虹色金平糖
「なんだ?生きてんじゃん」
そういって僕の顔を覗き込んできたのは少女だった。僕は上半身を起こす。なんだかあちこち痛いが特に大きな怪我はしていないようだ。そして、少女をを見上げる。真紅というのはこういう色かと言わんばかりの赤い髪に黒いレースのカチューシャ。服も真っ黒だ。それもロリータ服。そう、いわゆるゴスロリと言われるなりだった。
「おーい?……大丈夫かよ?」
ゴスロリって口悪いのかと僕は思ったが、それよりもなぜ自分が地べたに寝こけていたのかが思い出せない。そして僕はあっと声をあげた。
「ん?どうしたよ?」
「僕……誰ですか?」
少女は可愛い顔を思いっきりゆがめて
「お前……まさか……記憶が?」
僕はちょっと困ったことになったなぁと思いながらそうみたいですと答えると、鉄拳が頬をえぐった。
「なんじゃ、そりゃぁあああ。道に迷ってるみたいだから、家に帰してやろうと思えば……記憶がないだと!!」
少女はげしげしと地べたを蹴った。踏みつけるように蹴るというのは、なかなか迫力のある様だななどと僕は思った。
「何にも?これっぽちも?一切合財?忘れたのか!」
「言葉はわかるから……うん、会話には問題ないよ」
「ないよ……じゃねぇわ!!」
第二波の鉄拳が頭頂葉に激震をあたえた。
「……痛いよ。そんなに殴ることじゃないだろう?」
「これが殴らずにいられるか!!」
僕は自分に記憶がないことより、少女の怒りの原因の方が気になった。
「ねぇ、なんでそんなに激怒してるわけ?」
「そっちこそ、なんでそんなに落ち着いてやがる」
質問を質問で返すなんて、結構、高度な技術を使う子だなと僕は感心した。
「だって、こういうときって、あわてても無駄だろ?何も覚えてないんだから。ね?」
「ね!じゃねぇよ」
「わっ、殴るのなし!!君、かなりの怪力君だよ」
そういうと彼女は振り上げたこぶしをしぶしぶ下げてくれた。
「ところでここはどこだい?」
僕はようやく場所の確認をした。僕の目の前、つまり彼女の背後には十メートルくらいの滝があり、川がながれていた。僕はその近くの石がごろごろしている河原に倒れていたようだ。要するに、ここはどこかの山の中なのだという認識はすぐにできた。
「見ての通りの渓谷だよ……ああ、せっかくいい品が手に入ったってのに……」
彼女はそう言うと右手の親指と人差し指を軽くくっつけて離す。するとそこには菱形の深い藍色をした宝石のようなものが現れた。僕はそれを見て、とても懐かしい気がした。
「綺麗だろう……」
そういう彼女は、言葉とは裏腹に悲しい顔をした。
「こいつはある女からの代価だ。助けてやりたい奴がいるが、何を言ってやったらいいかわからないというんでな。言葉の代価にもらったもんさ」
「その人……もしかしてもう……」
亡くなったのかいと僕は言おうとしたが、彼女はどうでもいいことさと言って言葉を遮った。
「口開けろ」
「は?」
「は?じゃねぇ。口開けろつうの」
僕はなぜか彼女の言葉に抗えず、口をあーんとあけた。そこへ菱形の宝石が放り込まれた。僕はびっくりして吐き出そうとしたが、一瞬にしてそれは姿を消した。そして、僕の頭の中に一気にさまざまなことが流れ込んでくる。それは、僕の記憶ではない。誰か別の人の記憶だった。
僕は気が付くと泣いていた。声を殺して、ただひたすら泣いていた。そして、僕の記憶は鮮明に蘇る。僕は自分の夢を叶えるために妻と子どもを捨てた。会社を辞めて……小さいころからの夢だった小説家としての一歩を踏み出したのだ。
だが、それは詐欺だった。最初だけ自費出版となりますと、どこにでもいそうな男が言う。その言葉を鵜呑みにして五百万の大金を出してしまったのだ。子供の将来のためにと、いつか家をたてようねと妻と二人で貯金していた五百万。散々、妻にそれはおかしいと言われたのに、腹をたてて別居することになったのだ。
『僕の夢が叶うんだ!!君はそれを棒にふれっていうのか?』
『そうじゃない、そうじゃないわよ。お願いだから冷静に考えて。出版のために五百万なんておかしいわ。自費出版なんてもっとおかしいでしょ?』
『別におかしくないよ。僕の才能を認めてくれたのが、小さな会社だったから仕方ない話だってだけで、増版の約束もした。ちゃんとした契約書も弁護士立ち会いでサインしたんだからな!!』
それは全部ウソだった。妻が正しかった。どうして僕はあの時あんなに冷静じゃなかったんだろうか。いまさら、泣いても戻らない。これは僕の浅はかさだ。学生時代からネット上で作品を発表したり、公募したりしていた僕にふってわいたような出版の話……。冷静でいられたら、こんなバカな話はないのに。
「思い出したんだな」
僕は言葉もなくただうなずいた。
「なら、一番帰りたいところに帰れるよ」
「……帰れないよ」
「なんでさ?」
「僕はひどいことをしたんだ。母と同じように夢を追いかけて……家族を捨てたんだから」
帰る資格なんてないよと僕は鼻水をすする。他人の記憶だと思っていたものは、読者モデルから本格的なモデルになれると聞いて家を飛び出し、無理やりアダルトビデオを撮られてどん底まで落ちていく母の記憶。そして、偶然、僕と僕をだました男が話をしていた喫茶店で静かに働いていた母。僕が帰ったあとに男がどこかへ電話しているのを、テーブルを片づけながら聞いていた彼女は、僕がだまされたことに気がついた。だが、僕の名を聞いて今更、顔も出せないと自分を責めて泣いた。
そんな時に、この少女と出会って、叶うなら【騙されないで。あたしのようにならないで】とその言葉を僕に届けようとしたこと。その途中で事故に会って死んだこと。すべてが、今、僕の記憶に刻まれていた。
「僕は……なんて馬鹿なんだ……」
僕らを捨てて出て行った母を憎み、同じようになるまいと思いながらも、夢を捨てきれずに趣味として作品を書き続けていた。会社の人間関係にも疲れていたころ、あのどこにでもいそうな男に出会ったのだ。ネット上で。
彼は僕の作品をいつも褒めてくれた。アドバイスなんてせずに、いいことばかり言って、僕をよろこばせてくれた。僕は気が付いたら、彼の話を信じられるくらい、彼に傾倒していたのだ。
だから、冷静に妻の言葉を聞くことができなかったんだ。
「本当に僕はバカだ……」
「だからって死んでいいわけがない」
少女は突き放すような冷たい言葉を吐いたのに、それは僕の心を温かい手で包むようなやさしさをもっていた。
「そう……だよね……そんなことしたら、大馬鹿だ」
「だったら、やり直せ」
「できるかな……」
できることなら、やり直したいあの日に戻って、妻と言い争ったあの日にもどって。そんな願いはかなわないと思っていたけれど、願わずにはいられなかった。本当に僕を心配して愛してくれたのは、妻だったのに。本当の言葉を口にしていたのは、いつも厳しい批評をくれる妻だったのに……。
「帰れるよ」
「そうだね……帰ってあやまらなきゃね。それだけはちゃんとしないといけないよな」
僕は半分、自分に言い聞かせるようにつぶやいた。すると、うつむいた僕の視界に白い手のひらと虹色の金平糖が差し出された。
「金平糖にしては、大きいね」
僕は少し笑った。彼女も少しわらって特別だからなと言った。
「食え」
「ありがとう」
僕は彼女の手から金平糖をもらって食べた。甘い、甘い、でも何か苦い不思議な味のする金平糖だった。
『まもなく、多々良駅前です。お降りの方はお忘れ物のないように』
僕ははっとした。危うくバスを乗り過ごすところだった。僕はバスを降りて家に急いだ。どうしてこんなに急いでいるんだろうかと思うほど、心が焦っていた。
今日、ネットで知り合った出版社の男と出版の話をしたせいで、高揚していたのかもしれない。けれど、とにかく、家路を急いだ。
そして、ただいまといい妻をみて大喜びで出版の話をした。けれど、彼女は喜んでくれなかった。それどころか、そんなおかしな話はないからやめろと言う。僕は一瞬頭に血が上って、彼女に文句を言おうとしたそのとき、聞こえたんだ。不思議と懐かしい声が。
『騙されないで。あたしのようにならないで』
僕はわけもなく、涙をこぼした。そして、頭が冷えた。妻がいうことが正しいのだ。
「ねぇ、どうしても本にしたいのなら、百万だけ使っていいよ。それくらいあれば、五百部くらいならなんとかなるわ。あたし、調べたの。だから、あの男の人の言うことは聞かないで」
「ごめん、僕、どうかしてた。あいつにも頼らない。自費出版もしない。ちゃんと公募にだしつづけるよ」
僕がそういうと妻は、とてもうれしそうに言ってくれた。
「よかった。あたし、これからもあなたの物語を一番に読ませてもらえるのね」
「うん、君が僕の大事なファンで編集長だからね」
(ああ、なんて幸せなんだろう)
僕はなぜかまた涙をあふれさせてしまった。
【終わり】
以下の診断メーカーからの着想です。
『様々な色に光る言の葉』を売る商人です。代価は幸せの欠片。迷子を見つけると家に帰れる呪文のかかった飴をあげています。不思議な雰囲気を持つ商人です。 #幻想商人 http://shindanmaker.com/530426