第28話:白日の災難
そこは白い空間だった。
壁も天井も窓枠も、ベッドもシーツもそして今自分が着せられている服ですら白。白だらけだった。
外はもうすっかり晴れているのだろうか、鳥のさえずりやら明るい日差しが差し込んでくるが、そんなものは全く彼女の慰めにならなかったし、むしろ白に反射して光が目に痛かった。
こういうとき、腕で目を覆いたくなるのだが、今はそれが出来ないでいた。
溜め息をついていると、戸をノックする音が聞こえた。
「アシュア、入るぞー……」
どことなく声を潜めて入ってきたのは金髪の少年。いつもの服が乾いていないのか、今日は黒のタンクトップ姿である。白の中に入ってきた別の色がどこか彼女の目を休ませた。
「気分どう?」
そう言いつつ彼は彼女が横たわっているリクライニング式ベッドの傍らにある椅子に座った。
「……最悪だ」
そう言ってしまうと彼女は昨日のことなどすっかり忘れて目の前の少年に堰を切ったように愚痴をこぼし始めた。
「あのクソ女医! 昨日の夜は無駄に注射刺しまくるはで今朝やっと意識がはっきりしたと思ったら頼んでもないのにいきなり腕まで診やがって!!! いや、診るだけならまだいい! なんだこれは!!!」
と、アシュアは視線を自らの両腕に向ける。クオも倣って苦笑しつつそれを目で追った。
彼女の両腕は共に包帯で巻かれている。それはまあ、いつものことなのだが、今はかなり『しっかり』と巻かれていた。
「やっぱり変な感じ?」
クオが苦笑したまま尋ねる。
アシュアは苦い顔をして
「当たり前だ!」
そう答えた。
するとまた扉が開く音がして
「ほんと元気いいわねー、昨日はあんなにへばってたのに。見上げた回復力だわー」
と、どこか軽快な女性の声と共に現れたのは眼鏡をかけた、白衣の女性。長い緑の髪が鮮やかといえば鮮やかだった。
アシュアは彼女を無意識に睨み付けていた。それを見て白衣の女はにやりと笑って
「そういうところ、かわいいなーとは思うけど。まあ見てなさいよ、明日になったらあんたは私に感謝することになるわよ」
そう自信満々に言った。アシュアはむすっとして答える。
「別に腕を診て欲しいとは頼んでないだろ! なんだよこの麻酔!」
そう、現在彼女の両腕には麻酔がかかっていて、全く自分の意思では動かせないのだ。
「それは半日もしたら取れるわよ。それにこの薬、使い続けたら肌にあんまり良くないってのは聞いてたんでしょ?」
と、眼鏡の医者らしき女性はポケットから軟膏を取り出す。アシュアがハインド老人からもらったものだ。
それをベッドの傍らの机の上に置いて、女医は続ける。
「腕は特にひどかったから独断で診たけど、他の怪我のケアにもちょっとくらい気を遣いなさい。一応、女の子なんだし」
と、女医は意地悪気に笑ってアシュアの額をつんとつついた。腕が動けば何かしら抵抗していただろうが、それも今は出来ず、アシュアは悔しげに彼女を睨むだけだった。
一方、そんな2人をクオはどこかそんな様子を微笑ましく眺めていた。
「じゃあ、何かあったらそこのボタンで呼びなさいね。……ってあ、ボタン押せないんだっけ〜あははは〜」
そう言って白衣の女性はまた部屋から出ていった。
「面白い人だよな、ジュリ先生」
とクオが言うと
「どこが」
とアシュアは相変わらずむすっと答えた。
どうして彼女がこんなことになったかというと、昨晩からの出来事を少しばかり述べることになる。
昨晩、クオがアシュアを背負ってギリアート家の屋敷に辿り着くと、心配になって待っていたのかソラとベインが門で迎えてくれて、その後メリアがアシュアの様子を見て大慌てでギリアート家の『お抱え医師』を呼んだ。それが先ほどのジュリ女史である。
彼女の診断によると
「軽く貧血、熱もあるわね、風邪かしら。あ、肩の傷開いてるし。あと疲労かな。とりあえず総合的な疾患ってことで」
ということで屋敷内の治療室に連れて行かれたアシュアは色々と施してもらったらしく、一晩で随分と回復したようだったのだが、今朝そんな彼女の様子を見に来たジュリ女史が
「そんなに元気ならついでに腕も診てあげる」
と軽く言って、これまた屋敷内にある『緊急治療室』なるところへ嫌がるアシュアをベッドごと運んでいった。
クオはそこで何があったのかは知らないが、とりあえずアシュアが色々喚いていたのは外からでも聞こえた。
ということで、現在は白昼である。
「アシュア、何も食べてないだろ? りんご剥いてやろうか」
と言ってクオは傍らに備わっていたりんごと果物ナイフを手に取った。
「……血のついたりんごはごめんだぞ」
アシュアが怪訝な顔でそう言うのでクオは少々むきになってりんごを剥き始めた。
彼女の予想通り、クオは随分と時間をかけて1つのりんごに専念していた。先に完成した歪な形の8分の1サイズのりんごが2つ小皿に置かれる。続けてクオは残りも完成させようと集中する。
アシュアはしばらくそんな彼を眺めていたが
「……不味そうなりんごがさらに不味そうになっていくんだが」
変色していく哀れなりんごを見てそう口にした。
「あ、それ先に食べてていいぞ」
クオはよほど熱中しているのか、残りのりんごに視線をやったままそう言う。
アシュアは少しばかり呆れる。
「……お前、なんで私が今こんなとこでじっとしてると思ってるんだ」
そう言われて、クオは顔を上げる。
(あ、そっか。腕動かないんだっけ……)
「……」
「……」
しばらく2人はりんごを見つめて黙り込む。
そしてクオが1つの策を見出した。
「……『あーん』、するか?」
「っ! 誰がするかアホ!!」
刹那にアシュアが頬を赤らめつつ吼えた。
するといつの間にかドアが開いていて
「あら、じゃあ私ならよろしいかしら」
と、柔和な笑みを浮かべるメリアが後ろに立っていた。
「め、メリア! いつの間に……」
気配を感じなかったのでアシュアは少しばかり慌てる。メリアはくすりと笑って、クオとは反対側に椅子をひいてきて座った。
「はい、どうぞ」
メリアがあまりにもそつなくアシュアの口にりんごを持っていったので、アシュアはそのままそれを受け入れた。
(……メリアならいいんだ……)
と間近で見ていたクオは少々複雑だったが
「……美味い?」
彼女にそう尋ねると
「……見た目はともかくりんごの味はな」
アシュアが照れくさそうにそう言ったのを見て彼は満足した。
クオが残りもなんとか剥き終えたころ、ドアが再びノックされた。メリアが戸を開けると
「メリアお嬢さん、ジョージさんが探しています」
ギリアート家が雇ったメリアのボディガードらしきいかめしい男が立っていた。大きな男で、もしかするとベインより大きいかもしれない。
「ジョーが? おかしいわね、昨日の晩から隣町まで買出しに出掛けているはずなんだけど……」
メリアがそう言うと、大男はどこか不自然に顔をしかめた。
「とりあえず来てください」
そう短く言ってメリアを促す。
メリアは苦笑しながらアシュアとクオに
「少し席を外しますわね」
そう言った。
そして戸が閉まる直前、アシュアとクオは互いに目を合わせる。アシュアが顎で戸を指すと、クオは頷いてそのまま戸に向かって駆けた。
「ちょっと待て!!」
クオが戸を開け放ちながらそう叫ぶと、メリアが振り返ると同時にその先を歩いていた男がとっさに彼女の首にその太い腕をかけて捕らえた。
しかしクオは俊敏に男との距離を縮めていた。そのまま行けば、彼の拳が男の顎でも殴って、男がのけぞる間にメリアを助けることも出来ただろう。
しかし。
「ちょっと待ちな!」
クオの後ろから、別の男の声がした。
悪い予感がしてクオは拳を止めた。
振り返ると案の定、白い病室の中にも別の男がいて、あちらはアシュアを捕らえていた。男の手には先ほどまでクオが遣っていた果物ナイフが握られている。
アシュアは怯えた様子は微塵も見せない。ただクオが見た限りでは、ものすごく不愉快そうな顔をしていた。
「ベインって奴に聞いたぜ。お前、この女の剣士なんだよな? それ以上動いたらどうなるか、分かってるよな?」
男は下衆な笑いを浮かべてナイフをちらつかせる。
「……くそ……」
クオは歯軋りしつつ拳を下ろした。
するとメリアを捕らえていたほうの大男が彼女を抱えてすぐさま白い病室の中へ駆け込み、
「こいつらを無事に返して欲しかったらギリアート卿にこれ以上派手な真似はするなと伝えておけ!」
そう言って男達は少女2人を連れて窓から外へ出た。
クオは慌てて追いかけようとしたが、まだ他にも共犯者がいたらしく、馬車が走り去っていく姿しか見えなかった。
(他の奴らは何をしてるんだ!?)
クオは不審に思ってすぐさま外に出る。
昨日は配置されていたはずの位置に傭兵達は全く見当たらなかった。あれだけの数がいたのに1人も、である。
(まさか全員グルだったのか? いや、でもそれじゃあソラとベインは……)
そう思ってクオは昨日ベインがいた場所へ走る。
するとそこにソラとベインの姿があった。
「あれ、クオ君。どうしたの? そんなに息切らして」
いつも通りのソラの反応に少し安心したクオだったが、すぐさま
「アシュアとメリアが護衛に連れ去られた!」
そう言うと、ソラとベインは狐につままれたような顔を見合わせて、それから血相を変えた。
「なんだと!?」
「はめられたわね」
それぞれ罵倒、自嘲する。
「それより他の雇われ兵はどうしたんだ? さっきから見当たらないんだ」
クオが言うと
「ああ、今思えば納得がいくわ。あいつら全員酔いつぶれて今はまだ寝てるのよ。昨日の晩飲まされたんでしょうね……監視役みたいなジョージさんがいないからって羽目外して飲むほうも飲むほうだけど」
ソラが呆れ顔で答える。
「俺は昨日出かけてたしこいつはその頃はもう寝てたみたいだからな」
ベインは肩をすくめた。
「仕方ないな、3人で追いかけよう。馬車で逃げたんだ、あいつら」
クオは今にも駆け出しそうな様子だったがそれをベインは抑えて、
「馬車か……おいソラ、ここ、車も確かあったよな?」
とソラに尋ねる。
「え……馬屋の隣で見たけど……勝手に使っちゃっていいの? 壊したらまずくない?」
ソラは訝しげに、というより不安げにベインを見た。自動車はかつて栄えていた頃の王都の工場でしか生産されていなかった乗り物であるがゆえに、今では非常に珍しいものとなっていた。
「ギリアート家にとっても一大事だぞ? そんなこと言ってる場合じゃない。鍵、なんとかもらってくる」
ベインが屋敷の中へ入っていった。
「クオ君、こっち」
ソラがそう言って先導する。クオは慌てて続いた。
時折激しく揺れる不快な荷馬車の中に、2人は押し込められていた。
「……ったく最近こんなことばっかりだな」
手足を縄で縛られたアシュアは舌を噛みそうになりつつも悪態づいた。
「本当に申し訳ないですわ、アシュアさんまで巻き込んでしまって……」
同じく手足を縛られているメリアがそれでも深々と頭を下げた。
「いや、それはいいんだが……今度からは誰でも彼でも雇うのはやめたほうがいいみたいだな」
アシュアは御者台のほうを向いてそう言った。無論シートの隔たりによって御者は見えないが、男が3人いるのは確認済みだ。どれもギリアート家に雇われたメリアのボディガードとして前から潜んでいたのだろう。
「そうですわね。お父様にそう伝えておきましょう」
メリアは苦笑した。
「……でもどこに向かってるんだ? こいつら」
返事を期待せずにアシュアがそうぼやくと
「恐らくギリアート家を煙たがっている近くの貴族の屋敷ですわ。お父様の事業を中断させるために違いありません」
メリアははっきりとそう答えた。
「事業?」
アシュアは半ば驚きつつそう問い返すと
「ええ。私の父は今、影に覆われてしまった北の地方の皆さんへの支援を行ったりしているんです。確かに善意ではありますが、王座への布石でもあるということは否定できませんわ」
メリアはまた、苦笑しながらそう答えた。
それを聞いてアシュアは納得した。
王座を狙う貴族にとって、その先頭を独走するギリアート卿は邪魔でしかないのだろう。そこで彼の愛娘を誘拐して『王座は狙うな』と言っているのだ。
「メリアも大変だな」
心から、アシュアはそう漏らした。
「ふふ、まあ、そうですわね。でも今回はアシュアさんと一緒だから少しばかり気が楽ですわ」
そう答えるメリアは確かにそんな顔をしていた。それを見てアシュアは溜め息をつく。
「すまないな、腕が動けばすぐ逃がしてやれるんだが」
そんな風にしょげているアシュアを見て、メリアはくすりと笑った。
「いいんですのよ。それにアシュアさもたまには……なんて言ったらいいのかしら……待ってみるのも良いかもしれませんわよ?」
メリアのその言葉にアシュアは首をかしげる。
「? 何を?」
そんな彼女を見てメリアは更に可笑しそうに笑う。
そしてこう言った。
「白馬の王子様」
作者「お久しぶりです。すみません、中旬とか言っておいて結構下旬に入ってからの更新となってしまいました」
アシュア「しかもなんだかとても『つなぎ』な感じがする話だな」
作「う・・・(冷や汗)。と、とりあえず今回はアシュア以外のキャラにもスポットライトを当てようという計画ですので」
ア「マジか・・・」
作「だって主人公クラスなのにあんまり見せ場がない金髪の子がひとりいるよ」
ア「・・・」
作「白馬の王子様なんか〜♪」
ア「信じてるわけじゃない・・・ってオイ言わすな」
(すみません)
それではここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。
次回、白馬の王子様は現れるのか(←違う)よろしければお付き合いください。