お兄様!恋ではないと言われておりましたわ!
「リリ、明日から君に護衛を付ける事にしたよ」
「えぇと、それは、何時も付いているように存じますけれど?」
カインの言葉に、リリアヴェルはおっとりと首を傾げた。
公爵家の護衛騎士は、常に教室の外の警備や行き帰りの馬車の御者台や馬に騎乗して並走している。
王族が通う学園だけあって、警備はしっかりしているのだが、自衛も許されていた。
「それはほら、君から離れているだろう?友人達と過ごすのにも邪魔かと下げておいたが、ヨシュア殿下が強硬手段に出ないとも限らない」
そう言われて、リリアヴェルはハッとした。
確かに今日、手を伸ばしてきたのだ。
「今日も二人きりじゃないからと、友人達を遠ざけたので代わりに侍女を傍に寄せましたけれど……確かに、わたくしに触れようとなさいましたね……」
「……なに?大丈夫だったかい?」
「はい。避けましたので!」
リリアヴェルは言いながら、兄の前で素晴らしい足捌きを披露した。
意外と、素早い。
「どうやら、殿下はお前が薬や洗脳や魔術でどうにかなっていると疑っていたようでな」
「はぁ?……そんな便利な方法がその辺に転がっていたら、夫婦の不仲や、冷たい結婚生活なんてございませんわ?」
夢見がちなはずのリリアヴェルから、現実的な答えが返ってきて、カインはソウデスネ、と棒読みの返事を返す。
でも、それくらいリリアヴェルのヨシュアへの妄執は凄かったのだ。
きっとヨシュアから見れば、今まさにそう見えるのは理解に難くない。
「殿下には恋をしているだけだと説明したが、誤解が解けているのかどうか、お前を正妃にすると言っていたよ」
「今日もお断りしたのですけれど……話が嚙み合わないのです」
困ったように言うリリアヴェルに、カインもため息を吐く。
今まで何でも食い気味で了承してきたリリアヴェルが、冷めた返答をしてくる事に理解が及ばないのだろう。
だからこそ、会話の内容がしっかりヨシュアに届いていない。
「ふむ。それならばメグレン殿下にお出まし頂くか。徹底的に知らしめないと、諦めもつかないのだろう。それに護衛に帝国の人間も借りよう」
カインは言いながら、侍従がスッと差し出した銀盆の上の筆記用具を受け取ってさらさらと手紙を書き、侍従が温めて溶かした蝋を受け取って封蝋で封じる。
「皇太子殿下に急ぎお届けせよ」
「畏まりました」
見守っていたリリアヴェルが、あっ!と声をあげたので、カインがそちらに目を向ければ。
目を大きく見開いたリリアヴェルが、口に手を当てている。
「お兄様、わたくし大事な事を忘れておりました!」
「何だい?」
またとんでもない事を言い出すんじゃないだろうな?と笑顔を向けて聞くと、やはりとんでもない言葉が口から飛び出した。
「わたくし、北の魔女さまに、恋をしていないと言われたことがありましたの!」
「うん?何て?……北の魔女?」
それは、王国の最北端に位置する黒羊の森と言われる森を統べる魔女の名前だ。
いつからいるのかは分からないが、森には魔女が許可した人間しか立ち入れず、その森を焼こうとしたならず者や、我がものとしようと差し向けた兵が皆殺しになったという逸話もある。
広さもさほど広大ではないし、北に位置していて豊かというほどでもないので放置されているのだが、魔女に恐れて人々が立ち入れない為に薬草の宝庫だった。
「ええ、特殊な採取人と狩人しか立ち入れない所です」
「いや、……えっ?……何故君がそんな場所へ?」
カインに思い当たる事は無かった。
帝国の帝都にいくよりも時間がかかる場所だ。
馬車を使っても一週間はかかるので、往復で半月かかってしまうが、公務がある以上リリアヴェルがそんなに長い間城を離れた記憶は無い。
「以前、王妃様が熱病で倒れられた事がございましたでしょう?」
「ああ、それは覚えている。五年前だったか。確かヨシュア殿下が薬草を……まさか」
途中まで言って、カインは思い当たった。
希少な薬草で、その時期熱病が流行した事もあって、薬も原料である薬草も数を減らしていたのだ。
王妃が倒れたのは、熱病の収束間近だったので、薬が用意出来なかった。
そこで親孝行で勇敢な王子殿下が、魔女の森で薬草を探して持ち帰り、王妃殿下は快方へと向かったのである。
「ええ、王子殿下は二日ほど移動した町でお待ちになっておりました。何せ黒羊の森は女性しか入れないので、私が行ってくるようにと命じられたので、馬を乗り継いで行って参りました」
いや、12歳の少女に何という強行軍をさせるんだ!
「あ、馬で行けとは命じられておりませんの。ただ、王妃様以外にもまだ熱病にかかった方達がいたので、急ぎたかったのです」
憤怒の表情を浮かべた兄に、言い訳するようにリリアヴェルは微笑んだ。
だとしても、全ての手柄を横取りにしたとは。
「その時に魔女様と仲良くなりまして。色々お話をして、恋が冷める薬とやらをお茶に混ぜられていたらしく……でもご覧の通りわたくしには効かなかったのです。ですから、魔女様が仰っていましたの。恋ではなくただの熱病だと」
ふふっと可愛らしく笑う妹を見て、カインは再び色々思い当たる事があった。
確かにその後、ヨシュア王子に小さな不幸が訪れていたのだ。
蜂に追いかけまわされて顔を刺されたり、何処からか飛んできた果実が頭に当たって、髪の色が斑になったり。
細やかなそれが、魔女の悪戯だったとしたら合点がいく。
北の魔女さまはリリアヴェル推しなので、嫌な事があると、今でも時々ヨシュア王子に嫌がらせしてます。
ベッドで寝返り打った時に小指をぶつけたりとか、そういう地味だけどダメージ大きいやつ。
採取人と狩人は魔女に獲物とか食べ物とか一部を渡す代わりに、立ち入りを許されている近隣住民がいるだけで、基本は男子禁制(男嫌いとかではなくて、過去の経験上無駄に殺したりとかされるのが嫌)




