表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ナラカクエスト・オンライン  作者: 行
第一部 奈落彷徨編
4/31

第三話 July 24




July 23 at 10:45




「しっかりやりなさいよ!! 死んだら家に入れてあげないからね!!」


「判ってる判ってる」


 亜衣の激励……と言うよりは脅迫を受け、甲斐は父親と共に自動車で出発した。目指すは近所のJRの駅。そこから汽車で金沢駅へと移動し、さらに新幹線に乗って東京に上京するのだ。


「でもいいなぁ、一月も東京に行けて」


「遊びに行くわけじゃないでしょう? お小遣いも大して渡していないし」


「でもいいなぁ。わたしも行きたかったなぁ」


 自動車を見送っていた二人は家の中へと戻っていく。甲斐のいない今年の夏は、静かな夏となりそうだった。

 一方の甲斐は予定通り、その日の夕方には東京駅に到着した。都内をさらにJR常磐線で移動し、到着したのは葛飾区亀有。漫画「こちら亀有区亀有公園前派出所」の舞台として有名な町である。その漫画に特に思い入れのない甲斐にとってはただの都会の町なのだが。

 一人では初めてだが町自体はこれまで何度もやってきており、迷うこともない。甲斐が訪問したのは比較的大きい、古い一軒家だ。表札には「斎藤」という名が記されている。


「こんにちは、門脇です。お世話になります」


「やあ、よく来たね。自分の家だと思って楽にするといい」


「ありがとうございます」


 甲斐はその男性に向かって深々と頭を下げた。自分の父親と同じくらいに凶悪な、ヤクザとしか思えない面立ちのその男は斎藤禾和さいとう・ひでかずという名で、米太の古い剣術仲間だ。なお職業は警視庁の警部である。

 用意してもらった部屋に荷物を置いた甲斐は、早速斎藤夫妻と共に夕食を摂ることとなる。


「変なお願いを聞いてもらってありがとうございます」


「いや、構わないよ。娘も嫁に出てしまって、二人では寂しかったところだ」


 米太が少しでも安いホテルやマンスリーマンションを探して手頃な場所が見つからず、窮した彼が頼ったのが旧友の斎藤氏だった。米太の相談を受けた斎藤氏は「それなら自分のところに下宿するといい」と言い出し、米太はその好意に甘えることにしたのである。


「ところで一月ずっとゲームをしているわけではないのだろう?」


「もちろん。身体が鈍らないように動かしたいです」


「それならいつものように出稽古だな」


 と獰猛な笑みをする斎藤氏。斎藤氏は警視庁の剣道部所属で、出稽古でこれに加わるのが甲斐の夏の恒例行事だった(そしてその際は斎藤家に宿泊するのも毎年のことである)。それは甲斐にとってはいつものことでありまた望むことであり、


「そっちでもお世話になります」


 と礼をする。斎藤氏は小さく笑い、手酌でビールを飲んだ。










July 24 at 12:00  100,013 / 100,013




 七月二四日、正午。それが「ナラカクエスト・オンライン」本戦の開始時刻である。このときにオープニングセレモニーがあり、またゲーム攻略に関して重大なヒントが提示されると噂されており、参加資格を有する人間のほぼ全員がログインしようとしていた。

 参加者数は一〇万人限定だったがスカーヴァティ社がある程度の不参加を見込んで若干の余剰人数を追加させており、まだ実際に不参加があり、それを差し引きして一〇万〇〇一三人。それがオープニング時にログインした人間の総数である。

 その全員がこの日、このとき東京及びその近隣に集まっていた。その範囲は、足立区舎人公園近くのデータセンターを中心とし、半径一四・五キロメートル、直径二九キロメートル、全周九一キロメートルの円の内側。西は和光市、東は松戸市、南は港区、北は越谷市にかかっている。

 甲斐が居候をする斎藤家は葛飾区にあり、当然この円の範囲内だった。甲斐は斎藤家の二階、客間の六畳間にいる。時刻は間もなく正午、VRヘッドセットを装着した甲斐はいつもと同じ手順でログインした。


「ようこそポータラカ王国へ! わたし達の国を救うべくここに来てくださった、勇者候補のあなたを歓迎します!」


 甲斐の目の前に突然女性が姿を現す。思わず「何だこれ?」と呟くが、すぐに理解した。


「ああ、オープニング用のNPCか」


 十代の、銀色のロングヘアの美少女で、その服装はお姫様か妖精かといった華やかで幻想的なものである。嬉しそうな笑顔だった彼女が、ふと顔を曇らせた。


「ですが、あなたが挑むナラカ王はあまりに強大です。これに敗北するならあなたは全てを失うこととなるでしょう。それでも我が国を救うために戦っていただけますか?」


 甲斐が「もちろん」と頷き、彼女は澄んだ笑顔となった。


「決意は変わらないのですね。それではこちらの契約書に拇印を捺してください。それで契約は成立し、あなたはわたし達の世界へと誘われます」


 変なことをやらせるんだな、と思いながらも甲斐は言われるがままに親指にインクを付け、契約書に捺印をする。……その素振りをするだけのはずが、親指の腹は羊皮紙の感触を脳へと伝えた。次の瞬間、契約書の羊皮紙が眩く輝き出す。


「契約はここに結ばれました。勇者候補のあなたに幸運と武運があらんことを」


 NPCの女性が甲斐へと笑いかける――まるで嘲笑するように。その眼が紅く光り、まるで蛇のようなそれとなり、甲斐は怖気を振るった。いや、それはただの眼ではない。眼がその機能を喪い、それはただのシンボルと化している。


「ナラカ王の紋章?!」


 甲斐の本能が理屈も何も関係なく「逃げろ」と命じ、甲斐はそれに忠実に従おうとし、だが間に合わない。足下にナラカ王の紋章が魔法陣のように広がり、それは漆黒の穴となった。全身を捉える浮遊感、そして落下の感覚。甲斐の身体は地獄へと続くような無限の暗闇へと墜ちていく。


「な……くそ! なにが――」


 意識を失っていたようだが、おそらくそれは一秒未満のことだろう。発条のように立ち上がった甲斐は周囲を見回し、そのまま絶句した。

 眩しい太陽、木々と草の緑、川を流れる水の音……

 今の今まで斎藤家の六畳間にいたはずなのに、今いるのは屋外だ。倒れていたのは草むらの中で、すぐ横を大きな川が流れている。その川幅は百メートルに達するかもしれなかった。


「ゲームのフィールド……じゃないよな」


 甲斐は無意識のうちに頭部や顔を撫で回した。いつ外したのか判らないが、VRヘッドセットが外れている。それにそもそも草むらの臭い、川の水の臭い、湿気を含んだ涼しい風、強い日差しと太陽の熱。それらは全てVRヘッドセットでは再現不可能な感覚ばかりだった。

 たっぷり五分はその場に立ち尽くし、呆然としていただろう。不意に不快な感覚が足下から這い上がってきた。


「くそ、ヤブ蚊か!」


 気が付けばヤブ蚊に何箇所も素足を食われており、強い痒みが足をまとう。甲斐は刺された箇所を平手打ちし、その痛みで痒みをごまかした。だがそれでようやく、この現実を受け容れられたように思える。


「……ともかく、人を探すか」


 草むらをかき分けて歩き出す甲斐だが、足の裏から伝わる湿った土の感触、折れた木の枝を踏んだ痛みに顔をしかめる。それ一つを取ってみても、今いるのはゲームの中とは到底考えられなかった。


「じゃあここはどこなんだって言われても困るんだけど……」


 甲斐は独り言を言いながら歩いている。草むらをかき分けて進み、獣道らしき道を見つけてそれを進み、人間用と思しき道に行き当たり安堵する。だがその道も舗装などされていない、細い砂利道だ。その上人の往来が途絶えて何十年も過ぎたのか、草木が茂って獣道と変わらなくなっていた。

 甲斐はその道を歩き続ける。もう一キロメートル以上は歩いているだろう。


「東京のどこかにこんな場所が? それとも関東のどこかか? 俺の田舎なら似たような場所もなくはないけど、でも少し歩けば人のいる場所に」


 そのとき響き渡る、男の悲鳴。甲斐は悲鳴の元に向かって走り出した。

 数十メートル走って、何軒かの建物が見えてきた。石造りのそれには蔦が生い茂り、人がいなくなって長い年月が過ぎ去ったことを示している。だがそれをよく観察する時間などない。


「た、たすけ……」


 男が襲われている。複数の何者かが男を襲っている。襲う側は全身が白骨化した骸骨で、それが肉もないのに動いていて……


「す、スケルトン……?」


 それは動く骸骨のモンスター、スケルトンそのものだった。甲斐が硬直している間に男はスケルトンに喉を食い破られ、もう悲鳴を上げることもできなくなる。男の身体から湧き出た光の球体はスケルトンの一体に吸収され、そのモンスターの身体が一瞬光を放った。


「Karakarakara!」


 スケルトンが歯を鳴らすが、それはまるで喜びの雄叫びのようだ。三体のスケルトンが次の狙いを甲斐に定め、にじり寄ってきた。呆然としていた甲斐だが正気を取り戻し、慌てて左右を見回す。


「あれだ!」


 甲斐の目に止まったのはその辺に転がる一本の木の棒だ。甲斐は全速で駆け抜けてその棒を手に掴む。それを追うスケルトンが甲斐を包囲するが、


「奥義、死ねっ!」


 奥義の名前を考える暇もなく甲斐が木の棒を振るい、二体のスケルトンが一瞬で吹っ飛ばされる。だが三匹目が甲斐へと掴みかかった。甲斐は木の棒を水平にしてその身を守り、スケルトンもまたその棒を掴み、両者が少しの間力比べをする。やがて押された甲斐が背中を反らし、そのまま後ろに倒されてしまった。


「でえいっ!」


 だがそれは作戦のうちだった。スケルトンの腹、と言うより背骨の内側を蹴って巴投げをする甲斐。先に立ち上がった甲斐は高々と木の棒を振り上げ、スケルトンの脳天を叩き割った。スケルトンの身体がけいれんし、そこから光の球体が吐き出される。それが甲斐の身体に吸収され、


「な、これは……?!」


 これまで経験のない異常な感覚に甲斐は言葉もない。だがそれは決して不快なものではなく、むしろ逆だった。全身に力が満ち溢れている。筋力が倍になった一方、体重が半分になったかのようだ。


「Karakarakara……」


 殴り飛ばしただけのスケルトン二体はまだ死んでおらず、立ち上がってきた。だが力の溢れた甲斐にとっては恐れるような相手ではない。二体のスケルトンが倒され、その身体から吐き出された光の球体を甲斐が獲得したのは、それから十数秒後のことだった。

 光の球体を追加で二つ獲得した甲斐は、さらなる力に満ち満ちている。今ならオリンピックに出場してメダルを獲得することだってできそうだ。だが甲斐はそれを単純に喜びはしない。鳩尾の高さで両掌を広げ、それを凝視するような姿勢で固まり、考え込んでいる。


「もしかしてこれ……」


 もしかしたらこれは、カルマではないのか――甲斐はその疑念に囚われていた。自分はカルマを獲得してレベルアップを果たしたのではないかと。もしそれが正しいのなら、これはゲームの中。この場所は「ナラカクエスト・オンライン」のゲームの舞台ということになる。

 そのとき、甲斐の視界に入ったのはスケルトンに食い殺された男の遺骸だった。喉を食い破られた男は涙を流し、眼球は半分眼窩から飛び出し、顎が外れるほどに口を開け、苦悶の表情のまま絶命している。


「冗談じゃない、これがゲームであるもんか……!」


 ゲームによく似ている、ゲームと共通点がある。それは間違いないだろう。だがこれはゲームではなく、紛れもない現実である。

 甲斐はその場所、建物の中などを家探しし、何か役立ちそうなものを見つけようとした。だが中には何も残っておらず、残っていたとしてもそれらは全て朽ち果てている。結局手に入れたものは何もなかった。


「とりあえず武器になるものがあっただけマシか」


 甲斐が手にしているのはスケルトンを殴り殺した木の棒だ。おそらくは強風で折れた木の枝なのだろう。それからさらに分岐した小さな枝を石で削り落とし、多少なりとも形を整えて棍棒にする。長さ・重さとも普段使っている木刀とそれほど変わらず、一応武器として使うことができるだろう。


「南無阿弥陀仏。どうか許していただきますよう」


 甲斐はスケルトンに殺された男から上着を脱がし、それを破って靴の代わりに足に巻いた。普通の靴と比較すれば非常に頼りなく歩きにくいが、裸足のままよりは何倍もマシである。


「さて、行くか」


 当てなど何もない。だが甲斐は歩き出した。生き残るために、この状況から抜け出すために。そして、


「……腹が減ったな」


 当面の課題は食料の入手だった。










July 24 at 15:24  98,573 / 100,013


「ああもう、やっぱりつながらない」


 亜衣は今、スカーヴァティ社の「ナラクエ」オプションサービスに接続し、甲斐への連絡を試みている。それは昼からもう何十回もくり返したことなのだが結果は同じだった。

 一旦甲斐への連絡を諦めた亜衣は、次に「ナラクエ」公式実況サイトへと移動した。だがそこの状況も先ほどと同じだ。「ナラクエ」の舞台であるポータラカ王国……そこは今、無人だった。山や川や丘があり、道や町がある。そこには人も行き来している。だがそれ等は全て、プレイヤーに話しかけられるのを待っているNPCだ。そして、一〇万人いるはずのプレイヤーはただの一人もいない。


「どうなってるのよ、これ」


 亜衣は有志が集まった情報交換サイトへと移動する。そこの掲示板に書き込みをするのは多くがプレイヤーであるため、そこもまた閑散としていた。だが亜衣のような立場の人間がいないわけではない。


『何が起こっているのか判りますか?』


『判らん。スカーヴァティ社に勤めている知り合いに連絡してみたけど、判ったのは社内でも大混乱だってことくらい』


『ログインしている友人と連絡が取れません』


『家族の者がこのゲームのプレイヤーなのですが、どこかに消えてしまって行方が判りません。靴も財布も携帯も残ったままなのに家のどこにもいないんです』


『同棲中の恋人がオープニングセレモニーに参加するためにログインしたら、目の前から消えてしまった、って知り合いが言ってる。そいつ今半狂乱になってて、なだめるのにむっちゃ苦労した』


 目の前からプレイヤーが消えた――与太としか思えない話だが、そのような書き込みは時間の経過と共に増える一方だ。それにプレイヤーの知り合いと連絡が取れないという話はそれ以上に多く、連絡が取れたという話があってもそれはオープニングセレモニーに参加しなかった、限られたプレイヤーの話だった。


「もう、お兄が携帯を持っていれば……」


 益体もない愚痴が口を突くが、亜衣はそれ以上の言葉を飲み込んだ。門脇家では子供二人ともに携帯電話を持たせるのが経済的に難しかったため、「俺は必要ないから」と甲斐の方が遠慮して亜衣に持たせることを優先したのだ。


「亜衣、西瓜を切ったけど食べる?」


「うん」


 母親の呼ぶ声に応え、亜衣は居間から台所へと移動した。ダイニングテーブルで向かい合い、亜衣は母親と共に西瓜を口にする。


「インターネットは調子が悪いままなの?」


 母親のふわっとした問いに亜衣は「うん」と頷いた。


「……ねえ、母さん」


「何?」


「斎藤のおばさんに電話してお兄に連絡を取ってくれない?」


 判ったわ、と麦子は自分の携帯で電話をした。電話はすぐに斎藤夫人につながったが麦子は彼女と長々と時候の挨拶やら近況報告やらを交わし、亜衣を苛立たせた。


「……それでうちの子を呼んでいただけないかしら。下の子がちょっと寂しがっちゃって」


 そんな暢気な話じゃないんだけど、と亜衣は呟くが麦子の耳には届かない。受話器の向こうからは「ちょっと待ってくださいね」と声が聞こえ、斎藤夫人が移動する気配が伝わってきた。

 少しの間を置き、斎藤夫人の困惑したような声が受話器から流れてくる。


『……あら、おかしいわね。どこにもいないわ。靴はちゃんとあるのに、どこに行ったのかしら』


 亜衣は言葉にしようのない悪寒を覚えるが、それはまだこの異常な事態の始まりでしなかったのだ。点けっぱなしにした居間のTVがニュース速報を伝えている。


『……先ほど、東京都新宿区の路上で心肺停止した四人の男女が発見されました。病院に収容されましたが、四人ともその身体には大型動物に襲われたような傷があるとのことで、警察では周辺住民に警戒を呼びかけています』










July 24 at 17:47  95,944 / 100,013



「何だ?! 何が起こっている!」


 桜田門・警視庁の本部指令センター。東京二三区の一一〇番通報を受理するその場所は今、恐慌状態に陥っていた。


「新大久保で遺棄された死体発見です。最寄りのパトカーは」


『もう全部出払っている!』


『今現場に向かっているところだろうが! どこに先に行けばいいんだ!』


「早稲田で三体の死体遺棄があったとの通報が」


「池袋で死体遺棄です。何もないところから死体が湧いて出たと」


 殺到する一一〇番通報はその全てが「死体がある」だ。その件数は千を優に超え、二千に届かんとしている。警視庁麾下の警察官を総動員しても到底手が足りなかった。


「一体何が起こっている? テロ、犯罪、事故、災害。これは何だ?」


 通信司令部の複数の課長、さらに本部長も出てきて事態に対応するが、彼等は問題の解決はもとより現状の把握すらできていなかった。


「ともかく、本庁だけでは手が足りん。近隣県警に応援を」


「千葉と埼玉も同じです。死体遺棄の通報が殺到していると」


「確認できただけでもう何百人も死者が出ている。何かのテロか?」


「テロにしては状況があまりに異常だ」


「だが可能性はある。となると自衛隊の治安出動か?」


「そうなるかもしれんが、それでも警察がやるべきことはやらねばならん」


 本部指令センターは戦争のような事態に直面し、それでも職務を果たそうとしている。一方現場の警察官はまさに戦場へと飛び込んだかのようだった。


「現場に到着しました。遺棄死体二体を確認、指示を請う」


 場所は高円寺駅の近く。近隣住民から通報を受けた警官が、路上に転がる死体を確認。無線で本部へと連絡した。だが、


『被害者は死亡していますね?』


 その問いを受けて、警官は死体に手を触れる。遺体は男二人で、まるで猛獣に襲われたような傷を首元に負い、骨が見えている。体温も残っておらず、死亡してそれなりの時間が経っているものと思われた。


「はい。甦生はまず見込めません」


『今救急車が足りていません。別命あるまで現場の確保をしてください』


「ちょっと待ってください! 今本来の現場に向かう途中で」


 彼は思わず言い返すが、『今人手が足りないんです!』と逆ギレされてしまう。それで通信は切れてしまい、


「くそっ、この状況が判っているのか」


 と彼はぼやく。だが死体を見つけた野次馬が何人か集まってきたため彼は己が義務を遂行しようとした。スマートフォンのカメラで死体を撮影する野次馬を彼は追い払う。


「こらこら、見せ物じゃないぞ。離れて離れて」


 野次馬は「何だよ」と文句を言う。だがそのとき、その野次馬が何かに気が付いた。


「……なんだありゃ」


「え?」


 警官と野次馬の視線の先、十数メートル先の路上が光っている。光源も何もない場所に光の粒子が集まっている。まるで何十匹もの蛍が群れとなっているかのよう……光は何百匹もの大群となった。


「……何か出てくる?」


 野次馬はスマートフォンでその様子を撮影し続けている。やがて光の粒子が大きくなってつながり、一つの塊となり、それが色と形を持ち出して……


「ま、まさか……」


 終わってしまえば大した長さの時間ではなかった。光は霧散し、最初からこの状態だったかのように路上にそれが存在している――死体だ。血まみれの死体がアスファルトの道路に倒れ伏している。


「どーなってんだよ?! これ!」


 野次馬が興奮しながら撮影した動画をネットにアップしているが、彼はそれを止めることも思いつかなかった。常識を越えた事態を脳が理解できず、ただ呆然と立ち尽くすだけである。彼が死体が増えた事実を本部へと報告するまでは相当の時間が必要だった。










July 25 at 19:02  85,896 / 100,013




「悪いがあまり時間を取れん」


「判っている。済まんな、この忙しいときに」


 葛飾区、亀有警察署。その正面駐車場で、門脇米太は斎藤禾和と落ち合っていた。遠方からは複数の方向からサイレン音が聞こえており、警察署前の国道をパトカーと救急車が何度も行き来している。


「坊主を預かっていながらこんなことに……詫びる言葉もない」


「いや、俺の方こそ謝らんと。お前の好意に甘えたばかりに余計な迷惑を……」


 二人はしばし言葉を失い、その代わりのように重苦しいため息をつく。その間を埋めようとするように、斎藤氏は煙草に火を点け、深々と吸った。


「止めたんじゃなかったのか」


「一〇年ぶりだ。吸わんとやっていられん」


 米太はその煙草が燃え尽きるのを待った。


「迷惑ついでと言っては何だが、もう一つお前の好意に甘えたいことがある……一体何が起こっている?」


 その問いに斎藤氏は「俺が訊きたい」と吐き捨てた。その上で「だが」と続け、


「同僚の同僚から聞いた話、程度でいいなら少しは話してやれる」


「構わん。――それで、事実なのか? 今死んでいる人間全員が」


「事実だ。一七時現在の死者数、一万二一〇一人。このうち身元が判明したのはまだ半分だが、その全員が『ナラカクエスト・オンライン』のプレイヤーだった。ちょうど今、記者会見で公表されているだろう」


 ――二四日夕方から始まった「連続死体遺棄事件」は「大量死体遺棄事件」となり、東京中をパニックに陥れた。この異常事態に日本だけでなく全世界の耳目が集中。その一方で発生していた「『ナラクエ』本戦が休止状態となり、多数のプレイヤーが行方不明になっている」という事件は些末な出来事と見なされ、大手メディアには黙殺された。

 だが友人や家族を見つけるために動き出した者は一人や二人ではなく、彼等はネットで連携して情報を共有し、思いつく限りの行動を続けていたのだ。そうして二四日の一八時頃、彼等の一人がようやく手がかりを掴むこととなる。


『姉貴が死んでいた。今起きてる大量死体遺棄事件の、死体の一つだった』


 その書き込みを読んだ者達が「まさか」と思いながらも警察に問い合わせ……ネットは悲鳴と絶望と悲嘆に埋め尽くされることとなる。日付が変わる頃には大手メディアも警察もこの情報を掴み、それぞれ確認を進め、それが事実であると確証を得る。大手メディアでも既に昼頃から大量死体遺棄事件と「ナラクエ」の関係について報道しており、警察も夜になってその事実を公式に認めた――今認めているところである。


「スカーヴァティ社に協力させて、遺棄死体が見つかったらまずプレイヤーリストにあるかどうかを確認している。今のところ一つの外れもないそうだ。オープニング時にログインしていた一〇万と一三人の全員が今現在行方不明となっていることもどうやら間違いないらしい」


 斎藤氏が淡々と事実を述べ、米太は食いしばった歯を軋ませた。


「一体何が起こっている? 一〇万と一三人が、まさか本当に異世界に行ってしまってモンスターと戦っているとでも言うのか? プレイヤー同士で殺し合っていると?」


 米太が口にしたのはネットに蔓延はびこるブラックジョークだが、


「あるいは本当にそうなのかもしれん」


 現職警察官が半ば本気でそう言ってしまうくらいには、もう笑えない冗談となっていた。米太は笑い捨てようとするが、


「死体には大型動物に襲われたような傷、ごくまれに刀剣類による刺傷・裂傷……例外はない。それに、何もないところから死体が湧いて出たという目撃情報が多数寄せられている。監視カメラや携帯で撮影された動画だって山のようにある。お前も見ているだろう」


 中途半端に開いていた米太の口は無言のまま閉ざされる。それらの動画は地上波のTVでもくり返し流されており、米太もまた何度も目にしていた。


「ともかく、これまでの科学や常識では理解できんことが起こっているのは間違いない」


「だが……だがそれでも、スカーヴァティ社なら何か知っているんじゃないのか? 水樹七瀬は?」


「もちろん取り調べはしている――いや、任意による事情聴取か」


 斎藤氏は「だが」と首を横に振った。

 警察、大手メディア、行方不明となったプレイヤーの家族、遺体で見つかったプレイヤーの遺族。これらによるスカーヴァティ社への追及は苛烈を極め、同社は当然ながら無条件降伏した。長いだけで中身のないスカーヴァティ社の記者会見を要約すると以下のようになる。


「何が起こっているのか皆目判らないが、警察の捜査に全面協力して事態の解決に全力を尽くす」


 それは誰一人として満足できるような内容ではなく、さらなる怒りを巻き起こすこととなる。特に下駄を預けられた、と言うより投げつけられた警察はいい面の皮だった。


「スカーヴァティ社もそうだが、水樹七瀬にも何が起こっているのか判らないらしい」


 米太が「馬鹿な」と吐き捨てる。


「そんなはずがないだろう」


「もちろんそんな言い訳を鵜呑みにせずに、腕利きを送り込んで追及しているが……」


 口にされずとも容易に理解できることだった――この事件が早々に解決する見込みは立っていない。その一方でプレイヤーはこの瞬間も大量に死に続けている。このままのペースなら一〇日ほどで一〇万人全員が死ぬこととなるだろう。


「甲斐に行かせずに俺が行っていれば……」


 米太はその呟きに深い悔恨をにじませた。


「坊主だって日本一強い高校生だ。そう簡単には殺られんさ」


 斎藤氏が気休めを言い、米太は「そうだな」と笑う。それは落ち込む亜衣を励ますために麦子が言ったことと同じであり、また麦子を力づけるために米太もその台詞を口にしたのだ。今彼等にできるのは、甲斐の力と無事を信じることだけだった。

 そうして米太は斎藤氏に別れを告げ、夜の町を歩き出した。


「確かに甲斐は剣の天凛だ。同世代なら日本一強いかもしれん。だが……」


 「日本一強い」という触れ込みも全くの無根拠というわけではない。昨年警視庁の剣道部で出稽古をした際、同じく出稽古に来ていた高校生と何度も勝負をし、勝ったり負けたりしながらも概ね勝ち越したのだ。その後、その彼はインターハイの剣道で優勝を果たしている。


「全国大会に出てもいい線は行くだろう。あるいは優勝できるかもしれん。だが……」


 門脇流は剣道ではなく剣術であり、それは実戦を、剣同士の斬り合い・殺し合いを想定した武術である。甲斐からすればルールに縛られた剣道は窮屈で仕方なく、持てる技術を十全に使えない。甲斐がその力を存分に発揮できるのは喧嘩剣道、長物を使った殴り合いだった――実際の斬り合い、殺し合いではなく。


「甲斐に行かせずに俺が行っていれば……」


 米太は胸の内でそう呟く――そうしていれば、いくらでも人を斬ることができたのに。

 剣の技術だけならあるいは甲斐はもう米太よりも上かもしれない。才能では間違いなく上だろう。だが米太には経験があり――それ以上に狂気があった。剣のためなら人を斬ることを躊躇わない、剣に懸ける狂気が。実際に米太は人を斬った、人を殺した過去がある。そしてその過去を悔やんだことも、罪悪感を抱いたことも一度もない。


「甲斐は俺とは違う。あいつはあまりに普通で、善良だ」


 剣術家同士が合意の上で決闘をする、あるいは救いようのない悪党を斬る。その上で警察に捕まる可能性がほとんどないと判断されるなら、米太は斬ることをためらわないだろう。だが甲斐には斬れない。それどころか「そうしなければ自分が死ぬ」状況であっても人を斬れるかどうか疑わしかった。

 それはこの平和な日本で生きていく上では欠点でも何でもない。むしろ異常なのは米太の方だが、それでも狂気に至らなければ剣を極めることはできないと米太は信じている……つまりは、


「門脇流は俺で終わり……それは判っていたんだがな」


 甲斐が門脇流を継いでもそれは形だけで、その精神は断絶する。その覚悟はとっくにできていた。だがまさかこんな形で後継者を喪うことになるとは、想像できるはずがない。


「亜衣が泣いているだろうが。何人殺してでも生き残って帰ってこい」


 だが米太は知っている。甲斐はそれこそ死んでもそれを選びはしないことを。

 父親としての米太は息子の無事を心から祈り、何よりも願っている。だが剣術家としての彼は不出来な後継者に見切りを付けて、その生還を既にないものと見なしていた。




July 25 at 19:39  85,588 / 100,013



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ