第15話:その感情は別モノ
朝食を終えた後、アシュアはひとり、ふらりと外へ出て行った。といってもほんの庭先で、キルトの家の窓から見える範囲だ。
ほんの息抜きである。
(まったく、キルトの奴は……)
と、彼女は腕を眺める。先ほどハインド老人に塗ってもらった薬が効いているのか、随分痛みがマシになっていた。ただ強い薬というのは副作用も大きいというので頻繁には使えないらしい。なんでも使いすぎると肌が黒ずむとかなんとか。
(まあ、それくらいどうでもいいんだけど)
と考えてしまうのが彼女であった。
木の下にしゃがみこむ。軽い丘の上なので、ここから見渡す景色はとてもいい。
ここにいたのは2年だけだったが、ここは彼女にとってとても大切な町だった。
だから無償でも、この町からカタストロファーを排そうとしているのだ。
(……しかし今日、明日くらいで決着がつくかもしれないな)
と、彼女は予想している。
そうなればここに滞在する理由もなくなる。
次に帰ってこられるのはいつになるか分からない。
だから今のうちに目に焼き付けておこうと思ったのだ。
(……らしくないな)
と一人苦笑していた。
そんな風に、しばらくぼうっと景色を眺めていると
「アシュア」
気がつけばキルトが目の前にいた。
何かもの言いたげにしている。
「何?」
本当に、この少年の内気なところは変わらないな、とアシュアは心配するとともに、その不変さに安堵も覚えていた。
「い、今から街に買出しに行くんだけどさ、一緒にどう?」
と、キルトは言った。
「いいけど」
特段することもないし、と一つ返事で返すとキルトはなぜか子供のように顔を輝かせていた。
ところで、こうなったのにはちょっとしたやりとりがあってからのことだ。
アシュアが1人外に出ていた頃、ハインド老人はリビングで新聞を読み、クオは食器を洗い、キルトはその隣で食器を拭いていた。
「ねえ、クオ君」
と、キルトが小声で話しかけた。
「なに?」
とクオは手を動かしながら答えた。
「クオ君ってさ……いや、なんでもない」
と、何かを言いかけてキルトはやめる。
「なんだよー、言いかけてやめられると気になるだろー」
と、クオは視線を食器に集中させたまま笑っている。そのほうがキルトとしては言い出しやすかった。
「……そう? それじゃ……あのさ」
「ん?」
「クオ君って、アシュアのこと好きなの?」
と、キルトは精一杯の勇気を振り絞って尋ねてみた。
「え? 当たり前だろ」
と、クオはけろりと答える。
「え!?」
と、キルトは急に大きな声で、というよりリアクションでも驚きを表すように一歩退いていた。
そこでクオは食器を洗い終え、会話が始まって初めてキルトのほうを向く。
「そんなに驚くことか? 好きじゃなきゃ主人になんて選ばないって」
とクオは不思議そうにキルトを見た。
(あ……)
この時キルトは確信した。彼はここでの『好き』の意味を勘違いしている、と。
「あーいや、それはそうなんだけど……」
とキルトがどう言おうか悩んでいると
「クオ君、キルトが言っているのはそういう意味じゃなく、『愛しているのか』って意味じゃよ」
と、助け舟というより砲弾のような言葉がリビングから飛んできた。
「……え!?」
と今度はクオが一歩退いて驚いている。
(じ、じいちゃんストレートすぎだ……)
とキルトはうなだれつつも
「そ、そういう意味だったんだけど……」
と、苦笑を交えつつはっきりさせておいた。
「え、いや、でも、愛って……え!? 好きだけど、そういう好きじゃ……ない……よ?」
とクオが慌てふためきつつ答える。
「え……そうなの?」
と、キルトは少々目を輝かせる。
それになんとなくクオは気圧された。
「う……、え、だって、そりゃあ主人だから守らなきゃ、とかあるけど……その……」
そもそも『愛している』という意味がクオにはよく分からなかった。
『好き』というのと何が違うのか。
いや、根本的に違うものなのか、それとも元は同じなのか。
(駄目だ、混乱してきた)
とクオは目が回るような気分だった。
しかしキルトはそんなクオの様子から1つの結論を容易に導き出すことが出来た。
(大丈夫だ。この2人、付き合ってない)
と小さくガッツポーズをする孫を眺めながら、ハインド老人はさらに穿った言葉を飛ばす。
「キルト、伝えんと分からんこともあるぞ」
「う!」
(た、確かになあ……アシュアそっちのこと全く興味なさそうだもんなあ……)
「どうじゃ、今から買出しでも行ってこんか? アシュアを連れて、な」
と、ウインクでもしそうなハインド老人。
「え!?」
「この町のカタストロファーももうすぐ尽きるじゃろうて。あやつのことじゃ、すぐこの町を離れるじゃろ。そうなったら、またチャンスを逃すぞ」
(あ……)
確かにそうだとキルトは思った。
8年前も、彼は結局何も言えないまま彼女を見送ってしまった。
(あれから僕は、なにも変わってないんだろうか。8年もあったのに。彼女はあんなに強くなって帰ってきたのに)
「い、行く!」
彼はそう宣言した。
とまあこんな感じで無事キルトはアシュアと共に街までおりてきたわけである。
「で? キルトは何を買いに来たんだ?」
とアシュアがキルトに話しかける。
彼女がここに帰って来て1週間になるが、彼とこうして並んで歩いたのは最初の日以来だった。
彼女の背はそこまで高くないのか、逆にキルトの背が高いほうなのか、視線はキルトのほうが少し上である。それでもアシュアの真っ直ぐな赤い瞳は見ている者が気圧されるような力強さがあった。
「キルト?」
アシュアが不思議そうに問い直す。
キルトはついじっと彼女を眺めてしまっていたことに気がついて
「え、あ! ごめん、えっとね」
慌てて彼はハインド老人が用意してくれていたメモを取り出す。主に食材、あとは医療品だ。
食材はまだしも医療品を売っている店はこの町では1軒だけである。その1軒は街の端にあるから街中を歩くことになるわけだ。
(……じいちゃん、考えたな)
とキルトは自分の祖父の周到さに感心するばかりである。
「アシュアもせっかくだから色々見ていきなよ」
「……そうだな。どうせ次に敵が出てくるまで暇だし」
と、とても正直なところを彼女は言った。
ところで、そんな2人の後をこっそり追いかけている人影があった。
勿論クオである。
キルトが家を出た後も、ちょっとしたやりとりがあった。
クオはまだ『愛』と『好き』の違いについて悩んでいた。
かつて主人への想いを貫いて死した剣士がいた。あれは間違いなく『愛』の類であろう、と、それは理解できるのだが、実際それがどういう感情なのか、彼は知らなかった。
母親が子に抱くというのも『愛』だというらしいが、それも実は知らない。彼は両親を知らないのだ。
「ふぉふぉふぉ、悩んどるみたいじゃな」
とハインド老人が新聞を置いた。実はその新聞、相当昔の新聞だということにキルトもクオも気がついていなかった。
(まだまだ自分のことで精一杯……か。青いのう)
ハインド老人は心の底でどこか愉しんでいた。
「じいさんは分かるのか?」
少年は真剣に尋ねてくる。
「わしはお前さんの何倍も生きとるんじゃぞ? 分かるとも。じゃが、そればっかりは身をもって理解するしかないじゃろうがな」
「そうなのか?」
あまりの真っ直ぐさに少々老人は苦笑した。
「わしかて説明できんのじゃ。……ところでクオ君、アシュアたちの後を追わんでいいのかね? 君はアシュアの剣士だろう?」
「あ……うん……。でもキルトの邪魔になるだろうし……」
と、クオがなんとなくしょげた様子で目線を泳がせている。
(ほう、そういうところはわかっとるみたいじゃが……)
「なら後ろからこっそりつければよいのじゃ」
と、主人に置いていかれた子犬のような少年がなんとなく不憫に思えて、老人は背中を押してやった。
「あ、そっか。行ってくる」
と、そういうところも素直に答えて、少年は出て行った。
「さて、違いが分かるかもしれんよ」
ハインドは、自分の妙な立ち位置に苦笑しつつも、そうひとりごちた。
クオから見て、キルトのエスコートは途中で買い食いする余裕が出来るほど意外と順調だった。その気になれば強いタイプだったのかもしれない。
「懐かしいなあ、これ」
と駄菓子屋の前で立ち止まるキルトとアシュア。手に持っているのは水あめのようだ。
「昔よく来て買ったよね」
店番の老女も2人のことを覚えていたようで、会話がはずんでいる様子。
(……俺も食べたいなあ……)
そう思いつつ、クオは影から見ているしかない。
楽しそうにしている2人は、はたから見たら恋人同士に見えなくもない。
(変だな、俺だっていつもあいつと一緒に歩いてるのに、そんな感じ、全然ないもんなー……まあ俺、おまけみたいにあいつの後ろ歩いてるだけだけど)
クオはそう考えて、どこか可笑しくなって苦笑する。それは自嘲に近かった。この、なんともいえない気分のせいか、頭の回転がどんどん加速する。妙な方向に、だ。
(もし、この先、年をとって、今じゃ考えもつかないんだけど、あいつが誰かと結婚したりしたらどうするんだろう)
そんな、他愛のないことを考えていた。
(俺ってはっきり言って邪魔だよなあ……)
他の剣士はどうなのか、そのあたりは知らない。
荒々しい戦乱の世ならいざ知らず、今のご時勢、剣士はほとんど長老の決めた貴族を契約相手とする。生まれつきの剣士といえどもその剣を一度も振るうことなく貴族の側で侍っている『お飾り』のような者がほとんどなのだ。そのせいもあるのか年々剣士の町で生まれる子供は減っているという。
貴族の屋敷ならば、剣士といえど使用人のような身分なのでどこにいても構わないのだろうが、アシュアのような一般の身分の者と契約した場合、一体どうすればいいのだろうか。
契約は生きている限りずっと続くものだから、取消しなどできない。ただ契約はそのままで、主の前から去ることは出来よう。
けれど、去ったからといってその後は一体どうなるのだろう。
戦う相手もなく、守るものもなく。
(そんな人生……、終わったも同然だ)
クオは知らず、拳を握っていた。
(だったら、広い屋敷じゃなくても、家の隅っこでいいから、ずっと側においてもらえるだろうか)
クオの想像は更に加速する。
誰かと一緒に彼女がいる。
そう、キルトかもしれない。
(今はあんなだけど、アシュア、料理うまいし、普通に暮らしてるのも悪くないと思う)
いや、むしろ平和な世界で、普通に暮らしていくことこそ彼女にとって一番の幸せなのではないかとも思われた。
しかし。
彼は気付いてしまった。
そんな彼女の『幸福の形』を、自分が素直に喜べていないことに。
「…………」
彼女が孤独に耐えてきたことをクオは知っている。
レイドリーグの影に飲まれたとき、彼女の心の声がなぜか聞こえてきたからだ。
『他には何もない』
と。
自分には何も残されていないかのように、全てから目を背けている彼女。それは今までに大切なものばかり失ってきてしまったせいもあるのだと昨日理解した。
けれどあの時も、今でも、『何もない』なんて、そんなことはないと、彼は彼女に示したいのだ。
――・・が、いるじゃないか、と。
(……だから側にダレカがいるってことは、彼女にとって幸せなことじゃないか)
クオはそう思い直す。だがもうひとつの思考回路が既に開いているらしい。心の中で別の声が聞こえたような気がした。
――ダレカじゃ駄目だ、と。
(どうして? 彼女が幸せならそれで十分なはずだ。
剣士なんて、そんなもんだ)
――だって見ていられない。
(何を?)
――そんなの見ながら側にいたって、俺は辛いだけだ。
(どうして辛い?)
どうして――……?
「……!」
そこで思考は混乱し、クオは頭を振った。知らない間に頭が下がっていて、どれほどの間か定かではないが、少しばかり頭の中だけを働かせすぎたらしい。
気がつけば、駄菓子屋の前に2人の姿はなかった。
薬屋で買い物を済ませ、2人は用事を終えた。
「帰るか。土産も買ったしな」
と、先ほどの駄菓子屋で買った詰め合わせを持ち上げるアシュア。ハインド老人があまり菓子を食べる人ではないということを彼女は知っているだろうから、あれはほぼ剣士への土産なのだろうとキルトは思った。
あとは帰るだけ。帰り道はそんなに長くない。
キルトは拳を握って
「アシュア」
先を行こうとする彼女を呼び止めた。
前回の宣言どおりなんだか恋愛街道まっしぐらな感じの15話でした。今回文量が少ないのはもうちょっと書いても良かったんですがたまにはキリのいいところではなくこういった微妙なところで切るのも面白いかなあと思っただけでありまして・・・。
ここまで読んでくださった方々、ありがとうございました。