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雪刃  作者: 琴乃つむぎ
3/17

第三章 過去

 ヨルスはせた小柄な老人であるが、肝はわっている。元猟師であるから目も良い。

 今でも時折ときおり、弓をたずさえて狩りに出掛けることもある。

 それは獲物を仕留しとめるよりも気散きさんじが目的であるようだが、腕は確かで、時々グレシオスの館にも射落とした鳥や、わなで捕らえたうさぎなどを献上けんじょうに来ることがある。

 齢はグレシオスよりも幾分上である。白い髪は短く刈り込んであり、ひげも伸ばしてはいない。そのため村長と言うよりも、現役の老猟師のように見える。

 猟師の多くがそうであるように寡黙かもくな男であり、人の言葉よりもむしろ鳥獣の言葉、山や木々や湖水のささやきをよりよく解するような雰囲気がある。

 今もグレシオスの前に膝を着き、意志の強そうな青い眼を向けて、その話をじっと聞いているのだった。

 グレシオスは要点をまとめ、できるかぎり分かりやすく話をした。

 ナウロス村に脅威が迫っていること、戦うか、それとも逃げ出すかの決断をせねばならぬこと、敵の規模はジャグルが三十匹以上であること、などである。ゴロドが混じっている可能性があることを告げると、ヨルスのおもてにもさすがに緊張が見えた。まさかゴロドに遭遇したことがあるとは思わぬが、その恐ろしさを伝え聞いてはいるのであろう。

「それと、今この村に渡りの猟師は滞在しておるか?」

「いえ、今はおりませぬ」

「そうか。では村の猟師の中でもっとも目が良く、馬術に巧みな者をここに寄越よこすのだ。これは今夜中にやってもらいたい。なおその者も含め、他の村人にも、今(わし)が話したことを教えてはならぬ。そして明日の朝一番で、村人全てを広場に集めておくのだ。儂がそこへ出向いて説明する」

「かしこまりました。大殿おおとのおっしゃるようにいたします」

「頼んだぞ」

 ヨルスは深くうなずき、立ち上がると、一礼して下がっていった。

 さて、村人はともかく、これから来る猟師には偵察の注意点を教えるなどの仕事が残っている。

 村人とは違い、グレシオスは今夜は眠れそうになかった。

 今夜はまだ村人に事件を知らせず、話を伏せるようヨルスに命じたのにはわけがある。

 村人は兵士ではない。正規の訓練を受け、心技をっている戦士たちではないのだ。

 一日の仕事を終え、平和に眠っているところを叩き起こし、急を知らせたところで機動的に動けるとは思えない。

 もっとも村人を叩き起こすことで、大きく時間が稼げるのならば、グレシオスも今夜の内に行動を起こしたかもしれない。

 だが、いかんせん時間がなさすぎる。

 連中が到着するのは早くても明日の夕方、おそらくは夜であろう。無理をしてわずかな時間をかせいだところで、どうなるものでもない。

 今すぐ村を捨てて逃げるにしても、この寒さと暗闇の中を進むことになる。

 その苦労と危険を考えると見合わぬし、戦闘の準備をするにしても、今から朝までの時間では何程なにほどのことができるとも思えぬ。

 ならばむしろ今夜はゆっくりと休ませて、明日の日が昇ると同時に行動した方が良いだろうと考えたのである。

 時間は惜しいが、それが正しいと信じた。これが愚かな判断であったかどうかは、あとではっきりするであろう。

「結局どうするのだ?」

 タデアスも下がり、二人きりになると、男はグレシオスにそう尋ねた。

「偵察を出す」

「それでゴロドがいた場合はどうするのか?」

 グレシオスは言葉に詰まった。だが、もしゴロドがいるとなれば答えは決まっている。

「すぐに村人をまとめて村を捨てる。パラケウス街道を目指して西に向かうことになるな」

「ほう……」

 男の声には失望の色が感じられた。

「セウェルス族の長、グレシオス・イオニス・セウェルスとも思えぬ言葉だな」

 男はがっかりしたように言った。ちくりと刺すような怒りをグレシオスは感じたが、今はそんな感情に振り回されている場合ではなかった。

「……失望するのはお主の勝手だ。儂は村人を守らねばならん」

「戦うという選択もあるではないか」

 妙に冷えた感じの声であった。

「今は冬ぞ。ここからパラケウス街道まで、道も使わず歩かせる気か?」

 老人も、子供も。

 男の言葉には、言外にそういう意味が含まれていると思った。そして、それで間違いはあるまい。

 閉じられた窓の向こうには、今だって雪が降っているかもしれないのである。

 雪が降れば少しは暖かくなる。それはいい。

 だが問題は風だ。折角の雪も吹雪になれば死神と化してしまう。

 つまりは冬の老人(ザヒーラ)であるが、雪にはそうした有り難さと恐ろしさが同居しているところがある。

 晴天の寒さも滲みるようにこたえるが冬の老人(ザヒーラ)とは比ぶべくもない。そしてこのデルギリアでは吹雪はよくある事なのだ。

 日が昇れば足元の見通しは良くなる。太陽神アクシオーンが天を横切っている間は、幾分寒さもましにはなる。だがここからパラケウス街道までは、一日では辿り着けないだろう。

 何日かかるだろうか? それは馬の数や荷物の具合などにも左右されるだろう。

 冷静に考えれば村人を連れて、しかも道を使わずに踏破とうはできる距離ではない。

 心理的な負担、体力的な負担、それに加えて寒さという難敵を相手にしなければならぬ。

 街道に着いた時にどれだけ人数が減っていることか。

「だがゴロドがいたら何とする? またはジャグルが予想を超えて集まっていた場合は?」

「どちらにしても殺せばよい。小村とはいえここはイオルテスの、デルギリアの村であろう。それなりの武器も、戦える男もそろっているはずだ」

 グレシオスは天をあおぎたい気持ちになった。

「……お主は、ゴロドの恐ろしさを知らぬとみえる」

 だがそうせずに、あきれたように吐き捨てるにとどめた。

「知っているとも」

 男は口のをわずかに曲げた。

「そうは思えぬがな」

 もし本当にこの男がゴロドを理解していたら、あの法外な腕力、戦闘力を知っていたら、戦えなどと言うはずがない。

「思うにお主はゴロドを警戒しすぎてるようだな。いや、恐れていると言った方が良いかもしれん」

 男の言葉に、グレシオスはまたも怒りを覚えかけた。

「ゴロドをたおすには兵が居る。正規の訓練を受けた兵がな。この村にはそんな者はおらぬし、何よりゴロドが複数いた場合はどうするのだ?」

 が、なんとか抑えてそう尋ねた。

「だから偵察を出し、その上で行動を決めるか……」

 そうなのだ。つまるところは男の言うように偵察を出し、状況をつかまなければならない。

 グレシオスの言う事を理解したのか、男は立ち上がった。暖炉の火に照らされた影が、大きく伸びた。

 どこをねぐらにしているのかは分からぬが、今日はこれで帰るつもりなのだろう。

わしの判断が気に食わぬようだな」

「そうではない。ただもう少し考えてみるべきではないかと思うだけよ」

「……今日はここに泊まってゆけ。村を出るのは明るくなってからの方が良いであろう」

 これはグレシオスからの、せめてもの気遣いであった。

 旅人である男には、村人たちと行動を共にする理由はない。

 一人の方が身軽であるし、明日の朝一番で出発して西に向かえば、無事にパラケウス街道に辿り着けるだろう。

 それだけ告げると、グレシオスは部屋を出た。

 自室に戻って休むつもりだったが、どういうわけか、足が武器庫の方に向いた。

「大殿」

 途中、あかりをかかげたタデアスに会った。

「お休みになりますか」

「ああ。だがその前に武具を見ておきたい」

 タデアスの表情が引き締まった。

「……いくさをなさるおつもりですか」

「さてな……それはゴロドが居るかどうかにかかっておるな」

 タデアスは無言でうなずいた。

「もうすぐ村の猟師がここにやって来る。来たら知らせてくれ。それがすんだらお前も休め。明日は忙しくなるぞ」

「はい。かしこまりました」

 タデアスの手から燈りを受け取り、グレシオスは武器庫へ向かった。

 通常、貴族の館にあっては武器庫は別棟を建てて、その中に武器を収蔵するものだが、この館を建てるにあたり、グレシオスはそうせず、屋内の空いた一室をそのまま武器庫に利用してある。

 隠居所であるし、武器庫と言っても事実上の『思い出倉庫』であるから、わざわざ別棟を建てるまでもないと考えたからである。

 入り口に立って燈りをかざすと、揺らめく光に照らされて武具類が浮かび上がった。

 壁に沿って整然と並べられた槍や刀、横に休ませた弓、たばねられた矢がある。

 リオプの下に着ける帷子かたびらなども、綺麗に畳んで棚の上に重ねてあった。

 リオプというのは幾重いくえにも革を重ね、鉄鎖てっさを縫い込んだ外套型のよろいであり、言うならば鎖帷子くさりかたびらである。

 王国の貴族はリオプを正規の甲冑かっちゅうとしている者がほとんどであるが、沿岸部の貴族などは鱗甲りんこうを身につけている者もある。

 なおここ百年くらいだと思うが板金鎧ベゼルメダなるものが現れてきた。鉄板を叩き伸ばして作った鎧であり、これは体に掛かる重さが分散されるように出来ている。

 大変に良い物だと聞こえてくるが当然安い物ではない。加工の手間もさることながら、甲冑は個人個人の体格に合わせてしつらえる必要があるからだ。

 興味はあったが、グレシオスは新たに板金鎧ベゼルメダを求めるという事はしなかった。

 セウェルス宗家の財力ならば問題なく購入できても、もはや隠居の自分には不要と考えたからだ。

 無駄遣いはできるだけ避ける。これはグレシオスにとって家訓と言ってもいい。

 しかし今にしてみると買っておけば良かったかと思う。まさかこんなところで再び甲冑を纏う破目になるとは想像していなかった。

 己の不明を恥じる他無いが、ここに立てられているリオプでも十分、戦の役には立つだろう。何と言っても長い事、グレシオスの命を守ってきてくれた鎧なのだ。

 この武器庫には二(りょう)のリオプがある。タデアスの分もここにしまってあるからだ。

 もちろんいつでも使用できるように、きちんと鎧立てに飾りつけられてある。

 盾も二(ちょう)ある。両方とも騎乗用であり、一帖は青一面に塗られ、その上に大きくワタリガラスが描かれている。これはグレシオスの盾である。

 もう一帖は青と黒とで交差四分割された中に、たがえ三本槍とワタリガラスが描かれている。これは分割図形と呼ばれる図案の一種であり、デ・オレイスと呼ばれるものである。こちらはタデアスの所有であった。

 明らかにタデアスの盾の方が複雑な構図となっているが、当然、グレシオスの盾の方が家柄の高さを物語っている。

 これはどういう事かと言うと、紋章は、その図案が複雑である方が豪奢ごうしゃな感じがあるが、一概にそうとも言えないという事を意味している。

 正規の大紋章などは、どれもみな豪華であるから、紋章の意味や歴史を知らない平民たちなどは、複雑な具象図形や、分割がなされた物の方が立派だと解釈するかもしれない。

 だが事実は逆である。

 紋章の本質は盾に描かれる部分である。つまり、余計な装飾をぎ取った本質の部分がそこに表現されているのである。

 紋章は戦場にあって貴族が、彼我ひがの識別のため、盾や肩板に描くことより始まったと言われている。

 ということは古い家ほど単純で、判別のつきやすい図柄を採用しているということになる。

 家門が分割されていく過程が、そのまま紋章の分割複雑化を表していると言っても良い。

 故に同じセウェルス氏族でも、グレシオスの紋章こそが最古のものであり、それから派生を繰り返して生まれたのがタデアスの紋章であると言える。

 さてリオプが二領あるのだから、当然、かぶとも二頭ある。

 片方の兜が、ひやりと目に入ってきた。

 金猪きんじしかざりを付けた兜である。

 ――叔父上……。

 元は叔父のしなである。叔父エウスタスは、ベルガイアの戦いで壮烈な戦死をげたのだった。

 今でも目を閉じれば、あのいくさの情景が浮かんでくる……。


   *


 クレオラの策が決まると、レメンテム軍は大混乱におちいった。

 恐慌状態だったと言って良い。

 戦場において包囲される恐ろしさは、味わった者でなければ分からない。

 彼女が立てた策自体は単純なものであった。

 正面の部隊でレメンテムの重装歩兵を支えきり、その間にイオルテスとブランディスの騎兵部隊が左右から回り込んで包囲陣を形成する。

 たったこれだけのことであるが、手持ちの兵力はレメンテムの約半数、しかも急遽きゅうきょき集めた傭兵部隊を含む編成とあっては、誰もが不安を感じていたはずだ。

 しかも、最も重要な正面の防衛に傭兵部隊を回すという。

 集められたのは西方辺境に住むヴァルゲン人の傭兵部隊だった。彼らは戦意は高いのであるが守備にもろく、持久力に欠けている。

 その上連中は、軍規を守る能力にも劣っていた。

 これはヴァルゲン人が、大概は部族単位で行動し、好き勝手に暮しているというところにも理由があるのだろう。

 適当に集合して、その場の勢いで戦闘するのならば、連中はかなりの戦力を発揮するのだが、集団行動は苦手なのである。

 要は攻撃一辺倒の突撃集団であった。それをもって最重要な正面の守備にてるとクレオラは言ったのだ。

 しかも相手にするのは、近隣諸国にその名も高きレメンテムの重装歩兵である。一糸いっし乱れぬ統率で方形陣を組み、正面から激突してくる。

 それに対して戦闘意欲はともかく、統率の行き届かない傭兵部隊をあてるというのである。

 あの時、軍議の場にあった多くの者が、クレオラの正気を疑ったのではないか。

 軍議は落ちついた空気の中で始まった。

 諸侯の内、主立った者から順に意見をべていった。王は静かに諸侯の意見を聞き、質問を発する事はなかった。

 時のローゼンディア王はメレニウス四世。後世に名が残るであろう名君の一人である。

「ゼメレス公の意見を採る。諸侯に異存はあるか?」

 クレオラがあの細い声で進言を終えると、王は即座にそう宣言した。

 見事という他ない。

 当時クレオラは領内の治政三年目、普通ならばそろそろ領主としての仕事にも慣れ、安定してきた頃であろうが、まだまだ新米である。

 女性である事は関係ない。ゼメレス族では女性が表向きのこと、つまり対外的なことの一切を取り仕切るのが普通だからである。それは遥かな昔からの決まり事であって、いくら他の氏族からは変わって見えたとしても関係が無い。

 どの氏族にも独自の風習や仕来しきたりというものがある。それは他氏族が異を唱えるような事柄ではない。無礼に当たるからだ。

 だから何かの事情があるのでもない限りは、ゼメレス族では女性が家長に立つのが当たり前なのである。

 しかし、何と言っても実際に刀槍を振り回すのは男である。

 ローゼンディアに女戦士が居ないわけではないが、やはり戦場いくさばは男の独壇場と言って良い。

 ゆえに女性の意見はどうしても、門外漢の意見として取られてしまいがちになる。

 加えてまだ若い新米領主の意見とあれば、誰もがその話を真面目に取り合えるわけではない。

 人には先入観という問題がある。

 あの時もそうであった。重要な軍議であり、王国の生死を分ける決戦になる可能性もあった。それは諸侯いずれも承知していたはずだ。

 だがそんな帷幄いあくの中にあっても、クレオラの話を面白くなさそうに聞いている者が多かった。

 所詮は若造、聞くほどの意見ではない――。

 そのように考えていたのだろう。

 それだけに、王の決断は諸侯の度肝どぎもを抜いたと思う。実際、グレシオスも驚愕きょうがくしたのだ。

 セウェルス宗家の家長とはいえ、叔父に支えられての立場である。若輩じゃくはいであることはわきまえていたから発言もしなかった。

 クレオラも似たような年齢だったから、場の雰囲気は察していたはずだ。

 にもかかわらず滔々(とうとう)と自分の考えを語った。

 立派な行為である。

 だがやはり、真面目に取り合う者は少なかっただろうと思う。

 しかし王は、クレオラの意見の価値を正確に見抜いたのだ。

 即座に裁可さいかを下した王に対し、意見を陳べたのは二人だけであった。

 一人はヘカリオス公デュレス。

 王国の西部、ロスメニアのブランディス地方に所領を有する領主であり、角持つ一族の西の宗主、栄えある狩猟神の末裔(ダルフォイヘーレイ)である。

 つまりゼメレス家とは縁深く、その始祖神は同じになる。

 両家の始祖は狩猟神ダルフォースの子供たる、双子の英雄フォルスとダナディイアであった。

 ヘカリオス家はフォルスを、ゼメレス家はダナディイアを始祖としているのだ。両宗家は互いに鉄弓と大釜を分け合う名族である。

 ヘカリオス公の領地であるブランディスは開けた平原地方であり、今回レメンテム帝国軍が上陸してきたアズベルタ地方とはロスメノン山脈を挟んで北側に位置している。

 公自身を含め、西部地域の貴族達が抱く危機感は大きかったに違いない。

 この頃ヘカリオス公は四十才前後だったと思う。

 西部人らしい金の巻き毛を長く垂らしており、鼻の下には見事に整えられたひげたくわえていた。

 身の丈もあり肩幅も広く、聞くところによれば騎射きしゃの技に秀でているという事だった。

 とはいえヘカリオス家の当主が弓術に劣るなどとは、まず考えられない事ではある。

 ヘカリオス公は王国貴族の名に恥じぬ偉丈夫いじょうぶであったが、どことなく優雅さがあり、武将と言うよりもむしろ教養人という雰囲気を持っている人だった。

 今にして思えばヘカリオス公は、クレオラの天才を知っていたのではないか。

 でなければ彼の賛成が納得しがたい。ヘカリオス公は王に続いてすぐに言ったのだ。

「私もゼメレス公の意見に賛成いたします」

 と。これはさすがに同族のよしみで片附けられる問題ではない。

 続いて意見を陳べたのは、叔父エウスタスである。

 叔父の意見は自然なものだった。つまり守備力統率力に欠けるヴァルゲンの傭兵達を、何のゆえをもって、最も重要かつ重荷になる正面守備に回すのか?

 しかもその後ろは王の本陣である。

 突破された場合、王が危険にさらされることになるのである。

 ところがクレオラは問題ないと言うのである。

「本陣には私が兵を置きます」

 そういう問題ではない。問題はあの規律のないヴァルゲン人を、どう統率して戦わせるかという事にあるのだ。

「彼らには一つのことしか命じません。それを守れないということはないと思います」

 守れなければどうするのか?

督戦隊とくせんたいを置きます」

 それで諸侯の顔色が変わった。嫌そうな顔をする者が幾人かあった。

 督戦隊とは兵を励まし、戦わせる部隊の事であるが、早い話が逃げてくる味方を殺すのが仕事である。

 退却封じの部隊であり、それを好きだという者など、まずいないのであった。

「守備の兵が足りぬとあれば、同盟のヴァルゲン王を加えましょう。ヴィルモーシュ王などがよろしいかと思います」

 この発言も場の諸侯を驚かせた。あきれたようなささやきさえ起こった。

 ヴィルモーシュ王はローゼンディアの近くに支配地を持つ、ヴァルゲン人の王である。

 なおヴァルゲン人とは、ローゼンディアの西北方に住む人々である。

 宏大な範囲に幾つもの部族や氏族が存在しており、それぞれに首長や王を立てている。

 ヴィルモーシュはそんな王達の一人であったが、過去にローゼンディアと戦ったことがあった。

 しかも裏切りである。

 今回のいくさではローゼンディアに味方すると宣言しているが、いったいそのはらの内がどういうものなのかなど、まるで見当がつかぬ。

 土壇場どたんばでレメンテムに寝返る可能性は十分にあると言えた。

「彼は裏切りません」

 クレオラは断言した。

「もしここでローゼンディアが破れれば、彼にとっては非常にまずい事態となるからです。彼は目端めはしの利く男ですから、その辺は良く承知しています。少なくともこの戦の間は真面目に我々の味方をしてくれるでしょう。ですから重要な役目を割り振っても問題はありません」

 要するにヴィルモーシュに精々(せいぜい)働いてもらおうということだった。

 奴にとっては命懸けだが、この事に関しては当然、王を含めて諸侯誰一人、異議を差し挟む者はなかった。

 あのレメンテムの重装歩兵の正面に立つというのは、相当な覚悟と実力、そして何より神々の加護が必要だ。

 よりにもよってヴィルモーシュに神の加護が与えられるとは思えなかったが、それは諸侯いずれも同じ意見であったらしい。

「それにしてもヴィルモーシュは我等が大神方の御加護を受けておらぬはず。一体どこの神に祈るのでしょうな?」

 ヘカリオス公が不思議そうに言うと、軍議の場に笑いが起こった。

 それで緊張がほぐれたのか、その後、諸侯の配置は速やかに決まっていった。

 やはり諸侯の不安は正面の部隊の構成と、その防禦ぼうぎょ能力にあったようだが、クレオラが強調したのは、むしろ左右に展開した騎兵部隊であった。

 とにかく騎兵部隊がいかに早くレメンテム軍の背後に回り込むか。

 本陣から見て右の部隊は、主にイオルテスの戦士達で編成された。

 その中心はセウェルス族の軍であり、つまりグレシオスとエウスタスが右騎兵部隊の総指揮をつかさどることになった。

 左の騎兵部隊はヴァルゲン人達との混成部隊であり、ヘカリオス公デュレスが司どることになった。

 騎兵戦の決着を出来うる限り速くつけること、正面に立つ守備隊は敵を倒さず、その場に釘附けにすること。

 この二点が作戦の要諦ようていであった。

 諸侯が心配していた正面の部隊に関しては、ヴァルゲン人部隊の背後に精強な歩兵部隊を並べた。

 まず王を中心にゼメレス公クレオラの部隊。その左右にそれぞれ海神の末裔(ゼフルヘーレイ)のグライアス公、鍜治神の末裔(ロンディムヘーレイ)のアラルコス公を配した。

 いずれも七宗家を占める名族である。

 七宗家の最後、嵐神の末裔(ドヌスヘーレイ)のエンデュオス公は、左の騎兵部隊に加わってヘカリオス公の指揮に従う事になった。

 それ以外の諸侯達は、各自が連れてきた兵の編成を規準に、それぞれが七宗家の部隊へと振り分けられた。

「この戦は速さが命。成否せいひはヘカリオス公とセウェルス公、エンデュオス公が握っておられます。そのことをくれぐれもお忘れなきよう」

 軍議を解散して天幕を出るとき、クレオラは特にグレシオス達、騎兵部隊の諸侯を呼び止めてそう言った。

 あまり心配をしているという風ではなく、かと言って励ましている風でもなかった。

 クレオラは、あのどこか眠そうな印象を与える眼で静かにグレシオス達を見て、淡々と言ったのだった。

「承知しておるさ」

 ヘカリオス公は白い歯を見せた。

婿殿むこどのにも期待させてもらう。では」

 草色のフェトゥーラをひるがえし、ヘカリオス公は自分の陣へと去っていった。

 婿殿、というのはグレシオスのことだった。

 この戦が終わった後に、グレシオスはヘカリオス公の娘ディフォネと結婚することが決まっていたからである。

 どう答えて良いものか迷って叔父に目を向けると、叔父は無言で両眉を上げて見せた。

 さて……困ったものだな。

 言葉にすれば、そんな気持ちだったのかもしれなかった。

 エウスタスとグレシオスがひきいてきたのは、デルギリアの兵達だけではない。

 イオルテス地方を抜けてくる間、途中で集められる兵は出来るだけ加えるようにしながら、王都まで駆けてきた。

 東部イオルテス地方は高原地域であり、東はそのままトゥライ高原へとつながっている土地である。

 デルギリアはその中でも東北部にある。東のトゥライだけでなく、北のヌーガも警戒しなくてはならない。王国のまもりとして重要な土地なのだ。

 その兵は強悍きょうかんであり、王国でも最強の騎兵部隊を有する地域なのである。

 馬(はや)きイオルテスと人は言う。

 それはまさに、デルギリアにこそ当てまる言葉である。

 セウェルス氏族の騎兵部隊は、その強力さを周辺諸国に知られているのだ。

 いくさはクレオラの想定どおりに進んだようである。

 レメンテムの重装歩兵の激突を受けたのはヴァルゲン人傭兵部隊と、ヴィルモーシュなどの同盟の王達だった。

 ヴィルモーシュ以外の二人の王も、やはり損得勘定であちらに付いたり、こちらに付いたりという節操のない連中であったから、最前線に配置するにあたっても、誰からも同情の声は出なかった。

 ただし彼らの戦闘力に対する疑問の声は出た。

 だがそれも問題なかろうということで落ちついた。

 何しろ後ろに我が軍、前にはレメンテム帝国軍という状況なのだ。

 戦闘が始まれば、必死に戦う他はない。

 もし彼らが総崩れになっても、レメンテムの軍列が巻き添えを食うことは間違いない。

 その時はそこを、後方に控えた我が軍が襲いかかる。

 レメンテム軍はその激突力を減殺げんさいされているはずである。ヴァルゲン人部隊との戦闘で、鉄壁の戦列を乱しているからである。

 対して我が軍は無傷である。あとは味方の騎兵部隊が、敵軍後方に回り込むまでの時間を持ちこたえればよい。

 または期待通りにヴァルゲン人達が必死に戦って、レメンテム軍を食い止める事に成功すれば、通常どおりに策を運用するだけである。

 どこまでもヴァルゲンの兵を使い捨てにすることで成立してるこの作戦は、レメンテム帝国やヴァルゲンの王達から見れば悪辣あくらつと言う他ないものであり、少し考えればその仕組みが誰にでも判るものだった。

 未だにグレシオスが不思議なのは、クレオラが一体どうやってヴァルゲンの王達を納得させたのかという事である。

 あの内容では、作戦の説明をする過程で文句が出ないはずは無いのだが……。

 ともあれ作戦は決まった。

 そしていずれにしても騎兵戦の決着が、この戦全体の趨勢すうせいを決めるというわけだった。

 正面を守備するヴァルゲン人達に対して、クレオラが下した指示は単純であった。

「各自決して前進してはならぬ。持ち場を離れず、その場で戦うべし」

 これだけである。

 一方味方のローゼンディア重装歩兵には、それを指揮する諸侯に詳細な注意を与え、王の本陣からクレオラ自身が全軍を掌握しょうあくする体勢になっていた。

 何せ戦は生き物であるから、始まってみなければ判らない。

 その都度つどその都度、臨機応変に情勢を判断して指示を下す敏捷性びんしょうせい、いわば反射神経と、何より天与てんよの勘とでも言うべきものが、将にとって必須の条件なのである。

 そしてこの点においてもクレオラは傑出していた。

 ヴァルゲン人達の戦列が、ぎりぎりで崩れ始めるかどうかというタイミングで、軍を動かしたらしい。

 実際に見たわけではないが、そういう話だった。

 その頃グレシオス達の騎兵部隊は、レメンテムの騎兵部隊と激突していたのだ。

 喊声かんせいこそ耳に聞こえ、遠目にも大軍の激突が見えてはいたが、我が軍は敵の正面突破を許さなかった。柔軟に陣形を変化させ、レメンテム軍を包みこむようにしつつあった。

 後に聞いた話では、この時突出してきていたのはレメンテムの将軍、バロネが率いる歩兵部隊であったという。

 当然、バロネはこの戦で戦死した。

 グレシオス達イオルテスの騎兵部隊が相手にしたのは、将軍ウーベルト率いる騎兵部隊であった。

 敵騎兵部隊を目にしたときの興奮は忘れない。

 レメンテム騎兵は真紅の飾兜かざりかぶとかぶっている。おかしな話ではあるが、それが花のようだと思った。

 土煙の向こうに赤い花が幾つも咲いていた。鉄のとげで身をよろった赤い花だった。

 対してグレシオスの周囲は青の軍装であった。

 デルギリアの戦士達はイスターリスの末裔である。ワタリガラスの徽章きしょうを身に着け、青いフェトゥーラを羽織はおっていた。

 視線の先には赤花しゃっかの如き人馬の列、耳をろうする人馬のとどろき。

 味方から、古代ヴォルグヘル族の雄叫おたけびがあがった。

 グレシオスも叫んだ。天を駆けているような心地がした。

 ――飛び越える神よ。

 ――忿怒ふんぬせるイスターリスよ。

 槍の届く距離まで来たとき、一斉に味方が槍を投じた。レメンテム騎兵の上へと、雨のように槍が降った。

 投擲とうてき直後に抜刀ばっとうした。そして、激突した。

 土煙の中、盾の裂ける音、鉄と肉が断たれる音、怒号と絶叫とが馬蹄ばていの轟きに重なりあい、津波のごとく耳を打った。

 ――何も聞こえぬ。

 いや、一つだけ聞こえる音があった。

 己の心臓の鼓動だ。

 その音だけは、確かに聞こえた。いや感じた。

 そして心臓の音に耳を傾けるとき、グレシオスは不思議な静けさを体験した。

 耳が壊れるほどの大音響である。静かさなどあるはずもない。

 にもかかわらず、グレシオスは己の周囲に静謐せいひつさを感じた。

 音はなく、血の臭いも感じなかった。ただ人馬の動きだけが、異様なほどにはっきりと目に入ってきた。

 いや、音も臭いもあることは判っていた。ただそれが届いてこない。気にならない。

 奇妙な感覚であった。

 静かであった。

 ――極まった轟音ごうおんは、静穏せいおんさに等しい。

 後になってそう思ったことを、憶えている。

 爆発する音の本流の中、生と死とが、周囲至る所で炸裂さくれつし、人の命が火の粉のように燃えて散った。次々と目の前に現れる騎馬武者を、切っては捨て、切っては捨てた。

 湯のように熱い血が左右から体を打ったが、それよりなお己の体は熱く、熱せられた石のように感じた。

 こうなると、後はひたすら目の前の敵兵を殺し続けるのみである。指揮など考えている余裕はなかった。

 グレシオスが戦場における指揮や、状況の把握などの能力を磨く契機けいきになったのはこの戦であるが、それは叔父エウスタスをうしなったからである。

 そのことが将としての成長をうながしたとはいえ、グレシオスにとっては大きすぎる代償だった。

 戦いが始まってどれほど経ったのか。

 ようやくレメンテムの騎兵部隊を討ち破り、敵重装歩兵の背後へと、大きく回り込んだ頃の事だったと思う。

 ヴァルゲン人の傭兵部隊を指揮するため、正面に立っていたヘカリオス公デュレスの部隊が敵に呑み込まれそうになっていた。

 クレオラの包囲陣が完成し、敵は大混乱であったが、味方とて、落ちついていたとは言えなかった。

 そもそも戦場では大まかな味方の動きを目で追って、後は現場の勘で動くものである。あらかじめ作戦があろうが無かろうがこれは変わらない。

 ヘカリオス公の周辺では、恐慌をきたして総崩れになる敵と、我先われさきに襲いかかろうとするヴァルゲン人達の騎兵部隊とが入り乱れていた。

 時折、敵兵の一角が吹き飛ぶように崩れるのが目に入った。

 肉と甲冑を砕き散らしながら敵兵が宙を舞う。

 ――あれが音に聞こえし鉄弓てっきゅうか。

 狩猟神の末裔(ダルフォイヘーレイ)に伝わる聖遺物。則ち伝説の武具である。

 聞きしに勝る威力であったが、如何いかんせん戦場が乱れすぎている。ヘカリオス公の周囲はひどい乱戦状態であった。

 無論ヘカリオス公も、領地から連れてきた重代の家臣達に守られてはいた。

 だがその騎兵部隊にしても、高速で駆け抜けての戦闘を重ねてきたためだろう、かなり厚みが薄くなっているようだった。

 グレシオスの周囲にしても多くの兵がしたがっていたわけではない。部隊は大きく伸びていた。

 そもそも包囲陣を作るように兵を動かしているのだから、厚みが減るのは当然でもあった。

 その上でヘカリオス公は、より統制の利かぬ兵達を指揮していたのだから、自身が突出しすぎたのかもしれなかった。

 嵐神の戦斧せんぷが遠くに見えた。

 あれは雷霆らいていを表す、嵐神の末裔(ドヌスヘーレイ)の旗印。

 騎兵と戦車を率いるエンデュオス公は、ヘカリオス公の救援に向かおうとしているようだった。

 だが遠い。グレシオスの位置よりもさらにヘカリオス公の軍勢からは離れていた。

 貴族たる者、戦場で先頭に立つのは当然である。

 しかも頂点に位置する七宗家の者が、兵の後ろに隠れるなどあってはならぬ事である。

 それゆえ叔父もグレシオスも、常に先頭を駆けた。名誉ある貴族ならば当たり前の行為である。

 ヘカリオス公もまた名誉ある者だったのだろう。その結果窮地に陥ったのだが、それも運命、あとは力の限り戦うのみである。

 公の周囲を固める家臣達も死を覚悟していたのであろう、すさまじい戦い振りであった。

 遠目にそれが見えた。どれほど見ていたのか。それは分からない。

 近くに騎馬が寄せられる気配でそちらを向くと、返り血を全身に浴びた叔父が、肩の周りから湯気を立たせていた。

「ヘカリオス公が……」

「分かっている」

 叔父は短く答えると、持っていた槍を捨てた。折れていた。すぐに近くの騎兵が駆け寄ってきて、新しい槍を差し出した。

「花嫁の父親が不在というのは恰好かっこうがつくまい」

 兵から新たな槍を受け取りながら、叔父はグレシオスに言った。

「兵の指揮は任せた。この包囲を崩さぬようにせよ。余計な考えは起こさず、ゼメレス公の指示を守る事だけを考えよ」

「無茶です」

「やってみねば判るまいよ」

 いつもどおり頼もしげな様子だった。だからグレシオスは強く制止することができなかった。

 危険なことは分かっていた。両軍が入り乱れ、激烈な殺し合いが展開されていた。おめき声が雷雲のように響く中、土煙がうずを成していた。

 ヘカリオス公の部隊は渦の中心に位置していた。取り巻くレメンテムの層は厚く、それを突き抜けていくだけでも容易ではないのだった。

「心配するな。必ずヘカリオス公はお救いする」

 いつものようにグレシオスの肩に手を置き、叔父はわずかに微笑ほほえんだ。

 いい笑顔だった。

 制止すべき言葉は、それで何も言えなくなってしまった。

「……御武運を」

 グレシオスのつぶやきに、叔父は無言でうなずいた。力強い青い瞳。決死の覚悟を固めていたに相違無い。

 そうして叔父は僅かな騎兵だけを連れ、死地におもむいていったのだ。


 返り血にいろどられた青いフェトゥーラをひるがえし――。

 誇らしく槍をかかげ――。

 つきしたがう勇士たちもまた同じように――。


 それが叔父エウスタスの生きた、最後の姿だった。


 耳の奥によみがえる古代ヴォルグヘルの戦士の雄叫おたけび。

 鼻を突き刺す血と土の臭い。

 嫌な予感に胸押しつぶされそうになりながら、見送った遠い記憶。


   *


 思いもかけず叔父の思い出がよみがえってきて、グレシオスは胸が苦しくなった。

 大盾に載せられて戻ってきた叔父の姿が思い出された。

 辛かった。身を引き裂かれるほどに。

 ――叔父上、あなたは偉大でした。ヴェルデスの血を引く勇者として、その名に恥じぬお方でした。私など、叔父上の足元にも及びませぬ……。

 偉大な叔父はきっと、父祖たちのいます勇者の館で、他の御先祖方と酒でもみ交わしておられるのだろう。

 あの偉大なエウスタス・クティス・セウェルスが、勇者の館に席を与えられぬことなど、あるはずがないのである。

 それにしても時の流れは……。

 不可思議としか言い様がない。

 あれからもう四十年以上が経っていると思うと、何だか夢のようでもある。

 目の前の飾兜は磨き上げられ、細かな傷が表面にはついているものの、あの時とまるで変わらぬようにも見える。

 叔父からグレシオスへ。

 主人は変わっても、飾兜は立派にその役目を果たし、グレシオスの生命いのちを守り続けてくれたのである。

 そう言えばゴロドと戦った時に、兜の右上を攻撃がかすめたことがある。

 触れるか触れぬかの微妙な一撃で、実際には当たっていなかったのだろうが、あの時のすさまじい迫力にはきもが冷えた。法外な一撃であった。

 もし掠りでもしていたら、首が千切れていたであろう。

 棚の上にあかりを置き、グレシオスは飾兜を取り上げた。

 迷っていた。

 これから村の猟師が来る。その者に偵察を命じなければならない。

 命懸いのちがけの役目である。

 ジャグルの部隊までの距離を考えると、既に街道沿いには見張りが立っているかもしれない。

 無論、ゾエ村が滅んだことを前提としての話である。

 嫌な想定ではあるが、この考えが当たっている公算は大きいだろう。

 何よりそう考えぬと、今考えている話そのものが成り立たぬのだから仕方ない。

 ジャグルの部隊がナウロス村に到達するのは、おそらく明日の夕方以降。となると偵察役は、移動中のジャグル達に出会でくわす危険性すらある。

 臨機応変に行動できるよう訓練された兵でもない、一介の猟師には、荷が重すぎる仕事である。

 ゴロドが居れば村を捨てる。居なければ籠城戦。

 この決定は動かない。そして、一刻も早くどちらかに決めなければならない。

 ――叔父上、私はいったいどうするべきなのでしょうか……。

 もはや己の年齢は叔父の享年を越えている。

 だが今でもグレシオスは、あの偉大な叔父に並ぶ事ができたとは思えない。

 他人が何と言うか、どう思うかは問題ではなかった。

 グレシオス自身が、今でも叔父の存在を感じ続けている。そのことが重要だった。

「迷っておるのか」

 背後から声をかけられた。振り向くと、武器庫の入口に誰か立っていた。

 燈りを棚に置いてある所為せいか光量が足りぬ。入口の人影が誰であるか判じがたい。

 今、この館に居る者は分かっている。タデアスがこんな口調で話しかけてくるわけはない。

 つまり声をかけたのが何者であるのかは分かっている。

 そのはずなのに何故かグレシオスには、少し離れて立っている背の高い影が、先程まで客間で向きあっていたあの男だとは、どうしても思えなかった。

「イスターリスのすえたるレオンティウスの息子、堅忍不抜けんにんふばつの勇者グレシオスよ――」

 影は静かに呼びかけてきた。

 力強い低い声だった。優しさと励ましがこもっていた。

 何より、聞き憶えのある声だった。

 ――叔父上!?

 グレシオスは総毛だった。馬鹿な。そんなはずはない。

 だが今、耳にしたのは叔父の声だった。あの懐かしい声。暖かく、力強く励ます叔父の声だった。

 グレシオスがくじけそうになると、叔父は良く言ったものだった。


「イスターリスの裔たるレオンティウスの息子、堅忍不抜の勇者グレシオスよ――」


 しっかりせよと。己がいかなる血を持っているのか、どれほどの名誉がそこに籠められてあるのか理解せよと。

 身に余る言葉だと思った。

 だからそのたびに、グレシオスは全身に力を籠め、運命に立ち向かってきた。

 戦場での恐怖も疲労も、歯を食いしばって耐えてきた。

 己は英雄ヴェルデスの血に連なる者、戦神イスターリスの末裔なのだと。

 そのことを決してはずかしめてはならぬと。

 だからそれを辛いと思っても、投げ出そうと思ったことは一度もない。

 厳しい道であったのかも知れぬ。

 それでも、そこには確かに栄光があった。光輝く栄光が。

 あの偉大な輝きに身をささげることは、貴族にとって最高の行為であり、名誉であり、つまるところ己の存在する価値そのものなのだ。

 だからそれを実行してきた。後悔はない。

「偵察を出してはならぬ。その者は帰って来られぬだろう。人の命を粗末に使うような真似をしてはならぬ」

 影は叔父の声で語り続けた。そう、叔父ならそのように言うだろう。

 あの人はいつも言っていた。

「我等は民の盾ぞ」

 民によって貴族は養われているのだと。人々が額に汗して働いた成果を、我々は受けているのだと。

 領内の人々が貴族の食べる物を作り、住むべき館を建て、着るべき衣を織り上げる。

 だから貴族は民のために死ぬのだと。戦えぬ者達のために戦うのだと。

 叔父は常にそう言ってグレシオスを教育した。

 民に命を返す。

 それが貴族の唯一の、そして絶対の責務であると。

 叔父上……。

 グレシオスは口に出そうとした。その言葉を。

 だが影が動き、こちらへと歩み寄ってきた。すぐにぼんやりとしたあかりの中に、あの男の姿が浮かび上がった。

 それを見て急に緊張が抜けた。張り詰めていた何かが霧消むしょうした。

 やはり……そんな納得感と共に、子供っぽい幻滅を感じた。

 グレシオスは飾兜を戻してから、男に向きあった。

「眠らずに出発するつもりか?」

「いや、ちゃんと眠るさ」

 男は広い肩をすくめた。

「偵察は出すな。無駄死にをさせるだけぞ」

「ではどうしろと言うのだ?」

「儂がギルテにまで駆けて急をしらせよう」

 グレシオスは耳を疑った。

「……何だと?」

「ここからパラケウス街道を目指すなどという無茶は止めるのだ。多くの村人が途中で死ぬであろう。それよりもこの村で踏みこたえよ。儂が必ずギルテの援兵をここに送らせよう」

 無茶な話だった。

 ブレイオンの往還をギルテまで疾駆しっくするならば、途中でゾエ村を通過せねばならない。

 つまりジャグルどもの中を、突っ切って行かなければならないのである。

「無茶だ」

「やってみねば判るまい」

「死ぬぞ」

「やってみねば判るまい」

 男は笑って答えた。何故笑えるのか。グレシオスには理解できなかった。

「……ものを多く知ってはいても、考えの方は回らぬようだな」

 グレシオスは皮肉を言った。男はさらに笑みを深くした。

「やってみねば判るまい」

 三度そう言った。顔全体で作る笑顔は、どこか子供のようでさえある。

 年端としはもいかぬ赤子のような笑顔だと思った。どうしてそんな風に笑えるのか。

 グレシオスの胸のうちに、おそれにも似た思いが細波さざなみのように起こってきた。

「必ずこの村にギルテより援軍を来させよう。それでもお主は戦わぬと言うのか?」

 笑顔を吹き消し、男はグレシオスに真剣な眼差まなざしを向けた。

「儂には、村人を守らねばならぬ責任がある」

「お主は本当に村人の事を考えておるのか?」

「何?」

 グレシオスは気色けしきばんだ。これは聞き捨てならない言葉であった。

「ひょっとしてゴロドが、恐ろしいだけなのではないかと思ってな」

「貴様……もう一度言ってみよ」

 グレシオスは男をにらみつけた。隠退したとはいえ、グレシオスは歴戦の勇士である。

 ひとたび怒れば、その威圧感にはすさまじいものがある。

 屈強な兵士でさえひるむであろう。

 そんなグレシオスの怒りの眼差しを向けられて、しかし、男はまったく気にしていない様子であった。

 胆力たんりょくがあるのだとしたら、並の胆力ではない。

 だが今までの男の様子から考えると、これは胆力があるというよりも、むしろ状況を解する感性に欠けているのかもしれなかった。

 ……ならば身体からだに教え込んでやるまでよ。

 王国貴族のたしなみとして、男子は組打術に習熟していることが多い。

 戦場での必須技術と言えるその組打術は、ローゼンディアではグラティオンと呼ばれる。

 グレシオスも子供の頃からグラティオンを教え込まれてきており、その腕にはいささかの自信があった。

 男もまたグラティオンに習熟している可能性は大いにあったが、その時はその時である。

 どのみちお互い、多少は痛い目をみることに違いはないのだ。

 グレシオスは全身に気魄きはくみなぎらせた。戦場を踏んだ経験のある者ならば、これで危険を察知するはずだった。

 グレシオスがまさに動き出そうとする機をとらえて、

「明日、お主の指示に従って村を捨てる者達はどう考えているかな?」

 と、男はつぶやいた。

「どう、とは?」

 機先きせんを制される恰好になり、グレシオスも呟き返した。

 口調に表れないように注意したが、内心は驚いていた。やはりこの男はただ者ではない。

 グレシオスの胸の内を読み、それを踏まえて言葉を発しているのだ。

 となれば――。

 この男は事態を把握している事になる。

 その上で、真剣に何かを伝えようとしているのだ。

 この男なりにではあるが。しかもその遣り方は礼儀にのっとったものとは言いがたい。

 だが遣り方は褒められたものではないにせよ、今、グレシオスは男の話を聞かねばならないと感じた。

 理屈ではない。直感的にそう思ったのだ。

「助かるために村を捨てよ、と命じられた者達は、逃避行の厳しさを了見はせぬだろう。己が死することになるかもしれぬ、とは考えないであろうよ。だが間違いなく多くの者が死ぬ。お主はそれで良いのか?」

「それでも全滅するよりはマシではないか」

「……分かってはおらぬようだな」

 男は苦笑して首を振った。どこか困ったような笑い方で、グレシオスは、やはりこの男は自分の事を、己より齢若い相手として見ているのだと思った。

「お主に村を捨てて逃げるように命じられれば、村の者はこう思うだろう。『御領主様に従えば、皆助かる』とな。だがそうはならん。体力に劣る者達は、おそらく生きてパラケウス街道には辿り着けまい」

「……それは説明をする。明日、儂自身がな」

 嫌な役目ではあるが、事情を正確に説明して納得してもらわなければならない。

 その上で村人の希望を聞くしかあるまい。

 だがもし村人が、「村を捨てずに戦う」と言った場合には、どうするべきか?

 村人を指揮して無謀な戦いを挑むべきか?

 ゴロドがいれば全滅は間違いないだろう。

 それを話してなお、村を離れるのをこばむとは思えぬが、もし村人達が一戦構える事を主張するならば、己は如何どうするべきであろうか……。

「違う。お主は分かってはおらぬ」

 男は首を振った。

「だからどう違うというのだ?」

 れてきたのでグレシオスはかした。

「村人はお主の事を信じているであろう。お主に従えば、必ず助かると思っているはずだ。その村人に対して、お主は、出来できの悪い木の実を、ふるいにかけるような真似をすると言っているのだぞ」

 男の言葉に、グレシオスは少なからず衝撃を受けた。

 村を捨てるというグレシオスの判断の、本質を突いていたからだ。

「お主は戦場を駆け、長く戦士として生きてきたのであろう。だが村人はそうではない。戦場の理屈で彼らの命を、生活を考えてはならぬ。彼らは戦士ではないのだ。己の生死に、仲間の生死に目算を付けるなどということを、するわけがないであろう? 彼らはお主を信じるだろう。それはお主に従えば必ず生き延びられると信じるからよ。その者達の気持ちを、お主は本当に解っているのか?」

 男の口調は決して居丈高いたけだかなものではなかった。先程のように挑発する風も無かった。

 ただ静かにグレシオスに語りかけていた。

 グレシオスが理解できるように、根気よく説明を重ねてもくれた。

 その事を理解した途端、脳髄のうずいしびれるほどの羞恥しゅうちを感じた。

 何か言葉を発しようとしたが、口から漏れるのは空気だけだった。

 己の短慮たんりょに恐怖すら感じた。

「村人の総意が村を捨てて逃げ出すということならば構うまい。そうすれば良い。まずそのように考えるであろうな。だがそれは短見であると儂は思う。武器を持った者達から逃げねばならぬという事の意味を、村人が理解できておるかどうかは疑問であろうよ」

 そうなのだ。

 単純にして明快な事実がある。

 ――村人達は戦場を知らぬ。

 だから彼らに判断を求めても、そのことを加えて考えなければならない。

 追跡を振り切って逃げるということの難しさなど、彼らは考えた事もないであろう。

 そんな彼らが逃避行を選択したとして、その覚悟を信用するわけにはいくまい。

 たとえるならば、それは子供に対して、難しい事柄の理非りひ判断を求めるようなものだ。

 相手の意思を尊重するようでいて、その実、現実に対して目をつむることが隠れている。

 無論、常に己の判断が正しい、己が優先するというつもりは更々(さらさら)無い。

 だが、自分は騎士である。長い年月戦場を駆け続けてきた戦士である。

 こと戦いに関してはいささか誇るものがあるし、その事を恥とは思わない。

 自分は一度たりとも名誉を裏切り、神の道に背を向けた事はないと言うことができる。

 自惚うぬぼれではない。

 戦場は聖域である。その場においては一切の虚飾はぎ取られる運命にある。戦場では真実以外は存在できぬのだ。

 生か死か。

 極限にまで単純化された真理のみが、存在する世界なのだ。

 決して美しい世界ではない。

 逃れようのない真実の光が、全てを照らし出すのが戦場である。

 その中で、自分はいくばくかのことを学んできたとは思う。

 ならばそれを活かすべきなのだ。

 人には誰もに、納得して生きるべき生がある。

 刀槍を持てぬ者達のそれを守るのが己の務めだ。

 領民のそれを守ってやるのが貴族たる己の務めだ。

 そしてそのためには、己の知恵と経験は、村人達の希望する範囲内で活かされなければならないのだ。

「イスターリスの裔たるレオンティウスの息子、堅忍不抜の勇者グレシオスよ――」

 言い聞かせるように、男はそう口にした。

 先程、叔父の呼びかけと錯覚を起こした言い回しである。

 これは古風な呼びかけの言葉であり、名家の者にあっては作法の一つとして、今でも使用されている決り文句なのだ。

 だからこの男が使用したところで問題はない。

 無礼ではない。むしろ礼にかなっている。

 ただしどちらかと言うと、若年者に対して使用される事が多い言い回しであるから、そこは微妙ではある。

「大切なのは判断を誤らぬことだ。そのためには心を澄ませて状況を見定めねばならぬだろう。不安に眼を曇らせてはならぬぞ。儂は何も必ず戦うべしと言うつもりはない。村人達が戦いたくないというなら仕方あるまい。勧められる事ではないが、村を捨てるのもよかろう。どちらにせよ必要以上に臆病になることはないと言うておるだけよ」

「お主の口振りでは、むしろ一戦構える事を主張しておるようだが」

「確かにな。そう聞こえるかも知れぬ。何故ならゴロドがおるとしても一匹であろうからな」

 グレシオスは不思議に思った。何故、この男はそう思うのであろう?

 今まで正しい事を言ってきたのだから、ゴロドは一匹だという判断にも、信が置けるとは思う。

 だが一体何故?

「不思議か?」

 男は片目をつむって見せた。

「二匹のゴロドとジャグル達が共に行動するとなれば、かなりの大部隊になるからよ」

「何故そう思う?」

いにしえの伝承を思い出せ。奴らは統制に欠ける。ほうっておくと共食いを始めるくらいであるからな。強力な指導者が率いているのでない限りは、大規模で動く事などまずあり得ん。そして高々三十や五十やのジャグル達だけでは、二匹のゴロドを統制するのは無理よ」

 なるほど。

 確かに地虫じむしどもはまとまりに欠ける連中ではある。グレシオスは父祖達のように恐るべき大軍を相手にしたことこそないが、それでもジャグルの小集団を退治たことは、幾度もあった。

 連中は本能だけで行動しているようなところがある。獣に邪悪な知恵を加えたような存在なのだ。それでも充分危険ではあるが。

「あの若者が見ていないだけで、後続が控えていたら?」

 見えない敵という可能性はある。

 それについての男の意見を聞いておきたかった。

「それはおそらくないであろう。もしそんな部隊がいるとすれば、うに発見されて、ギルテに連絡が行っておることだろうさ」

 グレシオスも同じ考えであった。

 ならば――。

「ゴロドがいるとしても一匹、ということか……」

「そういうことだな」

 廊下を足音が近づいてきた。タデアスであろう。

「大殿、村の猟師が来ております」

 グレシオスはタデアスの顔を見た。タデアスは燈りを持っていたので、その緊張した表情をよく見ることができた。

 男もまたグレシオスをじっと見ていた。

「…………猟師はそのまま帰してよい。儂の考え違いであった」

 タデアスは怪訝けげんな顔をしたが、すぐにうなずいた。

「かしこまりました。そのように伝えて帰します」

 タデアスが玄関に向かって去ってしまうと、グレシオスは男に目を向けた。

「本当にギルテまで駆けるつもりか?」

「お主もくどいな」

 男はあきれたように眉を寄せた。

「儂は三度同じことを答えたぞ。この上さらに同じ言葉を言わせるつもりか?」

「武器、鎧はあるのか?」

「無論」

 グレシオスは多少安堵(あんど)した。馬があるのは当然である。聞くまでもない。

 武器はともかく鎧が用意されてあるのは心強い。

「替え馬は足りているのか?」

「それも問題ない」

 今の状況でギルテまで行くなら五頭は欲しい。しかしそれは贅沢というものだろう。

 それにしても、この男はどことも知れぬ所から来ているようでいて、どうも近在から来ているようにしか思えない。

 旅の者と考える方が理にかなってはいるのだが、グレシオスには男がこの近くに暮らしているような気がするのである。何故だか解らぬがそうした気がするのである。

 おそらくは貴族であろうから何頭かの馬は飼育しているであろう。

 だが男の年齢などから考えて、おそらく自分と同じく隠居であろうし、替え馬が足りているかどうかは心許ない。

 それにグレシオスの知る限りではこの近辺で馬を放して飼えるような場所や、それを有する貴族はいないはずだ。

 セウェルス宗家の家長であった自分の耳に、この男やその屋敷? などの話が入らないとなれば、これはもう理由は一つしかない。隠れ潜んで暮らしているのであろう。

 要するにこの男は世捨人のたぐいである可能性が高いのである。

「お主は一体どこに馬を置いているのだ?」

 男はグレシオスの問いには答えず、にやりと笑っただけであった。

 実に不敵な笑い方である。男の笑みには凄みがあるだけでなく、稚気のようなものが感じられた。

 危険を喜ぶ者の笑顔である。それも演技ではない。目の前の危難が、戦いが心底楽しみでしょうがない。その本心がぞろりとかおを見せる、そういう笑顔なのである。

 グレシオスは知っている。一族の戦士団にはこういう顔をする者が多い。

 古きヴォルグヘルの戦士の貌だ。こういう顔を見せる男は危ない。大概は恐ろしい実力を持っているからだ。

 騎士団にはこういう男はいない。もっと毛並みのいい戦士が揃うし、騎士団とはそうあるべきだ。

 だが、本当の危機が訪れたとき、果たしてどちらの男が頼りになるだろうか。

 無論グレシオスはどちらの肩も持つつもりはない。戦士の本当の実力は、顔一つで決まるようなものではないからだ。

 ――しかし……。

 ジャグルの群を駆け抜けて突破するのは、かなりの難事であろうが、この男ならばやるかも知れぬ。できるかも知れぬ。

 心の中で、もうこの男を頼りにしている気持ちがある。

 それに気付いた途端、苦笑が浮かんできた。

「何がおかしい?」

「いや、おかしな事になってしまったものだと思うてな……」

「それで結局、どうするつもりなのだ?」

「明日、村人を集めて十分に説明をつくしてみよう。その上で村人の決めた方に、儂は従うつもりだ」

 グレシオスは棚上の燈りを取った。

「儂はこれで休む。お主も休め」

「そうしよう」

「初めてであるな」

 ふと思いついて、グレシオスは口にした。

「何がだ?」

「お主がこの館に泊まる事がよ。馬は大丈夫なのか?」

「信用のおけるところに預けてある。明日の朝取りにいくから心配はらん」

「そうか」

 ならば問題はない。

 さて、男を客間に案内せねばならぬが、これは本来ならばタデアスの役目である。

 しかし今はタデアスを使いに出してしまっている。慣れぬ事ではあるがグレシオス自ら案内する他ない。

「寝室へ案内しよう。ついてくるがいい」

「明日は朝から忙しくなるな」

 グレシオスの背後をついて歩きながら、男はそう呟いた。

「そうだな」

 グレシオスは答えた。もちろん、明日の朝にゾエ村からの急使が来るのが一番良い。

 無事ジャグル達を撃退し、人手を求めてくる使者が現れてくれるのが一番良い。

 ――だがそうはならぬだろう。

 グレシオスには、確信めいた強さでそう感じられるのだった。

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