第六章 戦支度・一
広場に戻ると予想外の結論が待っていた。いや、むしろ男の予想通りになったのだから、逆に予想の内だと云えるのかもしれない。
村人は全員が村に残って、ジャグル達と戦う事を選んだのだった。
「お前達、本当にそれで良いのか?」
壇上からグレシオスは皆に問い質した。
手が挙がった。猟師のイドナだった。
美しくはないが、なんとなく人を安心させる雰囲気を持っている娘である。
少し目の間隔が離れており、鼻を中心にそばかすがある。
柔らかい銀髪は東方人にしては珍しく癖があり、首の後ろで一纏めにしてあった。
イドナにはどこかふわふわしている感じがあるが、その印象には髪の毛も一役買っていると思われた。
特に見栄えのしない、平凡な村娘といった風であるが、彼女はナウロス村一番の弓の名手であり、誰からも一目置かれる優秀な猟師である。
背が高いわけでも、体格に恵まれているわけでもないが、その腕には素晴しいものがあるのだ。
一度だけグレシオスは、イドナ達と共に山に入った事がある。
今までに接してきた猟師達と比べても、イドナの能力は抜きん出ていると感じた。
目が良く、勘に優れている事はもちろん、身のこなしも敏捷であり、何より、山やそこに生きるもの達に対する独特な感性に恵まれている。
まだ若い。この先、多くの優れた結果を出せるであろうが、それも全てはこの難局を切り抜けて、生き延びられればの話である。
「御領主様はあたしらと一緒に戦って下さるんですよね?」
「そうだ」
「ならあたしは村に残ります」
イドナの言葉はっきりとしていた。
その傍にいる村人達の顔を見ても、表情に迷いは感じられなかった。
「負ければ一人残らず皆殺しにされるのだぞ。我等に残された道は勝利しかない。本当に良いのだな?」
グレシオスはもう一度念を押した。
話をするのを止め、村人から何か声が上がらないかと待った。
誰からも手は挙がらなかった。
「……みな異存は無いようでござります」
ヨルスがグレシオスを見上げて云った。
確かに、村を捨てて逃げる場合の犠牲は大きい。体力に劣る者は全滅するだろう。
そのことは村人達も判っているに違いない。
だからといって村人誰もが、これから起こる戦闘の現実を、きちんと理解していると考えるわけにもいかないのだ。
「戦闘は厳しいぞ。死人も出る。血肉ばらまかれる阿鼻叫喚の場よ。隣にいる者を見よ」
グレシオスが言うと、村人皆己の隣にある者の顔を見た。
「その者の手足や首が目の前に飛んでくるかも知れぬ。それでも戦うと申すのだな?」
村人の間にざわめきが拡がった。「やはり戦闘は避けよう」という意見が出てくるかと思い、グレシオスは待った。
一人が手を挙げた。鍛冶屋のダイオンであった。
「御領主様。俺たちに気を遣って下さるのは、まことにありがてえ事だと思うけども、俺たちはもう戦う事に決めたんです。今さら気が萎えるような事は言わねえでくだせえ」
ダイオンの周囲から、同意を告げる声が幾つか上がった。
グレシオスは注意深く広場を見渡した。端の方に居る者達などに特に目を向けた。
やはりよく見ると、自信なさそうに顔を寄せ合っている者や、老人の耳元で説明をしている者などがある。
そういう村人を見ると気が重くなる。だが反対の声をあげる機会は与えたのだ。
村を出ることも可能だったはずである。
よもや戦わずにジャグル達と和解、などという馬鹿げた考えを持っている者はおるまいが、以前そういう話を聞いたことがあった。
この考えを提案し実行したのは、アウラシールのさる貴族だそうだが、結果は自身のみならず陪従の臣達までが、仲良く串焼きにされたと聞く。
愚昧さもここに極まれりと言うほか無いが、貴族の中には己が館の外部については何も知らぬし、想像したことすらないという者もいるから、この貴族もそのような、現実から乖離してしまった者の一人であったのであろう。
希望に縋る気持ちは判るが、自分の期待に常に現実が応えてくれるわけなどない。
戦場に立てばよい。そうすれば、それが厭というほど判る。
判るしかない。分からぬ者は死んでいく。
今、村人達は二つしか選ぶべき道はない。残って戦うか逃亡するかである。
何もせずに家の中に閉じ籠もっているという選択もないではないが、それは許さぬ。
もしそんな者が居るならば、まずはその者達を何とかしなくてはならない。これから自分達が突入するのは戦場なのだ。
犠牲の聖獣ではあるまいし、己は何もせずに危機の解決を、神に祈るなど許せることではない。
そのような愚者は、混乱すると何をしでかすか解らぬ。
用心のために、戦いが終わるまでは縄で括って納屋にでも閉じこめて置くしかないであろう。
幸い、泣き言を云うのみで何もしないという愚者は、ナウロス村には居ないようであった。
辺境の村であるゆえ、ジャグルに対する理解があるということだろう。
だがそれだけではないとも思われた。
村人誰もが、自分達が置かれた状況をきちんと把握し、それに対して立ち向かうしかないという事を知っているのだ。
それは決して安楽とは云えぬ日々の生活の中から、つかみ取られたものではないだろうか。
「……良し。儂がお前達の命を預かる。これから戦いが終わるまでは、儂の言うことに全て従うのだ」
何人かの男達が拳を突き上げて叫んだ。闘志があるのは有難いが、戦場では闘志よりも冷静さと体力の方が重要である。
「では今から話すことをやってもらいたい。話しておかねばならぬことがあるゆえ、昼食を食べたら全員が再び広場に集合するように」
そしてグレシオスは館にいる間に考えておいた対策を、順次村人に伝えていった。やるべき事が決まった者から、順次広場を離れていくようにした。
先ず老人病人、子供達は全て丘の上にあるグレシオスの館に避難することを決めた。
メグレイスとヨルスにはさしあたっての指揮を任せた。細々した仕事の監督である。
アルテーアとモイラスには、グレシオスの館に避難する老人病人、子供達の世話を任せることにした。
戦闘による負傷者が出た時には、その治療にもあたってもらわねばならない。
彼らは神職であるし、戦闘の経験はないであろう代わり、治療術などの方面には優れていると期待してのことである。
十二歳以上の者は全て兵として徴集した。女子は原則として、連絡や輸送など後方の作業に回すが、徴集自体には男女の別は設けなかった。
これはローゼンディアにおいては一般的な判断であったが、年齢の方となると、こちらは少し厳しいと言えた。
非常時とは言え、先例を鑑みるならば十四歳以上の者を徴集するものである。
しかしナウロス村の人口構成を考えるに、それでは人手が足りないのだ。
二つ年齢を下げたのは、已むない措置であった。
この子供達の内に、矢槍で貫かれたり、刀で打ち殺されたりする者が出るであろう。
心苦しいが、それが戦いというものであり、しかも今は戦いを避けられないのだ。
グレシオスは各自の能力に応じて、仕事を割り振っていった。
鍛冶屋のダイオンとその息子達には道具作りを任せた。
「祭りの時に使う飾槍に穂先をつけよ」
イオルテス地方では、祭りの時に投槍競技を行なうことが多い。
使用する槍は穂先を外してあり、槍の形を模した飾槍であるが、穂先をつければ立派に武器になるのである。
「農具は全て武器に加工せよ。ただし余り時間はかけられぬ。簡単にできそうな物だけを選んで、それを優先的にやっていくのだ。判らぬ時は使いの者を儂か、タデアスへと送ってくるがいい」
「全部武器にしてしまったら、あとで困るのではねえですか?」
グレシオスは苦笑した。ダイオンの心配はもっともだが、それは生き残れたらの話に過ぎない。
「そういう心配は生き残ってからすれば良い。今は戦う準備に全力を傾けよ」
「はい。御領主様の仰るとおりにいたします」
いまいち納得しかねるような様子ではあったが、ダイオンは頭を下げ、息子達と共に鍛冶場のある自宅へと帰っていった。
「皆、家に有る物で、武器になりそうな物は全てダイオンの元へ持って行け。家に元々武具があった者も、具合が怪しかったり、体格に合わぬなどの場合にはダイオンに手直してもらうがいい。ヨルスは村の倉庫を開け、食糧を各々に分配せよ」
備蓄食糧もまた同じ理由により、取って置く必要はない。
最後になるかもしれないのだ。好きなものを充分に食べればよい。
まだ冬の初めということもあり、作って余り日を置いてない豚腿肉の燻製や豚ばら肉の燻製、腸詰め肉といった保存用の肉が十分にある。保存食は秋の終わりに纏めて作られるからだ。
「ジャグル共も、もう少し早く来てくれれば良かったですな」
家畜を潰す前に来てくれていたら新鮮な肉をたらふく食えたのにと、そう言ってタデアスは笑ったが、一緒に笑ったのはグレシオスだけであった。どうやら村人にはそんな余裕は無いらしい。
と言っても子供達だけは別であった。砂糖や蜂蜜を目一杯使ったマニールやアグリオパを作って配ったら大騒ぎである。
ここは辺境の小村なので甘味は貴重品なのだ。しかも普段ならば使えない位の分量を使ってしっかり甘さが付いている分、美味しさもまた格別なのであろうと思われた。
更にグレシオスの館で料理を担当している老女が大きなペティオンを焼いたが、これも子供達には大評判であった。
口の周りに蜂蜜や芥子の粒を付けたまま、ひたすら菓子を食っている姿は微笑ましかったが、この後の事を考えると少し気が沈んだ。この子らを守らねばならない。
大人達も菓子を口に運んだが、とても子らのように歓声を上げながら食う気にはなれないようで、豪華な内容にしてはしめやかな食事となった。
弓兵の指揮にはイドナを任命することにした。
「めっそうもねえです」
イドナは驚いて首を振った。
「村長に任せたほうがいいです」
「ヨルスには他に任せたい仕事があるのだ」
嘘ではない。ヨルスには他に頼みたい仕事がいくつもあった。
今も食糧倉庫の開放を任せた。
弓兵の準備と指揮とはイドナにやってもらうほか無い。
「お前が最も適任なのだ。他の者も異存はあるまい?」
グレシオスが問うと、周囲に居た者達の誰もが、そうだそうだと口々に言った。
イドナが一番の射手であることは、村の誰もが判っているのだ。
そして戦いにおいては、規準となる射手の選定が重要になる。イドナに任せておけば安心だろう。
「ジャグルを仕留めたことはあるか?」
「いえ。一度もないです」
「では犬や猿は?」
「あります」
子供のような受け答えである。この娘にはそういった、澄んだ素直さがあるのだった。
「やつらは二本足で歩く猿だと思えばよい。犬のように吠えるが、基本的には猿のようなものだ。そう思って射よ」
「はい」
「お前は誰よりも腕がよい。目も良い。射手としての勘にも恵まれている。村の者達は誰もがそのことを判っている。だから自信を持て」
そう励ますと、イドナは恥ずかしそうに笑ったが、周囲の者達はグレシオスの言葉に納得するように頷いていた。
「弓隊の指揮はイドナに任せる。弓を扱う者達にはそう伝えよ。昼飯の後に、どう戦うべきかを詳しく教えるゆえ、今は各自己の仕事をせよ」
自宅でやるべきことや、弓の準備など色々あるだろう。
イドナ達が去っていくと、広場は閑散となった。見えているのは、既に動き回っている者達である。
「門柵の補修を行ないますか?」
タデアスが聞いてきた。村の正門と、その周囲に設けてある柵のことである。
ところどころ傷んではいるが、本格的に修繕するとなると、現状の人手から言って、結構な労力が必要になるだろう。
「無用だ。人手も時間もない」
「では誘い込みますか」
さすがにタデアスは、グレシオスの胸中を察しているようだった。
ジャグルの群を村に入れて、そこで叩くということである。
無論、初撃でそれを行なう。
初戦で出来うる限り敵戦力を削るためだが、戦闘の開始時でなければ、愚かなジャグルどもと言えど成功は難しいだろう。
「うむ。防備を調える時間がほとんどないゆえな」
「どこに伏せます?」
「村の東側だ」
村の入口は南に面している。ジャグルどもが進入してくる場合、北に向かって正面を向いているであろうから、連中にとって右側に弓兵を伏せるのが正しい。つまり、村の東側である。
左側では、ジャグルの持ってる盾が邪魔になる可能性があるからだ。
「ではせめて門周辺の柵だけでも足すなり、補修するなりした方が良くはありませぬか?」
「そんな時間が取れるか?」
「門の近くにある家をたたき壊してしまいましょう。その板を使えば良いのではないでしょうか」
「なるほどな」
それは妙案である。
「判った。お前に任せる。人手も好きに使うがいい」
「かしこまりました」
タデアスが一礼し、去っていこうとした時、アルテーアがやって来た。
「大殿様にお伺いしたきことがございます」
意を決したように口を開いた。何か要求があってのことだろうと思われた。
「聞こう」
「私は槍を学んでおります。兵の一人に加えてはいただけぬでしょうか?」
学ぶ、か。グレシオスは僅かに口辺を上げた。
槍は学ぶものではない。身につけるものだ。
「学院では武器の扱いも指導するというが」
学院とは、王都にあるエムスエルス神学院のことである。
ヴァリア教大神殿に併設する全寮制の学園であり、入学の条件さえ満たせば、誰もがそこで学ぶことができる。
とはいえ、やはり学生のほとんどは貴族の子女であり、平民の子供は少ないという。
その数は留学生と同じ程度であると言うから、学生の内、九割以上が貴族の子供達で占められていることになる。
教師には優秀な神官達が任命されており、高度な教育が施されるというが、グレシオスは叔父による訓育を受けたので、詳しくは知らぬ。
貴族の中にもグレシオスのように、家庭教師による学問や、身内による薫陶を受けるのみで、学院で学ばない者は多い。
元々貴族の間には、教育とはじっくりと手をかけて、手元で注意深く行なうべきものだという認識があり、子供の両親がよく親炙する神官や、傑れた騎士が一門の内にいる場合には、その者達に訓育を依頼をすることが多いのである。
「戦場の経験は?」
「ございませぬ」
アルテーアはきっぱりと答えた。物怖じしない性格なのか、それとも返答の意味を理解していないのかは判らなかった。
「タデアス」
「はっ」
「槍を二筋持ってまいれ」
「かしこまりました」
タデアスは駆けて行き、すぐに槍を持って戻ってきた。
祭り用の投槍である。無論穂先はついていない。
一筋をアルテーアに渡すと、無い穂先を天に向け、鐺をついてグレシオスの脇に立った。
これはタデアスが「自分に任せてくれ」という意思表示であろう、と思った。
先程の話しぶりから、相手を務めるのが己であっても、アルテーアは萎縮しはせぬであろうかと思ったが、タデアスならばさらに遠慮はすまい。
そしてこの場合、遠慮無しの腕を見せてもらった方が良い。
「タデアス、腕を見てやれ」
「はっ」
タデアスが一歩前に出た。
「よろしいのですか?」
意外にもアルテーアは、多少の躊躇いを見せた。
こういう稽古になれていないというよりも、タデアスに怪我をさせることを懸念している様子だった。よほど腕に自信があるのだろう。
だがそれは甘い認識である。
殺し合いを経験している者と、そうでない者との間には激甚な差があるのだ。
「ご存分に」
肩の力を抜いて、タデアスはアルテーアの前に立った。
一見何気なく立っているようであるが、敵の突きに対する防護の型になっている。
雪梟の形と呼ばれる構えであるが、心得のない者が見ても判らぬかも知れぬ。
タデアスの形は長年の使用によって、すっかり使い好いように咀嚼されつくしており、その理合はともかく、表面的な形においては、単に槍を胸の前に持っているだけに見えるかもしれなかった。
槍は本来、騎乗において使う武器である。
馬で駆けていって投じたり、敵の盾に突き当てたりするのが、本来の使い方であると言える。
歩行で使う場合にはそれに加えて、相手を搦めたり、打ち払ったりする技術がより大きく浮上してくる。
単に突けば良いというほど、安易な武器ではないのである。
アルテーアは神官衣の袖を捲くって紐で縛った。露わになった白い腕は、しなやかではあったがよく筋肉がついており、日頃の鍛錬を感じさせるものであった。
「いえええいっ!!!」
鋭い気合いとともに、アルテーアが中段から槍を突き出した。
タデアスは慌てる風もなく同時に動いて、穂先を払った。何気ない動作である。
瞬間、アルテーアが腰を落とした。体重を後ろにかけ、姿勢の崩れを防ぐ恰好だ。
――ほう。
槍が接触したのは蛭巻の辺りである。蛭巻とは、槍の刃より少し下のところにあたる部位の名前で、蛭が巻きついたように見えるところから、その名がある。
無論、飾槍であるから蛭巻はついていないが、ちょうどその辺りの位置である。互いの槍が当たって硬い音がした、直後アルテーアは体を後ろに傾けるようにして身勢を変化させたのだ。
アルテーアの判断は正しい。タデアスの払いは、いくら何でもないように見えても、実戦を幾度も潜り抜けた戦士の技である。
その払いには、必要にして充分なだけの効力が存在しているのだ。
タデアスが前に出た。アルテーアは退がらない。これも正解である。
退がれば空隙ができるからだ。その空隙はタデアスのものである。
だから退いてはならない。
ただし退かなかったからといって、この試合の結果が変わるとも思えなかった。
ここまでの展開から既に、グレシオスには先の予想がついていた。
グレシオスの目から見て、二人の技倆にはかなりの差があると判ったからである。
払った流れから止まることなく、二人は槍を構えてぶつかった。再び、槍が当たる硬い音がした。
踏ん張ることなく、タデアスはアルテーアの側面に回り込んだ。
そのままアルテーアの首に腕を回すと、背中を使って投げ飛ばした。
足から落ちるように大きく、ゆっくりと落としたが、軽く背中を打ってアルテーアは苦痛のうめきを上げた。
おそらくアルテーアには、今、何が起こったのか理解できていないであろう。
技倆の差とはそうしたものである。
「なかなかですな」
背を伸ばして言うタデアスに、グレシオスも頷いた。
傍目から見ればタデアスの一方的な勝利に見えるかも知れぬが、内実の駆け引きや技法などを看て取れる眼が有れば、アルテーアの技倆が決して低くはないことが窺えるはずである。
つまり意想外にアルテーアの腕は高いと云えた。この先実戦を重ねれば、かなりの使い手になるだろう。
タデアスが手を貸してアルテーアを立たせてやった。手加減をしたとは言え、下は地面である。なかなかに痛かったに違いない。
実戦ならばもっと低く投げる。
本来ならば、あの投げで重傷を負わせるのだ。背骨が折れても、おかしくはないのである。
「……タデアス殿こそお見事でした」
アルテーアが腰の後ろを摩りながら言った。どうやら口が減らぬ性分のようである。
一言言われると、必ず一言返事をする性格と言っても良いかも知れぬ。
「神官はいい腕をしている」
グレシオスは褒めた。事実である。
「だが戦場において、実力を発揮できるかどうかは判らぬ。昔から「一度の実戦は、百度の稽古に優る」と言ってな。神官が常のとおりに腕を示せるかどうかと言うと、かなり難しいであろうな」
「ですが――」
「口返したい気持ちは判らぬでもないが、初陣で実力を発揮できる者などおらぬよ」
グレシオスが笑って言うと、アルテーアは含羞を感じさせる様子で目線を下げた。
「ともあれ神官の腕は惜しい」
怪我人を治療する方の腕も惜しい。
どうしたものか。
「取り敢えず戦闘に出てもらっては如何でしょうか?」
タデアスが提案した。
「怪我人が多くなったり、戦況が変化した場合には、館や神殿の方に戻ってもらうということでは?」
神殿は一次治療院として使用する予定である。ジャグルの進入著しくなれば、使えなくなることも想定してある。
その際には場をグレシオスの館に移動させ、そこで治療を行なうことに決めてある。
つまりはグレシオスの館が本部治療院になるわけで、重傷者は最初からこちらに運ぶ手筈になっているのだ。
神殿と館とを結ぶ坂が、あらゆる意味での連絡路になるわけである。
「そうだな。お前の言うとおりだろう」
グレシオスは頷いた。
「神官には戦闘に参加してもらうことにする。長神官殿の下につくのが良かろう」
共に戦うならば、日常も共に過ごしている相手の方が、良いだろうと考えたからである。
「ありがとうございます!」
アルテーアは嬉しげに眼を輝かせた。闘志は十分のようだったが、それも初陣という立場ゆえのことだろう。
出来れば死なせたくない。
「無理はするなよ」
その気持ちが陳腐な言葉となって、グレシオスの唇から滑り出た。
初陣の者にかけるべき言葉をかけてやったのだ、とも思えるが、どこか陳腐な気がした。
こう言ったところで血気に逸る者の行動を押し止められるとは限らないし、何より、今回の戦いは厳しいものになるだろうから、気休めの言葉など、悠長さでしかないような気がしたのだ。
とはいえまずは慣例のようなものである。
「はい」
アルテーアは頷くと、一礼して去っていった。
広場にはグレシオスとタデアスだけが残された。
「さて、儂は武具の様子を見ることとしよう」
「では私は柵の修繕が終わりましたら、すぐに館に帰参致します」
グレシオスは物見櫓の方を指差した。
「その前にヨルスに言って、誰か見張りを物見櫓に上らせておけ。ジャグルの姿が見えたらすぐに鉦を叩かせるのだ。見張りのために矢禦ぎの板を周らして、脱出用の綱を張る必要もあるし、武器と防寒具も忘れずに櫓の上に運んでおけ」
「かしこまりました。ヨルスにそう伝えておきます」
「それと村の入口の先に二匹のジャグルが死んでおるはずだから、装備を剥いでこい。使える物があるかも知れぬ」
「はい。私が行って見てまいります」
「頼むぞ」
タデアスに指示を告げると、グレシオスもまた広場を後にした。
館に戻ると、早くも避難者達が集まり始めていた。なかなかの数であるが、老人病人、子供達だけなので、なんとかなるだろう。
「使ってはいけない部屋などございますでしょうか?」
モイラスが尋ねてきた。
「全ての部屋を使って構わぬ」
「よろしいのですか?」
「この戦いを乗り越えられねば、みな死ぬと言ったはずだ。細かいことなど気にする余裕はない」
「はあ……」
「今、武器を運び出す。それが済んだら武器庫も使って良い」
全ての部屋を使っても、負傷者が担ぎ込まれてくるようになれば、窮屈に感じるようになるだろう。
「とはいえ考え無しに部屋を割り振ってはならぬぞ。戦いが始まれば怪我人がここに運ばれてくる。その者達を寝かせる場所や、薬を煮る場所も必要だ。それをよく考えてやるのだ」
「かしこまりました」
「あとでアルテーアにも手伝いに来させるが、あれには戦いにも参加してもらうことになったゆえ、ここはお前一人で管掌することになると思え」
「ええっ!?」
「驚くことはあるまい。人手が足らぬのだ。お前がやるしかないのだぞ」
モイラスは何とも情けない顔をした。子供が一人貼りついていて、神官衣の腰の辺りをつかんでいる。それがまた情けなさを強調していた。
「……この子等を守れるのはお前だということよ」
子供の頭を撫でてやりながら、グレシオスは呟いた。
「頼むぞ」
モイラスは返答をしなかったが、こちらの言いたいことは伝わったと思った。
事態を理解できぬほど愚かな男ではないのだ。
武器庫に入った。昨夜は回想に耽けるだけで、兜を見るのみに終わってしまっている。全体を簡単に見ておく必要はあるだろう。
鎧兜に盾などは、己とタデアスの科しかないから、考える必要はない。
問題は槍と弓、矢、そして刀である。
武器は村の各所に分割して置いておくつもりである。
槍は急拵えの物が大分混ざるが、とにかく数を用意する。矢はグレシオスが保存してある分だけで足りるであろう。
刀は扱いが難しいので心得のある者にしか支給しない。村人の主武器は槍である。
槍ならば、心得がない者でもある程度には扱える見込みがある。だが刀は難しい。
メグレイスと、あとはアルテーアが刀を扱えるかもしれないが、他の者は無理であろう。軍役に就いた経験のある者がいれば別であるが。
どちらにしろ刀がそうはあるとは思えぬし、もし村人が持っているようなら、使える者に優先的に回すよう教えてやらねばならない。頼るべきは槍だ。
加えて戦闘では、一つの武器を使い続けるよりも、むしろ武器を次々に取り替えながら戦うと考えた方がいい。
だからといって、全ての武器が使い捨てだというわけではない。
グレシオスのセウェルス宗家にはガラドギアという聖槍が伝わっているし、他の七宗家でも、同じような武具や祭器が伝わっているのだ。
それらは聖遺物と呼ばれている。神々の力が宿った聖なるものであり、いずれも超常の力を有している。
無論、どの聖遺物もそれを有する氏族にとっての宝であるから、祭礼以外では大きな事件でも起きない限り持ち出されることはない。
しかしそこまで行かずとも大事にされている武器、道具はあるわけで、それは貴族の家に限らないのである。
個人の場合にしてもそれは同様で、一つの武器や道具を大切にするかどうかは、持ち主の気持ちの問題である。
そういうことを全て含めた上で、戦場での真理を陳べれば、臨機応変ということになるだろう。
例えば、突き刺した槍が抜けなくなったとする。ならばさっさと手を放して、刀で討ち留めれば良い。槍を回収するのは屍体からの方が安全ではないか。
無論そういった判断の妥当さも、周囲の状況その他によって、猫の目の如く変わるわけである。
いわば突発的な事態に対し、如何に早く、正確に対応できるかということであるが、これが中々難しい。何より、口では説明しがたいし、説明したところで無駄なことが多い。
戦場では容易く、素人は恐慌状態に陥ってしまうからだ。
昼食後に村人を広場に集め、生き残るための簡単な心得、規律を教えるつもりではあるが、そういったものは訓練並びに実戦を通して血肉化するものである。
口で言ったところで、どこまで役立つかは判らなかった。
戦い自体が移動を含むものである以上、村のあちこちに武器を置いておき、それらを適宜使い分ける方が良いのは確かだ。
当然、敵から武器を奪うと言うこともあるし、仲間の武器を拾って戦うと言うこともあり得るだろう。
しかし考えれば考えるほど、村人達がどこまで行動できるのかが不安になってくる。
出来るならば一人たりとも死なせたくない。
誰にも死んで欲しくはない。
全ての村人と親しくつき合っていたわけではないが、誰もがグレシオスに対して敬意を払い、大切にしてくれたのだ。
グレシオスは溜息を吐いた。これから戦いが始まるというのに、気弱なことだと自分でも思った。だがこうして一人になると、戦いの高揚感よりも、支払うべき犠牲へと思いが傾いてしまうのだ。
弓は全て横に寝かせてある。これはローゼンディアの定法であり、使わない時は、弓は横にして休ませる決まりなのだ。
矢は全て矢箱に収めてある。おそらくこれで十分であると思われるが、足りなくなることもあるかもしれない。
その時は、周囲にある落ち矢を拾いながら戦うか、殺したジャグルから奪うかするわけだが、いずれにしてもそうそう起こる事態とは思えない。ここにある分を皆に分配すれば、それで足りるであろう。
問題はむしろ弓である。先程男に貸し出してしまったため、己は他の弓を使わなくてはならない。
いささか早計だったかも知れぬ。他の弓を貸しておけば良かったかもしれない。
そう考えて、すぐに己の考えに苦笑した。あの弓は長いこと武器庫の中で休ませてあったものだ。
男が持ち出さなければ、再び使われることはなかったかもしれないのだ。
ところが手に持ってみたらまだまだ使えた。己の気弱さが愚かしい。
しかしだからといってあの弓を使うべきとも限らない。
ナウロス村に来てからは、あの弓を引いたのは先程が初めてであるし、長いこと寝かせてあった武具をいきなり使うというのは微妙な気がする。他に選択肢がないのならばまだしも、今は日常使っている弓がある。それでいいではないか。
グレシオスは一張だけ弦を張ってある弓に目を向けた。その近くには幾つかの弓が弦を外して休ませてあった。
ふと休ませてある中で一番の強弓に目がとまった。あの強弓を使えたのだから、この弓でも十分引けるはずである。
子供じみた挑戦心を感じた。悪戯心にも似た気持ちだ。
弓に手を伸ばしかけ、しかし途中で手を止めた。腕を下げた。
諦めで手を引いたのではなかった。自分は十分にこの弓でも引けるだろう。扱えるだろう。
だが今はそんな見栄を張っているべき時ではない。
日常狩りに使う弓でも十分に戦いには役立つのだ。わざわざ馴れぬ弓を持ち出そうなど、幼稚な自己満足でしかない。
グレシオスは再び苦笑した。未熟な話よ、と思った。
我ながら何ということか。多少膂力を示したからといって、もういい気になっておる。いい歳をしておきながら何たることか。
まるで血気に逸る若者のようではないか。
使い慣れた弓を取った。指先で弦を弾いてみた。問題ない。
弓はこれにしよう。
グレシオスは矢箱を開いた。武器庫で保存してあるにもかかわらず、矢は全て矢箱の中に入れてある。本来ならば同数ずつ束ねられ、紐で括られてあるのが普通だが、何時必要にならぬとも限らぬ、との考えから矢箱を用意したものである。
矢を矢筒に盛る時には、二束が基本である。
一束は十三隻、つまり六手式に一隻を加えたものである。これが基本の単位となる。
どれだけ必要になるかは判らぬが、己は三束あれば十分であろう。
タデアスの分をやはり三束引き、残りは全て弓兵隊に持たせるつもりであった。
刀を刀架から外し、鞘を払ってみた。刀身は磨き上げられた輝きを放った。無論錆は浮いていない。
数度素振りをくれてみた。風を切る音が鋭く鳴った。
掌に柄が吸いつくような感触がある。刀身の重みが心地よく、手首には柔らかさがあった。
刀を抜くのは久しぶりだが、これなら十分振るえそうである。
刀を刀架に戻し、槍を手に取った。
家伝の聖槍ガラドギアは、今はヘクトリアスの手にある。
ここにあるのはごく普通の槍であるが、どれもタデアスと二人で、手に持った感じを慎重に確かめた物ばかりである。投げるはもちろん、突いたり払ったりするのにも、勝手が良い槍ばかりである。
ただ村人達にとっても、使い心地がよい槍であるかどうかは判らぬ。
自分とタデアスの使う分を除き、ここにある予備の槍と、祭り用の槍は全て対ゴロド用の投槍に回したい。
村人達の槍は、できれば全て自前が希望であるが、さてどうなるか。
槍は屋内で振り回すわけにはいかぬ。槍架から外したものの、すぐに元に戻した。
長年の習慣から機械的に検査をする癖がついているのか、それとも内心の興奮に、知らず、手が応じてしまったのかは判らぬが、我ながら間抜けである。
ともあれ、武器はどれも問題はなさそうだった。
後は防具であるが、リオプは己とタデアスの物しかないし、鎧立てに飾りつけてあるので調べるのは簡単だった。
裏地を確かめ、鎖の具合を全体にわたって見たが、問題はなかった。
盾と兜も手に取ってみた。こちらも問題はなかった。
今となってみると、リオプはともかくとして盾と兜だけは、もう少し予備の物があっても良かったと思えた。
村人に回せる予備の分が多少でもあれば、それで武装を得られる者がいるかも知れぬからである。
たかだかこの武器庫にある分では、武具検査など、対して時間は掛からない。
タデアスの盾を戻すと、武具検査は終わった。
今回は随分と久しぶりにタデアスの分まで見たが、普段ならば、己の科だけを見て終わるものである。
グレシオスは若い時から、いつも自分の武具には注意してきた。具合に気を配り、状態に気を配り、大事に扱ってきた。
戦士たる者、己の身を守る武具に心を配るのは当然である。グレシオスはそう教えられてきたし、そう教えてきた。
ところが世の中には武具の検査を自分で行なわぬ貴族もいるらしい。
とんでもない話である。
貴族とは戦士であることと同じ意味であると言って良いから、そのような貴族はグレシオスからは理解しがたい存在であった。
矢の配分は後でイドナ達が来た時にやれば良い。槍や弓が足りない時にはここにある分を回すが、それはタデアスに任せることにしよう。
グレシオスは武器庫を後にした。
昼食までは村を回って適宜指示を出してきた。
あとは昼食後に簡単な戦闘上の注意を話さなければならぬ。
必要だと思えば、すべき事はいくらでもあった。