妹よ、君は兄に対して杜撰過ぎじゃないか?
昼になれば、講堂の窓から生徒達が興味津々に中庭を見ていた。
気の早い者は、リリアヴェルが出迎えに行く表門の方で馬車から降りるメグレン皇太子を見守ったのである。
実物の皇太子は、リリアヴェルがこっそりと見せてくれた絵姿よりも素敵で、令嬢達は胸を押さえた。
「くっ……確かにこれは……リリアヴェル様の言う通りですわ……」
「……ああっ、何てお素敵なのかしら……」
堂々とした体躯に翻るマント。
長身であり、しなやかな筋肉をしっかりと感じさせる上半身。
さらりと艶めく黒髪に、鋭い青の瞳がその堂々たる威風を高めている。
だが、リリアヴェルを目にした瞬間、柔らかくその眼差しが変わったのを見て、乙女達ははぁぁ!と胸を震わせた。
少し垂れた眦に、愛し気に笑みが宿り、冷たそうな薄い唇が弧を描く。
「あ、ああ、あんなお顔を向けられたらわたくし、失神してしまいそう」
「ああ、リリアヴェル嬢も何て可愛らしい顔で微笑むんだ…!」
メグレンだけでなく、メグレンにうっとり微笑むリリアヴェルを見て令息も感嘆の吐息を漏らす。
そんな風に全生徒に見守られながら、メグレンは中庭まで案内されたのである。
リリアヴェルの眼中には無かったが、実の兄のカインも勿論同行していて、メグレンの後ろを歩いていた。
「まあ、カイン様よ!」
「カイン様がいらっしゃるわ!」
眼中にないのはリリアヴェルだけで、この国の高位貴族にしてまだ婚約者が居ない上に美形なカインは、ご令嬢達の垂涎の的なのである。
可愛らしいリリアヴェルというお相手がいる、帝国の皇太子メグレンはどう足掻いても狙えないが、カインはギリギリ皆様の手の届く範囲の獲物なのだ。
まだ婚約者の決まっていないご令嬢の目が獲物を狩る狩人の目になってきている。
「何だか視線が怖いんだけど……」
「うふふ!皆様にはメグレン様の素晴らしさを日々お伝えして参りましたから!」
脅えるカインに、リリアヴェルは全ての視線はメグレンに集中しているとばかりに説明している。
だが、メグレンが、ちらとカインを見て言った。
「ああ、カインはまだ婚約者がいなかったな。社交界でも人気が高いし、帝国でも話題に上る美青年だからな」
「まあ……!そうでしたのね……?」
こてん、と首を傾げるリリアヴェルは不思議そうな顔をカインに向けてくる。
失礼だけど、可愛らしい。
可愛らしいが、失礼だ。
思わずカインは妹の反応に半眼になる。
だが、まだこの二人が無事婚姻に漕ぎ着け、新生活を見届けるまでは安心できない心配性の兄であった。
「いや、私のことは一先ずどうでもいいよ。今日はあの糞……いや、うん王子殿下に分からせないとな。本来なら私がぼこぼこにしてやりたかったんだが、その役目はメグレンに譲ろう」
「そう簡単に済めばいいがな」
帝国でも一応、優秀という事で通っているヨシュア王子である。
リリアヴェルの存在と北の魔女の一件を知り、辺境に放逐された騎士達からの話を聞けば、疑わしいが。
今のところ、集まった調書を読む限りでは、ヨシュア王子の業績の約八割がリリアヴェルの仕事であった。
だが、ここまで交流を重ねたというのに、リリアヴェルからは不満の一言も出ない。
一度だけ、その点に触れた事はあるが、リリアヴェルは笑顔で返してきた。
「国にとっては王子殿下の業績にした方が国民も喜び、安心致しますので」
自分の名誉とか手柄とか、そういった事に全く関心がないのである。
無欲といえば無欲で、さぞヨシュア王子にとって利用しやすい令嬢だっただろう。
だが、その利用の対価は、冷たい言葉と邪険な態度だったのである。
それなのに、失う事になってからしつこく戻る様に説得し始めたのは、情愛からではない。
何処までもリリアヴェルを馬鹿にした態度だ。
「だが、カイン。手は抜かないと約束する」
「ああ、頼んだ」
何をするのだろう?とリリアヴェルが頭越しの二人の会話にきょとんと眼を丸くしたが、食事をしようと思っている場所はすぐそこだ。
気を取り直してリリアヴェルは二人に微笑みかけた。
「まずはお昼ご飯に致しましょう?メグレン様、お兄様」
お兄様、と呼びかけられて、カインは安堵した。
リリアヴェルの中にも一応兄の存在はあるらしい。




