第五章 道化
広場は騒然としていた。村人達は判っているのだ。
村を捨てようが、戦いを選ぼうが、どちらにせよ恐ろしい結果が待ち受けているのだということを。
誰もが深刻そうに話し合っている。
子供たちは大人から離れて広場の端の方に集められており、モイラスが世話をみていた。
メグレイスはヨルスとタデアスを相手に、何やら話をしていたが、グレシオス達が戻ってくると顔をこちらに向けた。
「話は纏まりそうか?」
グレシオスはヨルスに尋ねた。
「紛糾しております」
無理もない。生死を懸けた極限的な選択なのだ。
「やはり二つに割れる事になるのではないかと……」
タデアスは心配そうに眉を寄せていた。
おそらく戦力の分散を恐れているのだ。
「仕方有るまい」
「どちらにせよ時間はないのです。いっそ決を採ってはどうでしょうか?」
メグレイスが言った。
「ふむ」
グレシオスは溜息を吐いた。できれば強引な多数決は採りたくない。
だがこのままでは結論が出るのに一日かかってしまいそうな雰囲気である。そして、そんなことを許していたらジャグル達が到着してしまう。
全体の意見配分が、どういう形になっているかを知るためだけでも、決を採るべきだろうか?
考えていると、突然子供の泣き声が聞こえてきた。
広場の端に集められている子供達だ。目を向けると三歳ばかりの幼児が一人、泣いていた。男の子である。
その子供のすぐ近くにいる、似たような歳の女の子が、もらい泣きをしそうになっていた。
まずいと思った。下手をすると、子供達が一斉に泣き始める事になるかもしれぬ。
大人達は相談に夢中で気付いていない。モイラスが子供の傍に膝を着いて話しかけているが、ぎこちない感じだった。
この若者は何をやらせても頼りないような感じがあるが、能力が劣っているわけではない。むしろ優秀な部類に入る。印象で損をしているのである。
今もこのまま任せておけば、上手に子供を宥めてしまうだろう。
そう思ったが、何を考えたのか、不意に男が子供達の方に歩き出した。何か意見を聞かせてもらおうと思っていた矢先なので、グレシオスは少し慌てた。
今度は何をするつもりであろうか。
興味を掻き立てられて、グレシオスもついて行った。
「大殿」
「すぐに戻る」
タデアスに振り向いて言った。
今は子供の相手をしてやる余裕はないというのに、つい男の後を追ってしまう自分が情けない。
男は口を開けて泣いている子供の前に立つと、急にしゃがみ込んだ。
尻が地に着くほど身を低めた。大きな体を長靴の間に挟むようにして背中を丸め、髭面を子供の前に突き出した。
驚いたのだろう、子供は泣きやんだ。
泣きやみはしたのだが、それは意表を衝かれたからであって、この驚きが消えれば、また泣き出すことは明白だった。
突然、男は顔を動かして奇妙な表情を作った。目玉を大きく動かし、口を曲げて舌を突き出した。
そんなおかしな表情を、何通りかやって見せた。
「……わあ」
子供は興味を持ったようだった。この年頃の幼児は興味の対象が移ると、それ以前の状況を忘却するという、面白い特質を有している生き物である。
たちまち笑い出した。
男は一言も発せず、幼児の前に顔を突き出したまま、次々と奇怪な面相を作って見せた。
意表を衝かれたのは幼児だけではない、近くにいた子供達も、子供をあやそうとしていたモイラスも、そしてグレシオスもである。
子供達は大喜びで笑い出したが、グレシオスとモイラスは笑わず、呆けたようにそれを眺めていた。
男の作り出す面相は、恐ろしく奇怪なものであった。
奇怪としか言いようがない。
道化の物真似にしては毒がありすぎるし、何より迫力が半端ではない。
男の場合、元から顔に備えている目だの鼻だのといった自前の道具が、普通人に比べて、存在感がありすぎるからであろうか。
笑いを取るというよりも、ほとんど魔除けに近い雰囲気がある。
無論、幼児を泣きやませるための努力であろうから、いずれ冷静な品評など男の耳に入れてやるつもりはない。その程度の慈悲心はグレシオスも持ち合わせている。
ともかく男の面相芸には、何やら真に迫る狂気があった。
今は目玉を上下反対に動かし、舌を頤の辺りまで垂れ下がらせている。
かなりの荒技である。少なくともグレシオスには不可能な技であった。
――やはりこの男はどこかおかしい。
白けたような冷静さでグレシオスは思った。
思った途端、笑いがこみ上げてきた。
モイラスが笑い出した。グレシオスも笑った。
周りに居る者達が一頻り笑うのを見届けると、男は面相芸を止めて立ち上がった。
つるりと頬など撫でてすましている。それがまたおかしく、グレシオスは吹き出した。
「お主には本当に驚かされる」
「なあに、ただの嗜みの一つよ」
「弾琴唱歌ならばともかく、面相芸が嗜みというのも変わっておるな」
「そんなことはない。だいたい子供を笑わせることもできぬでは、情けないではないか」
「うむ……たしかにな」
グレシオスは頷いた。感じ入るところがあった。
戦士はただ刀槍を振り回しておれば良い、というのは浅薄な考え方である。
そのことを判ってはいてもなかなか、行為として現れるまでに到らぬ事が多いのだ。
「さて、邪魔者も始末したことであるし、儂はゆくとしよう」
「これを持ってゆけ」
グレシオスは懐から巻物を取り出して男に渡した。
「これは?」
「今朝纏めたものだ。それを見せればすんなりと領主に面会できるはずだ」
「お主の息子だな」
「そうだ。一読すれば判るように書いてはあるが、質問が出るかも知れぬ。その時は簡単な説明を加えてやってくれ。儂にしてくれたようにな」
仕方のない事だな、とでも言わんばかりに男は、ふん、と鼻から息を吐いた。
「儂を含めて呑み込みの悪い者が多いのよ。武事に片寄った者達ばかりゆえ、細かく気を回せないことがある。大目に見てやってくれ」
その中に自分も入っているのだと思いつつ、グレシオスは言った。
「随分、儂を高く買ってくれるのだな」
「お主はそれだけの力を示したではないか」
「さて」
男は苦笑いを浮かべ、首を傾げた。
「それは援兵が来てから言うべき言葉であろう」
「お主は辿り着くさ」
今はグレシオスも確信していた。
この男ならばやれるだろう。
ジャグル達は街道を進んでくるであろうから、それを上手く避けるか、または見事に虚を突いて駆け抜けるなどして突破するだろう。
そして間違いなくギルテの領主館へ辿り着くに違いない。
子供達が男とグレシオスとを取り巻いている。面相芸をもっと見せてもらいたいのであろう。
子供達の中には男のフェトゥーラを引っ張って遊ぼうとする者がいるのだが、モイラスが注意して止めさせていた。
「お主はどうするのだ?」
「村人達の判断に従うつもりだ。とどまるというのなら彼らを指揮して戦う。逃げるというなら彼らを導いて村を捨てるつもりだ。だが、おそらく村人は二つに分かれることになるだろうな」
「あまり感心はせぬな」
「儂もそう思う。しかし、逃げたいという者を無理矢理戦わせるわけにもいくまい。逆もそうだ。とどまりたいものを無理に連れ出す事もできぬよ」
「その場合、お主はどうするのか?」
「村に残る者達を指揮する。この程度の規模とはいえ、戦には将が必要だからな」
「ということは村を捨てる者達は、自力でパラケウス街道を目指さねばならぬことになる。それは難しいのではないか?」
「だがどうにもならぬさ。儂が村を捨てれば、ジャグルの前に村人だけを残していくことになる。それはできぬよ」
「ならばそれを話してやることだ。そうすれば誰一人村を捨てるとは言わぬだろうさ」
「何故そう思う?」
「ここからパラケウス街道を目指す事の意味は、村の連中の方がよく分かっておるだろうということよ。お主が村に残るというのならば、誰もがそちらを選ぶだろうよ」
「随分、儂を高く買ってくれるのだな」
今度はグレシオスがそう口にした。
「それはお互い様よ。ともかく、その話を村人にするのだな。さすればすぐに話は終わる。時は待つことなく過ぎる。のんびりしてはおられぬはずよ」
「そうだな」
グレシオスは頷き、男を伴ってヨルスやメグレイスのいる所へ歩き始めた。
ついて来ようとする子供達がいたが、それもモイラスが押しとどめた。
「あの数の子供を纏めておくのは大変であろう」
「まったくだ」
男に相鎚を返しながら大人達の方に目を遣ると、アルテーアの方は鍛冶屋のダイオンとあと数人と話をしている。猟師のイドナの姿もある。どの顔も真剣な様子だ。
おそらく、あの者達は村に残る方の話をしているのだろうと思った。
「すまぬがもう一つ話がある」
ヨルス達に声をかけた。
「先程のお話ですな」
メグレイスはすぐに察しがついたようだった。
ヨルスとタデアスが大声を上げて、村人達の意識をこちらに向けさせた。
グレシオスは再び壇上に上がった。
広場を見渡して、声を大きくして言った。
「難しい話であるから、皆もどちらにすべきか迷っている事と思う。そこで言っておく。誰もが自分の好きな方を選ぶが良い。村を去るにせよ、とどまって戦うにせよ、どちらでも良い。責めはせぬ。ただし、儂は村に残る者達と行動を共にする。逃げる者達よりも戦う者達の方が、より大きく儂の力を必要とするであろうからだ。そこのところは判ってもらいたい」
言葉を切った。何か質問があがらないかと思ったからである。
「御領主様は村を捨てないと仰るんで?」
一人の男が手を挙げて言った。
「そうだ」
正確には村を捨てないのではなく、村人を捨てないのだが、この際、細かい違いを問題にしても仕方がない。
「悪いがパラケウス街道を目指す者達にはついて行けぬ」
村人達は騒然となった。どうやら意外であったようだ。
グレシオスの身体は一つしかないのだから、村が二つに割れた場合は、どちらに属するかを選ばねばならぬ。
そんな当然の事が、村人達の頭には今まで上らなかったらしい。
グレシオスからすれば呆れるような話であるが、一般の村人に、系統立てた考えを期待するのは酷な事なのかもしれなかった。
「逃げる者達はパラケウス街道を目指すだけであるゆえ、何とか自力で頑張ってもらいたい。馬も全て連れて行って構わぬ。道が分からぬと言うのならば、今簡単な地図を描いて渡そう。厳しいようだが儂もタデアスも、村に残る者達を守って戦わねばならぬのだ」
グレシオスは壇を下りた。
「これで村を出て行こうという者はいなくなるであろうよ。それが良いかどうかは、分からぬがな」
とグレシオスに向けて言う男に、
「少なくとも老人や子供にとっては良い事でありましょう」
答えたのはメグレイスだった。
「長神官殿はそう考えるか?」
グレシオスが問うと、
「はい。どれだけの数が村を離れるかはともかく、道なき道程。常に馬に乗って進めるわけもありません。ここからパラケウス街道まで出るのに、少なくとも三日は掛かるでしょう。途中で宿る場所も自分たちで作らなくてはなりません。まず、男衆以外は全滅でしょうな」
「……それほどに厳しいか」
グレシオスの予想を超えている。村から与えられるだけの物を持たせ、馬を全て与えて出発させてもそうなるか。
やはり己も所詮は武人、戦の専門職としての経験から物事を考える癖が付いているとみえる。
一般の人々というのは、考えるよりも遥かに機動性に乏しく、運用の纏まりに欠ける存在なのだろう。
しかし、そうであってもやはり村を離れるわけにはいかないだろう。
ジャグル達は来る。間違いなくナウロス村を襲ってくる。
全員が村を離れるのでない限り、自分は残って戦わねばならない。
「とにかく、今暫く待つ。結論が出たら教えてくれ。儂はこの御仁を村の入口まで見送ってくる」
「はあ」
メグレイスは曖昧な返事をした。
「こちらの御仁はギルテまで行かれるそうだ。援兵の要請を届けるためにな」
グレシオスが補足すると、メグレイスが息を呑む気配が伝わった。
「この状況でギルテへ向かわれるのですか?」
男に問う。
「いかにも」
何でもないように男は答えた。昨夜グレシオスに笑って答えた時と同じである。
「こちらの御仁はただ者ではない。必ずやギルテに我等の危機を伝えてくれるだろう。だからそれまで持ち堪えれば良いのだ」
もちろん、持ち堪えられるかどうかは分からぬが。
グレシオスはその言葉を口にはしなかった。
メグレイスは疑いを持っているというよりむしろ、状況についていけないという感じで、
「ならば、そのことも村人達に伝えた方が良いのではないでしょうか?」
と言った。
「それはそうだな。だがその事は長神官殿に任せよう。儂はこの御仁を見送る事にする」
「かしこまりました」
メグレイスは頭を下げた。
グレシオスは男と一緒に青毛の馬を連れ、広場を後にした。
誰もついては来なかった。
タデアスを含め何人か気配は見せたが、グレシオスが目を向けると、そこで足を止めた。
ついて来るなと制したつもりはない。ただ目を向けただけだった。
しかし男の見送りを静かなものにしたいという気持ちはあったから、それが目に現れたのかも知れぬ。
いずれにしても、男を見送るのはグレシオスただ一人であった。
村の入口に着いた。
「本当に弓は要らぬのか? 館に着いた時に誰かに返してくれればいい。あれば役立つ事もあろう。持っていってはどうか?」
グレシオスが弓を差し出すと、男はやや考えた様子だったが、
「ふむ。ならばそうしよう」
と言って弓を受け取った。この男の事だから、騎射の術にも長じていると思われる。
どういう仕方でジャグル達を突破したり、またはやり過ごしたりするのかは分からないが、弓を持っていれば、それで助かる事もあるかもしれない。
グレシオスは空を見上げた。霽れている内には入るであろうが、どこか心許ない天気である。昼を過ぎれば、崩れてくるかも知れぬ気配だった。
「急いだ方がいいかも知れぬな」
「うむ」
男が無事ギルテの領主館に着くまでには、どれほど急いでも一日はかかるだろう。
通常ならば三日の距離なのだ。何らかの形で道を迂回するなどすれば、もっとかかるに違いない。
ジャグルの群が村に着くのは、おそらく今夕から夜半にかけての頃であろう。
戦闘がどれだけ続くかは判らぬが、ギルテの援兵が来るのは、早くともおそらく明日の夕方頃になるだろうから、それまで持ち堪えなければならぬ。
厳しい戦いになるだろう。
雪は降るだろうか。もし雪が降れば足場の問題、そして何より吹雪の問題がある。
もっとも吹雪となればジャグル共とて自由に動き回ることなど出来まいが。
いずれにせよ厳しい戦いになる事は間違いない。
「ではな」
「おう」
すがるい動作で、男は馬に跨がった。
「お主の名前は後日館で聞くことにしよう」
グレシオスの言葉に、男はにやりと笑うだけだった。
ウェムノンの帽子を被り直すと、
「恐れるな。お主には力がある。不安に眼を曇らせてはならぬぞ。たとえゴロドがいてもそれに気を取られてはならぬぞ。ゴロドとて、決して斃せぬ相手ではない。昨日も言うたが、大切なのは判断を誤らぬことだ。心を澄ませ、冷静に状況を見定めることよ」
諭すようにグレシオスに向けて言った。
「まるで若武者に言うような口振りであるな」
グレシオスが不満げに言うと、
「はは、怒るな。先程も言うたが、お主よりも儂の方が髭の長さで勝っておる」
そう言って笑った。
それが男なりの婉曲な激励である事は、グレシオスにもすぐに判った。
こそばゆいような感じがして、グレシオスは面を伏せた。にやけた顔を男に見られるのは恥ずかしかった。
「イスターリスの裔たるレオンティウスの息子、堅忍不抜の勇者グレシオスよ――」
あの懐かしい、古風な呼びかけが頭上から降りてきた。
グレシオスは馬上の男に目を向けた。鍔広の帽子が影を作っている所為か、顔がほとんど見えない。
「このような場所でお前は死ぬことはない。お前の死は、戦場を遠く離れた場所で訪れるであろう。お前はそのとき真の安らぎを知ることになるであろうよ」
厳かさを感じさせる声で、男はそう告げた。予言であった。
「……お主は予言の真似事もするのか?」
特に周囲が明るいわけではない。
にもかかわらず、グレシオスには男の姿が良く見えぬような気がした。
フェトゥーラと帽子が作り出す影の中で、男の姿はゆらめき、まるで切り取られたようにその形が目に入ってこない。
「さらばだ」
一言別れを言うと、男は馬を歩ませた。替え馬がそれに続く。
馬の集団はすぐにだく足になった。
声をかける間もなく離れてゆく。
男の背中が見える。深い青のフェトゥーラに、鍔の広いウェムノン帽。
逞しい背中である。見事な肩をしているのが判る。
朝の滲みるような光の中、男の姿はすぐに遠ざかり、やがて見えなくなった。