人の心の、
……。どれだけの時間が経っただろうか。大きな扉は、軋むだけ軋んで、開かないままだ。
「……あれだよ、あれ。扉を開けてみたら、死体が寄りかかってたりする奴。あるよねぇ」
「怖い事言うなぁ。そんな肝っ玉の太いリティに、ぜひ開けてきて貰いたいんだけど」
「略したら肝いリティになるから、やだ」
と、リティはクロの後ろに立って、扉の方へとぐいぐい押しやった。クロの方も元々そのつもりだから、さしたる抵抗もせず、押されるがままになる。
「……死体が出る方に、あたしゃ今日のデザート・バナナ一本賭けるね」
「じゃ、僕は出ない方にバナナを賭けようかな」
「だーめ。それじゃオッズが成り立たないよ。……クロは、向こう一週間の牛乳って事で」
言って、反論を言わすまいリティは自ら扉を引いた。結局自分で引くのか、と苦笑しつつクロが見下げると、そこには果たして意識のない男性が口から血を垂らしながら倒れていた。
「はい、牛乳ね」
「いやいや、まだ生きてるかも知れないよ?」
クロはしゃがむと、男の口元と胸元に手を当てた。数秒間、そのまま動かないでいる。
「……どう?」
待ち切れなくなって、リティが尋ねると、クロは胸に当てた手を大きく振り上げたのち、真っ直ぐ男の腹へと振り下ろした。
「今、死んじゃったかな。さっきのは死体じゃなかったよ」
「卑怯な手を……痛み分け、ドローだね」
二人はそう笑い合い、完全に動かない男の体を外へ運び出した。そして、教会の椅子に座って人心地付いた。
二人にとって……と言うより、この村にとっては、このような事は日常茶飯事だった。週に一度ほど、不穏分子、危険因子が、『巡回』によって死を賜る。
『巡回』とは、村を統治する両能力者……ダブルホルダーが、村に住む無能力者達の中から、“能力を後天的に得かけている者”を見つけ出して排除する為の物である。無能力者は普通、生まれてから能力を獲得する事はあり得ないのだが、たまに、何らかの原因によって能力に目覚める者も居る。最初はクロやリティも、知人を容赦なく、かつ突然に殺していく巡回を憎んでいたが、“能力を後天的に得た者は、精神の崩壊を来たして見境なく人を襲う”という事を知り、また、ダブルホルダー達の優しい声や顔と付き合っている内に、憎しみは姿を消し、仕方のない事なのだ、という考えへと至った。
その考えは、村中に浸透している。だから、死体が道にごろんと転がっていても、村人はさほど気にしない。少々異臭のする腐りの早い生ゴミ、とまで考えている者まであった。
「むーん。ばななー。むむーん。ばなななー」
リティが謎の歌を口ずさみつつ、デザート・バナナを食べるのを見ながら、クロは趣味である矢矧ぎを始めた。それほど上等な矢は作れなかったが、いびつな形であっても、自分で作った矢には思いがこもる。思いがこもった矢は、多分どんな矢よりも正確に遠くへと飛んでいくのだ。
「フロほ、飽ひなひほへ」
「一応、弓術を習ってるしね」
口からバナナを飛ばしながら話しかけて来るのを、上手く避けながら組み立てていく。元々材料の準備がしてあった事もあって、ものの十分ほどで美しい一本の矢が出来上がった。
「弓ってさ、コストパフォーマンス悪いと思うんだよね」
「お金は掛かるけど、命は掛からないからね。そうでもないよ」
遠くから攻撃する分には、魔物の殆どを安全に倒す事が出来る。そんな考えと、細身のクロにとって唯一扱い得る武器であるという理由から、クロは弓矢を自分に打って付けの得物だと確信していた。上手く隠れて射れるのならば、魔法能力者とは互角に戦う事も出来るはずだ、というのがクロの自説であった。
次の矢に取り掛かるクロを見ながら、七本目のバナナにリティが取り掛かろうとした時、今度は軋む間もない勢いで扉が押し開かれ、見知らぬ一組の男女が、およそ教会の仕来りなど気にも留めていない歩みの調子で、二人の下へと歩み寄ってきた。さすがに警戒して、七本目のバナナを剥くのをやめたリティは、暇になった右手を懐へ入れながら、相談を受ける時にいつも座っている椅子へと、にこやかに移動した。
「営業時間外ですが、ご用件をお伺いします」
「……外の死体、あれは何だい?」
「正確には分からないため、お答えしかねます」
「死体がある事は、分かってるって事よね?」
明らかに、男女は村に馴染みがないようだった。村に三度も来ていれば、死体が一つ二つ転がっていた所で、そう不思議には思わないだろう。
「はい。多分、『巡回』による物かと思います」
「『巡回』……か。レネスさん、この村はもう……」
と、男は急にリティから顔を背け、女にこそっと一言呟いた。その為リティには全く聞こえなかったが、女の方の椅子に座っていたクロはその言葉を聞き咎め、
「“洗脳”ってどういう事ですか?」
と横槍を入れた。
「あら。聞こえたみたいね」
「……洗脳は、洗脳さ。君たちは、ひどい洗脳を受けているんだよ」
「ご相談でないのなら、お帰り下さい」
リティは、二人の話をシャットアウトするように、ぴしゃりと言った。冷やかしにしても、あまりにタチが悪い。だが、男は構わず、勝手に話し始めた。
「人の遺体を見て、何も感じない。そんなのは、この村の人だけだよ。『巡回』というのは、無能力者の覚醒を防ぐ措置の事だろう?」
「はい。後天的な覚醒は、覚醒者の心的負担が大きく、他の村人を襲う事が予期されるからです」
クロは、一度話を切り上げながらも受け答えをするリティを見て、自分と同じ様に彼女も、男女に異質な物を感じているのだと思った。少なくとも、聞いていて、ただ貶しに来る村人とは一風違うのがよく分かる。
「君たちは、何週に何度、巡回による死体を見た?」
「……週に一度くらいです」
「この村は、小村だろう? そんなペースで村人が減ったら、今頃死に絶えているんじゃないか?」
「…………」
リティは、言葉に詰まった。総人口は、確か二百人弱ほどだった筈だ。一年が五十二週だから、四年もあれば村は滅んでしまう。
「村人は、補充されている。一人死ねば、一人が新たに加わるという様にね」
「誰が、何の為に?」
堪らず、クロはまた口を挟む。しかし、男は頭を振って、
「……問題は、そこじゃない」
とクロに向き合った。
「君たちの考え方は、いわば非人道的だ。この村も、もう長くはない。逃れたいと思うのなら、僕たちに付いてくるべきだろう」
話が急だ。それに、今日会ったばかりの男に非人道的と言われる筋合いもない。クロは男を無視して教会の奥へと引っ込もうとしたが、彼とは反対に男を歓迎しかけているリティの様子に気付いて、足を止めた。
「ね、クロ。私は行くよ?」
「……そう。僕は行かない」
少しの衝撃が、クロに走った。が、すぐに教会の奥へと足を向け、その場を歩き去った。リティは、それも気に留めずに、七本目のバナナに手を付ける。
さすがに訝しく思って、男が訊く。
「彼、構わないのかい?」
「何がですか?」
「幼馴染なんだろう?」
「たった二年ほどの付き合いです。訣別という程の物でも、ありません」
男は、目を細めた。さっき自分で言ったばかりだったが、この少女と、自分達とは、決定的に何かが違うと感じたからである。淡白で、無味乾燥な感傷。そう聞き及んでいたのが、そのまま目の前に現れたようだった。
「……じゃあ、レネスさん。とりあえず、出ましょうか」
「そうねぇ。自己紹介は、それからね」
くすくす、と笑う女に、男は更に眉をしかめた。