第33話:白き霧の世界、黒き闇の世界
アシュアに面と向かってそう言われて、クオは
「話して……ないこと?」
と、何か詰問されているような圧迫感を覚えた。
するとアシュアは目を逸らして
「……メリアから聞いたんだが。剣士は成人するまでに契約を結ばないと死ぬとか……」
言いにくそうにそう言った。
「ああ、そのことか」
と、クオがいたってなんでもないように言うので
「なんだそれは!? 何でお前はそういう大事なことを言っておかないんだ!」
と、むしろアシュアが取り乱した。
クオが『落ち着けよ』といったジェスチャーをしつつ
「だって言っても仕方ないだろ? 同情任せに契約したって意味がないじゃないか」
と、けろりと言った。
「……!」
不本意だがアシュアは確かに、と納得してしまった。
「それにそれはもう過ぎたことだし。今じゃ俺はお前の立派な剣士だもんな」
とクオは笑う。
「立派かどうかは知らんがな」
「なんだよそれ!」
しかしそんな風に無邪気に怒る彼を見て、アシュアはさらに不安になった。
彼は無邪気な子供のように見えて、実はもう彼なりの思慮分別を持っているのだと気付いたのだ。
「なあ、他には何かないのか? 隠してること」
「なんだよその言い方、まるで不倫の疑いをかけられてるみたいだな」
とクオが言うので
「〜〜〜〜っ! もういい! お前に聞いた私が馬鹿だった!」
癇に障った、というより恥ずかしくなってきたアシュアは立ち上がった。
「え、あ、いや! アシュア!?」
どこかへ行ってしまいそうな彼女の腕を、クオは掴んでいた。
「……なんだよ」
アシュアは不機嫌そうに振り返る。
それでクオは気が付いた。
「そういや、腕……」
と、クオが手を離す。
「腕? あの女医のおかげで治ってるよ」
アシュアはコートの袖をさっとめくって見せた。
するとなぜかクオは目を見開いて、黙り込んだ。
「?」
アシュアが眉をひそめると同時にクオはアシュアの手を掴んでぶんぶんと振る。
「すごいなこれ! 良かったじゃないか!」
「? ? あ、ああ?」
と、どうしてクオのほうが興奮気味なのかよく分からずアシュアはクエスチョンマークを飛ばす。
「あ、ごめん」
と、クオは少しはしゃぎすぎたと自覚して、また手を離す。そんな彼を見てアシュアはつい笑った。
「変な奴。私の腕がどうだろうとお前には関係ないだろうに」
彼女がそう言うとクオはすかさず反論した。
「な!? そんなことないぞ! あの腕、前から相当痛かったんだろ? じゃあ治って良かったじゃないか。アシュアは嬉しくないのか?」
「いや、そりゃあ、嬉しいけど」
「じゃあそれでいいんだ。お前が嬉しいなら俺も嬉しい」
傍から聞くと恥ずかしいような台詞を、クオは堂々と吐いていた。
「…………だからお前はなんでそういうことをさらっと言うかな……」
アシュアは頭を抱えてそうぼやいた。
そんなこんなでさっきまでの彼女の不機嫌さは飛んでしまったようだ。
「まあいい。で、他には何もないんだろうな。剣士の制約とか」
と、アシュアが腕を組んで尋ねる。
クオはしばし宙に視線をやった。
「……おい、その様子だとまだ何かあるのか。包み隠さず言え。今ならまだ怒らないでいてやる」
アシュアはまた眉をひそめてそう言った。
「……あるといえばあるけど……。でもこればっかりはどうにもならないし。俺には約束もあるからあんまり関係ないかな」
と、クオは言った。
アシュアはさらに首をかしげる。
「なんだよその微妙な言い方は。言うなら言えよ。今更だけど」
それを聞いてクオは苦笑気味に
「確かに今更だよなー。だってアシュア、今まで俺のこと何にも訊いてこなかっただろ?」
そう言った。
そこで今度はアシュアが黙り込む。
(……そういえばそうか。なんで今更私はこんなこと訊いてるんだ? いや、剣士の町に来たせいもあると思うが……)
しかしそこで思い浮かぶのはなぜかメリアの顔だった。
(……待てよ、なんだってメリアを思い出すんだ。これじゃあまるで……)
妬いてるみたいだ、と、彼女は心のどこかでそう思った。
(いやいや、メリアのほうがあいつのこと知ってるのは当然だろ、幼馴染なんだから。私は何を……)
と、彼女が1人でぐるぐる頭を回転させていると
「なあ、アシュア」
クオの、どこか緊張気味な声が聞こえた。
「な、何だよ」
アシュアが気を取り直して顔を上げた時、辺りは真っ白な霧で覆われていた。
「なん、だ、これ」
アシュアが呆気にとられていると
「この霧なんかまずい気がする。抜けたほうがいい」
そう言ってクオがアシュアの手を取ろうとするが
「あれ?」
すぐ傍にいたはずの彼女の手が、なぜか取れなかった。
「アシュア? どこだ?」
クオがそう呼んでも彼女の返事は聞こえなかった。
(どうなってんだこれ)
そうこうしているうちにも白い霧はますます濃度を上げ、視界はほとんどゼロになってしまった。
自分がどこに立っているのか、そもそも地面があるのかどうかすら分からなくなってくる感覚を覚えながら、彼の意識もそんな曖昧な世界へと誘われていくようだった。
目を開けると、そこは草原だった。
どこまでも続くかのような、緑の大地。
空は青く、雲ひとつない良い天気だった。
「…………?」
クオは空を見上げてから、足元を見る。
そして周りを見渡すが、ただそんな光景が広がっているだけだった。
(おかしいな。ここどこだ? それにさっきまで夜だったはずなのに……)
すると
「クオー、どこにいるのー?」
と、女の声が聞こえてきた。
(?)
クオが首を傾げていると、前方から女性が駆けてきた。
彼と同じ碧色の目をした、長い髪の女性だった。
(……誰だ?)
彼がそう思う一方、彼女の方は彼をよく知っているかのように話しかけてくる。
「もう、遠くまで行っちゃ駄目って言ったでしょう?
そろそろ帰りましょう」
「え? どこに?」
クオは戸惑った。
「もう、何呆けてるのよこの子ったら。家に帰るのよ」
そう言って彼女は手を伸ばし、彼の手を取った。
(…………!)
その時彼は気が付いた。自分の手が、身体が、幼くなっていることに。
「今日のお昼はクオの好きなオムレツだからね」
そう言って笑う碧眼の女性。
そして彼は認識した。
「……うん、母さん」
視界が晴れたかと思えば、目の前には懐かしい樹が立っていた。
(…………)
アシュアはそれを注意深く眺める。
(……これは……)
視線を横に移すと、懐かしい、小さな家もあった。
そして、そのドアが開く。
「アシュア、またそこで遊んでいるの?」
出てきたのは彼女の母親、ソフィアだった。
「どうしたの? 黙りこんで。どこか怪我したの?」
そう言って彼女は駆け寄ってきた。
「そういうわけでもないみたいね。今日は冷えるからもう中に入りましょう。スープ作ったのよ」
そう言ってソフィアはアシュアに手を差し伸べる。
その笑顔はあの時のまま。
あの街外れの小さな家で、2人で暮らしていた頃の。
その手を取れば、戻れるかもしれない。
しかし。
「……今更何のつもりかしらないが。随分と悪趣味だな」
アシュアはそう言って、幻と決別した。
途端、景色は変わって、白い霧の中に彼女は立っていた。
そして前方には、白装束の老女が座っていた。
「ほーう、変わった人間もいたものよの。まさか幻を破る者がおったとは」
老女は目を閉じたまま、そう嗤った。
「ふん、あいにく私の中での『母の死』のイメージは大きいんでね。今更出てこられても嘘だとしか思えないんだよ」
アシュアはそう言いつつ、老女を怒りの目で睨みつけた。
「しかしあのまま母親の手を取っておればお主はあそこで一生幸せに暮らせただろうに。損なことをする小童よ」
老女はアシュアに睨みつけられてもひるまず、ただそう続けた。
「偽りの中で『生きる』なんてそれこそ馬鹿らしい。とっとと元の場所に戻せよ」
アシュアがそう言うと
「まあそう言うなら戻してやっても構わんが。でもいいのかの? お主の連れは見事に幻にはまったぞ」
老女は忍び笑いを漏らした。
「はあ!?」
アシュアはうっかり怒りを込めてそう叫んでいた。
「あんの馬鹿!! 何考えてんだ!! いいからさっさとあいつを呼び戻せこのペテン師!!」
アシュアは老女に掴みかかるが
「ペテン師とは失礼な奴よ。わしはこれでも数多の修行を重ね境地に至った仙女だぞ。ここへ人間を誘って幻を見せてやるのも世紀末を迎えて絶望を抱える人間を救おうとしてやっておるのだからな……」
と、いけしゃあしゃあと老女は言った。
「は! 心だけ救われたって世界は終わるんだよ!」
「むむ、お主分かっとらんな。ここは一応異次元じゃ。ここにいる限りあの世界が崩壊してもここにいる人間は無事なんじゃぞ?」
「!!」
そしてアシュアは老女を掴んでいた手を離した。
「じゃあここから他の次元には行けないのか?」
アシュアはそう尋ねた。
「ああん? そりゃあ無理じゃ。ここはわしの創った独自の次元じゃからな、他の次元へ繋がる扉はない」
それを聞いてアシュアはうなだれる。
「えらく残念がっとるようじゃが、何なんじゃ? 太陽の楽園でも目指しとるのかお主は」
老女がそう言うので
「ああ。あそこにどうしても行かなきゃならないんだ。でもどうやって行けばいいか分からない」
アシュアは溜め息混じりにそう言った。
「ほーう……わしとて楽園に興味がないわけではないがな、その手段はわしも知らぬ。ただこれだけは言っておこう。
……あそこは行こうとして行けるところではない」
老女はそう言った。
「え?」
「……そう聞いたことがある。詳しくは知らんがな」
老女はそう言って、どこからともなく杖を取り出した。
「さて。お主、連れを取り戻したいんじゃったら自分で探してくるがよい。我が楽園のどこかにいるはずじゃ」
そして老女は杖をアシュアに向けて振った。
すると杖の先から怪しげな光が発せられて、アシュアを包んだ。そして老女はこう言った。
「しかし連れの小童が帰りたくないと拒絶した場合お主も帰って来れなくなるからな、気をつけるんじゃぞ、ほほほ」
「は!? 何だよそれ! お……」
アシュアが反論しきる前に、老女の姿は消え、周りの景色も変わっていた。
一方、すっかり日の落ちたウォール川の川原で、2人の男女はまだライア石なる鉱石を探していた。
「ねえベイン? さっきも聞いたけどなんだってそんなにライア石にこだわるわけ?」
一度帰りかけてまた戻ってきたソラは、半ば呆れつつそう婚約者に尋ねた。
「ああ? まあ、なあ。お前が喜ぶかと思って……」
と、ベインは微妙に歯切れの悪い返事をした。
「? どういう意味?」
ソラはさっぱり分からず、首を傾げる。
ベインもやはりそろそろ疲れてきたのか、観念した。
「婚約指輪の次は結婚指輪。用意しないと駄目だろ?」
それを聞いてソラは目を丸くした。
「え……それって……」
「クオの奴が言ってたんだよ。この辺じゃそのライア石ってえのが結婚指輪に人気なんだってよ」
ベインがやけ気味に言うと、ソラは頬を赤らめた。
「ベイン……そのためにわざわざこんな時間まで……?」
ソラはうっかり嬉し涙をこぼしそうになりつつもこらえることにした。
泣くのは石を見つけてからにしようと決めたのだ。
「わかった。もうちょっと探そう。きっと見つかるわ!」
ソラはまたしゃがんで水底をあさる。
それを見てベインもまた腰をかがめて、鶴嘴を振った。
すると
「?」
何か、今までにない手ごたえを彼は感じた。
もう少し掘る。
すると微かに月光に応えるように、銀色に光るものが見えた。
「…………あった」
ベインは呟くようにそう言った。
「え?」
ソラが彼の傍らに寄る。
ベインはそっと、不器用な手で、それでも石を傷つけないように取り上げた。
「ほら、あった!」
ベインははしゃぎながらソラにそれを手渡す。
「…………!」
ソラは万感の思いを込めてその石を月にかざした。
月明かりとあいまって、その銀色の光は2人に舞い落ちるようにさえ見えた。
「…………ベイン、ありがとう。やっぱり大好き」
ソラは今度こそ涙を流してそう言った。
ベインは照れつつも苦笑し、ソラの肩を抱いた。
しばらくそうしていると、急にあたりが更に暗くなった。
「!?」
2人は慌てて空を見上げる。さっきまで輝いていた月がどこにも見当たらない。
空は漆黒の闇だった。
「……まさか、カタストロファーの雲か?」
(それにしちゃあ暗すぎるが……あのタートルタウンの上にあった雲がここまで来たってことか?)
ベインはソラの手を取って走り出す。
「ベイン!? 戦わないの?」
ソラがそう尋ねてくるが
「この雲はまずい匂いがするんだ。多分俺たちの手には負えない。屋敷に戻ろう」
ベインはそう言って、走る。
川原からギリアート家の屋敷まではそう遠くはない。
が、昨日のこともあり、いつどこからカタストロファーが出てくるか気が気ではなかった。
そして案の定、空から黒い雷のようなものが2人の目の前に降りてきた。
(く……!)
ベインは覚悟を決めて、一瞬で折りたたみ式簡易型の槍を組み立てた。
しかし、彼らの前に立っていたのは人の形をした男だった。
「……!?」
その形に驚きつつも、ベインとソラは無意識のうちに後退していた。
それほどまでに目の前の男は危険だと、2人の、長年の経験による勘が告げていた。
一方、男のほうは冷たい眼差しを向けながらも、どこか愉しそうに口角を上げた。
「人間。武器を持っているね。僕と戦る気かい?」
黒装束の、髪の長い男はそう言って手の中に剣を編み出した。
(くそ、こいつと戦っても勝ち目はなさそうだが……背中を向けたら一瞬で切られる……!)
ベインはソラをかばいつつ、前に出る。
「ベイン、駄目よ! 逃げましょう!?」
ソラが彼の腕を引く。
「……なんだ、逃げるの? まあ逃げるなら逃げてもいいけど。手元が狂って剣が刺さったらごめんね?」
男は笑顔でそう言った。
(……ち、こいつはマジでやばそうだ。俺がおとりになってもソラが逃げ切れるかどうか……)
ベインがそう葛藤していると
「シシイアボーグ。そこで何をしている?」
頭上からまた別の男の声がして、何者かが降りてきた。
「「!?」」
ベインとソラはまたしても後退する。
降りてきた男がまたしても黒装束で、人間ではないような雰囲気を纏った男だったからだ。
しかし2人にとってその男の声はいつかどこかで聞いたことがあったように思えた。
「おや、レイドじゃないか。それはこっちの台詞だよ? 君こそ僕の前に堂々と現れるなんて一体どういうつもりだい?」
長髪の男、シシイアボーグは嗤いながらも、どこか侮蔑の目でレイドリーグを見た。
「ふん、お前がまたつまらんことをやらかさないか心配になっただけだ。無駄に人間を殺すなよ、こいつらはいずれ影の国の奴隷になるんだろ?」
レイドリーグはそう言いつつ、どこかベインとソラをかばうように立っていた。
それを好機と見て、ベインはソラを連れて逃げ出した。
「はは! 君はもう影の国じゃ身分を抹消されてるのによくそんなことが言えるね? それともそれは口実で、まさかさっきの人間達を助けるために僕の前におめおめ出てきたの? どっちにしろ馬鹿らしい!」
シシイアボーグはそう高笑いして、黒い剣をレイドリーグに向けた。
「まあいい。裏切り者のレイドリーグ、ここで君は死ね。影の国がこの世界を覆う日を見ることなく、ね」
また少し遅くなりましたごめんなさい。
内容的には・・・
あれえ・・・なんか突然異次元にー(汗)
あれえ・・・なんかレイドリーグがとっても良い奴キャラになってないかー?
あれえ・・ソラとベインがバカップルになりつつあるYO−。
・・・ですがやっとシシイアボーグ(長い)が登場です(誰だっけ?という方は前の幕間を見て下さい・汗)。レイドが俺様系だとすると彼は僕ボンボン的な感じですね(←?)。
さて、ここでやっと章が変わる感じなので(無理やりだな)次は幕間となります。
次の幕間は神話編3部作の2作目となり、フェリアとアイアスの話になります。
違う話を途中で入れるのは読者の方にとっては少し読みにくいかとも思うのですが、前から別の次元の話を同時進行でやるっていうのに少し憧れていて、ちょっと挑戦してます・・・。ちなみに幕間はほぼ書けているので1週間も経たないうちにアップできるかと。
それではここまで読んでくださった方々、ありがとうございました!クライマックスも近いような近くないような・・・とりあえず9月は精一杯太楽尽くしで頑張りたいと思います!