1-07 アンジェリク
「ドルレアク宰相とノエ将軍から詫び状と見舞いの品が届いている」
リオネル王子の婚約破棄騒動のあった卒業祝賀会の翌日。
マリスは父であるモンストル公爵の書斎に呼ばれた。
「ご子息たちは謹慎中とのことだ。お前の体調さえ良ければ、直接謝罪したいとのことだがどうするね?」
「今は、まだ、会いたくないです」
「そうか。では私が返事を書いておく。それから……」
モンストル公爵は少し難しい顔をして、こめかみを揉んだ。
「国王陛下がお呼びだ。明日、王宮へ行く。準備をしておくように」
「え?!」
「リオネル王子とお前の婚約について、陛下からお話しがある」
「私もお呼ばれしているのですか?」
国王の臣下として王宮へ呼ばれるのは、大抵が爵位を持つ家長だ。
嫡子ならまだしも、令嬢が呼ばれることはほぼ無い。
婚約にしても、貴族の婚約は家同士の契約であるため家長が行うもので、婚約の当事者たちが同席するほうが珍しい。
「お前も一緒に来るようにとのお達しだ。王妃殿下がお前のことを大層気にかけてくださっている。陛下も出来る限りの善処をしてくださるとのことだ。ありがたいことよ」
「あの、お父様、アンジェリクはどうなるのですか?」
卒業祝賀会の後、アンジェリクはモンストル公爵家へ丁重に送還された。
現在は自室で謹慎中である。
時折、アンジェリクの自室の方向から奇声が聞こえてくることがあるが、概ね部屋で大人しくしているようだ。
マリスは何度かアンジェリクと話をしようと部屋を訪ねたが、アンジェリクは「会いたくない」という一点張りで、婚約破棄の騒動以来まだ一度も話ができていない。
「アンジェリクはどうにもならん」
モンストル公爵は、冷たく言い放った。
「希少な光魔法の才能があるというから後見人を引き受けたが、アンジェリクの魔法の才は成長するにつれ、すっかり衰えた。今ではただの凡人だ。養女にしておく意味はすでに無い。所詮は血の薄い平民よ」
幼いころに発現した魔法の才能が、成長とともに衰え、成人するころにはほぼ消え失せるという現象は珍しいことではない。
特に平民にはよくあることだ。
先祖代々の血筋を守り魔力の才を継いでいる貴族たちと違い、平民で突然変異的に魔力の才が発現した者は能力が不安定で失われやすい。
「あんな騒動を起こしたのだ。アンジェリクはもう二度と王宮へは立ち入れまい。メルル男爵家へ戻してやるほうがあの子のためというもの。田舎でなら平穏に暮らせよう」
――マリスお姉様は何でも持っていらっしゃるのね。
かつてアンジェリクに言われた言葉が、マリスの頭の中に反響した。
ふわふわしたピンク髪に金色の瞳、天使のように愛らしい容姿、そして類稀な光魔法の才能を持つアンジェリク。
彼女は一見、神の恩恵を一身に受けているように見える。
だがアンジェリクは可哀想な子だ。
彼女の望みは叶わない。
そしてマリスは、アンジェリクが望むものを生まれつき持っている。
アンジェリクはマリスよりもよほど熱心に魔法の勉強をしていた。
彼女が熱心に、ときには夜遅くまで魔法書を読んで勉強していたことをマリスは知っている。
何故そんなに勉強をするのかとマリスが問うと、彼女は『魔法ができるから、このお屋敷にいられます。だから頑張るのです』と答えた。
しかし魔法学士に最も重要なのは、座学ではなく実技だ。
魔法を発動できなければ魔法学士にはなれない。
アンジェリクの努力に反して、彼女の魔力量は年々減少し、魔法の発動が困難となって行った。
マリスは王立魔法学院の学年首席で、氷魔法の天才といわれているが、その才能は生まれつきのもの、血筋によるものだ。
もちろん努力もしたが、天賦の才によるところが大きいことは自覚している。
マリスとリオネル王子との婚約も、マリスが公爵家に生まれたがゆえの縁談だ。
――マリスお姉様、リオネル様を私にください。
マリスを正面から見据えてそう言ったアンジェリクの、その真剣な光を帯びた金色の瞳は酷く印象的で、それはマリスの記憶の中に鮮明に焼き付いている。
アンジェリクがリオネル王子に好意を寄せていたことは知っていた。
だがいくらアンジェリクに希われたところで、マリスの一存でどうこうできる問題ではない。
マリスはアンジェリクに、リオネル王子の縁談を決めるのは国王であり、マリスの意志は関係ないことを説明した。
するとアンジェリクは、その花の顔に薄い微笑を浮かべながら、マリスに言った。
――ほらやっぱり、マリスお姉様はリオネル様を愛していらっしゃらない。
――でも私はリオネル様を愛しているわ。
――だからお姉様、リオネル様を私にくださいな。
どこか絶対勝者のような自信に満ちた表情で、まるで愛で結婚が決まるかのように語るアンジェリクに、マリスは懇々と説明した。
貴族の結婚は、親が政略で決めること。
伯爵家以上の血筋の娘でなければ、王子とは結婚ができないこと。
貴族の結婚は家同士の契約であり、いわば仕事のようなものなので、感情は関係ないこと。
アンジェリクはそのとき、マリスの話を理解していた。
――ではマリスお姉様は恋しいお方と結ばれたいとお思いにならないの?
――貴族のご令嬢は心が不自由でいらっしゃるのね。
思い出の中のアンジェリクの言葉に、マリスは小さく溜息を吐いた。




