第九章 戦闘
叫き声を上げながらジャグルが突進してくる。デリオスとドーロスが息を呑む気配がした。
「ぶつかるぞ! 足場の柱につかまれ!」
再び警告し、グレシオス自身も中腰になって柱にしがみついた。
直後に激突。全身に衝撃が叩き込まれた。体が大きく横に流れ、足場からずり落ちそうになる。
両手で柱を押さえて体を戻し、立ち上がった。
鞘走る音がした。タデアスである。腰を上げると同時に抜刀したのだろう。さすがである。
そのまま足場の一番奥に早足で向かっていった。その先に攻城具の柱が見えている。
村の正門越しにあの丸木の柱が突き出ている。と、もうジャグルの頭が見えた。
「来るぞ!」
グレシオスは叫んだ。未だもたついているデリオスとドーロスのためである。
一瞬の間が生死を分ける。一瞬の判断が流れを変える。考えるよりも早く行動し、行動するよりも早く考えなければならぬ。
グレシオスは別の手近な柱に駆け寄った。
「ぬんっ!」
気合いを込めた一撃をジャグルの首元に叩き込む。
刃が頸椎にまで達した感触が返ってきた。ジャグルの首が曲がり、そのまま柱を滑り落ちてゆく。
弦音が聞こえ、矢が下から飛んできた。大きく身を引いて矢を避けるようにし、隣の柱に目を向けた。
デリオスの胸に矢が突き立っていた。デリオスは動きを止め、押し殺した呻きを漏らした。すぐに次の矢が、又次の矢がデリオスの体に立った。
ドーロスはまだ立ち上がっていない。立とうとしてはいるが遅すぎる。
デリオスはもう助からぬ。
「飛び降りよ!」
耳に届くことを祈りながらドーロスに叫ぶと、グレシオスはそのまま下に、村の側に飛び降りた。全身にリオプの鎖が食い込んだ。凄じい重量が体に掛かり膝ががくんと折れそうになる。
「むうっ!」
呻いた。だがそのまま無理に立ち上がった。肩と背骨が軋むような気がする。膝に大きな負担が掛かっているのを感じたが無視した。
少し離れたところにタデアスも着地している。
合図を交わす必要はない。ほぼ同時に動いた。
駆けた。
村の広場に向かって駆けた。
背後は振り返らない。ドーロスがついて来ていることを祈った。
浅い雪を踏んで走る。雪を踏んだ音は耳に届かない。
聞こえるのは己の呼吸とリオプが鳴る音だけである。
左右に大きな篝火が見える。いつの間にか日は沈み、村の中には闇が拡がっていた。
足元だけは雪の所為か白く朧に見ることができるが、周囲は篝火が際立って見える他は何も判らなくなりつつある。
ジャグルはここまで考えて行動しているのだろうか。
多分、そうであろう。
最初の小屋を超え神殿の傍まで来た。矢は飛んでこない。
走りながら矢を射るのは至難の業であるし、門を超えて飛び降りて、すぐに弓で狙ってくることはおそらくない。むしろ追ってくるだろうと判断しての作戦だったが、その通りになったのか。
神殿の横手に駆け込んだ。槍を持った兵達が反射的に身を動かした。しかとは見えぬ。気配と、影である。
篝火は広場の方に設置してあるので、兵は闇の中にいるのだ。
「……来たぞ」
荒い息の下から声を絞り出した。リオプを着込んで高所から飛び降り、そのまま駆けたのだ。
予想していたことではあるが、かなり堪えた。
胸の中では心臓が踊り廻っているように感じるし、背骨と肩に重みのようなものが食い込んでくるのを感じる。この歳では無理もないことであろうが。
「少しお休み下さい」
ヨルスが近くで囁いた。
何を言う。
そんな余裕などあるものか。
答えようとしたが声にならない。神殿に背を預け大きく呼吸を繰り返した。
「……早くいけ」
何とかそれだけを命じた。ジャグル達の悲鳴と怒声が響き渡った。甲冑の鳴る音、武器を取り落とした音が聞こえてきた。イドナ達が矢を射かけたのだろう。次は広場に張ってある綱が引かれるはずだ。
こちらも間を置かず突撃しなければならない。
「行かぬか!」
情けない怒声を上げた。声が掠れている。情けない。
命令に従い、兵達は闇の中を広場に向かって移動し始めたようだ。
影が動くのが見える。
まだ目が暗さに慣れない所為か、それとも老いで弱くなった目では姿を捉えられないのか。
額から流れる汗が目に入ったので、グレシオスは手の甲で拭った。
すぐ近くでタデアスが、同じように息を吐いている。
目が合うと、情けなさそうにタデアスは微笑んだ。多分、己も同じような顔をしていると思った。
二度深呼吸した。気持ちが肚の底に沈み込むように念を凝らした。
それでようやく恢復した。完全とはいかぬが、十分である。
戦える。
「参りましょう」
「うむ」
神殿から背を離し、近くに置いてあった槍と盾を手に取った。あらかじめ昼間の内に準備しておいた物である。
広場に出た。綱が持ち上がっていた。ジャグル達が転倒し、あるいは綱に身を止められている。そこに兵達が襲いかかっていた。
策は上手く決まったようだ。
怒号なのか悲鳴なのかすら定かでない大音声が辺りに響いている。
篝火の照り返しを受けて槍や斧、甲冑が輝いている。
腹を突き刺されたジャグルが自分を貫いた槍をつかんでいるのが見えた。既に倒れている村人もある。長い銀髪が雪上に拡がっていた。
槍を構えた村人を前に、鉈刀を振り回して威嚇しているジャグルもいる。
今のところ有利に展開しているようだが僅かの間だ。
思う間に綱が断たれ、地面に落ちた。
広場の中で押し込められていたジャグルの群が解き放たれた。
ばらばらに駆けだしてくる。
「怯むな! ここで皆殺しにするのだ!」
大声で言いながらグレシオスは槍を構え、ジャグルに向かっていった。
鉈刀を持ったジャグルが迫ってくる。槍を突き出した。振り下ろされる鉈刀と槍の穂先がぶつかって火花が散った。槍は当たらず、ジャグルの横を流れた。
荒っぽい禦ぎ方だが外されたことには変わりない。
予想外である。
鋭さが無かったのか。それともまだ疲労が残っているのか――そう考えた方が良さそうだった。
とにかくそのまま、グレシオスは右肩からジャグルに当たっていった。
ジャグルの顔に肩がぶつかる。鎧同士が接触する音が鳴り、ジャグルが吹き飛んだ。
怪力とはいえ子供に近い体格である。グレシオスの方が体重がある分、安定しているのである。
ジャグルが転がろうとせずに、そのまま起きあがる気配を感じたので、グレシオスはジャグルが身を起こしかけるのを待ってから槍を突き刺した。
倒れたところを即座に突くというのも定法ではある。普通はそうする。
しかし周囲の状況と敵の対応によっては、より確実に殺すべく突いた方が良いからである。
ちょうど上半身を起こしかけたジャグルの首元に槍の穂先は吸い込まれた。
「ギイイイィーー!」
斜め上から下に向け、気持ち反るように槍を滑り込ませる。あっさりと穂先が背中から飛び出てきた。ジャグルは体を突っ張らせ、すぐに脱力した。止めを刺す必要はないであろう。
横手から影が伸びてきた。反射的に槍を離し、抜刀する。
鞘鳴りの音が消える間もなく、ジャグルの鉈刀が振り下ろされてきた。
重い衝撃。盾に刃が食い込む手応えを感じた。
ジャグルはそのまま押し込んでくる。
「むっ」
グレシオスは後ろ足を伸ばして体を支え、堪えた。ジャグルの突進が止まる。
「ジャアアア!」
赤い瞳が見上げてくる。篝火の炎に照らされて、まるで紅玉のようだ。
その目玉目懸けてグレシオスは右の拳を叩き込んだ。刀を持ったままであり、手甲を嵌めた拳である。それは鉄の塊で殴られるに等しい。
ジャグルが仰け反った。裂けた顔から血が飛び散る。容赦なく、今度は肘を顔に打ち込んだ。
足を動かせる距離になったとみると蹴りを胸に食らわせた。ジャグルが尻餅をつくように倒れた。
だが止めは刺せない。すぐに新手のジャグルが槍を構えて走り寄ってくる。グレシオスは素速くそちらの方を向いた。
走ってくるジャグルの向こうにタデアスが見える。すでに槍を捨て、刀で戦っていた。
穂先が迫る。恐怖が痺れるように身体を走る。喜びが痺れるように身体を走る。
グレシオスは自ら踏み込むと、体を開くと同時に刀身を槍に叩きつけ、己が斜め後ろへと槍を受け流した。槍上を刀が伝うように滑っていく。このまま手首を切り落とすこともできるが、グレシオスは途中で刃の角度を変え、ジャグルの喉元へと切先を滑り込ませた。
幼時から繰り返し修練してきた、槍を刀で制する技法である。
おそらくジャグルには何が起こったのか判るまい。叔父エウスタスによって初めてこの技法を示された時がそうだった。グレシオスには何が起こったのか解らなかった。
気が付くと喉元で刃が止まっていたのだ。
ジャグルの腰から力が抜けた。崩れるようにへたり込むと、それから仰向けに倒れた。
辺りに目を配る。背中にも目がある如く、全身を目にしてさっと周囲を見回した。
自分に襲いかかってくるジャグルがいるかどうかを確認した。
いない。今はいない。数瞬のことであろうが、その長さは関係ない。
『間』として『時』を得られるかどうかが重要なのだ。
先に蹴り飛ばしたジャグルは姿を消していた。どこぞに隠れているか、それとも別の相手を求めて去ったのかも知れぬ。
グレシオスは刀を地面に差し、変わりに手近な槍を拾い上げた。今殺したジャグルの槍である。
手頃な位置のジャグルを見つけた。今にも村人に襲いかからんとしている。その背中目懸けて槍を投じた。
槍は左の肩胛骨の下の辺りに突き刺さった。穂先が右の胸から飛び出たと見えて、ジャグルは前のめりに倒れた。
刀を抜いて血振りをくれると、一番近くにいるジャグルに早足で近附いた。雪をざくざくと踏む音が立った。
ジャグルは村人と槍を交差させている。あれほど注意したにも関わらず、村人は力比べの体勢に陥ってしまっていた。
「イーザイッ!」
ジャグルの気を逸らすため、雄叫びを上げた。古代ヴォルグヘル族の雄叫びである。振り向いたジャグルの首もとに刀を振り下ろした。
「ギシャァッ!」
苦痛と驚愕の混じる絶叫をあげ、打ち込まれた刀身を両手でつかんだ。
その途端グレシオスはあっさりと刀から手を放した。
腰の後ろから逆手に短剣を引き抜くとジャグルの喉に突き刺した。そのまま西瓜でも割るごとくに、手前へ向けて短剣を引いていく。手慣れた動作である。
刃が骨を削り、肉がぶちぶちと裂ける手応えがあった。
ジャグルが、がばっと血を吐いた。体を痙攣させた。胸から口から血が溢れ、グレシオスの手甲を汚した。
「御領主様!」
村人が叫んだ。喜びの叫びである。危険を告げる危機感がない。
つまり注意を知らせたわけではない。今のところは安全だということである。
数えるほどの間ではあろうが。
頭の片隅でそんな風に判断しながら、グレシオスはジャグルを蹴り転がし、刀を引き抜いた。二振りとも手早く拭いをかけて鞘に収めた。近くに落ちていた槍を拾った。
「あっ、ありがとうございましたっ!」
礼を言う村人を手で制した。見ればダルスである。今年で十七になったか。
「あいつらを助けてやれ」
離れたところで戦っている二人の村人を指差した。
ダルスは頷いた。槍を握りしめて駆けていった。
足元は赤々としているが、それは篝火の所為だけではない。
既に夜気の冷たさの中には血臭が混ざっている。
鼻と胸の内をねっとりと焼くような、あの鉄臭い香りである。
馴染み深い臭いである。
金属の激突する音と怒号が、周囲、至る所から聞こえてくる。
見た感じは、先程と大して変わりがないかもしれない。
だが最初に広場に飛び出したときの全身に水を被るような激しい気配がない。
広場では殺し合いが続いているし、村のあちこちでも戦いが行なわれている感じはあるが、どれもばらばらな戦闘のようである。
少し戦闘がまばらになってきたようだ。
無論直感的にそう思っただけである。確と言えるような根拠はない。勘である。
しかし、戦いは次の段階に移行したと見ていいだろう。
グレシオスは再び周囲を見回した。
この規模の戦闘ではいちいち戦況を判断している余裕はない。ただただ目の前の敵を殺し続けるだけで精一杯なのである。
こうして一息吐けるときに素速く流れを判断するしかない。
当然長い時間は取れないし、正確さも保証できるものではないが、それは勘で補うのである。
あちこちに倒れているジャグルや村人の姿が見えた。
数としてはジャグルが優勢であっただろう。だが今は、ほぼ互角と言えるのではないだろうか。
「大殿!」
タデアスが駆け寄ってきた。全身に返り血を浴びている。己も、人のことは言えないが。
一瞥をくれて安全を伝えると、広場へ、ジャグルの方へと目を戻した。
ざっと動いている数に目を走らせる。十はいない。それに対して味方の数は六である。
あちこちに倒れている姿がある。ジャグルの方が多いが、村人も幾人かある。
さらに減らされる前に突撃しなくてはならぬ。
味方が多い内の方が身の安全が高くなるからである。
非情なようであるが、それが戦場の現実というものだ。この規模での戦闘では特にそうである。
逆を言えば、グレシオスやタデアスと一緒に戦えば、村人の安全度も高くなるわけである。
ゆえに、どちらがどちらを利用しているという話ではない。単純に戦力と、そこから想定される戦況推移の結果でしかないのだ。
「無事か?」
「はい」
カトールで手の平の血を拭い、槍を持ち直した。
タデアスも同じようにした。
嫌になるくらいカトールは血まみれであり、胸に描かれたワタリガラスも、まるで殷い血の中を飛翔しているようだった。
「ゆくぞ」
「はっ!」
タデアスと共に、ジャグルが五匹纏まっている所目指して駆けだした。
一匹のジャグルが雄叫びを上げながら戦斧を振るっている。
一人の村人が頭を叩き割られ、崩れ落ちるその身に、さらに斧の刃を受けている。滅多打ちであった。
左右の村人二人が怯みを見せた。危ない。
「怯むな!」
タデアスが叫いた。ジャグルどもがグレシオス達の方を向く。
その隙に戦いの中に入った。死んだ者の代わりに、二人の村人の中央に槍を構えて入り込む。タデアスが右に並んだ。
ジャグル達が喉と歯を鳴らし、耳障りな音を立てた。何か言ったのかも知れぬが地虫どもの言葉など解らぬ。判るつもりもない。
「グオオオッ!」
戦斧を振りかざしたジャグルが突進してくる。
迫力はある。だがグレシオスもタデアスもこの程度では怯まない。
グレシオスは槍を滑らかに、地面を探るように伸ばして払った。
ジャグルが転倒した。起きあがるよりも先に、その肩先にタデアスの槍が入った。
左の村人にジャグルがぶち当たってきていた。ゾイアスである。必死の形相で槍を支えているが、押し込まれる体勢になっていた。
「蹴り上げろ! 近くで戦ってはならん!」
グレシオスは指示を飛ばした。一拍遅れて村人はジャグルの胸を膝で蹴った。少し距離が空く。もう一度蹴った。さらに離れた。村人が槍を持ち直した。
別のジャグルがグレシオスに向かってきた。得物は槍である。力任せの一撃を繰り出してきた。
ジャグルに限らず、力で競うのは愚かである。技で制する。それが戦いの基本である。
「力を出し盡くしてはならぬ」
エウスタスはそうグレシオスに教えた。常に働きが死なぬように、心身を効率的に使えということである。
力を振り絞れば偏りが生じる。偏りは隙を生む。そして隙は命取りになる。
技とは統御された力のことである。技を用いるのは心である。心もまた力である。
それゆえに力で競うのではなく、力で制するのだ、と。
そうエウスタスは教えた。まだグレシオスが幼き日から、繰り返し、繰り返し教えた。
ジャグルに合わせて槍を出す。靱やかに槍に力を乗せた。
戦神の末裔にとって槍は聖なる武器である。ジャグル如きに、後れを取ることなどあるものか。
巻きつくように槍を使う。グレシオスが手首を返したときにはジャグルの槍は斜め上へと吹き飛んでいた。戻した槍でジャグルを打った。衝撃に蹌踉いたところを突いた。
胸を突かれたジャグルは前のめりになり、口からごぼごぼと血を吐いた。
タデアスも見事に戦っていた。新手のジャグルの喉を突き、吊り上げるようにして横に投げ倒している。
悲鳴が聞こえた。ゾイアスの胸に短剣が突き刺さっている。ジャグルが左逆手に持った短剣で突いたのだ。
ゾイアスが呻きながら血を吐く。蹌踉いたところを、鉈刀を肩先に打ち込まれた。ゾイアスの首が力を失い、頭がぐらりと傾く。
ジャグルはさらに鉈刀を振るった。濡れた木を斧で割るような音がした。血が飛び散る。ゾイアスの体が力を失い、倒れてゆく。
これで左が空いた。対処しなくてはならなくなった。
ジャグルを突き刺している槍を戻すのを止め、さらに深く押し込んだ。貫かれたジャグルが呻き、完全に槍に凭れ掛かってくる。おそらく穂先が体を突き抜いただろう。
素速く槍を離し、刀を抜いた。ゾイアスを倒したジャグルと目が合った。
ジャグルの表情が動いた。上手く形容することができぬが、確かに顔が動いた。
何と言って良いのか判らぬ表情だった。人のそれとは余りに違う。
喩えるならば獣が人の精神を宿したら、このような顔をするのかもしれない。
しかし、その意味だけは判った。
ジャグルは喜びを見せたのだ。その表情は、殺戮の喜びを表すに違いないと思った。
「ガアッ!」
汚い口を開け、吠えた。叩きつけるようにゾイアスを腕で払った。すでに事切れているのだろう。倒れかけていたゾイアスは、人形のように横倒しに投げ出された。同時にジャグルが前に出る。
グレシオスに向かってくる。
鉈刀を振りかぶった。刀身がゾイアスの血で濡れ光っている。
ジャグルの打ち込みに合わせ、下から切り上げた。傍目からは同時に動いたように見えるかも知れぬが、そうではない。
そのことは結果になって現れる。ジャグルの肘から先が宙に飛んだ。鉈刀を握りしめたままである。軽く回転して飛んでゆく。
驚きと、そして多分怒りで吠えようとしたジャグルの口内に、刀を突き入れた。首の後ろから切先が飛び出した。禿げた頭に左手をかけて刀を抜いた。
ジャグルの赤い瞳は、篝火を受けてまだ光ってはいたが、意思のゆらめきが急速に消えていっていた。
刃が鉄と、その下にある肉を断つ音が聞こえた。タデアスが横に払った一太刀である。
喉を切り裂かれたジャグルが、血を勢いよく吹きつつ膝をつくのが目に入った。
タデアスの右にいた村人が槍を構え直して、その胸を突いた。ジャグルは喉元を押さえながら、仰向けになって倒れた。
まだ体をもぞもぞと動かしている。村人がもう一度槍で突いた。引き抜いて、さらに突いた。表情を強張らせ、槍を振るっているのはアイダスであった。
この上さらに突こうとするのをタデアスが止めた。
「もう死んでおる」
タデアスの声がすっきりと耳に通った。
グレシオスは周囲を見回した。広場での戦闘は終わっていた。
ジャグルを皆殺しにできたかどうかは判らない。広場から他へと逃れた奴がいるかもしれない。
だが少なくとも広場からは剣戟の音は消えていた。
代わりに篝火が燃える音に混じって呻き声があちこちから聞こえてくる。
いくつもの影が目に入った。人間もあるし、ジャグルもある。
足の下の雪は融け始めている。それだけの血が流されたのだ。
広場の全域が戦場になったのだ。どこも一面、血が流れている。じきに足元は赤い霙でぐちゃぐちゃになるだろうが、それも夜が更ける頃には氷となるだろう。
グレシオスは刀に拭いをかけ、鞘に収めた。タデアスが近くに来た。
「無事か?」
「はい。大殿は?」
「手傷は負っておらぬがな」
いささか疲れてきた。その言葉を口中に呑み込んだ。
「この歳では堪えますな」
しかしグレシオスの胸中を察したのか、タデアスが代わって言った。
「やれやれ、情けない話だ」
グレシオスは首を振った。
不死を楽しむ神々ならば一笑に付すかもしれない。
だが人の身にあってはそうもいかぬ。それは運命であると言って良い。だからこそ滑稽なのだが。
グレシオスはアイダスに目を向けた。槍を握りしめたまま、立ちつくしている。
「アイダス」
呼びかけられて、アイダスはグレシオスの方を向いた。
「お前は負傷者を確認しろ。動ける者とは助け合い、神殿で治療をせよ」
「儂と大殿は村の中を調べて回る。お前達は取り敢えず神殿に避難するのだ」
遊撃隊がジャグルを掃討しているはずである。その様子を見に行かねばならない。
「血止めを優先しろ。動かせない場合はそのままでもいい」
「村内の探索が終わったら、すぐに人を遣るから心配するな」
タデアスと交互に指示を飛ばす。
あらかじめ教えてある内容ではあったが、こうして言ってやる必要がありそうだからである。
「ゆけ」
倒れて呻き声をあげている村人を指差すと、アイダスは槍を捨てて走り寄っていった。
「さて、我等もゆこうか」
「働き過ぎという気もしますがな」
「まったくだ」
軽口を叩きながら広場を歩いて、それぞれ使えそうな槍を拾った。
盾の方は悲惨であった。攻撃を直に受ける以上当然ではある。
グレシオスの物はまだ使えそうではあるが、タデアスの方は当たりが悪かったのか完全に裂けており、使い物にならなかった。
代わりに手近にある盾を拾った。村人の誰かが落とした物だろう。
鉦を叩く音が聞こえた。北東の柵を示している。鉦の音は止まず、すぐに西の柵を示す叩き方が続いた。
それを裏付けるように西から叫び声が聞こえた。今、戦っているようである。
「ゆくぞ」
「はっ!」