第26話:雨
クオは正直戸惑った。幼馴染であるメリアと、彼女とは初対面のはずのアシュアが一緒にいることに。
しかもアシュアに『知り合いか?』と訊かれて
「えーと、その、メリアとは幼馴染でだな、その、話せば長くなるんだけど……」
としどろもどろに言いかけると
「一時は婚約もしてましたのよ」
と、悪気は感じられない笑顔でメリアがさらりと言った。
瞬間、場の空気が凍る。
(め、メリア……)
クオが額に脂汗を浮かべつつ、恐る恐るアシュアのほうを見ると
「こ、婚、約……?」
アシュアは初めこそ衝撃を受けて放心状態のような顔をしていたが、1秒1秒経つにつれクオのほうを怪訝な顔で見だした。
(視線が、痛い……)
クオは慌ててアシュアから目線を逸らした。
「まあ、するとやはりクオ様が契約されたのはアシュアさんでしたのね。イヤリングの色を見たときからもしかすると、と思っていましたのよ」
と、2人の間に流れる微妙な空気など気にも留めずメリアは楽しそうにそう言った。
クオはなんとなく話を逸らしたくてメリアに話しかける。
「メリア、それよりなんでこんなとこにいるんだ? 付き人も付けないで」
するとメリアは苦笑しながら
「少しばかり息抜きを。最近ずっと屋敷に缶詰にされて……お父様ったらボディガードの方をこれでもかと言わんばかりにお雇いになるんですの。その方々には悪いんですけれど、その、少しばかり息が詰まりまして」
と言った。
(……ボディガード? ってもしかして……)
とアシュアが思いかけると
「あ! いたいた! メリアお嬢様ーー!」
遠くからそんな声が聞こえる。振り返ると、燕尾服姿のひょろりとした眼鏡の男が先頭を切り、その後ろにどこか強面の男達が数人続いてきており、その中に
「あれー? アシュアちゃんとクオ君じゃなーい。やっほー」
と元気に手を振ってくる銀髪の女がいた。ソラだ。
その妙な集団がメリアの前にやってくる。
「お嬢様! あれほど危険な目に遭われたのにまたお屋敷を抜け出して! 旦那様の耳に入ったらまたお叱りを受けますよ!」
男にしては高い声でどうやら執事らしい男が興奮気味にまくし立てる。
「ジョーったら、叱られるのは貴方も同じでしょう? お互い黙っていたほうがいいんじゃないかしら。今後のためにも」
と、何気に恐ろしいことを言うメリアだったが
「お嬢様のその手には乗りません! 今回のこともきっちりと報告させていただきます! それより何ですか、お召し物をそんなに汚されて……」
と、男はメリアの洋服に付いた泥やら草の切れ端やらを見て顔をしかめ、更には傍らにいたアシュアとクオをその細い目で睨んでこう言った。
「貴方達ですか、お嬢様をたぶらかしたのは!」
高い割りに、どこか威厳をかぶったその声には気圧されるものがあり、アシュアとクオが少々困っていると
「いいえ。むしろ逆ですわ、ジョージ。アシュアさんは私を暴漢から守ってくださったのよ」
メリアが窘めるようにそう言い放った。
ジョージというらしい燕尾服の男はそれを聞くなり慌てだし、
「そ、それは申し訳ありませんでした! どうぞ私めの非礼をお許しください!!」
と、土下座でもしそうな勢いで頭を下げ始めた。
「いや、その……」
アシュアが更に困っていると
「どうかお嬢様を助けていただいたお礼をさせてください! お屋敷でおもてなしをさせていただきますから!」
と、男は懇願するように言った。メリアはそれを聞いて
「まあ、それはいい考えね、ジョー。お客様としてお招きするのならお話も沢山出来ますし。アシュアさん、クオ様も、是非いらして」
メリアは目を輝かせて2人を見た。
((う……))
正直どうしようか悩んだ2人だったが、どうにもメリアは話し相手が欲しいようで、それを無碍に断ることも出来ず
「……わかった……」
アシュアがそう返事をしたので、クオは付いていくことにした。
メリアの家、ギリアート家の屋敷は剣士の町の西門から出て少し歩いたところに位置していた。
「うわ……」
アシュアが声を上げるほど、ギリアート家の敷地は広かった。屋敷の門から建物まで何せ馬車に乗っての移動なのである。
「ギリアートの土地はこの辺り一帯だけでなく、大陸の各所にあるのですよ」
誇らしげに例の執事の男が言う。
たまたま同じ馬車に乗ったソラが
「この大陸で今1番権力と財、名声を持ってる貴族よ」
とアシュアに耳打ちした。
屋敷に入ると、アンティークな雰囲気漂う内部に気を取られている暇も無く、沢山の家人が左右1列ずつ並んでおり
「お帰りなさいませ」
と揃って言った。その厳かさにアシュアとクオはたじろぐ。
メリアはやはり慣れているのか、微笑で返しつつ手で軽く合図をして彼らを下がらせ
「ジョー、私の部屋にお茶とお菓子を」
と、例の男に指示した。
彼女の部屋は2階にあり、個人の部屋とは思えないほど扉は大きかった。
(タートル・タウンの宿の扉よりでかいな)
アシュアがそう思いつつ、メリアに続いて部屋に入ると
「…………」
言葉を無くすほど、中も広かった。
装飾も、カーテンも、家具も、どれも凝ったものであることはひと目で分かるが、やはりどれも趣味がよく、高いがゆえの嫌味な感じは全く与えない。やはりメリアらしい部屋といえばそうだった。
「こちらにお座りになって」
メリアがどうやら談笑用らしい円テーブルの椅子を引く。
するとクオが
「あのさ、やっぱり俺、外にいるよ。さっきベインを1階のテラスで見たから、そこに行ってくる」
と言い出した。
「まあ、女性の部屋だからといって気を遣ってらっしゃるならそんなのは全く構いませんのに……」
とメリアは言ったがクオはやはり居づらいのか
「いいよいいよ」
と、半ば逃げるように出て行った。
実際、どうにもメリアとアシュアの組み合わせの中に居づらいというのもあったのだ。
そんな彼を見届けてからメリアも苦笑して
「クオ様ったら、相変わらず妙なところで律儀ですわね」
と席に着いた。アシュアも倣って向かいに座る。アッシュは床にそっと寝かせておいた。
少し、どころかかなり気になっていたことをメリアに尋ねてみることにした。
「あの、さ。その、あいつと婚約してたって……」
「ええ。随分前に父と剣士の町の長老様が決めたことですわ。けれどクオ様がこの町を出ると仰ったときに解消したのですよ」
メリアは懐かしむように言った。アシュアは少々困った。こういう時にはどう返していいのか分からないのだ。
けれどメリアはさして気に留める様子もなく、話し続ける。
「剣士の町でのクオ様の扱われぶり、ご覧になりました?」
「え……。ああ」
アシュアはそう言われてあの人だかりを思い出す。
「あれでもクオ様、剣士の町の自慢の剣士なんですよ。生まれたときから長老が『この子は我が一族で最も偉大な太陽の剣を授かるだろう』と仰って、立派な剣士としての素養を身につけさせるために剣士の学校の役割も兼ねた教会でずっと過ごされて。それでクオ様は『坊ちゃん』と呼ばれて町全体で可愛がられてきたんですわ」
アシュアは呆気にとられる。
「え……? それで、あいつの家族は……?」
流石にこれにはメリアも困った表情を見せ
「私も存じ上げないのですが、きっとその町の人達の中に隠れて見守ってきたに違いありませんわ。そう、きっと今日も……」
そう言った。
アシュアは妙な気分になった。別に彼が文句を言わないなら哀れむつもりもないが、それでも、そこまでする必要があったのだろうか、と。
だがそれゆえに納得いかないことがあった。
「……そんなに大切にされてきた剣士だったんだろ? どうしてあいつは外に?」
「詳しくは私も存じないのですがクオ様がお慕いしていた兄弟子の方がお亡くなりになってからですわ、クオ様が外に出たいと言い出したのは。長老様も随分と頭を抱えていらっしゃいました。本来ならクオ様をずっとこの町に置いて、跡を継がせたかったのでしょうね」
メリアはさり気に突拍子も無いことを言った。
(……あいつが、町の長老? ……似合わない……)
アシュアがそんなことを思っていると、メリアがその考えを見透かしたかのように笑って、
「でもクオ様、この町にいらっしゃったときはもっと、その、どこか町の掟に従順で……何て言ったらいいのかしら……元気は良いんですけれど真面目で大人しい方でしたから。あのままここにいればすんなりと長にでも何にでもなってらっしゃったかもしれませんわ」
と言う。
「…………」
そんな昔の彼の様子にも驚いたが、そんな風に彼を語る彼女を見てアシュアはふとあることに気がついた。
「メリア……、その、もしかして、婚約ってことは、その……」
(結婚=ずっと一緒にいるわけで、すると必然的に……)
「ええと、契約のことですか? 確かに契約する予定もありましたけど、やはり同じく町を出られるときクオ様が断りを入れられましたわ」
メリアはなんでもないように言った。
一方、アシュアは上から圧力でも掛けられたかのような重さを肩に感じていた。
『婚約していた』と聞かされたときよりも、むしろこちらのほうが彼女にとって、どこかショックだった。
それきりアシュアが黙り込んだので、メリアが何か話題を持ちかけようとしたら、ちょうどメイドがお茶とお菓子を運んできた。
ひとしきりそれを楽しんだ後、ふと窓の外を眺めると、いつの間にか厚い雲が広がっていて、ぽつりぽつりと雨が降り始めたようだ。
「まあ、雨。アシュアさん、気付けばこんな時間ですし、良かったら今日はうちにお泊りされてはいかがかしら」
メリアがにっこりとそう提案してきた。
「ああ、いや、宿をさっきの護衛と一緒にとるって話があって……」
と言いかけて
「いや、クオとも話したいんならあいつだけ置いていくが」
と、アシュアは言い直した。
実際、彼女は自分でもよく分かっていない。メリアに気を遣ったのか、それとも自分がクオと顔を合わせづらいのか。
「まあ、それではクオ様が拗ねてしまわれますわ。あ、それにうちで雇っている護衛の方々はお屋敷の部屋をお貸ししているので宿の心配は要りませんわ」
とメリアが言う。
(う……)
断る理由がなくなってしまったアシュアは少々困ったが
「あの、ご迷惑でしたら構いませんので……」
と、明らかに肩を落とすメリアを見ているとなんともいえない気分になってしまって
「いや、むしろ助かるんだけど、いいのか?」
結局そう言ってしまった。
勿論メリアは笑顔で頷く。
「ええ。しっかりおもてなしさせていただきますわ」
少しばかり因縁のあるギリアート家で晩御飯までご馳走になってしまったクオは、正直手持ち無沙汰で2階にある大きな窓の前をうろうろしていた。ちなみに部屋は当初の予定通りベインと一緒にしてもらったのだが、彼は今どこかに出掛けていて、話し相手がいないのだ。
しかしクオにとって幸いと言うべきは、ギリアート家の当主、メリアの父であるギリアート卿が、今は町の外に出ていてこの屋敷にはいないということであった。
ギリアート卿は今最も王座に近い人物と謳われるほどの人格者である。そのことはクオもよく知っていた。クオが町を出るときも、かの紳士は快く笑って許し、応援すらしてくれた。けれどやはり、愛娘との契約の約束と婚約を一方的に断った身としては、1番会いにくい人物なのである。
更に頭を悩ませるのは
(アシュア……あれから全く目合わせてくれないんだよな……)
ということである。
やはり彼女も何か思うところがあるのだろうか、ここに来てから夕飯のときは勿論、さっき廊下ですれ違ってもひと言も交わさなかった。
窓の外の大荒れの天気を眺めつつ、そう悶々と考えていると
「クオ様?」
と、後ろから少女の声がした。
「メリア……」
クオが振り向くと、やはりいつの間にかメリアが立っていた。
「せっかく3年ぶりにお会いできたのですから少しだけでもお話いたしません?」
メリアは3年前と変わらぬ笑顔でそう言った。その笑顔を見ていると、こちらばかり彼女を意識するのも悪いと思い直し、クオも
「そうだな」
出来るだけ3年前のあの頃のままに笑って、彼女を迎えた。
「クオ様、随分とたくましくなられましたわね」
傍らのメリアがそう言う。
「そうかな。まあ、色々あったからなあ」
クオはこの3年間の旅を思い出して苦笑する。
最初右も左も分からないときに財布をすられて大変な目に遭ったり、逆に親切な人に助けたれたり。
クオがそんな話をするとメリアはうっとりと蒼い目を輝かせて聞いていた。箱入り娘の彼女もまた、『世界を旅する』ということに憧れているのだ。
そんな話がひと段落して、メリアは話題を移した。
「アシュアさん、とても素敵な方ですわね。良い人をお選びになったようで、安心しましたわ」
「……ああ。自慢の主だぞ」
クオはそう言ってから、少し考えた。
「あのさ、メリア、そのことなんだけど……」
「はい?」
メリアは微笑を絶やさず普通に返してくる。その雰囲気に後押しされて、クオはここに来てからずっと言いたかったことを彼女に言った。
「前も言ったけど、俺、別にメリアのことが嫌いになったから町を出たわけじゃないんだ。けどその……もし、少しでも気にしたんなら、ごめんな」
そう言われて、メリアは一瞬呆気にとられたような表情を浮かべる。それからくすくすと笑い出した。
「クオ様、まだそんなことを気になさっていたんですの? それはあの時既に私も納得したことですのに」
「え……あ……」
クオは逆に拍子抜けする。しかしメリアはこうも続けた。
「いえ、でも、そうですね。確かに少しばかりショックだったといえばそうでしたわ。だってとても急でしたもの。『私何か嫌われるようなことをしたかしら』って」
それを聞いてクオはまた少し落ち込む。が
「けれどあの時クオ様は仰ったじゃないですか。『立派な剣士として、長老に決められた主人じゃなく、本当の主人を探しに行きたい』と。その言葉で私は確信したのです。貴方はきっと、もっと立派な剣士になれると」
メリアは優しい、けれどどこか激励の意思をこめた眼差しでクオを見つめた。
「……メリア……」
クオは、彼女の理解への感謝を噛み締めつつ、その眼差しをしっかりと受け止めた。
ところで、そんな2人の会話を階段の柱に隠れて聞いていた者がいた。
いや、立ち聞くつもりは無かったのだが、たまたま部屋に戻ろうとして階段を上がろうとしたら2人の声が聞こえて前を通りにくかっただけなのだが。
「…………」
無言のまま、アシュアはまた階段を降りていく。
妙に胸が騒いでいた。
その気持ち悪さをどうにかしようとして、意味もなくテラスに続くガラス戸を開けた。外はどしゃ降りで、風の爽やかさなどありもしないのに、だ。
どうして気分が悪いのか。
いや、メリアの寛大さには正直感謝したいくらい安心したのだ。
彼女が気になったのは別のところである。
『立派な剣士として、長老に決められた主人じゃなく、本当の主人を探しに行きたい』
(……『本当の主人』って、何なんだ?)
それである。
彼女は彼と契約した日のことを思い返した。
彼女が彼に、どうして自分を選んだのかと尋ねた際、彼は
『強いて言うなら直感。剣士の勘』
と答えたのである。
「……直感……な」
そうひとりごちた彼女は、自分でも驚くほど虚しい気分になってきているのが分かってしまった。
それに戸惑うも、その虚しさは次第に鬱憤に変わっていく。けれど何に怒っているのか分からない。分からないから余計に混乱した。
すると後ろから
「アシュア? 何やってんだ、そんなとこで」
今1番声を掛けられるべきではない人物に、声を掛けられてしまった。
「窓まで開けて。雨降ってるし、寒いだろ?」
と、クオが近づいてくるのが分かり、アシュアは慌てて外に出た。
「あ、おい! 濡れるぞ!」
と彼が付いてきそうだったので、アシュアは思い切り不機嫌な顔で振り返り、彼を睨んだ。
「?」
彼はそれにたじろいだのか、歩を止めた。
「アシュア、何か怒ってるのか……?」
彼が困惑気味に尋ねてくる。
そんな顔をしないでほしかった。
彼女自身も何に怒っているのか分からないのに、そんなことを聞かれると
「……さあな」
余計にふてくされてしまうのだ。
「な、『さあな』ってなんだよ! 早く入れよ、風邪引くぞ!」
クオがしびれを切らして外に踏み出そうとすると、アシュアはさらに後ろにさがって、どこか叫ぶようにしてこう言った。
「いいから構うな! 放っといてくれ!」
「な!? 何なんだよ、心配してるのに! 言っただろ! 俺はお前の剣士で、お前の傍にいないと意味が無いって!」
クオがそう反論すると、アシュアは視線を落とした。
雨に濡れているせいか、今の彼女はどこかいつもの覇気がない。
「……私の剣士、か」
そう、彼女は呟いた。クオは雨の音で消え入ってしまったその言葉を受け取れなかった。
「なあ、アシュア。今のお前ちょっと変だぞ。早く休め」
彼はそう言うしかなかった。が、それは地雷だったのか彼女は一際鋭く彼を睨んで
「変なのはお前のほうだ! 直感だかなんだか知らないが私はそういうのは信じない! そんないい加減なもののためにこの町を出たのか? 笑わせる……!」
そう吐き捨てていた。
「お、おいアシュア? 何だよいきなり……」
「もういい! そんなに気にしてたんならずっとここにいてメリアの剣士にでもなってろ!」
支離滅裂にそう言い放つと、彼女はそのまま雨が降りしきる中を駆けていってしまった。
ごめんなさい、週1ノルマを守れませでした・・。また若干スランプだったのですがまだなんとかなりそうです、が、もう少しすると忙しい時期になるので今回のように2週に1回の頻度になっていたらごめんなさい。出来るだけ頑張ります。
さて、内容ですがメリアがクオの生い立ちについて語った&アシュアがなんかもやもやしてるみたいな話でぶっちゃけあんまり進んでなくてごめんなさい(汗)。しかし作者は雨シチュ大好きな人なので書けて満足です。
それと前回まで行っていたキャラ投票に投票してくださった方々、本当にありがとうございました。そのことについて携帯サイトのひとこと日記(5月4日の記事)にて記述しているので票を入れてくださった方は是非こちらのページに飛んでやってください。http://hp44.0zero.jp/diary/see_diary.php?dir=868&num=1&uid=kmp&hiduke=0&now=2
それではここまで読んでくださった皆さん、ありがとうございました。今のところ1人単位でも増える読者数と途中でも下さったコメントが私の支えです(泣)!