2-18 (最終話)空虚の空虚
「まさか、こんな恐ろしいことになるなんて……」
マリスがそう言うと、エルネストは難しい顔をしたまま頷いた。
「あの兄上が、意味を解ってやっているとは思えないけど。……でも昔から兄上は権威を振り回すの好きだったからなあ……」
「リオネル聖下はまた、誰かにおだてられて、乗せられているのでしょうか」
「そうとしか思えないよね」
アロガンティア戦役の後。
さらに地図が変わることとなった。
アロガンティア戦役において。
アロガンティア帝国軍の進路にあった西方同盟の国々と、聖都テネブラエに国境を接する国々は、ふりかかる火の粉を払うため教皇軍に援軍を送った。
しかしそれ以外の国は援軍を送らなかった。
「背教国アロガンティア帝国を利する行為は、神に弓引く行為であった。国王は退位せよ。神は背教者に王位を認めぬ」
教皇リオネル一世は、援軍を出さなかった国々の王に退位を迫った。
ニール教において、王冠は神が授けるものであるので、神の代理人である教皇が王位を否定すればその王位は無効とされた。
「教皇聖下を支持する。彼らはテネブラエ条約違反である」
テネブラエ条約とは、聖都テネブラエを絶対不可侵とする五百年前の条約だ。
これには戦時の取り決めも含まれていた。
もしテネブラエを攻める者があれば、条約で結ばれた国々は一丸となってこれを滅ぼすという取り決めだ。
この取り決めは、条約が結ばれた当時は「抜け駆けを許さぬ」という意味だった。
もし抜け駆けしてテネブラエへ攻め入る国があれば、条約に従い、皆で一緒に抜け駆け国を制裁しようという、牽制であり大義名分だ。
それゆえ五百年、小さな都市国家テネブラエに攻め込む周辺国はなかった。
アロガンティア帝国はニール教を信仰していたが、テネブラエ条約の外の国だった。
しかしアロガンティア帝国は教皇リオネル一世に宣戦布告をしたので「テネブラエを攻めた」と言えた。
そのためテネブラエ条約を適用することは可能だった。
「彼らはテネブラエの危機に、テネブラエを守らなかった。これは条約違反だ」
教皇軍に参加した国々は、不参加だった国々を制裁する大義名分を得た。
その結果。
不参加国の国王は退位し、次代に王位を譲った。
そして莫大な賠償金を支払うことで条約違反は手打ちとされ、賠償金を支払えない国は領土を割譲することとなった。
戦争には莫大な費用が必要となる。
アロガンティア戦役に援軍を派遣しなかった国々は、自国に関係のない戦争をするほどの余裕がなく、その出費を惜しんだのだ。
しかしその判断は、何倍もの負債となって降りかかることとなった。
「援軍を出して良かった。首の皮一枚、つながった」
しみじみとそう言った王太子エルネストに、王太子妃マリスは苦笑いを返した。
「災いが転じて幸運となりましたね。火種を抱える西方同盟に参加したら、まんまと火種が炎上して巻き込まれてしまいましたが。こうなると……」
「西方同盟に参加していなかったら、今頃、父上は破門されて、私が即位していた。そして莫大な賠償金の支払いに頭を抱えていただろうよ。恐ろしいことだ……」
「リオネル聖下が教皇に就任なさってから、嵐の連続ですわね」
「兄上は教皇の権威を乱用しているからね」
エルネストはげっそりした顔でぼやいた。
「……やっぱりあのとき兄上を幽閉していれば……。兄上を国外に出してはいけなかったのだ……」
「リオネル聖下の動向には、今後も注意しなければなりませんね」
「結局、私たちは今も昔と変わらず、兄上の行動を常に注意し続けなければならないのだな。何の呪いだ……?」
「もしかして……」
マリスは、ふと、思いついた。
「私たち、前世で何か悪い事をしたのでしょうか?」
――その後も。
教皇リオネル一世を中心として、大陸に動乱は続いた。
リオネル一世にはその妻、聖女将軍アンジェリクが常に寄り添っていた。
教皇リオネル一世の威光に逆らう者あらば、常勝無敗の聖女将軍アンジェリクが光魔法をもってそれらをことごとく撃ち滅ぼし、ニール神の威光を知らしめた。
聖女将軍アンジェリクが出陣するたびに、教皇リオネル一世の権威は増した。
やがて、教皇に逆らう者は大陸に皆無となった。
教皇リオネル一世は元より神の代理人としてニール教の最高権威であった。
彼はさらに、その権威でもって、聖女将軍アンジェリクを総司令官とする世界最強の教皇軍を保有し、世界最高の権力をも手に入れた。
人々は信仰心から、または政治的思惑から、こぞって教皇リオネル一世に寄進した。
そのため教皇リオネル一世の下には世界中の富が集まることとなった。
彼は、世界の支配者と言っても過言ではない存在となった。
「何だか、複雑な心境です……」
アルカナ王国では、国王が健康上の理由で退位した。
動乱の続く政治情勢に心労が重なっての健康被害だった。
王太子エルネストは、エルネスト三世として国王に即位した。
国王エルネスト三世の戴冠式で、マリスも王妃として戴冠した。
エルネストとマリスに王冠を手ずから授けたのは大司教だが。
その王位を許可したのは神の代理人である教皇リオネル一世だ。
「あのリオネル聖下に、王冠を与えられることになるなんて……」
王妃マリスがそう言うと、国王エルネスト三世も頷いた。
「兄上のくせに、何様だって思うよね。まあ、教皇様なんだけれど」
「日々の努力が、何だか、虚しくなりますわね。結局はより高い地位を得た者が勝つのですね」
「神の依怙贔屓だよ。兄上は問題を起こしても安穏としている。兄上が起こした問題を処理するのは、いつでも私たちだ」
王子時代から、リオネルに起因する数々の政治的困難を乗り越え、リオネルのせいで戦に赴いた経験まであるエルネストは理不尽に憤るかのように顔を顰めた。
「やはりリオネル聖下は……」
マリスは悟りを開いた僧侶のような静謐な表情で言った。
「前世でよほどの善行を積んでいらしたのでしょう」
その後も数々の動乱はあったが。
国王エルネスト三世と王妃マリスの才覚により、アルカナ王国は無難に危機を乗り越えて行った。
地図から消える国がある厳しい情勢の中で、地味だが無難に治めたエルネスト三世の治世は、後世において評価された。
――後世の歴史研究において。
この時代の絶対権力者であった教皇リオネル一世は、最も注目される存在だ。
この時代、リオネル一世は世界の頂点に立っていた。
しかし彼が何を思い何を望んでいたのかは不明だ。
その人物像は謎に包まれている。
リオネル一世の偉業の記録は数多ある。
しかし、彼の私生活や思想に関する記録は驚くほど何も無く、その人物像を知る手がかりはほとんど残されていない。
教皇リオネル一世の威光は大陸全土に及び、彼は莫大な富を手中にしたが、しかし、彼自身は教皇に就任してから一度も聖都テネブラエを出ることはなかった。
彼はどれほど権威が増そうとも変わりなく聖都テネブラエで聖職者として暮らしていた。
そのことから、教皇リオネル一世は生真面目な聖職者であり、野心家の傀儡となっていたのではないかという考察がある。
その考察は、教皇リオネル一世の言葉として残されている唯一の言葉が、哲学的であり、聖職者らしさがうかがえるものであることに起因する。
歴史書『聖都テネブラエ史』には、唯一、教皇リオネル一世の私的な言葉が記されている。
それは聖都テネブラエ史の第一巻の著者の一人、教皇庁の書記官だったアルフォンス・バルトが、幸運にも教皇リオネル一世の執務室で書記を務めたときに直接聞いた言葉だ。
教皇リオネル一世は教皇庁の窓から空を見上げ、こう呟いたという。
「空虚の空虚。すべては空虚だ」
『オカルト結婚式』
――完――
※「空虚の空虚。すべては空虚だ」
Vanitas vanitatum, et omnia vanitas.(ラテン語)
旧約聖書のコヘレトの言葉「ヴァニタス・ヴァニタートゥム」の引用です。
2章はこれで終わりです。
お読みいただきありがとうございました。
ブクマ、評価、リアクション、感想などもありがとうございました。
ぜんぶ嬉しいです。
2章タイトルを「オカルト婚約破棄」から「オカルト結婚式」に変更しました。
書いているうちに、婚約破棄より結婚のほうがオカルトだったかなと思い始めたので。
次の3章はまた別のお話となります。
3章で完結する予定です。




