第十章 柵
正門を守護するグレシオスの元にどれだけの数が向かったのかは判らない。
ただしハイゼースの知らせによれば、ゴロドがいないことは確かである。それが大きな救いであった。
アルテーアは村人三人を連れ、西の柵に向かっていた。グレシオスの指示によるものである。
同様に鍛冶師のダイオンとその息子達が北東の柵に向かっている。
メグレイスは四人の村人を率いて広場の後方、グレシオスの館へと通じる坂の入口近くに控えている。
ジャグルが広場を突破してくることは難しいのではないかと思うが、それが起こらないとも言い切れないし、はぐれのジャグルが迷い込まないとも限らない。
グレシオスの館は戦えぬ者達の避難先である。そこにジャグルを行かせてはならない。
断じて防がねばならない。
そもそも館に注意が向かないようにすることが肝要である。
ゆえにメグレイスは一箇所に留まらず、ある程度村内を歩き回って行動している。
見せかけではあるが坂の入口を中心に村を東西に移動しつつ警護している。
グレシオスとタデアス、そしてメグレイスとで考えた配置であるが、アルテーアには疑問が残っている。いや、疑問と言うより不安であるか。
戦力を分散させ過ぎたのではないかという恐れだ。
無論軍議の時にその話も出た。だがこれでいこうということになった。
実際、他の選択肢は無かったと云えるのだ。現状は必然であると云えよう。
全ては『ジャグルが三十匹前後である』という前提上に成り立っている。
その想定が外れたとき、つまりジャグルの数が予想を遥かに超えているなどした場合、村は全滅することになる。
そのことを考えると、アルテーアは胃が縮むように思い、喉が痞えるのを感じた。恐れが体に染み込んでくるのを知覚した。
グレシオスにタデアス、そしてメグレイスも、その事については一言も触れなかった。
ヨルスは気付いていないだろう。戦場経験のない、ごく普通の老人であるから当たり前だと思う。
自分は気付いた。が、やはり一言も触れなかった。
言っても詮無いことであるし単なる架空の話としても、つまり起こるかも知れぬだけの話であっても、村人達は大きな恐怖に襲われることだろう。
そして恐れようが、はたまた逆に意気を上げようが、ジャグルが襲って来るという現実には一向関係ない。
――ならば士気が減じるようなことには触れぬ方が良いのではないか。
神職にあるまじき考えである。
真実を話すべきだ。
だが話したからといってどうなるのか?
どうもならない。むしろ悪い結果を齎らすだけだろう。
となれば彼らにとって最善の道を、迷い無く完うさせてやれることに全力を盡くすべきではないか?
狡さが潜んでいる、と思った。
やはりどこまで考えても隠蔽は隠蔽、神への裏切りである。
神罰が降るならば甘んじて受けよう。
今はとにかくジャグルを殺すことである。村を守らなければならぬ。
迷いを払い捨て、アルテーアは走った。
西の柵は高さも人の背丈を多少超えるくらいであり、その気になれば容易に進入してこられる程度のものだ。
北東の柵も同じであるが、こちらにはダイオン達が向かっている。そしてジャグルの進入がなかった場合には合流することになっている。
その際には必ずメグレイスの守備する坂の入口を通過すると決めてある。
そうすれば移動を通して状況の確認ができるからだ。
正門以外の場所からジャグルが多数進入してきて、一直線に避難先の館を襲撃するということは考えにくい。
その理由は一つには、それほど多数の別動隊をジャグルは有していないであろうという事である。
もう一つは奴らの習性からして、目の前の相手に襲いかかることに集中するだろうからである。
つまり広場でジャグルの本隊を叩き、館への進入経路である坂の入口を塞いでしまえば、避難している者達はさしあたって安全だろうと予想できるのだ。
ゆえに常備する守備隊を置くが、どこを守っているのかを悟らせないようにする必要がある。
自分を含め、他の遊撃隊も全て、坂の入口を中心に行動するように定められている。
その意味では村の戦力は各部隊に分けられているとはいえ、実質はグレシオス率いる広場守備隊と、坂の入口を守備する部隊との二つだけであるとも云える。
小さな村である。狭くはないが、規模としては小さい村である。
移動にそれほどの時間を要するという事はない。
アルテーアと三人の村人はそれほどの間を置かずに西の柵に辿り着いた。
今頃は正門前では戦いが始まっているかもしれない。
あの人数でジャグルを防げるかどうかは判らなかったが、指揮をするのは、あのグレシオス・セウェルスである。
必ずや戦神の加護が与えられるであろう。
柵の近くにある家まで来ると、アルテーアは走るのを止めた。
村人に手で合図をしながら家の壁に沿って進み、家の陰から柵の様子を窺った。
予想通りジャグルどもはこっそりと柵を越えて村内に進入してきていた。
篝火は家と柵の間の辺りに設置してあり、既に赤々と燃えている。火の向こうに、蠢くジャグルの姿が見える。
総数は確認できない。だが多くて五匹というところではないだろうか。
その内何匹のジャグルが柵を越えて進入してきたのかは定かでなかった。
ジャグル達はときおり囁き交わしながら一匹ずつ柵の下を潜ってくる。肘と腹を使い、ずりずりと地を這う物音が聞こえてくる。
見回りの時に確かめたはずなのだが、いつの間にやら進入用の穴が通じているのだ。
さすがジャグルは地中で暮らしているだけあって穴掘りに長けている。
敵ながら感心する手際の良さである。
「神官様……」
ニーガスが囁きかけてきた。アルテーア指揮下の内の一人である。その他はリュコメノンとトゥーサである。
四人とも家の陰にすっぽりと隠れてジャグルの様子を窺っている。
「どうしますか?」
闇の中でニーガスが目を動かした。やや落ち着きがないように見えるが、怯えていると言うより闘志を抑えているようである。
早く戦いを始めたくて仕方ないのかもしれぬ。
こちらは四人しかいない。
相手にできるジャグルの数は精々四、五匹というところだろう。
こちらは実戦は未経験。それでもかなりの危険を冒すことになる。
先程正門の方から激突音が聞こえた。
今は喚声が聞こえてくる。
耳を澄ませば金属の打ち合う音も聞こえてくる。
向こうはもう戦闘が始まっているのだ。
小規模戦闘であるから長引くことはあるまい。そしてセウェルスの大殿は必ずお勝ちになる。
勝たぬはずがない。あのヴェルデスの血を引く勇者である。
アルテーアはグレシオスが敗れることを全く考えていなかった。
ゆえに問題となるのは正門とこちらとの戦闘時間の差だけである。
どちらがより早く決着するかは判らない。
自分達が正門側に駆け付けるにしろ、正門のグレシオスの部隊がこちらに来てくれるにしろ、いずれにしても双方相手の援軍を頼める状態にあるわけである。
ならば全てのジャグルが入って来るまで待つべきだろうか?
――いや、それはまずい。
少なくとも当面は四人で相手しなくてはならぬわけだし、やはり一度に相手取る数は絞った方が良い。
こちらから仕掛けるという条件つきではあるが、自分一人で二匹まで始末したい。
最初の一撃で一匹を仕留め、即座に二匹目に向かえば可能ではないだろうか。
そして村人達が一匹ずつ。素人である彼らには荷が重いかとも思うが、最低でも一人で一匹、始末してもらわなくてはならない。
無論自分も素人ではあるが本格的な訓練を受けている。腕には自信がある。
その自信が危険であることも自覚している。
「実戦は訓練とは違う」のだ。
グレシオスなどを含め、その他にも戦働きをしてきた幾人かの戦士達から同じ教えを受けた。
考えるまでもなく、その正しさは判っている。
だが、今は悠長に構えている暇はない。
戦うしかないのだ。
「もしもジャグルの数が多いときは、すぐに笛を吹くのだ」
トゥーサに囁くと、無言で頷き返してきた。
彼女には笛を持たせてある。小さな笛で、高い音を発するものだ。それを首から提げてある。
巡廻中の遊撃部隊は笛の音を聞けばすぐさま、そこに駆け付けるよう取り決めてあった。
「行くぞ」
アルテーアは三人を促し、闇の中へと躍り出た。
槍を腰だめに構えて小走りに柵へと近づいた。ジャグルは夜目が利くというから、こちらの姿に気付くのもすぐであろう。
とにかく先に槍をつけなくてはならない。
篝火に照らされて三匹のジャグルが目に入った。
小柄な立ち姿はまるで少年のようだが、どこか猿が直立しているような、不気味な安定の無さを感じさせた。
一匹が振り向いた。炎に照らされて赤い目が光る。
「いやああぁっっ!」
アルテーアの喉の奥から気合いが迸った。
ジャグルが戦斧を構えようと動いた。が間に合わず、その胸にアルテーアの槍が突き刺さった。
何かを吐き出すような呻きを漏らし、ジャグルは蹌踉いた。
素速く槍を抜いて二匹目に向かおうとしたとき、鉈刀が目の横で閃いた。
「ギイイッ!」
槍で受けようと思ったが身体はそうは動かなかった。アルテーアの体は素速く後ろに下がり、同時に槍を半回転させ、柄のところでジャグルの腕を打った。
もしも槍で受けていたら押し込まれるか、下手をすれば槍の柄を両断されていたかもしれない。
思考の間違いを身体が正したのである。思考よりも適確に体が動いたのである。日頃の修練の結果であった。
胸を突かれたジャグルが尻餅をついた。今にもアルテーアに斬りかかろうとしていた方は鉈刀を取り落とし、呻いている。
そこをトゥーサが突いた。脇腹を突かれたジャグルが蹲った。アルテーアがさらに首元を突いた。
少し離れたところではニーガスとリュコメノンが一匹のジャグルを槍で突き殺しているところだった。
どうやら上手く片附けたようだ。
アルテーアの胸に僅かながらの安堵感が拡がった。とその時、木を打つ音が鋭く響いた。はっとして柵の方を振り向いた。
赤い瞳が炎の向こうに幾つも並んでいた。二匹や三匹ではない。その倍以上はいる。
「あ……」
トゥーサが小さく声を上げた。
ジャグル達は戦斧を柵に叩きつけている。木樵のようだ。激しい音がしている。ジャグル達は急いでいる。
「笛を!」
アルテーアが叫んだ。




