最終話:太陽の楽園
本当に、怖かったんだ。
ずっと死ぬのが1番怖かった。
目を閉じれば見える砂時計。
とめどなく流れ落ちていく、命の残り時間。
けれど、彼女と契約してから、砂時計は割れてなくなって。
怖いものはなくなった。
でもそうじゃなかった。
次に1番怖くなったのは、彼女をなくすこと。
彼女がいなくなったらって考えると、本当に怖かった。
気付いたんだ。
彼女がいるから、自分は剣士でいられるって。
だから、彼女がいないと自分じゃなくなる。
彼女がいない世界で、自分は生きていけない。
だから、この命、
彼女に捧げる――…………
少し、眠っていたようだ。
瞼がひどく思い。
空は夜明け前の色で、その薄い色ですら目に眩しかった。
その上地面が固くて居心地が悪い。
それで彼女は身体を起こす。
「…………?」
アシュアはそこで気が付いた。
どうして自分は今、起き上がっているのか。
さっき、確かに逝ったはずだった。
「…………」
妙な胸騒ぎがして傍らを見る。
そこには、クオが横たわっていた。
「……クオ……?」
とっさに彼の頬に手を当てる。
有り得ないほどに、冷たかった。
「…………うそ、だ……」
何がどうなっているのか彼女にはさっぱり分からなかった。
どうして死んだはずの自分が生きていて、生きていたはずの彼が死んでいるのか。
「おい、クオ……!」
無駄だと頭で半分分かっていても、もう半分は信じ切れなかった。
彼を揺さぶっても、身動きひとつしない。
その時彼女は気が付いた。
彼が常につけていた、左耳のピアスが消えていることに。
「……っ!」
とっさに彼女は自分の右耳を触る。
契約のイヤリングが、なかった。
彼女は彼の言葉を思い出す。
『……あるといえばあるけど……。でもこればっかりはどうにもならないし。俺には約束もあるからあんまり関係ないかな』
あの時彼が言わなかったこと。
これは、それに関することなのかと、彼女は直感した。
「馬鹿……!」
彼女は砂を握り締めた。
「クオの馬鹿っ! なんでお前が死ぬんだよ! 私はっ……私は……」
確かに最期、後悔したことがある。
『やりたいこととかっ……他にあるだろ!?』
そう尋ねられて、1番最初に思いついたのは。
「…………お前のことっ、全然知らなかったから……もっと聞こうと、思ってたんだっ! お前が死んだらっ……聞けないだろうがっ!!」
アシュアは冷たくなったクオの身体を抱いて叫ぶ。
「クオっ、起きろ……! 起きてくれ……っ!」
『お前が行くって言ったんだ! お前が行かないでどうするんだよッ!』
ああ、確かに憧れてた。
温かい場所。
きっとどこかに、あるって思ってた。
だけど。
「もう、いいんだ……楽園なんかもう行かなくていい……!」
アシュアは伝える。
あの時素直に言葉に出来なかったこと。
「私は……私も、今のままで良かったんだよ、クオっ……! だからっお前がいないと、意味がない……っ、お前がいないとっ、私の楽園はっ……ないんだ!!」
そう彼女が叫んだ瞬間、2人の周りは蒼白い光に包まれた。
「……!?」
そのまま、光に飲み込まれていく。
頬に当たるのは風、だった。
かつて感じたことがないほど柔らかなそれは、とても爽やかで、優しかった。
肌で感じるのは風だけじゃない。
温かな光も、感じていた。
瞼を閉じていても分かるその明るさは、なぜか痛くなくて、心地よかった。
「…………ぉ」
誰かが呼んでいるような錯覚を、彼は覚えた。
それも、よく知っている声で。
「……クオ」
1番、好きな人の声だった。
「起きろ、馬鹿クオ」
やけにはっきりと『馬鹿』と聞こえて、彼は眠りから目覚める。
すると、目の前に、赤髪の少女がいた。
「……ぇ? アシュア……?」
クオは目をこする。
間違いなかった。
「…………!?」
クオはがばっと身を起こし、彼女の肩を掴む。
「あれ!? ちょっと待てよ!? なんで!? 幻!?」
あまりにもしつこいのでアシュアは1発彼の腹部にお見舞いしてやった。
ぐーで。
「ぐほっ! な、なんだよ!? いきなり……」
とクオは反射的に言い返そうとしたのだが、なぜかアシュアはくるりとそっぽを向いてしまった。
俯いて、肩が小刻みに震えていた。
「…………アシュア……」
「この馬鹿! 誰が身代わりで死ねって言ったこの恩知らず!」
しゃくり上げる彼女を見て、クオはいたたまれない気持ちになった。
「……お前言ったよな!? 『俺は死なないって』!」
「……うん……」
クオとてちゃんと覚えている。
確かに誓った。
結果的に、それを破ることになってしまったが。
「約束破りやがって……! お前なんかっ! お前なんか、大嫌いだっ!」
アシュアがそう言って振り返ると、クオはそのまま彼女を抱き留めた。
「……!」
「ごめん、約束守れなくて。また、泣かせた……」
クオは腕に力を込める。
幻なんかじゃない、確かな彼女を、離さないように。
「っ……だからっ、謝るんだったらっ、最初から、破るな……っ」
アシュアも今回は離れようとはしないで、ただそのまま泣きじゃくった。
そしてしばらくして、少し落ち着いたところで
「……なあ、結局、ここはどこなんだ? 何で俺、生きてるんだ?」
クオがアシュアに尋ねた。
周りは果てしなく緑で生い茂り、向こう側にはきれいなライトブルーの湖が見えた。空は蒼く、どこか、いつもの世界とは違った場所のように感じた。
「……知らん! 気が付いたらここにいたんだ!」
アシュアはすっかりへそを曲げているようで、どこかつんつんしていた。
「……まさか天国とかじゃないよなあ……? あ、ほら、綺麗な花畑が見えるぞ」
そう言ってクオは前方を指差す。
緑生い茂る中に、色鮮やかな赤が映えていた。
「花畑っていうより……薔薇だな」
近づいてみると、それは真紅の薔薇だった。
よく見ると結構な数が植わっている。
しかもどれも真紅の薔薇だった。
「……アシュアの髪の色みたいで綺麗だな」
クオがそう言うと
「おだてても何もでないぞ」
アシュアはそう言ってまた歩を進めた。
(おだててるわけでもないんだけどなあ……)
クオがそう思いつつ彼女の後を追うと、薔薇はくすりと笑うように風に揺れていた。
しばらく歩くと、大きな、白い円形の石が地面に植わっていた。
「……でかいな、何だこれ」
そう言いつつ、2人がその石に乗ると、白い石が光りだした。
「!?」
するとアシュアとクオがいつの間にか持っていたメリクリウスの石が宙に浮いて、本石と底石が合体した。
そして2人が乗っている白い石がそのまま上に上がり始めたので、2人は慌てて飛び降りた。
下から見上げると、その白い石は鏡のようだった。
「これは……?」
アシュアの問いに答えるように、誰かの声がした。
「我は太陽の大鏡。全ての豊饒を司る光をこの地に放つものなり。汝らの望みを反映しよう」
どうやらその声はその鏡から発せられているようだった。
「太陽の……大鏡?」
アシュアとクオが戸惑っていると、痺れを切らしたのか鏡のほうから話しかけてきた。
「ここは太陽の楽園。汝ら、人間であろう? 影の国の侵攻を止めるためにやってきたのではないのか?」
それを聞いて、2人は言葉を失った。
「「…………え」」
2人は顔を見合わせる。
「アシュア! 来てるぞ! 楽園に!」
「あ、ああ!? 何かよく分からんが!」
それを見て鏡は呆れ気味の声で言う。
「……それで、どうするんだ?」
2人はそうだった、と鏡に向き直って
「出来るならそうして欲しい」
と言った。
「分かった。鏡の位置を元に戻そう」
そう言って、鏡は少し回転し始めた。
「……位置を、元に戻すって……?」
アシュアが尋ねると
「……いつだったか、1人の人間がこの地に辿り着いた。その男の願いは王になることだった。だから彼が王都を建てようとしていた地に豊饒の光が集中するよう、鏡の角度を動かしたのだ」
鏡はそう言った。
「え……と、つまり……?」
クオが考えようとする前に、アシュアが答えた。
「なるほど。その男が初代王で、鏡の位置を変えたせいで世界に注ぐ光のバランスが悪くなったのか」
「さよう。男はその時『永久の王都の繁栄』を我に誓った。それと引き換えに我が鏡の制御装置であるメリクリウスの石を渡したのだ。他の誰かが鏡を動かさぬようにな。だが……」
「王都は2代で荒廃。誓いは破られ、光のバランスが悪くなった世界に、影の国が付け込んだのか」
と言うアシュアの話を聞いてクオは頷く。
「へー……。で、鏡を元の位置に戻してバランスを取り戻すにしても鏡は石がないと動かせないから、人間が動かしに行かないように、カタストロファーもこれを狙ってたのか」
「……そういうことだな」
アシュアも頷いた。
そうしている間に、鏡は静止した。
「これでバランスは戻った。北の地を覆っていた影はなくなり、影の国も侵攻は出来なくなろう」
アシュアとクオは互いに頷いた。
「汝ら、メリクリウスの石はどうする。ここに置いていくか、それとも……」
鏡が問うてきた。
「……置いておく。それを持って帰ったら、また厄介なことになりかねないからな」
アシュアがそう言うので、クオは口を挟むこともなかった。
「ならばもう、汝らの世界に帰るがよい。汝らの傷はこの楽園の癒しの風で全て癒えているはずだ」
鏡がそう言って、また地面に沈み始める。
その前にクオは問いかけた。
「なあ、なんで俺たち、ここに来れたんだ?」
「……ここは『楽園を求める者こそ入れぬ楽園』。身を捨ててまで望むものが極楽ではない者こそ辿り着ける場所。ゆえに汝らは通れたのだろう」
そう言われて、2人は顔を赤くする。
鏡が完全に静止する前、最後にそれはこう言った。
『人間よ、賢くあれ』
次に瞬きをすると、2人はもとの場所に戻ってきていた。いつの間にか、こちらは朝を迎えていたようで、太陽が東の空に昇り始めていた。
シシイアボーグのせいで壊されてしまった神殿が見える。
「……あー、お気に入りの場所だったのになあ……」
クオが嘆く。
周りはひどい荒れようだった。
「なに、戻そうと思えば戻せる」
アシュアは空を見上げてそう言った。
黒い雲など跡形もなくなった、穢れのない空。
そんな彼女の満足そうな横顔を見て、クオも頷いた。
「……そうだな。まだ時間はいっぱいある……」
…………
………………
……………………。
「……ない!!」
クオが突然叫んだ。
「は!?」
アシュアはびっくりしてクオのほうを見る。
「何がないんだよ」
呆れつつ尋ねると
「…………契約、切っちゃったから……砂時計が……」
と、泣きそうな顔でクオが言った。
「……あー……」
そういえばそうだった、とアシュアは思い出した。
「アシュア……」
クオは申し訳なさそうに切り出す。
「もう1回、俺と契約してくれないか?」
そう言われて、アシュアはくるっと背中を向けた。
「あ、アシュア?」
クオはまだ彼女が怒っているのかと不安になる。
アシュアのほうはというと
「…………今度こそ、約束、守れるなら、してやっても、構わない」
と、どこかガチガチの声で答えた。
クオは思わず笑う。
「おい! そこ! 笑うな!」
アシュアは真っ赤な顔で振り返る。
……彼女は怒っているのではなく、恥ずかしかっただけなのだ。
クオはそんな彼女の手を取って、引き寄せる。
「……約束するよ。もう離さないし、離れない」
クオは彼女の耳元で、静かにそう誓う。
「……ほんと、だな?」
頬を染めたまま、アシュアが尋ねる。
「ああ。もし破るようなことがあったら、今度こそ閻魔の御前まで蹴り落としてくれ」
クオがそう言うと、アシュアはやっと笑った。
「言われるまでもない」
始まりを迎えた世界で、2人はそっと唇を重ねた。
・・・(感慨)。
エピローグへ参ります〜。
長いあとがきはそちらで!