第4話:契約
「待ってろ! そっち行くから」
お構いなしに少年は叫んだ。
「こっちって……」
少年は、どちらかが死ぬことなど考えていないらしい。
(普通こういうときは囮になるとかそういう思考に……。いや、もしかすると……)
獣が少年のほうへ疾走する。すると少年は何かを獣に投げつけた。破裂して白い煙が上がる。
(催涙ガス!? っていうかカタストロファーに効くのか!?)
と少女は思ったが案外効いているようだ。涙を流しているようには見えないが、獣の動きは止まっている。
その隙に少年がこちらに駆け寄る。
「大丈夫か……って大丈夫じゃなさそうだな……」
少女の足元には血だまりが出来ている。よく意識を保っていられるな、とクオが感心するほどだ。
「何か策、あるのか?」
少女は不機嫌な顔で彼に尋ねた。
「え? あー、えーと……ない……かな?」
緊張感のない顔で、クオは答えた。
「!! 何の策もなしにここまで来たのかこの阿呆!!」
脚の痛みも忘れて少女は叫ぶ。てっきり策があるのかと思っていたのだ。
「じゃあ契約してくれ」
「は!? こんなときにまたその話か!? ここで契約したってものの1分も経たないうちに仲良くあの世行きに決まってるだろーーー!!!」
そう言っている間に獣がゆっくりと身を起こす。
「え? じゃあ契約してもいいの?」
少年はお構いなしにマイペースで尋ねてくる。
「だー!! もう好きにしろ!!!」
この時の彼女は、らしくなかった。らしくなかったのだ。もう少し冷静になっていたら、こんな自暴自棄な返事をすることはなかっただろう。まあ、結果的に死んでいただろうが。
「よし! じゃあ契約だ!!」
やけに元気に少年が言ったかと思うと、次の瞬間。
「!」
息が出来ないのは口を塞がれたからで、頭が真っ白になったのは、それが彼の唇で行われたからだ。
曇天を受け止める屋上に、鈍い音が響いた。
「痛っ! なにすんだよ!!」
フォローしておこう。クオは『なにすんだよ』……と言わないようにしようと思っていたのだ。もし彼女(みたいなタイプの人)と契約することになったならば。しかしこうも容赦なく握りこぶしで殴られると、やはり口をついて出てしまった。
「なにすんだもくそもない!! いきなりキ……」
と言いかけた彼女はその後のワードを大声で言いきるのを躊躇った。
するとその時、白い光が2人を包んだ。カタストロファーはそのまばゆさに近づけない。
温かな光だった。同時に少女は右耳が熱くなるのが分かった。手をやると何か硬いものがあった。
「契約のイヤリングだ」
(うわー、やっぱりさっきので契約が……)
と彼女が思う間に目の前の少年の手にはさっきまでなかった剣が握られていた。
それは、彼女の持つ石と同じくらいの神秘だった。
クオは初めてその剣を握った。生まれて初めてのはずなのに、なぜか絶妙に手になじむ。シンプルな柄。だがなんとも神々しい飾り絵が目を引く。だがそれ以上に注目すべきは刃だ。ただの刃ではないということは素人でも分かる、白く光る刃。これは間違いなく、
「太陽の剣……」
(やっぱり俺に授けられた)
剣士の持つ剣には様々なものがある。代表的なのは鉄。だがそうそう現れないものもある。この太陽の剣はそうそう生まれない。
とにかくこれで彼の武器は出来た。
「よし、じゃあ見てろよ」
何気に放心状態の少女を尻目に少年は剣を獣に向ける。獣もやっと動き出した。
まずは少女から獣を遠ざける。
あとは、本能のままに、剣を振るうだけ。
傍で見ていた少女は正直、驚いていた。昨夜、武器にもならない棒きれを構えて少女を逃がすことしか出来なかった少年が(まあその心意気は買おう)、あそこまで剣術に長けているとは思わなかった。
あの獣はこの地域一帯の頭だ。相当、強いはず……なのだが。傍目で見ているとそれが弱いとさえ思えてしまうのは、なぜだろう。
少年の剣さばきは見事だった。あっという間に、その剣舞の舞台は幕を閉じた。
残るのは散りゆく影と、自信に満ちた少年の横顔。
「…………」
気がつけば、脚の痛みは随分ひいていた。完治とまではいかないが、あの光のおかげで少し治癒されたらしい。
……何か気にくわない気がするのは、気のせいではないだろう。助けることはあっても助けられることなどほとんどなかったのだから。
「脚、大丈夫?」
少年が駆け寄ってくる。
「……まあ、そこそこ」
と返事をして彼女は立ち上がろうとするもやはり少し無理があるようだ。よろついている。
「肩貸すよ」
クオはそう言ったが
「……いいよ別に」
と、そっけなく返された。
「遠慮するなよ」
「してない。断じて」
「むーーー」
「むーーーじゃない! お前はガキか!」
「なんだよまだ怒ってるのか? 契約のこと」
それは地雷だった。
「っっっ! あったりまえだこのライオン頭!! なんで名前も知らないような胡散臭い奴に……!」
またその後の言葉が続かない。クオが察するにこの少女、(見かけによらず純情派……? ていうかやっぱり初めてだったんだろうなあ……)
しかしその点では彼も同じ。
「俺はクオ。そのことは謝るよ。でもああしないと『2人そろってあの世行き』だったんだろ?」
それは正論だった。
「…………」
彼女はなんだか悔しそうな顔をしている。そんな表情も含め、土壇場の掛け合いはなかなかだったと彼は思う。初めの印象ほど彼女は堅苦しくないようだ。
「俺まだ名前聞いてない。マジョって名前じゃないんだろ?」
少女は『魔女』のワードに反応したようで、不機嫌さが増したが
「アシュア。アシュア・アイデンバイト」
とだけ言ってそっぽを向いた。
「アシュアか。良い名前だ」
彼女によく合っていると思った。名前を褒められたのが照れくさかったのか、アシュアはそっぽを向いたまま口を開かない。仕方がないから彼のほうから一方的に喋りだすことにした。
「何はともあれ契約しちゃったからな。これからはお前に同行するぞ。多分一生」
「は!?」
(それ、ひっかかったぞ)
少年は内心で忍び笑いを漏らす。
「ちょっと待て! 聞いてないぞそれ!」
「え? 当たり前だろ? 剣士は主に仕えるんだ。離れてちゃ意味がない」
「いらーーーん! 助けてもらったことには一応感謝するがもういいから! どこぞへと違う主を探しに行ってくれ!」
「それこそ無理だよ。剣士が仕えるのは生涯にたった1人だけなんだ」
少女は固まる。
「な……なんでそんな大事な主人決めをあんな単純に……しかもどうして私なんだ」
その顔は、本当に驚いたようで、何かに傷ついたような色を浮かべていた。
「単純に決めたわけじゃない。俺だって長いこと主を探して旅してきたんだ。……でもなんでアシュアを選んだかっていうのは……強いて言うなら直感」
「直感……?」
「剣士の勘」
少女は少し、嘲るような顔をして
「ならその勘は期待はずれだ。私など、剣士を従えるに値しない」
きっぱりとそう言った。
『どうして』と聞きたかったのだが、彼女がもう口を開きそうになかったので尋ねられなかった。
だが彼は信じている。自分の直感、インスピレーションとやらを。
だって燃えているのだ。胸の砂時計が。
紅い真紅の炎によって。