第2話:赤髪の魔女
「まったく、昼寝してカタストロファーの黒い雲に気付かないなんて、あんた注意力足りないよ? 出かける前に言っといただろう?」
宿の女主人は怒ったような、呆れたような、安心したような顔でそう言いながらもご飯を茶碗に盛る。
「うん、ごめん忠告役立てられなくて」
少年はさすがに反省した顔で茶碗を受け取る。
「まあいいじゃねえか! この兄ちゃんのおかげでその女の子助かったんだからよ」
そう割り込んだのはこの宿の食堂をいつも利用しているという若い男。少年の右隣に座っている。
「あ、いや。女の子を逃がしたのは俺だけど、俺、赤髪の魔女に助けられたんだ」
そう言うと周りが急に静かになった。
「?」
少年が次の口を開く前に今度は左隣に座っていた中年の大工風の男が
「見たんか兄ちゃん、赤髪の魔女を!?」
と目を輝かせんばかりの熱い口調で話しかけてきた。
「え、あー……まだ雲が晴れてなくて暗かったからよく見えなかったけど。赤い髪だったと思うんだ」
少年はそう言いながらつい半時間くらい前のことを思い出す。
月明かりに照らされたのは、どこか浮世から離れた赤い髪。顔はよく見えなかったが、こちらを少し見ていたのは分かった。何も言わず、すぐビルの陰に隠れてしまったのだが。
「いいなー。この町にいるっていう噂は広まってるんだけどな、見た人は少ないし、どこに泊まってんのかも分からねえし……」
今度は後ろのテーブルに座っていた若者が口を挟んだ。
「人気者なんだなあ、赤髪の魔女って」
少年が素直に言うと
「当たり前だよ。なんてったって仲間も連れずに1人でカタストロファーをやっつけちまうんだからね。しかも女ときた。年に関する噂はいろいろあるけどね、有力なのは若いってこと。まあおとぎ話とかに出てくる悪役の婆さんみたいなんじゃ、カタストロファーとなんて渡り合えっこないもんね……っとまあ憧れの対象になりやすいわけよ」
と女主人が答えた。周りの男達はうんうんと頷く。なるほど、この女主人は日ごろから男に囲まれているため 彼らの内面がよく分かっているようだ。
(赤髪の魔女かあ……お礼言いたいなあ……)
そうぼんやり思いながら、料理に手をつけた。
「ん、そういやお兄さんの名前聞いてなかった。まだ部屋にも入ってないから帳簿にも書いてないし」
思い出したようにこのおしゃべり好きの女主人は少年に尋ねた。
「俺はクオ。名字ないんだ」
こういう説明をするのには慣れているが、やはりその後の詮索、もしくは詮索すまいという聞き手の気遣いは息苦しいものがあった。
ここでは後者であったが、女主人は普通に喋りかけてくれたのでなんとなくクオはほっとした。
月は満ちる一歩手前。何か物足りないような、そんな顔をしている。……と思うのは自分だけであろうか。
いや、自分にも何か欠けている。そんな気がしていた。だがそれはもう埋められないのかもしれない。ならば、最後までそのまま走りきるしかない。
「……なんの哲学だか」
そうひとりごちたのは、窓辺から月を望む少女だった。
翌朝、少年は早速この町のどこかにいるという赤髪の魔女を探しに出た。
なぜ少年がこんな行動に出たかというと、単に興味を持ったから……だけであろうか。お礼を言いたいのもある。だがまだ別の理由が生粋の剣士である彼の胸のうちに仕舞い込まれていた。
探すこと数時間。そろそろ太陽は空の真ん中へさしかかろうとしている。
「やーっぱそう簡単には見つからないよなー。町の人でもあんまり見かけないっていうし……」
そう半ば予想できた結果を前に、そろそろ宿に戻ろうかと踵を返したときだった。前の路地を、一瞬赤いものが通過したのが見えた。
「あ!」
思わず叫んで駆け足になる。ここは石造りの住宅街の路地裏。細く、白い道が続いており、半ば迷路のような感じだった。追いかけるごとに少しだけ見えるその後姿。
なかなか追いつけない。相手も相当足早のようだ。
幾度目かの曲がり角。白い壁の淵からいきなり男がふっ飛ばされて出てきた。
「うわあっ!?」
危うく巻き込まれるところだった……と前を見ると。
少し開けた広場のような所に、彼女は立っていた。
「あ……」
白い石畳。白い壁。白昼のもとで見るその髪は、より鮮やかな真紅であった。紅いのは髪だけではない。静かに、油断のない、まっすぐにこちらを射てくる瞳も、紛れもない真紅色だった。そんな彼女の顔をよくよく見ると、彼と同じくらいの歳のようだ。その若さに少々驚く。
クオが何か言おうとする前に、足元に転がっていた男がにわかに立ち上がって
「くそ! 覚えてやがれ!」
そんな捨て台詞を吐きながらクオたちが来た道を逃げていった。
残ったのは2人。
「……お前も狩りに来たのか?」
目の前の少女が声を発した。その声は、クオが見る限り外見年齢に不相応な、威厳に満ちた声だった。
「へ? 狩りに……ってカタストロファーのことか?」
何のことか分からずクオは少々慌てる。怪訝な顔をしている向こうははた、と思いついたように
「……いや、……お前確か昨日の……」
と言ってなんとなく鬱陶しかった目つきが少し緩和された。
「あ、昨日はありがとう。お礼が言いたくて探してたんだ、君のこと」
そのことに少し安堵してクオはまず言うべきことを述べた。
「礼など別にいらん。それにお前も女の子、助けてただろ」
そっけない返事をされたが、一応誉められているのだろうかとクオは内心首をかしげる。
「でも俺の恩人は君だから。なあ、赤髪の魔女って君のことだろ?」
そのワードに反応したかのように、急にまた少女の顔が曇る。いや、その変化は分かりづらいのだが。
「その呼び名は好いていない。魔女なんて呼ばれて得することなどないからな……例えばこんな風に」
クオがはっと周りを見ると、塀の上やら周りの路地からいかにも柄の悪そうなお兄さん方がうようよ集まってくる。身なりからしてこの町の者ではなさそうだ。
「なんだこいつら」
陥った状況がいまだ飲み込めず少女に問う。しかし返ってきたのは彼女からではなく目の前のリーダー格の男からだった。
「俺達は『魔女狩り』をしにきたんだよ」
嫌みな笑い方をする男だった。
「魔女狩り……?」
まさか異端を狩るという古の風習ではあるまい。ならばもしかすると……
「私の首にいくら賭けられているんだ?」
少女は多勢に無勢のこの状況でも眉ひとつ動かさず問う。
(……やっぱりそういう類か)
「凡人が一生働いたって稼げねえ額だよ。行け! 野郎共!」
一斉に襲い掛かる。無関係のクオも巻き添えをくうのは目に見えている。覚悟を決めねばと拳を握った時だった。
すぐ傍にいたクオでさえも、一瞬何が起こったかわからなかった。
大の男達が、大勢まとめて吹き飛んだのだ。
「は!?」
リーダー格の男も同じようだ。彼女は魔女らしく魔法を使ったわけでもなく、手品をしたわけでもない。
ただ、蹴り飛ばしただけなのだ。
「来い、賞金稼ぎ。凡人以下でも相手をしてやる」
全く歳相応ではない、威厳と自信に満ちた顔で彼女は言い放った。