夢喰いバクのミー
夢には、良い夢と悪い夢がある。
良い夢を見ると、幸せな気持ちになって、悪い夢を見ると、嫌な気持ちになる。
誰だって、そのどちらの夢も見ることがあるけれど、見た夢全てを覚えているわけではない。
覚えていない夢は、寝ている間にバクがこっそりやって来て、食べてしまっているのだ。
「ミー、良いですか? 私たちバクにとって夢は大事なごはんです。良い夢も悪い夢も、バランス良く食べなくてはいけませんよ」
バクの少年ミーは、お母さんにそう言われて、素直に「はい」とうなずいた。
明日からミーはお母さんの元を離れて暮らす。そして、初めて自分で夢を食べにいく。
バクの世界の決まりで、ある程度成長したら、独り立ちしなければいけないのだ。
今まではお母さんが食べるために人や動物から吸い取った夢を少し分けてもらって生活してきたけれど、これからはそういうことを自分一人でやって、生きていかなければいけない。
「一週間のうち6日は良い夢を、1日は悪い夢を食べなさいね。良い夢はおいしいけれど、悪い夢も食べなくちゃ病気になってしまうから。けれど、悪い夢ばかり食べるのもいけません。悪い夢は少し食べれば良い栄養になるけれど、食べ過ぎると毒になります。死んでしまうこともあるから気を付けるのよ」
「はい、お母さん」
ミーはいつもお母さんの言うことをよく聞く良い子だ。今日もお母さんの注意に真面目にうなずいた。
今までもお母さんの言う通り、夢の好き嫌いはしないように頑張ってきた。これからもきっと大丈夫だ。
夢喰いバクは、独り立ちするとまずどこかの街や村に住み、そこに暮らす人たちから毎晩夢をこっそり食べさせてもらう。
ミーはお母さんに見送られ、お母さんと暮らしていた街を出た。
行き先はまだ決めていない。ミーは心の赴くままに目の前に広がる道を歩いていった。
ぽかぽかした暖かな日差しの中を進んでいく途中で、ミーは思わず足を止め、わあと感嘆の声を上げた。
目の前には色鮮やかな花畑が広がっていた。
ミーが住んでいた街は建物ばかりで花はあまり咲いていなかったので、初めて見る本物の花畑だった。
何という名前の花なのかもわからなかったけれど、その美しさと優しい蜜の香りに惹かれ、ミーは花畑の中に足を踏み入れた。
今までも小さな鉢植えや花束なら見たことがあるけれど、こんなにたくさんの花は見たことないや。きれいだなあ。
ミーが気分よく花を眺めていると、後ろでがさりと音がした。
驚いて振り向くと、人間の少女がミーを見ていた。
しまった。人間の中にはバクを見つけるといじめたり殺そうとしてくる怖い人たちもいる。だから人間に姿を見られるのはよくないことだとお母さんが言っていたのを思い出し、ミーはあたふたと姿を消そうとした。
けれど、少女はにっこりと微笑んで、ミーに「こんにちは」と挨拶をしてくれた。
ミーも恐る恐る「こんにちは」と返してみるけれど、バクの言葉は人には通じない。少女の耳には「みゃあみゃ」という鳴き声が聞こえただけだった。
「あなた、見たことがない動物だわ。犬みたいだけどそうでもないみたい。熊にも似ているけれど、あんなに大きくないし可愛らしいし。鳴き声は猫みたいね……お願い、少しだけさわらせて?」
そう言って少女は、そおっとミーの背中をなでた。
小さくて優しい手だ。この人は怖くない人なのかも……?
「柔らかくて気持ちいい。…あっ、いけない。私、花を摘みに来たんだったわ。ありがとう、小さな動物さん」
少女はミーから手を話すと、陽気に歌を口ずさみながら花を摘み、手にしていたかごに入れ始めた。
服装は粗末でやせ細っているけれど、金色の髪ときらきらと光る青い瞳が美しい少女だった。
少女のことが気になり始めたミーは花を摘み終わった少女の後をついていってみた。
「どうしたの? わたしと一緒に来るの?」
ミーがうなずくようなしぐさをしてみせると、少女は嬉しそうに笑った。
「じゃあ一緒に行こう。私はアンナ。この先の街に住んでいるの。今からそこで花を売るのよ」
アンナが暮らし、花売りをしている街は、ミーが育った街よりも大きく、人も多かった。
最初、ミーは人前に姿を現すことをためらったけれど、どうしてもアンナについていってみたくて街に入ってもおとなしくしていれば、誰もミーを気にする人はいなかった。
人が多いぶん、良くも悪くも人々はアンナとミーに無関心だった。
たまに足を止めて花を買ってくれるお客さんも、ミーのことをアンナのお気に入りのぬいぐるみか何かだと思っているようだった。
摘んできた花はすべては売れなかったけれど、アンナは「いつものことよ」と気にする様子はなく、売れたぶんのお金でパンを一つ買った。
アンナには家族がおらず、家もなく一人だ。
夜になるとミーとアンナは、同じように家のない人たちが集まる広場の固い地面で一夜を過ごした。
アンナは「こんなところでごめんね」と謝りながらミーにパンを分けてくれようとしたけれど、ミーのごはんは夢だから、パンは食べなくても生きていける。
食べなくても大丈夫であることを必死に首をふるふると振って訴えるとなんとか伝わり、アンナはパン一つを自分で食べた。
季節は冬ではなかったけれど、外は少しだけ肌寒い。ミーはアンナが温かく眠れるように、アンナに抱っこされたまま一緒に眠った。
真夜中、目を覚ましたミーは、夢を食べるためにそっとアンナの腕から抜け出した。
アンナがどんな夢を見ているのか気になってのぞいてみると、夢の中でアンナは今よりもっと幼い姿で、アンナによく似た金髪と青い目をした母親に抱きあげられて嬉しそうに笑い声をあげていた。すぐそばには、アンナの父親らしき人もいて、優しいまなざしで小さなアンナを見守っている。
これはきっと良い夢だ。だけど……今は独りぼっちのアンナにとっては大事な夢かもしれない。食べるのはやめておこう。
ミーはその夜、同じ広場で寝ていた見知らぬおじさんの、宝くじが大当たりする夢を食べ、再びアンナの腕の中で眠った。
朝日がのぼり、アンナよりも一足先に目を覚ましたミーは、あれ? と不思議に思ってアンナの顔を見た。
その顔には、かわいた涙の跡が残っていた。
昨夜あんなに幸せそうな夢を見ていたのに、アンナは泣いたのだろうか……。
花を売っているときも、ミーに話しかけてくれるときも、アンナはいつもきらきらとした太陽のような笑顔で話す。花を買っていくお客さんも思わず笑顔になるし、ミーもアンナに笑うと嬉しくなる。
だけど、アンナは毎晩、夢を見ながら泣いていた。
それがミーには不思議でならなかった。
アンナは見る夢はいつも、家族と一緒にいて幸せそうにしている夢なのだ。
ある晩、ミーはアンナの夢を食べてみることにした。
その日も、夢の中のアンナは家族と一緒に暖かい暖炉の前で楽しそうに談笑している。
どうみても幸せそうなのに……。
試しに少しかじってみると、とてもとても苦い味がした。
これは悪い夢だ。アンナにとっては良い夢なんかではないんだ。
ミーはその夢を頑張って全部残らず食べた。
その日、アンナが泣くことはなかった。
それからミーは毎晩、アンナが見る悪い夢を食べるようになった。
そうすればアンナは夜に泣くこともなく、ぐっすりと眠ってくれる。
ミーにとって、アンナのどこか安心したような寝顔を見ることが、一番の喜びになっていった。
毎晩、家族と一緒にいる夢を見るアンナだけれど、ときたま違う夢を見ることがあった。
アンナの恋人であるウォルターの夢だ。
ウォルターはこの街で小学校の先生をしている青年で、ときどきアンナのところへやってきて二人で話をしたり、花を買っていったりする。
ウォルターと会った日には、アンナの夢はいつものような家族と一緒にいる夢から始まり、途中でいつのまにかウォルターと一緒にいる夢に変化する。ミーが夢を食べなくても泣くことはなく、むしろこの上ないくらい幸せな笑みを寝顔に浮かべるのだ。
そんな夜にはミーはお母さんの言いつけをはっと思い出し、他の人の良い夢を食べた。
けれど、日々のほとんどはアンナの悪い夢を食べている。ミーの体は少しずつ弱っていっていた。
ある日、アンナが通りかかったお客さんを相手に花を売っているところに、ウォルターがやってきた。
忙しそうなアンナを見て、ウォルターは近くにいたミーに話しかけた。
「やあ、ミー。元気かい?」
ウォルターは、アンナ以外にミーがぬいぐるみではなく動物であることを知っている唯一の人だ。なにかとミーにも優しくしてくれる穏やかなこの青年に、ミーはアンナと同じくらい懐いていた。
ミーは「うん」と返事をしたけれど、ウォルターの耳には「みぃ」と聞こえた。
ミーの言葉がアンナたちにはみいとかみゃあとか聞こえるらしく、偶然にも彼らはミーの本来の名前と同じ「ミー」とミーを呼ぶようになった。
アンナから少し離れた場所にあるベンチにウォルターが腰かけたのを見て、ミーは彼の膝の上に飛び乗った。そうすれば、大きな手で優しく背中をなでてもらえる。
「あのさあ、ミー」
ウォルターはアンナを眺めながら困ったようにミーの名前を呼んだ。
「僕、アンナにプロポーズしようと思うんだ」
それを聞いたミーは、とてもいいことだと思い、賛成するように「みい」と鳴いた。
結婚してウォルターとずっと一緒にいられるなら、アンナはきっと幸せだ。
「だけどね、」とウォルターはため息をつく。
「僕の父さんが、家族も家もない娘なんてやめろって言うんだ。僕の家だって大して良い家柄でもお金持ちでもないし、僕の給金でやっと生活できるくらいなのに、うちに釣り合うもっといい娘を探してきてやるって。そんなことしなくてもアンナはとってもいい子なのに」
悲しそうに眉を下げるウォルターを見ていると、ミーも悲しくなってくる。そうだ、アンナはとってもいい子だ。そして、夢に見るくらいウォルターのことが大好きなのだ。結婚して上手くいかないわけがない。
「アンナも、僕の父さんが僕たちの付き合いを良く思っていないことに薄々気づいてる。……アンナは物心ついたときには孤児で、お父さんやお母さんの顔も覚えていないんだって。ずっと家族がいなくて一人だったんだ。だから、僕はアンナと家族になって、お互いに年を取っておじいさんとおばあさんになるまで、ずっと家族としてそばにいてあげたいんだ。だから、絶対に父さんを説得するんだ。父さん、一度アンナに会ってみてくれれば考えも変わるかもしれないんだけど。……こんな話、聞かされてもしょうがないか。つまらない話をしてごめんね、ミー」
顔も覚えていない両親。ミーは、アンナの見る家族と一緒にいる夢が苦い理由がなんとなくわかったような気がした。
その日の夜、ミーはウォルターと彼のお父さんが住む小さな家に忍び込んだ。
ウォルターは夢を見ることもないくらいに深く眠っている。
ミーは彼の隣の部屋で寝ているウォルターのお父さんに近づくと、お父さんがどんな夢を見ているのかのぞいてみた。
夢の中でお父さんは、ウォルターと言い争いをしていた。アンナとの結婚についてだ。
そこからぱっと景色が変わり、今度は結婚をした後、二人で暮らしているウォルターとアンナが言い争って喧嘩をしている。だけど、お父さんの夢の中のアンナはちょっとヘンテコだ。
金色の髪と青い瞳は同じだけれど、目がつり上がり、鼻もひん曲がっていてとっても怖そう。アンナはこんな風に怒ったりしないし笑顔が素敵で優しいのに。ウォルターとも仲が良くて、こんな風に喧嘩しているところなんて見たことがないのに。
ミーが恐る恐るこの夢をかじってみると、アンナが泣きながら見る夢の何倍も苦い味がして、思わず吐きそうになった。
だけど、ミーにできるのは夢を食べることだけだ。
ミーはミーなりに、アンナとウォルターがずっと一緒にいられるように手助けするんだ。
ミーは何度も吐き出しそうになりながら、お父さんの苦い苦い夢をすべて食べきった。
疲れ切って窓から空を見上げると、朝日がのぼりかけて明るくなっている。
ミーはふらふらの体をなんとか動かし、アンナが目を覚ます前にとウォルターの家を後にした。
それから連日、ミーはウォルターの家に通い、ウォルターのお父さんが見るアンナとウォルターの結婚に関する悪い夢を食べ続けた。
今まで食べてきたアンナの夢やウォルターのお父さんの夢はミーの体を確実に蝕み、死に近づけていった。
ある日、とうとうミーはほとんど動くことができなくなってしまった。
ぐったりとした様子のミーを、アンナが心配そうになでる。
「大丈夫? ミー? どこの具合が悪いの? どこか痛いの?」
アンナ、体の全部が痛いよ。もう僕は死んじゃいそうだよ。お母さん、言いつけを守らなくてごめんなさい。だけど後悔はしてないよ、これで僕は満足だよ。
もう声を出すことすらつらく、ミーは心の中でささやいた。
そのとき、遠くからアンナを呼ぶ声がした。
アンナが振り向くと、ウォルターが転がるように駆けてくるところだった。
「アンナっ、アンナ!」
「どうしたの、ウォルター? そんなに慌てて……」
ウォルターは呼吸を落ち着けると、緊張した面持ちでアンナの手を取り告げた。
「アンナ、僕と結婚してくれませんか」
それを聞いたアンナが目を丸くする。
「えっ……結婚?」
「そう。僕とこれからずっと一緒に暮らそう」
「い、いいの? 私で? あの、あなたのお父様はなんて……」
「実は君との付き合いは反対されていたんだけど、気が変わったみたいで。今朝、一度アンナをうちに連れてこいって。僕たちの結婚しても上手くいかないんじゃないかって毎晩夢に見るくらい心配だったらしいんだけど、なんでか最近そんな夢もみなくなって心配もしなくなってきたんだって。大丈夫、結婚に反対なんかされないようにちゃんと説得してみせるから」
ウォルターがアンナの手を力強く握る。
「じゃあ私、ウォルターとずっと暮らせるの……?」
「そうだよ。家族として、アンナのそばにずっといさせてくれないかな」
アンナが喜びの表情を浮かべ、とびきりの笑顔でウォルターに抱きついた。
「もちろん!」
良かったね、アンナ。
これからは毎日大好きなウォルターと一緒にいられるよ。僕がいなくても君はもうきっと大丈夫。寂しい夢で泣くこともないよね。
彼と二人できっと幸せになれるよ。
さようなら。
「そういえば、ウォルター。ミーも……」
「もちろん、ミーも一緒に暮らそう。あいつも家族だよ」
「良かった! 実はね、なんだか最近ミーの元気がなくて心配で……あれ? ミー?」
今の今までミーがいたはずの足元を見て、アンナは首を傾げた。
「ミー……?」
そこにいたはずの夢喰いバクの姿は、跡形もなく消えていた。
それから、アンナとウォルターが心配していくら探しても、二人の前に再びミーが現れることはなかった。
まもなくして二人は結婚し、時が経つにつれてミーの存在は思い出へと変わっていった。
彼らは、あの猫のように鳴く動物が、心優しい夢喰いバクの少年であったことなど知る由もない。
二人は年を重ねてもたびたびミーを思い出し、実のところミーは何の動物だったのだろうねと懐かしむように語り合った。
そして、あまりにも何度もミーについて話すものだから、子どもたちや孫たちに呆れられるのだった。
おわり。
誤字脱字があるかもしれませんが、時間のあるときに直そうと思っています。読み苦しいところがあれば申し訳ありません。