2-17 深謀遠慮
うららかな午後。
王太子宮の庭園の四阿で、果実水や菓子が並んでいるテーブルを前にして王太子妃マリスは王太子エルネストとゆったりとした時を過ごしていた。
「しばらくはゆっくり過ごせるのでしょう?」
マリスが尋ねると、目の下に隈がある疲れた顔でエルネストは頷いた。
「うん……。ようやく体制が整ったから、やっと休みがとれるよ」
エルネストはぼんやりと庭園の花を眺めながら、果実水を口に運んだ。
そしてぽつりと言った。
「兄上はもしかして……天才だったのだろうか……?」
エルネストのその言葉に、マリスは考え込んだ。
「……解りません……」
「どうして兄上が教皇に選ばれたのか謎だったけれど。私には解らない才能が兄上にはあって、枢機卿たちはそれを見抜いていたのだろうか……?」
「失礼ながら、才能があるようには……」
「やっぱりそうだよね」
「ですが……リオネル聖下にだけ聖女アンジェリクが見えていたのは、リオネル聖下の才能だったのでしょうか?」
マリスも自問自答するように言った。
「兄上が教皇になったことも驚きだったけれど、本当にアンジェリクが存在していて、兄上がアンジェリクと結婚するなんてね。しかも……」
エルネストば茫洋とした眼差しで半笑いをした。
「まさか、西方同盟に加入してすぐに、戦争が起こるなんてね」
――時間は少し巻き戻る。
教皇リオネル一世が聖女アンジェリクと結婚した後。
アロガンティア帝国の皇帝が、教皇リオネル一世を糾弾した。
「教皇リオネル一世は教会法に違反して結婚をした。教会法に違反するリオネル一世は、堕落した悪魔だ!」
そして帝国は教皇リオネル一世に宣戦を布告した。
「悪魔リオネルの手に落ちた聖都テネブラエを奪還し、解放する!」
帝国軍は、聖都テネブラエへ攻め上るべく、その途上にある西方同盟の国に進軍しようとした。
「聖女アンジェリクを総司令官に任命する」
帝国軍の侵攻に対抗すべく、教皇騎士団と各国からの援軍とで教皇軍が結成された。
教皇リオネル一世は聖女アンジェリクを教皇軍の総司令官とした。
帝国軍が聖都テネブラエに侵攻する場合、西方同盟の国々を通過することになる。
西方同盟は以前から帝国との間に摩擦があったこともあり、ニール神の代理人たる教皇の旗印の下に兵力を集結させた。
「神の名の下に!」
教皇軍は西方同盟の国境でアロガンティア帝国軍を迎え撃った。
――そして、奇跡は起こった。
聖女アンジェリク率いる教皇軍は光魔法の金色の壁で守られ、帝国軍の弓も槍も剣も弾き返した。
また聖女アンジェリクが陣頭に立てば、帝国兵士たちはことごとく敬虔なニール教信者としての信仰心を取り戻し、無条件で降伏した。
聖女アンジェリク率いる教皇軍はほとんど無傷で、速やかにアロガンティア帝国の首都まで攻め上った。
教皇軍を何故か大歓迎するアロガンティア帝国の民たちにより、首都はあっけなく陥落。
無血開城となった。
帝国臣民たちにより拘束された皇帝の身柄が、聖女アンジェリクの前に供物のように差し出された。
そして戦は終わった。
この戦は複数の国々を巻き込んだ、いわば大戦であった。
にも関わらず、帝国側の速やかな降伏と無血開城により犠牲らしい犠牲もなく早期に終結した。
戦闘の意志が無いかのように素直に降伏するアロガンティア帝国軍や、教皇軍をむしろ歓迎していたかのようなアロガンティア帝国臣民の様子に、「アロガンティアの皇帝は一体、何をしたかったのだ?」と、教皇軍の者たちは首を傾げた。
敗戦したアロガンティア帝国は、一部は教皇の直轄地となり、残りは全て教皇軍に参加した国々に美味しく分割された。
西方同盟と聖都テネブラエの存亡の危機が、一転して、大収穫祭となった。
「神に感謝を」
大戦で利益を享受した国々は、大戦の功労者である聖女アンジェリクを賞賛し、この結果を引き出した教皇リオネル一世を称えた。
「教皇聖下が大々的に婚礼を行ったのは、アロガンティア帝国をおびき出すためだったのかもしれませんな」
「とんでもない深謀遠慮だ」
「聖女アンジェリク猊下の無敵の光魔法あればこその勝利でしょう」
「神の代理人たる教皇聖下の威光に、聖女猊下の無敵の光魔法。聖都テネブラエある限り敬虔なニール教徒の国々は安泰ですな」
「黄金時代の到来かもしれぬ」
「兄上のおかげで領土は増えたけど……」
エルネストはげっそりした顔でぼやいた。
リオネルが教皇に就任したことが原因で、アルカナ王国は西方同盟に加入せざるを得なくなった。
アルカナ王国が西方同盟に加入するや否や、リオネルの結婚が原因での大戦勃発。
そして西方同盟の盟約により、エルネストは援軍を率いて対アロガンティア帝国戦に参戦した。
リオネルの教皇就任以来、エルネストはずっと馬車馬のように走り続けていた。
「さんざんな目にあった……」
「戦争を起こしたの帝国ですわ。リオネル聖下のせいではありません」
「そうかな。兄上に挑発されて、アロガンティア帝国はまんまと戦を起こして、そして呆気なく滅んでしまった。作戦だったんじゃないかな」
「まさか……。だってリオネル聖下ですよ?」
「まあ、兄上には、そんな頭は無いけれど。でも優秀な参謀がいるんじゃないかな。戦争には勝てたから、こちらとしては良い結果だったけれど。騙されたような気分だよ……」
エルネストは眉間に皺を刻んで、考え込むようにしばし沈黙した。
そして、ふと、思い出したようにマリスに言った。
「イシドールとフロランを覚えているかい?」
「リオネル聖下の学生時代の側近だったお二方ですわね。婚約破棄騒動の後、アンフェール要塞の兵士になられた……」
「そう、あの二人。援軍に志願していてね。少し話をしたんだが……」
エルネストは微妙な表情で語った。
「彼らは、学生時代に兄上のアンジェリクの妄想に付き合ってた失態を、武勇伝として語っていた。当時と違って、今や聖女アンジェリクは存在していて、教皇軍の総司令官だったからね。彼らは鼻高々さ。学生時代の、兄上とアンジェリクの思い出話を兵士たちに披露して人気者になっていたよ」
「……祝賀会で婚約破棄された昔が、懐かしいですわ……」
マリスがしみじみとそう言うと、エルネストは感慨深そうにした。
「ああ、懐かしいね。あのころは平和だった。兄上が教皇になって大戦が起こるなんて夢にも知らず、平和に暮らしていた。とんでもない世の中になったものさ。……やっぱり、兄上を国外に出したのが失敗だったのかな……」
「でもあれは止められませんでした」
「そうだよね……。あのとき、甘やかしたりせず幽閉しておけば……こんなことには……」
エルネストは物騒なことを呟きながら、果実水を口に運んだ。
「兄上は王太子だったときは失態ばかりだったのに。聖都へ行ったら教皇に就任して、次々と偉業を成し遂げて、尊敬を集めている。……今の兄上には、私たちよりよほど優秀な側近が付いているのだろうね」
かつて王太子だったリオネルを支えていたエルネストは、甘い果実水を飲みながら苦い物を飲んでいるような顔をした。
「そうですね。私など、聖女アンジェリク猊下には到底及びませんもの」
リオネルの元婚約者だったマリスは、リオネルの妻となったアンジェリクに敗北を感じて苦笑した。
「聖女アンジェリク猊下の光魔法は規格外だよ。彼女の魔力には大抵の者が敗北する。マリスが自分を卑下する必要はないよ」
「いえ、光魔法のことではなく……覚悟といいますか……」
「覚悟?」
「はい」
マリスは少し自嘲気味に微笑んだ。
「アンジェリク猊下は、女性ながら司令官として参戦なさいました。いかに強大な光魔法の使い手とはいえ、女性の身で戦に赴くことは並大抵の覚悟ではありません。仮に私がアンジェリク猊下と同じ力を持っていたとしても、そこまでリオネル聖下に尽くせたかどうか……」
マリスは、ほうっと溜息を吐いた。
「アンジェリク猊下はそれほど、リオネル聖下を深く愛しておられるのですわ」
「美人で最強で愛情深い妻を娶って、兄上は果報者だね」
エルネストは小さく笑った。
「そのうえ兄上は今や教皇聖下だ。生まれながらの王太子で、廃太子されたら教皇になった。失敗したら位が上がったんだ。おかしい。神が依怙贔屓しているとしか思えない。あんな若い教皇は、最初で最後だと思う」
「リオネル聖下は、神に愛されているのでしょうか」
「神の特別な加護があるとしか思えない稀な幸運だ。兄上は、神に愛されるような無欲で清浄な人じゃないのに……。欲望に弱いあの俗物が、どうして……?」
エルネストは腑に落ちないとでも言うように顔を顰めた。
「もしかすると、リオネル聖下は……」
マリスは、ふと、思い至った。
神に愛されるような美点が全く思いあたらないリオネルだったが。
自分たちが知らない場所で、善行を積んでいたのかもしれないと。
「前世で善行を積んでいらしたのかも?」
マリスとエルネストはまだ知らない。
世界はこの後、リオネルを中心に更に大きく形を変えることを。
次回、最終話です。
あと1話、その後のリオネル(世界)についてのナレーションがあります。




