学院に走るさざ波
学院の朝は、いつも鐘の音と共に始まる。
しかし、この日はその鐘の後にも、ざわめきが収まらなかった。
「聞いた?十年前の魔力測定の話」
「ええ、噂では……記録が改ざんされていたとか」
「でも、それって誰の記録?」
「ほら、公爵家の――」
リヴィアは食堂の片隅で静かにスープを口に運びながら、その会話を聞き流していた。
視線は上げずとも、耳には必要な情報だけを拾い上げる。
噂はまだ曖昧で、確証には程遠い。けれど、その揺らぎが重要なのだ。
反対側の大きなテーブルでは、ミアがいつものように笑顔を振りまいていた。
「今日は授業の後、舞踏会の練習があるの。みんなも見にいらして」
その声には明るさが満ち、周囲の生徒たちは即座に頷き、賛辞を送る。
だが、いつもの輪の中に、わずかな温度差が生まれていた。
会話の合間に、ひそひそと交わされる視線。
「……あれ、本当なのかしら」
「関わらない方がいいかも」
ミアはまだ気づかない。
いや、もしかしたら薄く察してはいるのかもしれないが、自分の影響力を過信していた。
授業の後、リヴィアはレオンと共に図書館の奥へと向かった。
「順調だな」
「ええ。けれど、次はもう少し直接的なきっかけが必要ですわ」
レオンは少し考え、古い巻物を手渡した。
「これは王都の魔術師協会が管理していた研究記録の写しだ。君の魔力量の推定値も含まれている」
「……予想より高いですわね」
「これを信頼できる人間に“偶然”見せる。それで噂は確信に変わる」
その日の放課後、リヴィアは小さな紙片を一人の女生徒の机に置いていった。
彼女は情報通として知られ、学院中の噂の半分は彼女の口から広まる。
「ほんの少し、風を吹かせるだけですわ」
その囁きは、誰にも聞かれなかった。
数日後、学院の廊下で――。
「ミア様、あの話、本当なんですか?」
「……あの話?」
ミアは微笑を崩さず問い返すが、その瞳にわずかな苛立ちが走る。
「お姉様、本当は――」
「それ以上はおやめになって」
言葉を遮る声は甘く、しかし底に冷たさを含んでいた。
取り巻きたちは慌てて話題を変えたが、空気は確かに変わっていた。
夜、リヴィアは自室で地図を眺めた。
交友線のいくつかが色を変え、新たな接点が生まれている。
「……氷は、確かに広がっている」
その微笑は、昼間の無表情とは違い、確かな手応えを含んでいた。
そしてミアもまた、温室の片隅で一人、花を摘みながら呟いた。
「……お姉様、何を企んでいらして?」
翡翠色の瞳の奥で、炎が静かに揺れた。