幕間3
カタストロファーは、殺されない限り生き続ける、ほぼ不死身の存在。いつから存在したのか、そんなことは影の国の王しか知らないだろう。
人型と称される自分は、まだそんなに古くない。だが最近生まれた騎士どもよりかは古い。そう、まだあの、太陽の楽園に神が住んでいた時代には、俺はもう存在していた。
過去に、次元を同じくする影の国と太陽神の持ち物である太陽の楽園は土地を争ったことがある。もちろんこちらがあちらを奪いに行ったのだが。
俺が参戦した時、あそこはもう楽園とは呼べないほど荒れ果てていた。
もともと戦が本分のこちらが優勢だった。俺も後から応援として招集されたものの、勝利は絶対だと確信していた。
だが。
戦況は変わっていたのだ。たった一人の、戦女神のために。
あれから幾年経ったのかさえ分からない。それでもこの記憶だけは薄れない。この瞼に焼き付いているのは、赤い髪の、雄雄しくも美しい、その姿。生まれつき月の加護を受けながらも、太陽神の寵愛を受ける戦女神。名は知らない。そんなに位の高い神ではなかったのだろう。だから彼女は。他の神々が逃げ出した後も、最後の神位のひとりになって楽園を守っていた。たったひとりの指揮で、彼女は形勢を逆転させていた。
最後まで残ったのは俺も同じ。戦火で燃える花の匂いの中、どちらも深手を負ってからの対峙だった。
特に彼女は、見ただけで致命傷を負っているのが分かるくらい満身創痍だった。しかしそれを感じさせない、凛とした透き通る声でこう言った。
「ここは太陽神の庭。闇が侵すところではない。去れ」
まだ若く、国への忠義に厚かった俺は、青臭くもこんな返答をした。
「これは王からの命。なんとしても貴女を討伐し、この地を手に入れる」
剣も交えた。ほんの少しの間だけだったが。すぐに俺の剣は折れた。月の加護を受ける彼女には、闇を抱擁する力があったのだ。
その戦いで、俺は顔に傷を負った。今でも消えないこの傷は、彼女の、一撃に篭った怒りのせいか。それとも、自らの浅ましく、罪深き感情からか。
彼女に殺されるならば、それはそれでいいと思った。だが彼女はそうはしなかった。俺を生かし、逃がした。そのせいで、俺は余計にいらぬ感情を抱くことになった。
だが、彼女はそのすぐ後、1人になった楽園で、静かに眠りについたという。
神が眠りについたその土地は、結局闇の者が侵せぬ聖域となってしまった。荒れた土地は息を吹き返し、神の墓所にふさわしい場所になったと聞く。決して届かぬ場所。そこに彼女は行ってしまったと思った。
太陽の剣に切られた傷を癒すため、レイドリーグは自らを影の一部にして静止していた。
(……まさか、こんなところで逢うとはな・・いや、もうすでに逢っていたのか)
彼が赤髪の少女と最初に逢ったのは八年前。その赤い髪を見たとき、少なからずあの女神を思い出したのは事実だ。
(でも、まさか本当に……)
神が人間として生まれ変わることがあったとは。
影に埋もれながら、彼は自らの真っ直ぐなようで、それでいて確かに屈折がっている、微妙な感情に嗤う。
(……まあいい。これだけの失態を演じたんだ。もう影の国へは戻れまい)
ならば、俺は何をする?
レイドリーグとの戦いの後、アシュア達は適当な場所で毛布にくるまって一夜を過ごした。相変わらずぼんやりとした雲に覆われているが、空が白んだのを確認してから探索を始めた。
王都の図書館は、一応、その形をとどめていた。一応。
「な、なあ、こんないつ崩れるか分からない建物の中に入って本探すのか? 危ないって」
クオは必死にアシュアを止めようとする。これにはアッシュも賛成しているようで、常にアシュアのコートの裾を引っ張っていた。
「だーー! もう!! なんのためにここに来たのか分からないだろ!! アッシュまで! ならお前らはここにいろ!! 私は入る!!!」
構わずずんずんと崩れそうな入り口らしきものに近づいていくアシュア。
ここはかなり荒業だが首筋叩いて気絶させるか、とかいう考えがクオの脳裏に浮かんだとき、後ろからしわがれた声がした。
「おいおいお嬢さん。そこにゃなんもないよ。なーんも」
ぎくっとして振り返ると、そこには随分と薄汚れた服を纏った、頭のはげた老人が立っていた。
「なにも?全部空?」
アシュアが少々驚いたように訊ねる。
「うむ。わしがぜーんぶ出したからな」
老人は髭をいじりながらそう言った。
「全部?ほんとに全部?」
「ああ。まあ王都崩壊直後、盗賊共がかっさらって行った分までは知らんがな。あとの、まあぶっちゃけ要らん本はわしが全部もらったよ。それでもなんかの役に立つかと思うて」
と、そこでにやりと老人が笑った。アシュアはむ、とした表情になる。クオはいまいち分かっていない。
「……いくらだ?」
(ああ、そういうことか)
とクオは納得する。老人はにんまりと微笑んだ。
「ものによるのう。まあ一度来てみい。わしの家はすぐそこじゃ」
老人が指をさしたのは、まだそれとなく損傷の少ない建物の玄関。そこに青いビニールシートがひいてあり、その上にダンボールがいくつもある。あの中に本が入っているのだろう。
どれどれ……とダンボールを全部引っ掻き回し始めた3人。確かに、残っている本は料理の本やら子供向けの絵本ばかりだ。
「これ、と。これ……」
太陽の楽園に関する絵本はざらにあった。でもどれも絵本に過ぎない。絵本ならアシュアの家にもあった。もっと、真面目な本はないものか、と本をあさる。
「アシュア! これとかどうだ?」
クオが重そうに両手で渡してきた臙脂色のハードカバーの本。題名は「楽園辞書」。
「タイトルまんまだな」
そう言いつつもアシュアは随分と焼けて変色しているページをめくる。この本には様々な楽園に関することが書かれていた。まず楽園とは何たるかを説いており、その後ア行から順に楽園と名前のつくものがずらりと辞書のように書いてあった。だがどれも薄っぺらなことしか書いていない。あまり期待せずにタ行のページを開く。
すると、なんとまあ、「太陽の楽園」に関しては他の事柄に比べると数行多く書いてあった。
「この人も探したんだな、多分」
そう言いつつ読んでみる。
『太陽の楽園・・・この大陸に伝わる伝説の楽園。頻繁に童話の中に出てくるが、そもそも太陽の楽園とは、太陽神が造った庭園と言われており、この世界や、神が住んでいる世界とも別の場所にあるとされている。ならなぜ、私たちはその存在を知っているのか。これは私の推測だが、かつて誰かがそこに迷い込み、帰還したのではないか。そうでもなければ噂など広がりはしない。この世界のどこかに、それへと繋がる場所があると考えられる。だが、古人の理想郷が今へと語り継がれているとの意見も多いのは事実だ。』
(……これじゃあ私の論理と全く同じだ)
アシュアはひとつ、溜め息をつく。
「駄目だな・・。これじゃあどっちの方向へ行けばいいのかも分からない」
「なんだ? 太陽の楽園を探しとるのか? 変わった若者もおるもんだ」
と言いつつ老人は絵本をぱらぱらとめくっていた。
「どっちの方角ってなあ……絵本にはだいたい南って書いとらんか?」
「え?」
そう言われて、アシュアとクオは積まれた絵本をめくりだす。
『南の空高くのぼったお日様がきらりとひかると、そこにはお花畑がひろがる……』
『氷の国の女王の呪いのせいで寒さにこごえ、南へ、南へ進もうとした旅人が、ついに倒れてしまったとき、雲のはざまからお日様が顔を出し、道が出来ました。それは太陽の楽園に続く一本道だったのです……』
等々。確かに方角が書いてあるとすれば南だった。
「でもなんで南なんだ。日が昇るのは東だろう。沈むのは西だし」
「なんでって俺に言われてもなあ……」
クオが首をかしげる。
「遠いところにあるんじゃろ?ならば一番空高く昇る南がちょうど良かったんじゃないかの?」
と、理論的なのか非理論的なのかよく分からないことを老人は言った。
「はあ、なるほど」
しかしなぜか頷いてしまうクオだった。
「……仕方ない。当面は南下か」
他に手がかりもないので、仕方なくアシュアは立ち上がった。
「ああ、そうだな。でも南っつったら俺、戻ることになるんだよな」
クオがなんとなく浮かない顔で頭をかく。
「む、そうか。剣士の町は南にあるんだったな。だが私も同じだ。育った町がこの王都の南にある」
「え? そうなのか? じゃあそこ寄ったら?」
「それも悪くはない」
そんな話をしていると、にわかに老人が立ち上がった。
「おいこらちょっと待て。散々本開いてタダで去っていくつもりか?」
老人の目がぎろりと光る。おそらくこんなケチくさい商売して村を追い出された口だろう。
「本はもらってないだろう。いいじゃないか、立ち読みくらい」
アシュアが面倒くさそうに答えた。
「よくないぞ! 立ち読みは犯罪だ! 金を払え!!」
(えー、立ち読みは犯罪なのか!?)
「……ちょっと言いすぎだとは思うが、まあ本を探す手伝いをしてくれた好意には感謝する。いくら欲しいんだ」
アシュアが仕方なさ気に財布を取り出す。
「物分りがいいの……これくらいでどうだ」
老人が5本の指を立てる。
「? なんだ、50でいいのか?」
「違うわ戯け!!」
「……五百?」
「アホか!! 5000だ5000!!」
「「はあ!?」」
アシュアとクオは声をそろえて叫んでいた。
「なんで立ち読み程度に5000も払わないといけないんだ!!!」
「そうだそうだ!! 500でも高いのにせこいぞじいさん!!!」
アッシュも炎を吐いてみる。
「こんくらいとっとかんとこっちだって生活できんのじゃ!!!」
老人が言うこともなんとなく分かる。むしろこんな所でどうやって生活しているのか尋ねたいところだった。自給自足なんてできる土地ではないから、恐らく近くの町まで行かなければ何も手に入らないのだろう。それには当然金が要る。
が、やはりあれだけで5000は取りすぎだ。
「クオ、逃げるぞ」
「え、いいのか?」
アシュアがダッシュする。クオも後を追う。アッシュも慌てて空を飛ぶ。
「くぅおら!!! 小童共が!!!」
怒り狂いかけた老人がふと目線を下に落とすと、そこには札が3枚、置いてあった。
「……ふん……。まあよかろう……」
「3000はちょっとあげすぎじゃないか?」
アシュアが札を落としていったことにちゃんと気付いていたクオは、先を歩く彼女に言う。
(妙なところで優しいっていうか甘いっていうか)
「別に。どうせセレンディアに寄るんだったら金も簡単に下ろせる」
その顔はなんとも複雑な顔をしていた。嬉しいのか、恥ずかしいのか。まあ随分と長いこと帰っていなかった故郷に帰るも同然なのだろう。なんとなく分かる気がする。
「どんな街なんだ? セレンディアって」
クオがそう尋ねると、アシュアは少し呼吸をおいた。というより、一瞬寂しげな顔をした。この表情を、幾度か彼は見たことがある。野宿したとき、彼女はいつもあんな顔で空を、月を眺めていた。
「良い街だった。今は、どうか分からないが」
寂しげな顔は本当に一瞬だけで、そう言った彼女はいつもの彼女だった。