第十六章 夜明け
雪を煙のように飛び散らせながら騎馬がやって来る。
破壊された門を跳び越え、数騎が村の中に入って来た。すぐにまた数騎が続いた。
村に入ると戦士達は分かれた。左右の道を進む者と、真っ直ぐに広場へと向かう道を駆けて来る者とがある。
グレシオスはその場に立って戦士達を待った。
戦士達は騎乗のままグレシオスの脇を抜けて駆けた。村人を助けるためである。
無論駆け抜ける際に槍を掲げ、礼をしていった。
当然の行為である。
なにしろグレシオスは先の領主である。誰もがその顔を知っているのだ。
一騎がグレシオスの少し手前で足を止め、馬を降りてきた。その姿から騎士階級の者だと判った。動きには若さがあった。
「大殿様!」
騎士が呼びかけてきた。グレシオスの前まで来ると膝を着き、臣下の礼をとった。
「まずは御無事で何より! 久闊でございます!」
「ファイオスか」
タデアスの下の息子、ファイオスである。彼はグレシオスの娘、エーダの輿入れに付き従ってデルギリアを出ている。
今は遠くトラケス地方、ゼメレス公の領地にいるはずなのだが。
「戻ってきたのか」
「はっ」
「よく戻ってきた。無事で何よりだが、積もる話は後だな。まずはジャグルどもを掃討せねばならん」
「承知いたしております」
ファイオスは立ち上がった。その意志の強そうな青い瞳と目が合った途端、タデアスのことを思いだした。胸の奥に痛みのようなものが走った。
タデアスのことを告げようとしたがすでにファイオスは馬に向かって歩き出している。
結局、グレシオスが言い出せぬままにファイオスは馬に跨がり、ジャグルの掃討に戻っていった。
騎馬が続々と村に入ってくる。
「父上!」
供回りの騎士達を連れて黒馬に跨がったヘクトリアスが現れた。
「父上! 御無事でしたか!」
馬から飛び降りて駆け寄ってきた。供回りの騎士達もそれに倣い、皆がグレシオスの前で膝を着いて礼をした。
「よく来てくれた。儂が考えていたよりも遥かに早く来てくれた。感謝するぞ」
グレシオスは落ちついた声を掛けた。
だがもう少し、もう少し早く来てくれれば。
タデアスもメグレイスも……。
言っても詮無きことである。言うべきでもないことである。
だからグレシオスは言わなかった。
「あまり騎兵を入れるな。それよりも村から逃げ出すジャグルを確実に仕留めよ」
「ご安心を。すでにそのように兵を動かしております」
「そうか。ならば良い……」
戦いは僅かの内に終わった。
何しろ数が違う。ジャグルたちはセウェルス族の戦士達に追いつめられ、ほとんど抵抗することもできずに皆殺しにされたのだった。
戦勝の報告をグレシオスは広場で聞いた。
すでに神殿の周囲には陣所が形成されており、ヨルスの館と神官館との間では連絡が行き来していた。村内の火も消し止めるべく兵が向かっている。
グレシオスの館に避難していた村人たちには連絡だけを出し、引き続き館にとどまらせておいた。完全に安全が確認されるまではそのままにしておくつもりである。
やるべき事は多かったがそれに倍する兵が集まっていた。この場だけでも騎士が二十八人、一般の兵士が五十八人、併せて八十六人の戦士がいるのだ。
しかもこれは先発隊であり、これに続いて後発の部隊が二百以上、更に替え馬の回収を受け持つ殿軍の部隊が百以上来るという。兵力としては頼りになるが全部となると小さなこの村には入りきれぬ。
人数的には現状の先発隊だけでも後始末は付けられるが、あと百人ほど人手が欲しい。
それに先発部隊には騎士階級の者が多い。やるべき事は多くとも、火消しや怪我人の処置、屍体の埋葬など、身分的にも技術的にも騎士には任せられない仕事ばかりなのだ。
そこで騎士には後続部隊への伝令を托してほとんどをギルテに帰し、後発部隊の半分をこの村に入れて後始末にあたることにした。
メグレイスにはまだ息があった。
グレシオスは自らこの長神官を抱き起こし、手を握り、耳元に口を寄せて話しかけた。
「ゴロドは斃した。ギルテより援兵が来た。村人は助かるぞ」
メグレイスは僅かに呻くだけだった。口から吐いた血で胸から腹から血まみれになり、顔は不気味な朱色に染まっていた。
臓腑が潰れた者に多く見られる、死の兆候である。
瞼がぴくぴくと動いたが目を開けることもできないようだった。
グレシオスはもう一度、メグレイスの耳元ではっきりと言った。
「ゴロドは斃した。ギルテより援兵が来た。村人は助かるぞ」
言葉は返ってこなかった。だが理解はしたようである。メグレイスは僅かだが、手を握り返してきた。
そしてそのまま息を引き取った。
様子から死んだことを察したのだろう。傍にいた騎士や兵士が黙祷をした。
黙祷が済むと周囲にいた兵達が動き始めた。屍体を運ぶ指示を飛ばしている。
さすがに慣れている。日常の雑事を片付けるような何でもなさが感じられるが、だからといって兵達に味方の死を悲しむ気持ちがないわけではない。
それはグレシオスにはよく判っていた。
これが普段の戦いならばグレシオスもそうしただろう。実際、今まではそうしてきたのだ。
感傷に深入りしない。
それは戦士達にはごく当然の心の持ち様である。
しかし、この戦いではどうしてもグレシオスはそう思えなかった。
これは今までの戦いとは違う。人と人とが争い、殺し合う戦いではないのだ。
この戦いで死んだのは本来はこのような死に方をする必要がなかった者達である。
辺境の小村に暮らし、戦争などとは無縁の生活を送るはずだった者達である。
戦う必要がなかったわけではない。生き残るためには戦う必要があった。
だがそれでも似つかわしくない。この村の者はこんな風に死んでよいはずがない。
メグレイスとてそうである。
あの戦い振りから察するに、おそらくは名のある戦士だったのだろう。
しかし彼がこの村で神に仕える生活を選んだとき、武器を取って戦場を駆ける生活には別れを告げたはずだ。
そこには明確な断絶があるのだ。
メグレイスはこのように死ぬべき人間ではなかった。
その他の者達も同じだ。ダイオンと二人の息子、デリオスやアルテーアなど、誰もがこんな死に方をするべきではなかった。
そのことがグレシオスには堪えた。重く、重く堪えた。
この者達を戦士と同じように弔って良いはずがないではないか。
グレシオスはメグレイスを地に横たえ、そっとその手を組ませてやった。
祈りを捧げ終わると待っていたように兵二人が盾の上にメグレイスを乗せた。広場の端へと運んでいく。
そこに他の村人の屍体も横たえてあるのだ。神殿が半壊しているための措置である。
メグレイスを見送っている所へファイオスが戻ってきた。不安げな目でグレシオスを見ている。
「……大殿様」
「人手が要るぞ」
ゴロドに破壊され、半壊した神殿の方を指差した。ファイオスが息を呑んだ。
「タデアスはあの下だ。勇敢に、戦ってくれた……」
問われる前に告げた。聞かれてから教えるなどという残酷な真似はしたくなかった。
やや間があってからファイオスは、
「……さようでございますか」
と小さく云った。
「親父殿も最後まで、大殿様のお役に立てて満足でありましょう」
落ち着きのある、強い眼差しを向けてくる。
謝りたいという衝動がこみ上げてきたが、それだけはしてはならぬとグレシオスはこらえた。
「……お前の親父は勇敢だった。タデアスが居なければ儂は死んでいただろう」
「もったいない、お言葉です」
ファイオスは頭を下げた。グレシオスは胸の中で一言「すまぬ」と詫びた。
かなりの兵を動員して神殿の後片附けにあたった。その中にはファイオスだけでなく、タデアスの上の息子オスティスの姿もあった。
事情は弟から聞いているのだろう。
グレシオスと目が合うとオスティスは黙って頭を下げてきた。
上の方にある建材を退かす頃には朝日が昇りきった。
太陽神の恵みに感謝しながら作業を急いだ。
折り重なっている太い柱を退けるとタデアスの姿が見えた。
原形を留めている。肉塊と化した姿でなかったのは、せめてもであった。
「親父殿っ!」
ファイオスが呻くように云った。
するとタデアスが動いた。皆、驚いた。
「……各々方、すまんが早く掘り出してくださいませんかのう。寒くて敵わん」
薄く目を開いて、疲れた声を出した。
誰もが唖然とする中、驚きから最初に立ち直ったのはオスティスだった。
「父上、どこか御怪我はありませんか?」
「身体が動かせぬのでまだ判らぬよ……おう、大殿様。御無事でありましたか!」
グレシオスは答えなかった。
ただ驚きが喜びへと変化していくのをじっと味わっていた。
生きていると判った以上、作業は注意して行なう必要がある。
タデアスを潰さないようにしなければならないからだ。
結局、助け出せたのは昼の手前頃だった。タデアスは足首を捻挫した他は怪我と言えるようなものは負っておらず、全く奇跡としか言いようがなかった。
「剣の河の手前で追い返されてしまいました」
治療を受けながら苦笑いしつつタデアスは言った。頬と耳には軽い凍傷があった。
剣の河とは刀槍や盾などの武具がひしめき合って形成されているという河である。
この世とあの世との境目に流れ、生者と死者との世界を区切っているという。
「私の腕では、まだ勇者の館には呼んで頂けぬようです」
そんなことはないと思ったが、グレシオスは何も言わなかった。
「親父殿の腕では勇者の館は身の程を過ぎた願いだと思うがなあ。あそこは勇者がゆくものだろう?」
ファイオスが言った。助け出してからこっち、ずっとタデアスに付いている。
この親子は顔を合わせるたびに詰まらぬ言い争いをする癖があるが、仲が悪いわけではない。それがお互いの愛情を確かめる行為になっているのだ。
何だか滑稽話を人に聞かせる掛け合い芸人のようである。
「向こう名を持つほどの戦士でなければ駄目だろう。親父殿にはその向こう名がないではないか」
言ってから、何か面白いことを思いついたという風にファイオスは笑った。
「いや、本日めでたく向こう名ができたな。『下敷きのタデアス』というのはどうだろう?」
ファイオスが面白げに言った。タデアスが虚を突かれたような表情をした。
「いかがです? 大殿様も良い名だと思いませぬか?」
真面目な顔をして聞いてくる。それが面白くてグレシオスは吹き出してしまった。
「お前の冗談は面白くない」
タデアスは下唇を突き出し、不満げに言った。いじけた猿のような顔になった。
「いや、冗談ではありません。本気ですよ」
楽しそうにファイオスは笑っている。
グレシオスも笑っている。タデアスだけが仏頂面をしている。
兵が温かい紅トラナ茶を持ってきた。広場の方が騒がしくなってきた。
村の周囲も含めて安全が確認されたので避難していた村人たちが降りてきたのだ。
彼等と話をし、救助物資を渡すのはヘクトリアスの仕事である。
外に出てみると幾人かの村人がこちらを見ていた。子供など手を振ってくるが、グレシオスは軽く手を挙げて応えるだけで村人の近くには行かなかった。
後は全てヘクトリアスに任せる。領主が乗り込んできた以上、全ては当然、領主の仕事だからだ。
グレシオスのすべきことはもう無いのだ。
「お前は下らぬ物言いばかり上達してきおった」
「いえいえ。口ではなくて弓が上手くなったんですよ。ギルテに戻ったら親父殿にも見せて差し上げよう」
「見たくないわい!」
タデアスの怒鳴る声が響いた。まったくもって元気である。
こうしてナウロス村の戦いは終わった。




