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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

魔王軍襲来の夜、近衛兵の俺は婚約者と最期を迎えた

作者: アポロ
掲載日:2026/04/10

王都の夜は、どこか優しかった。


石畳に並ぶ街灯が、淡い橙色の光を落とし、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。遠くで誰かの笑い声が響き、風は春の匂いを含んでいた。


「……こうして歩くのも、最後かもしれないな」


ユリウスがぽつりと呟く。


隣を歩くエナは、少しだけ目を丸くしてから、ふっと笑った。


「また大げさなこと言ってる」


「大げさか?」


「うん。だって帰ってくるかもしれないじゃない。観光とかで」


「元近衛兵がのこのこか?」


「いいじゃない、それくらい」


軽口を交わす。昔から変わらないやり取りだった。


二人の歩幅は自然と揃っている。どちらかが合わせているわけではない。ただ、気づけばいつも同じ速さで歩いていた。


明日、二人は近衛兵を退団する。


長く続いた日々に、ようやく終わりが来る。


「……ねえ、ユリウス」


「ん?」


エナの声が、ほんの少しだけ真剣だった。


「本当に、いいの?辞めちゃって」


ユリウスは一度だけ前を見て、それから軽く息を吐いた。


「いいさ。もう十分やった」


「でも、ユリウスはまだ――」


「まだ戦える、か?」


言葉を遮ると、エナは黙り込む。


その通りだった。彼はまだ若く、腕も立つ。近衛兵としてはこれからが本番と言ってもいい。


「だからだよ」


ユリウスは静かに言った。


「これ以上やったら、多分、戻れなくなる」


「……戻れなくなる?」


「戦うことが当たり前になって、それ以外を選べなくなる」


少しだけ笑う。


「そんなの、つまらないだろ」


エナはしばらく何も言わなかった。

やがて、小さく頷く。


「……そっか」


「それに」


ユリウスは言葉を続ける。


「これからは、守るものが違う」


一瞬、エナの動きが止まった。

それから、じわじわと頬が赤くなる。


「……それ、わざと言ってる?」


「何がだ」


「そういうこと、平然と言うの、ずるい」


「だから何がだよ」


ユリウスがとぼけると、エナは少しむくれた。

だが、すぐに表情を緩める。


「ねえ」


「ん?」


「帰ったらさ、ちゃんと式、挙げようね」


「ああ」


「小さくていいから」


「いや、どうせなら盛大にやろう」


「え、そんなお金あるの?」


「なんとかする。これまでの給金、貯めてただろ」


「……少しはね」


「足りなきゃ働くさ」


「引退したのに?」


「式のためなら別だ」


エナはくすっと笑った。


「変なの」


少しの沈黙。

風が吹き抜ける。


「楽しみだね」


その一言は、未来そのものだった。


詰所に入った瞬間、空気が変わった。


「来たぞ主役!」


「遅えぞ!」


怒号と笑い声、酒の匂い。

一斉に視線が集まる。


「逃げるかと思ったぜ、結婚怖くてな」


「誰がだ」


ユリウスが返すと、どっと笑いが起きた。

エナはすぐに捕まり、女兵たちに囲まれる。


「ねえ指輪は!?」「いつ式!?」「子どもは何人!?」


「ちょ、ちょっと待ってってば!」


完全に遊ばれていた。

ユリウスはその様子を見て、思わず笑う。


酒が回り、夜は深まる。

誰かが歌い出し、誰かが転び、誰かが泣く。

くだらない話が、やけに愛おしかった。


「覚えてるか?初任務で迷子になったやつ」


「お前だろそれ」


「違う、お前だ」


「俺じゃねえ」


そんなやり取りすら、もう終わる。


「……お前らがいなくなると、寂しくなるな」


不意に、誰かが言った。

酔っているはずなのに、その声だけは妙に真っ直ぐだった。


ユリウスは肩をすくめる。


「少しは平和になるんじゃないか」


「違えよ。寂しいって言ってんだ」


軽く殴られる。

また笑いが起きる。


その中で、ユリウスはふと気づく。

この時間が、どれほど貴重だったのかを。


喧騒から離れ、二人は外に出た。

夜風が、火照った体を冷ます。


「……なんかさ」


エナが空を見上げる。


「今日、終わらない気がする」


「またそれか」


「うん……なんとなく」


不安とも違う、奇妙な感覚だった。

ユリウスは少しだけ考え、それから笑う。


「ただの飲みすぎだ」


「もう」


エナは軽く肩を叩く。


「ちゃんと聞いてよ」


「大丈夫だよ」


ユリウスは言った。


「明日になれば、ちゃんと終わる」


そして、新しい日が始まる。

そう言いかけた、その瞬間――


鐘が鳴った。

低く、重く、何度も何度も。

空気を震わせる、不吉な音。


「……え?」


エナが目を見開く。

詰所の中の喧騒が、一瞬で止んだ。

誰もが理解する。

これは、ただ事ではない。


「警鐘だ……!」


誰かが叫ぶ。

その瞬間、全員が動いた。

酒は捨てられ、笑いは消え、顔が変わる。

ユリウスは剣を掴み、エナの手を引いた。


「行くぞ!」


走る。

石畳を蹴る音が重なる。

胸騒ぎが、現実になっていく。


門に辿り着いた時――

すべては、すでに手遅れだった。


巨大な門は外側から破壊され、無残に倒れ込んでいる。

その向こうから、黒い波が押し寄せていた。


魔王軍。


誰かが、震える声で呟いた。

数が違いすぎる。

質も、何もかもが違う。


「構えろォ!!」


号令が飛ぶ。

だが次の瞬間、それは悲鳴に変わる。

衝突は一瞬だった。


剣が弾かれ、鎧が砕かれ、人が倒れる。

ユリウスは剣を振るう。


一体、斬る。

もう一体。

だが、終わらない。


減らない。


「エナ!」


「ここ!」


背中合わせに戦う。

呼吸は合っている。動きも完璧だった。

それでも、押される。


「下がれ!持たない!」


誰かが叫ぶ。

その声と同時に、前線が崩れた。


仲間が、倒れていく。

名前を呼ぶ暇もない。

ただ、命が消えていく。


「くそ……!」


その時――

エナの動きが、わずかに遅れた。


一瞬だった。

黒い刃が、彼女を貫く。


「……え」


時間が、止まった。


「エナ!!」


エナの呼吸が乱れていた。

胸が上下するたび、苦しそうに息が漏れる。

視線が合わない。

焦点が合っていない。


「……ねぇ、もう……いいよね」


エナは笑っていた。

いつもの、少し照れた笑顔。

でもその笑顔は、どこか遠くを見ていた。


「帰りたかったなぁ……二人で」


ユリウスは必死に抱き寄せた。

腕の中の温度が、少しずつ軽くなっていく。

力が抜けていくのが分かる。


「……帰ろう。まだ……」


「ううん、もういいの。

 だって……あなたがいるから」


エナの指が、ユリウスの頬に触れた。

その指先は、驚くほど冷たかった。


周囲の音が変わった。

足音が増えた。

地面を踏みしめる重い音が、確実に近づいてくる。


ユリウスは悟った。

――もう、どうにもならない。


逃げても追いつかれる。

助けは来ない。

仲間の声はもう聞こえない。


ここで終わる。


「最後に……ちゃんと、触れたい」


エナの声はかすれていた。

でも、その言葉だけははっきり聞こえた。


ユリウスはエナの顔を両手で包んだ。

震えていたのは、自分のほうだった。


二人は顔を寄せた。


触れた瞬間、世界が静かになった。

戦いの音も、叫びも、すべて遠くへ消えていく。


エナの唇は温かかった。

その温度が、ユリウスの胸を締めつけた。


「……ありがとう。

 あなたと一緒で……よかった」


ユリウスは答えられなかった。

声にしたら、終わってしまう気がした。


迫る足音が、もうすぐそこにあった。

影が伸びてくる。

風が乱れる。


それでも二人は離れなかった。


エナの呼吸が、静かに薄れていく。

腕の中の重さが、少しずつ変わっていく。


「エナ……」


ユリウスは震える声で呼んだ。


「エナ……」


エナは微笑んだ。

その笑顔は、もう返事をしなかった。


エナの温度だけを感じながら、

静かに息を吐いた。


――帰りたかったな。

二人で。


その想いだけが、最後まで胸に残った。


ユリウスはエナを抱いたまま、ゆっくりと顔を伏せた。

近づく足音が、もうすぐ耳元まで迫っている。

それでも彼は、ただ静かに目を閉じた。


夜風が止む。

影が落ちる。


――そして、王都の音はそこで途切れた。

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