Merry Merry Christmas!!
今日は寒い日だった。
僕は家を出てから、あまりの寒さに上着の交換に戻った。
歯の根が合わず指先が凍るような外気に触れた後に、体を包み込む室温を知ってしまうとどうしても外に出るのが輪をかけて億劫になる。
しかしそうも言っていられない。
何故なら待ち合わせ場所に、彼女が到着してしまう。
一年に一度の聖夜だ。
女の子は本当に、こういう行事が好きで参ってしまう。
諦めて再び凍える外気にその身を晒す。
――寒い。
だから冬は嫌いだ。
どれだけ鍛えても身に付かないこの薄い体が疎ましい。
ふと、室内に残してきたあの子たちが気にかかる。
餌はきちんと置いて来た、飢えてしまう事はないはずだ。
室温も先程戻った時のあの暖かさを考えると、問題ないだろう。
心配なのは音くらいだが、こんな平日の日中だと住民も大半が外出しているだろうから、きっと大丈夫だ。
なきながら甘えて擦り寄ってきたあの子たちを思い出す。
僕の足を舐めるあの子たちはとても愛らしくて、堪らない。
きっと彼女も気に入ってくれる。
ともすれば鼻歌が漏れ、足が弾んでしまいそうな逸る気持ちを押し留め、バイクに跨る。
交換したジャケットのファスナーを上げ、ヘルメットを被る。
左腕につけた腕時計を一瞥してエンジンをかける。
ほんの五分程度で待ち合わせ場所に到着して、彼女の姿を探すと――居た。
ふわふわとしたファーが首下を覆う、白いAラインコートに身を包み、足元はキャメルのショートブーツ。
グレーのタイツがほっそりとした脚を包み込み、コートの中に続く。
手に提げたバッグは彼女が好きなブランドの、ブーツと同じ色。
少し明るめに染めた髪は軽く結い上げてあり、赤い髪飾りが差し色になっている。
何時もとは違う赤いチークとリップが、この寒い外でとても映えていた。
「お待たせ」
「あー! やっと来たぁ。遅いよ! もうわたし、すっごーくひえちゃった!! どうしてくれるの!」
声を掛けると、一瞬嬉しそうにした後で、頬を膨らませて拗ねてみせる。
可愛いなぁ、こいつめ。
しかし僕は遅れた訳ではないぞ、今がちょうど約束の時間だ。
そんなつまらない茶々で彼女の機嫌を損ねる気はないけどね。
「そう怒らないで。頑張って片付けしていたんだよ、すぐにクリスマスを祝えるようにね」
「ほんとぉ? なら、許してあげる!」
「ありがとう、優しいね。なら早速だけど、家に行こうか?」
そう声を掛けると、彼女は僕がつい先程まで乗っていたバイクを見て、僅かに顔を顰める。
「うん、でも……。
せっかく髪の毛をセットしたのに、ヘルメットなんて被ったら台無しになっちゃう」
だから、何なのだ。
それ以上の言葉は紡がず、彼女は上目遣いでこちらを見てくる。
うーん、可愛い。
だからと言って、何をどうしたいのか、くらいは言ってほしいものだが。
「じゃあ、電車で帰ろうか」
「でもぉ、バイクが」
バイクを気にするのなら大人しく乗ってくれ。
それが嫌ならば、それ以上気にしないでくれた方が余程気が楽だ。
「大丈夫だよ、僕がまた取りに来るから」
たった二駅分。
歩けば三十分もかからない。
その距離を歩こうと言わないのは、少し高めのヒールを履いている彼女への僕なりの配慮だ。
「うーん、わかったぁ。
ごめんねぇ、ありがとう!」
お望み通りの回答に満足したのか、彼女は少し申し訳なさそうにしてから、此方の腕に抱きついてきた。
残念ながら、コートの下にある膨らみは伝わってこない。
彼女に腕を取られるままに、駅へ向かって歩き出す。
バイクは先程止めた場所で、寂しそうに此方を見送っていた。
心配するなよ、また夜に迎えに来るからさ。
相変わらず外は寒い。
駅から降りて十分ほど、家まで歩いたのだが、やはり寒くて震える。
彼女も寒いのだろう、しきりに両手を擦り合わせていた。
部屋の前で、少しだけ待っていて欲しい旨を伝えると、不満気に唇を尖らせた。
「どうして? 来る時に片付けは済んでたんでしょ?」
そうそう、言った言った。
「片付けは済んでいるんだけど、折角だから準備をしたいんだ。本当に少しだけだからさ、待っていてくれない?」
しっかりと彼女を見詰めてからそうお願いすると、少し照れたように笑ってから彼女は了承した。
「あんまり遅いと、わたし帰っちゃうんだから」
「そんな意地悪言わないで、本当に直ぐだからさ」
そっと抱き寄せて頬にキスする。
先程よりも更に照れたようで、冷たい手で両頬を覆っている。
そんな彼女を横目に、玄関を僅かに開けて部屋へ体を滑り込ませた。
ワンルームの狭い部屋だ。
奥の部屋のドアが僅かに開いて、あの子たちが顔を覗かせている。
唇の前に人差し指を立てて、音を出さないように伝える。
小さくなきながら部屋の奥に引っ込んでいくのを確認してから、後を追うように部屋に入りカーテンを閉める。
全く明かりが無くなり暗くなった部屋の扉を閉めてから、玄関の外にいる彼女迎えに行く。
小さく扉を開けて、彼女を迎え入れた。
恐々と玄関に入った彼女は、部屋の暗さに驚いたようだった。
「どうしてこんなに真っ暗なの?」
「この方が雰囲気が出るんじゃないかと思ってさ。
さぁ、どうぞ」
手探りで彼女がショートブーツを脱ぐのを待つ。
その間に扉を閉め、しっかりと鍵をかける。
真ん中の鍵、少し高めにつけた鍵、それからチェーン。
鍵が多い? いやいや、防犯上の理由だよ。
迂闊に鍵を少なくして、あの子たちが誰かに連れて行かれたり、どこかへ逃げてしまったら困るだろう?
「ねぇ、どこにいるの」
「大丈夫、直ぐ傍に居るよ。ほら、壁に手を付いて、前へ進んでご覧。少し歩くと扉があるから、ぶつからないように気をつけてね」
玄関を背に、そう呼びかける。
僅かに戸惑った様子の彼女だったが、直ぐに前へ歩みを進めた。
小さな小さな歩幅だが、確実に前へ進んでいる。
彼女の少し前からこの部屋に居た僕には、彼女の姿がうっすらと確認出来るんだ。
彼女はゆっくりと扉に到達し、手探りでノブを発見する。
そっと力を込めて、扉を開いて――
声が、聞こえた。
どうやら喜んで貰えたようだ。
毎年毎年、この日は本当に苦労する。
やれやれと肩を撫で下ろし、僕も後を追うように部屋の中へ入るのだった。
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この日の為に、一ヶ月も前からあの子たちの体を清めて準備をする。
生き物に必要なのは躾だ、その上で芸を仕込まなくては。
段々数が増えてくると食費も間々ならないが、そこはもう仕方ないと割り切ろう。
今僕の目の前で彼女は、なきながら足を、手を、首を顔を唇を舐めてくる、あの子たちに埋もれている。
先程聞こえた悲鳴も、もう聞こえてこない。
全裸のあの子たちに身包みを剥がれ、人という立場を剥奪される。
最初こそ助けを求めるように手を伸ばして来ていたが、軽く蹴飛ばしてやると諦めたのか二度目は無かった。
「あんまりいじめないでやってね、可愛い可愛い子なんだ。君達の新しい仲間なのだから、酷い事をしては駄目だよ」
そう声をかけると、いっぴきが僕に擦り寄ってきた。
「きょうは、わたしが、かのじょやく」
赤いニットのワンピースを身に纏った、おんな。
そう、女が一人。
唇にはかすれた様な紅が、付着していた。
「そうか、えーっと……君の名前はなんだったっけ?」
「わすれた」
「残念、僕もだ。なら、聖夜にちなんで、イヴと呼ぶ事にしよう」
そう決めると、その女は不思議そうに言葉を返してくる。
「わたし、イヴ?」
「そうだよ、イヴ。君は今日、再び人として生まれたんだ」
言いながら、抱き締めてやる。
少し震えていた様子だったが、強く抱き寄せると抵抗もせずに僕の腕の中に納まった。
「女は怖いからね、僕一人ではとてもとても。
だから一旦全ての尊厳、矜持を剥奪するんだ」
彼女の髪を撫でてやる。
甘えるように彼女は喉を鳴らした。
「それから、劣悪な環境の中でも人を取り戻したものが、再び人と成る」
もう、彼女は泣いていない。
寧ろ鳴いているのだろうか。
いけないな、せっかく人と成ったというのに。
「こういうのを何て言うんだっけ? リア充?」
「しらない」
「そう、僕も知らない。知る必要もなかったね」
言葉を返しながら、彼女を抱き上げる。
先程までは人ではなかったその彼女は、とても汚れているから。
人らしく横抱きにしてあげたまま、部屋を出る。
――最後に、部屋の中から小さな呻き声が聞こえたから、僕は振り返らずに言葉を投げてあげた。
「Merry Merry Christmas!!」
何と無く思い付いた、恋愛なのか、ホラーなのか…。