055.朱色は唐突に(セヴィル視点)
今日から2話更新となります。
ご了承ください!
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆(セヴィル視点)
「よし、こいつらはこんなもんか」
エディオスが書簡整理を終わらせたらしく、うーんと伸びをしていた。
俺の方も今日の執務に不備はなく終わらせることが出来たので、特に問題はない。今からヴァスシード国王夫妻を出迎えに門へ行くのになんら支障はないだろう。
近習達はすべて先に向かわせて準備をしているので、今執務室にいるのは俺達だけだ。
「ゼルももう終わったか?」
「抜かりはない」
「じゃあ、ユティらを迎えに行くか?」
「そうだな」
「つれないなぁ、俺を置いてく気かい?」
「だからお前を迎えに行くって……」
「は?」
今俺の背後から聞き覚えのある声がした。
つれないと本人が言うように、少し寂しさを含んだようなのんびりとした声。
まさかと振り返れば、朱色の髪が視界に入ってきた。
「やぁ、ゼル」
「なっ……ユティリウス⁉︎」
迎えに行くはずのヴァスシード国王本人がエディオスの何故この執務室に!
エディオスは呆れてため息をついていたが、俺はまだうまく事情が読み込めないでいた。
「ユティ、どっから城に転移してきたんだよ……」
「ああ、ここから一番近い転移方陣からだね」
「相変わらず気配絶ちうますぎやしねぇか? 一瞬マジでビビったぞ」
「あはは。ミーアからたまーに隠れるのに訓練しているからかな?」
「褒められることではないだろうが……」
前より格段に気配を絶つのが上達し過ぎている。
それを本人はただの隠れ鬼よろしく、公務に行き詰まっている時の息抜きにしか使おうとしていないが。
俺はユティリウスをもう一度見た。
アナのような深紅とは違い、夕焼けに近い朱色の髪は腰まである俺とは逆に背中までしかない。
背も俺より低いが、通常の成人男子にすれば普通に高い方だ。年も俺とエディオスとはほぼ同じ340前後。
細身だが、体格の良い体は王らしからぬ生成り色の清潔なヴァスシード国の衣類に身を包んでいる。肌は健康そうに焼けていて、好奇心旺盛な淡い若草の瞳は楽しげに輝いていた。
相変わらず元気そうでいるユティリウスはいつも通りだった。
ただ、何故王妃が一緒にいないんだ?
「ユティリウス、ファルミアはどうした?」
「ん? ミーアは四凶達と自分が使ってたゲストルームの方に行ってると思うけど」
「何?」
ユティリウスの返答にエディオスの方もマズイと顔を歪めた。それならば、十中八九カティアと遭遇している可能性が高い。
「おい、なんで一緒じゃねぇんだよ」
「いやぁ、饕餮とかが物凄く急かすからさぁ。無理くり公務終わらせてきて、ほぼほぼ全部の方陣使っちゃったからさすがのミーアも疲れちゃったらしくてね。君達に断りを入れなかったのは済まなかったけど、とりあえず早いこと休みたいようだったから行かせたってわけ」
「到着はいつだ?」
「まだ四半刻も経ってないと思うよ?」
だとしたら、俺達が食堂に移ってからかその前くらいか。
だが、そうなるとこの国王が今さっきまでこの部屋にいなかったことと辻褄が合わない。
「ユティ、お前もさっきまでは前から使ってたゲストルームにいたのか?」
「うん。本当についさっきまでは軽く仮眠とってたよ」
ユティリウスの証言が本当ならば、ここに来たのも生来の気まぐれさから転移してきたのも先程ということか。
しかし、だ。
「だが、何故三日後の予定だったのをわざわざ切り詰めてまで今日来たのだ」
エディオスからの識札も、この王が寄越してきた方の識札にもこれと言って特に何もなかった。ユティリウスの方からのには『夕刻にはそっちに着くと思うから』などとエディオスの書き残しと差異ないものでしかなかったのだ。
すると、ユティリウスがぽんと手を叩いた。
「そうそう。四凶達が昼一過ぎからすごい騒ぎ出したんだよ。『強大な力の解放が宮城であった。行くべきだ⁉︎』としか俺もよくは教えてもらってないんだけど、なんかあったのかい?」
「力の解放……?」
クラウが誕生したこととそれに伴い獣舎が必要以上に騒がしくなったこと以外はないはずだが、と俺とエディオスは首を傾いだ。
いや、充分過ぎるほどのことだな。
「一応は……あったと言おう。もう解決はしているが」
「なんだ。解決してるんだったらあんなに急いで来ることもなかったか」
はぁっと、ユティリウスは疲れたのか大きく息を吐いた。
「あれだけ饕餮が騒ぐのは珍しかったしさ? 窮奇もあれを落ち着かせるのに必死だったけど、渾沌や檮杌もそわそわするしでミーアと抑えるの大変だったよ」
「そうか……」
まさか、ヴァスシード王妃の守護妖達にまでクラウの誕生したことが届いているとは思ってもいなかったが。
この国の広大な敷地をまたいで、隣国とは言えはるか遠くの地にまで神力の波紋が届くとはあの神獣は愛らしい姿をしていてやはり侮れない。
「予定の滞在期間はどうすんだよ?」
「そうだなぁ。前から決めてたのは十日くらいだったけど、あれだけ終わらせてきたからもうしばらくはいられそうだね?」
「……お前も苦労してんだな」
「この大陸を統括するエディほどじゃあないよ」
王同士で労いの言葉を掛け合う。
まあ、そこは目を瞑ろう。俺とてそこまで鬼ではないからだ。
ただ、
「その予定では出迎える為に色々準備していたのをどうしてくれるのだ?」
「あ……」
「……上層部の奴らがまたボヤくなぁ」
エディオスが言うように上層部のたぬきジジイどもらがくどくど言う有様が目に浮かぶ。
私的ならまだしも、『公式』にヴァスシードからの来訪を予定してたのだ。
従者達の姿はないようだからこれらは後からゆっくり来させる予定でいたのだろうが、肝心の国王夫妻達はほぼ単体でこの城に出向いて来てしまっている。
宰相の俺としては色々手順があるのにと頭を抱えそうになったが、起こったものは仕方あるまい。
「す、すまない! 一応は影を置いてきたからそっちは誤魔化せなくもないけど……」
「本人が先にもういるのだぞ? 後で話裏を合わせるにしても限度があるが」
「うっ……だって、緊急事態だと思ったから」
「の割に、識札には端的にしか書いてなかったじゃねぇか?」
「あれ、炙り出ししてなかったのかい?」
「炙り出しぃ?」
炙り出しとは透明なインクを火で炙れば文字が浮かび上がると同じく、魔法で極秘に書き込んでおけれる幻影術のことだ。
たしかにあれだけしっかりとした識札にしてはやけに簡素すぎだなとは思っていたが。
エディオスが懐にしまっておいた例の識札を取り出し、片手に青白い焔の球を創り出してから識札の裏側からそっと炙り出しを行う。
俺はエディオスの側に行き、識札の変化を窺った。
やがて、ユティリウスの書き込んだ走り書きの下から黒と白のまだら模様の体格の良い男の幻影が出てきた。
『急ですまない、宮城の主殿。我ら四凶が先程強大な力の解放をそちらの方角より感じ取れた故、急ぎ足でそちらへ向かうことをお許し願いたい。あれは放っておけばこの大陸全土を脅かしかねない脅威となり得る。それは魔物と異なる我ら四凶よりもだ。これにて失礼致す』
と、いささか矢継ぎ早に四凶の長たる窮奇がそう告げれば、姿は霧散して魔法の焔も消えてしまう。
「食堂でやってたらマズかったな」
「たしかに」
あの時は俺達以外に給仕の者もいた。
炙り出しの印は今気づいたが、札の端に書き込まれていたのであの場で行えばあの者の記憶を弄るなどと面倒なことになっていただろう。
それに、カティアをあまり不安にさせたくなかった。
ディシャスの導きからとは言え、クラウの主人になったばかりのあの少女には極力負担などかけさせてやりたくない。
俺が御名手だからと言うこともあるが、誰しもカティアには笑顔でいてもらいたいと思っているのもある。
これまでの俺なら考えられないことだったが、カティアに関してならいくらでも変わることもあるだろうと自負している。
「食堂……? ああ、八つ時後くらいに送ったから君達が休憩中に届いたのかい?」
「まぁな」
後でどの道紹介せねばならないこの王にカティアとクラウのことをどう説明すべきか。
とここで、エディオスが何故か口元を緩めた。
「お前が来る前に識札で俺が送っただろ? あの美味いもん今日も食ってたとこだ」
「なっ⁉︎ ずるいぞエディ‼︎」
この人一倍食い意地が荒い王に対してエディオスはさらっと言い放ち、ユティリウスはエディオスに食ってかかろうとしたが身長差のせいで片手で押さえられていた。
「俺は楽しみにしてたのにーー‼︎」
「フィーが言い出しっぺだったし、識札来たの俺らが食い終わってからだったからよ。仕方ねぇだろ?」
「ぬぬー⁉︎」
「阿呆なことをしていないで、この後どうするのだ」
現状はそちらが問題だ。
打開策としても、あまり大した案は俺も思い浮かばないが。
「……しょうがないから、俺は従者達の方に今から合流しに行くよ。ミーアにも識札飛ばしてそうさせる」
「そうするしかなかろう」
俺と大体同じことをユティリウスは言い出し、エディオスから離れたヴァスシードの王は魔術で識札一式を取り出して、二枚ほど走り書きして宙に浮かせて息を軽く吹きかける。
札はそれぞれ嵩鷲を模した鳥のような姿に変化し、その間に俺が開けておいた窓の外めがけて飛んでいった。
二羽とも出て行ったことを確認してから、俺は窓を閉めた。
「じゃあ、また後で」
「ああ、後でな」
王同士がそう言った後、ユティリウスは懐から一枚の札を取り出して空いている方の手で印を結んだ。
「【境羽】」
ユティリウスの周囲だけ白く光り出し、奴を包み込む。
そうして瞬きをする間もなく、ユティリウスの姿はかき消えてしまった。
「……なぁ。ユティは後でいいが、ファルはもうカティアと会ってるだろうな?」
「……そう前提としておくしかあるまい」
あの特殊な事情を持つ王妃が、カティアに興味を持たないわけがないだろう。
公式な出迎えにはカティアを同列はさせないから、会わせるのは最低食堂でか。
しかし、御名手抜きにしてどう説明すればいいのか俺でも悩む。
ただでさえ、カティアのあの容姿はこの世界でも稀有であるし、結局は変化しない外見に反して中身は成人しているから普通の小間使いよりも大人びている。
それに加えてマリウス達に劣りもしない調理の腕前。
「あ、ユティにカティア紹介しちまったら明日もピッツアか?」
「……そうなるだろうな」
それは否定出来ない。
かと言え、あれはなかなか飽きがこないものだから俺も気に入っている。
けれど、食い意地の荒いユティリウスを適度に抑えねばなと俺達はこれ以上ここで話していても仕方がないからと、正装に着替えるべく一旦それぞれの自室に戻っていった。