3 問題あり?の宿泊客
ペンション。2階の廊下。
足立たちと別れたあかりと石丸は、2階への階段を上がってくる。その最中、石丸が聞いた。
「どう? 良いペンションでしょ。静かで、景色も」
「はい。管理人さんは、そこを気に入ったんですか?」
あかりの言葉に、石丸は腕を組むと右手を顎に当てて、
「まあね。交通の便があまりないのが玉に瑕なんだけど。ま、それだけ、喧騒から離れられるってことで……」
と、愚痴混じりに返した。
廊下に出ると、目に入ったのは各部屋の前に並ぶ小さなゴミ箱だった。
すると、あかりは石丸から大きなゴミ袋を渡される。
「1番初めに、朝、部屋の前に置いてあるゴミ袋の回収ね。で、その後、掃除。だけど、うちは客室の清掃はお客様が帰るまで無しだから、廊下とか共有スペースを掃除すればいいよ」
「分かりました」
「あとゴミ出しもしてもらうから。明日がビン・カン。明後日が可燃ごみね。じゃ、よろしく」
石丸はそう言い残すと、階段を下りて受付に戻っていった。
あかりは、1人になると辺りを見回す。
部屋は3部屋あり、廊下は各部屋の間の向かいの壁に窓がついていた。奥には、トイレも備え付けられている。外から見た時、レストラン部分は上に部屋がなかったので、その分狭いのだろう。
一通り観察し終わると、あかりは「よし」と気合を入れ、1号室の前に向かった。
1号室のゴミ箱は、中に入っているゴミの量は少ないものの、横に多くの酒瓶が立ち並んでいた。
「……酒豪?」
そんな感想が、あかりの口から洩れた。
2号室のゴミ箱は、ちり紙やチョコの包み紙などが主だった。チョコの包み紙には、『低血糖向け』の文字があった。
あかりはゴミ箱に設置された小さなゴミ袋を回収して口を結び、大きなゴミ袋の中に入れる。そして、新しい小さなゴミ袋をセットした。
「うーん……。なんかズレてる?」
が、きっちりしていないことが気に掛かり、あかりは何度も袋を整え直す。――――と、その時、2号室のドアが開いた。
姿を現したのは、スーツに身を包んだ背の高い男だった。
男はあかりを見るなり、
「スタッフの人?」
と、不愛想に聞いてきた。
「あ、はい」
「これ、捨てといて」
男は、あかりに小さな紙を押し付ける。それは、タクシーの領収書だった。
そのまま1階へ向かう男の背を見送ると、あかりは業務を思い出して3号室に向かう。――――と、その時、不意に3号室のドアが開いた。
「あいた!」
飛び出してきた影にぶつかり、仰向けに転ぶ、あかり。すると、次にあかりの耳に届いたのは、
「あかりちゃん!」
という嬉しそうな声だった。
体を起こすと、そこにいたのはワカサギ釣りの道具を持ったスズメだった。
「スズメ……! 危ないでしょ!」
そんなあかりの叱責を、
「ごめん、ごめん! あ、そういえば、あかりちゃんの部屋ってどこ? 1階?」
と、スズメはいつもの調子でいなす。その態度にも、もう慣れたものだった。
「……従業員は、離れ」
「離れ?」
反省の無いその態度に呆れ混じりにあかりはそう答えると、そのまま3号室に入る。そして、窓の外を指差した。そこには、小さな2階建ての宿舎があった。
「えー、夜は一緒じゃないの?」
スズメは寂しそうにする。しかし、すぐに妙案を思いついたのか、
「あ、じゃあ、私が遊びに行くね!」
と、明るい声で告げた。
「迷惑だから、やめなさい」
あかりは子供を相手にするようにそう言う。と、スズメは再び甘えた子犬のような表情を見せた。
その目に見つめられると、あかりは、
「……私がこっちにくるから」
と、根負けしてため息を吐く。こうなったらスズメはどうにかして自分の意見を通さないと気が済まないことをあかりは知っていた。
「分かった! じゃ、行ってくるねー!」
スズメは笑顔になると、3号室を飛び出す。そして、そのまま廊下を進むと、階段の上から、1階の廊下に向けて、
「あ、受付さん! 大荷物ですね! 受付さんもワカサギ釣りですか?」
と、騒がしくしながら、階段を降りていった。
「……あ、スズメ、鍵!」
そうなってようやく、あかりは自分が部屋主でないことに気がつく。すると、
「机の上! 閉めといて!」
そんな声が、階段の向こうから聞こえてきた。
3号室に取り残されたあかりは、もう1度呆れたようにため息を吐くと、机の上から鍵を取って部屋の外に出る。そして、3号室の鍵を閉めた。――――その時だった。
「やめて!」
そんな叫び声が、1階から聞こえてきた。
慌てて階段を下りてきたあかりが、レストランの方を覗く。――――と、入り口では、真美の手を握っている男がいた。さっきの2号室の男だ。
真美は、嫌がるそぶりを見せている。が、誰も助けにこない。受付を見ても、石丸はいなかった。
「もう! なんでいないのよ!」
あかりが間に割って入るべきか、二の足を踏んでいると、
「だから、あの男を! シェフを出せ!」
と、男の口から飛び出た。
「あの人は、今日いないの!」
「嘘をつくな!」
そんな会話を真美たちが繰り広げる中、あかりはその場にゴミ袋を置くと、そーっと2人のそばを抜け、厨房へ向かった。
▼ ▼ ▼ ▼
レストラン、厨房。
机の上には、泡立て器に燻製器、ミキサーなど居酒屋にはない機械が並んでいる。
足立は、それに心を躍らせていた。
「燻製器に、ミキサー!」
そう言うと、今度は振り返って大型の冷蔵庫を開ける。その中には、新鮮な野菜や仕込まれたもの、魚や肉が並んでいた。
「新鮮な野菜!」
冷蔵庫を閉じると、今度は調理場に向かい、並べてある調味料類を肘をついて眺める。
「いろんな調味料! ……最高だ。あぁ、料理ができたら、もう死んでもいいなぁ」
足立の料理人人生において、それは最も充実した瞬間であり同時に夢見た瞬間でもあった。――――が、そこに、
「足立さん! ――――って、何してるんですか!」
と、足立を夢から叩き落とすように、あかりが飛び込んできた。
「うわっ! って、あれ、バイトの……」
「日野川あかりです! そんなことより、大変なんです! 真美さんが、迷惑客に絡まれていて。シェフを出せって」
「シェフ……」
足立は一瞬、呆けたような顔を見せる。が、それから自分の立場を思い出すと、
「わ、私!? いや、私は……」
と、おろおろと慌て始める。
「~~っ! しっかりしてください! ――――シェフなんでしょ!!」
しかし、その煮え切らない態度に痺れを切らしたあかりが喝を入れると、足立は今は自分がこのレストランのシェフなんだということを自覚し、ハッとする。
「……そ、そうだね。ようし、そのお客様のもとへ、案内して」
そうして足立は覚悟を決めると、
「こっちです!」
という、あかりの案内に従って駆け足で厨房を出た。――――と、ちょうどそこで、
「うぉおっと!!」
と、厨房に乗り込もうとしていた真美と揉めていた男と鉢合わせた。
「あ、あなたが問題の……!!」
足立は、その男の鋭い目つきに一瞬気圧される。が、グッと体に力を込めると、
「……な、なんですか! このレストランのシェフは私です!」
足立が胸を張ってみせた。すると、男は目を丸くして足立を見て、それから厨房を見た。
「……本当にいないのか」
と、そこに遅れて真美がやって来る。
「だから、そう言って……」
しかし、その様子はおかしかった。
ぜーぜーと息を荒げながら膝に手をつく、真美。すると、真美はそこで言葉を止め、不意にバックヤードへ向かって走り出した。
▼ ▼ ▼ ▼
「真美さん……!?」
あかりがその後を追う。――――と、次にあかりが目にしたのは、バックヤードの自身のロッカーから喘息の薬が入った吸引器を取り出して接種する、真美の姿だった。
その時、真美のロッカーからあかりの足元に向かって、銀と緑の薬のフィルムが落ち葉のようにひらひらと舞い、滑ってくる。
あかりは、それを拾って渡すと、
「喘息、ですか?」
と、心配そうに聞いた。真美は、まだ若干苦しそうにしながら頷いて、
「……感情的になったり緊張すると、たまに。普段は、飲み薬で押さえてるんだけど」
と、答える。それを聞くと、あかりは薬のフィルムを見た。
「これですか?」
「そう。でも、飲みすぎると血液が濃くなって、気持ち悪くなっちゃうから、緊急の時は吸引機で」
「そうだったんですね」
そこへ、足立が遅れてやって来る。
「だ、大丈夫ですか?」
真美はそれに、
「もうずいぶん落ち着いたわ」
と、返す。すると、足立は胸を撫で下ろし、
「あの、ひとまずテーブルで休んでもらっています。……どうされますか?」
と、尋ねた。
あかりはその足立の行動を、
「なっ……! 迷惑客を残らせるってどういうことですか!」
と、責める。しかし、足立は言い辛そうな目で真美を見ると、
「……旦那さん、なんですよね?」
と、言った。
「え……」
あかりは驚いて、真美を見る。すると、真美は左手の結婚指輪を右手で隠しながら、
「……ええ。西尾賢一。私の夫です」
と、答えた。
バックヤードが、しんと静まる。
真美は、賢一をどうすればいいか答えられなかった。
あかりは足立に静かに近づくと、小声で、
「その、納得されないままあのお客様を返しても、後で、もっとまずいことになると思いますが……」
と、伝える。足立もそれに「確かに」と小声で同意した。
すると、あかりは何かを思いついたように眉を上げて、
「……あ、言い合いじゃなくて、話し合いにすればいいんですよ」
と、言った。
「そりゃ、それが出来れば1番いいけど」
足立が答える。あかりは「ですよね!?」と足立を見ると、
「ってことで、出番ですよ。足立さん」
と、足立の背中を押した。
「……え?」
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