう。何百という数は見える範囲にいたのがその数というだけで、実際には千・万単位の兵隊を動員することが可能なはずだ」
重い沈黙が水のようにその場を満たし、甲斐は息苦しさを覚えた。甲斐は息継ぎをするように大きく空気を吸い、
「ジュンさんは――結界突破に挑戦するべきじゃないと思ってるんですか? 戦っても勝てないから、無駄だから」
思いがけず大きな声になってしまうが構うことではなかった。ジュンはまず独り言のように「そうだな」と応える。
「……ポータラカ王国と正面から戦うのは避けるべきだと思う。だけど、何百何千という軍隊に真正面から突っ込むだけが戦いじゃない。謀略陰謀離間脅迫搦め手奇襲暗殺美人局、弱者の戦い方はいくらでもある」
そう豪語し、不敵に笑うジュンに甲斐達は生気を取り戻した。
「それじゃハスティナープラに」
「ああ、移動しようと思う。わたし達がこの世界から解放されて元の日本に戻れるか、それともナラカ王のエサになって終わるのか、全てはその町で決まることになるだろう」
ジュンの決断に甲斐に異存があるはずもなく、沢城姉弟やアキラもまた同様だった。誰もが決意と戦意を顔に浮かべ、強く頷いている。
「――待ってください。僕達は反対です」
思いがけないその言葉にジュン達は目を見開いた。一同の視線が手を挙げた一人の男性に集中する。ジュン達と同世代の、スポーツマンタイプの爽やかな優男だ。
「……反対とはどういうことかな? 三石君」
「言葉通りです。僕達がそんな危険を冒す必要はありません、今まで通りこの砦で自分の身を守っていればいい。それが僕達七人の総意です」
「グラーフ・ツェッペリン」にはジュン・アキラ・甲斐の他に男三人・女四人のメンバーがいて、三石はその中の一人である。ジュン達三人は既にレベル七を超え、八を目指しているところだが、他の七人は未だレベル四付近に留まっている。三石はその中でも高レベルな方で彼等の中でのリーダー格だが、甲斐達から見れば雑魚同然だった。
「この砦で身を守っていて、それで日本に帰れるのかい?」
「レベル九の七大英雄が結界突破のために動いているんでしょう? 僕達が何かをする必要があるんですか?」
「この砦が絶対安全なんて保証はないと思うんだが」
「ハスティナープラの町が絶対安全なんて言えるんですか?」
ジュンは三石を説得しようと言葉を重ねるが三石達の決意は変わりそうになかった。やがて三石の頑なな態度にアキラが焦れて、
「別に構わねーじゃねーですか、姐さん。俺達だけでハスティナープラに移動すれば」
だが、と躊躇うジュンを無視するように、アキラは三石に問う。
「てめーもそれでいいよな? まさか俺達にここに残って自分たちを守れ、なんて言わねえだろ」
嘲笑するようなアキラの態度に三石は鼻白むが、「それでいい」と同意する。
「ってことです」
そう肩をすくめるアキラに対し、ジュンは未だ躊躇いを捨てきれなかった。助けを求めるように甲斐へと視線を向けるジュン。それを受けた甲斐は、だがジュンの期待に応えなかった。
「……ハスティナープラに行って結界突破に挑戦して、俺達はそこで倒されるかもしれない。元の日本に戻る方法は烈風11が見つけて、何もしなくても日本に帰れるかもしれない。もしかしたら三石さん達の方が正しいのかもしれない。何が正解なのかは俺には判らないし、ジュンさんにも三石さんにも確実なことは判らないと思います」
それは堀江由樹や金田朋也達との出会いと別れを経て、甲斐が得た教訓だった。甲斐がよかれと思ってやったことが相手にとっての最善となるかは誰にも判らない。だから、
「何が最善かを判断してどう行動するか、それを選択するのは自分の意志でやるべきで、他人任せにするべきじゃない。それが間違っていても、それで死んでも、自分で選んだことならまだ納得できるだろうし」
雪未が甲斐の補足をし、甲斐が「その通りだ」とばかりに大きく頷く。ジュンは諦めたようにため息をついた。
「三石君と一緒にここに残るか、わたしと一緒にハスティナープラに移動するか。どちらを選ぶか、誰にも頼らずに自分だけで決めてほしい。この選択が生死を分けても何の不思議もないのだから」
ジュンが一同にそう告げ、それが話し合いの結論となった。砦の中の一二人はそれぞれの選択を胸に、その夜を過ごすこととなる。
「姐さん」
「ああ、行こう」
アキラの呼びかけに、ジュンは未練を振り払うように前を向いて歩き出す。その遥か後方には小さな砦が一つ建っているが、すぐにそれは視界の内から消えていった。
翌朝、諏訪部ジュンはハスティナープラへと向かって移動を開始する。彼女に同行するのは、矢島アキラ、門脇甲斐、沢城雪未・諭吉の沢城姉弟。それに、
「大橋は俺達と一緒で良かったのか?」
「は、はい。自分で決めたことです」
彼の名は大橋歩。年齢は、甲斐や諭吉と同じく高校二年。身長は高くなく骨と皮だけのような、極端な痩身。瓶底のような分厚い眼鏡をかけた、貧弱な坊やだ。運動神経はどこかに置き忘れ、武道経験など欠片もなく、三石達七人の中でも獲得カルマは最低レベル。正直言って、戦力的には足手まとい以外の何者でもなかった。
「グラーフ・ツェッペリン」メンバーの七人の中で砦に残ったのが三石も含めて六人。ジュンに同行してハスティナープラを目指すことにしたのは、この大橋一人だけだった。
「まあ、三石がでかい顔をするあの砦じゃおめーの居場所はねえだろうけどよ」
三石が主導してこの大橋を砦から追い出したのではないか、とアキラは疑っている。だがわざわざそんなことを追及したりはしなかった。
「大橋君には早急にパワーレベリングで強くなってもらう必要があるけど、より上を目指すべきはわたし達も同じだ。あの七大英雄も敵わなかった結界の守護者に挑むのだから」
ジュンの言葉に甲斐は無言で頷き、前を見据えて力強く歩き続けた。
以前とは違い、その行き先には明確な当てがあり、展望があった。そして目指すべき場所は最初から不変である。甲斐は朝日の光の中を、着実に前へと進んでいく。
August 13 at 07:56 9,515 / 100,013