2-16 聖婚
「兄上は聖女アンジェリクと結婚する気だ……」
教皇リオネル一世は、聖職者の結婚を禁じる教会法の撤廃を宣言した。
その宣言は全ニール教徒を震撼させた。
「結婚を禁止する法を撤廃して、結婚する気だ。絶対そうだ」
げっそりとした顔でそう言ったエルネストに、マリスは同意して頷いた。
「私もそう思います。でもまさか、こういう方向から攻めて来るとは予想外でした」
「兄上なら短絡的に『結婚する』って騒いで、速攻で断罪されそうだものね。まず聖職者の結婚を禁止する法を撤廃して障害を取り除こうなんて、兄上らしくない。知恵者が兄上に知恵を吹き込んでいるんだろうな」
「知恵者が……教皇を結婚させるために尽力するでしょうか?」
「そうなんだよね。教会法の撤廃なんていう反抗的なことをしたら、それを教皇にふさわしくない根拠にされてしまって、反対者たちを勢いづかせてしまうのに……」
「そうですね。反乱分子を炙り出すにしても、教皇自身は戦力を持っていませんから、炙り出したところでどうにもできませんものね」
「聖職者の結婚解禁か。さすがリオネル聖下」
「素晴らしい改革だ」
枢機卿を始めとする聖都テネブラエの聖職者たちは、教皇リオネル一世が宣言した『聖職者の結婚を禁止する教会法の撤廃』を支持した。
特に若い聖職者たちはリオネルの宣言を熱烈に支持した。
しかし諸国の聖職者たちからは異論が噴出した。
「教会法に逆らうリオネル一世は、教皇にふさわしくない」
アルカナ王国出身の教皇リオネル一世をあまり歓迎していない国々は、リオネル一世を退位させる好機とばかりに、国内の大司教や司教たちに次々と反論を提出させた。
そのため宗教会議が開催されることとなった。
――フラウデム宗教会議。
「そもそも神は、聖職者に結婚を禁じていない」
その宗教会議はセニティス王国の都市フラウデムにて行われた。
各国の聖職者たちがフラウデムに集まり、聖職者の結婚を禁止する教会法の撤廃について議論した。
この宗教会議に参加した教皇庁の聖職者たちは、反論者たちを相手に弁舌をふるった。
「聖職者の結婚を禁止したのは後の世の教会の人間たちだ。それは神の教えではないのだ」
「聖職者は神への奉仕に専念すべきであり、結婚は神への奉仕の障害となります。結婚すれば、神より家族を優先するようになる。神への奉仕を第一とするために、聖職者は結婚すべきではないのです」
「だが其方には内縁の妻がいるであろう」
「……っ!」
「すでに調査済みだ」
各国が手駒として教皇庁に送り込んでいる枢機卿たちが、祖国の個人的な伝手を使い、祖国の主だった聖職者たちの素行を調べ上げていた。
教皇庁の聖職者たちは、反論者たちの素行を指摘して揚げ足をとった。
愛人を持つ聖職者は、とくに高位の者ほど多かった。
中には二人、三人、あるいはそれ以上の愛人を持つ者もいる。
愛人を持つことは大っぴらにしない限りは黙認されていたが、厳密には不埒な行いであった。
「愛人を持つ者は神の教えに逆う不埒者だ。神の教えではない教会法を優先させ、神の教えに逆らうのは本末転倒というもの」
宗教会議は、聖職者の結婚禁止の教会法を撤廃するという意見が優勢で終了した。
「私たち、これで結婚できるわね!」
宗教会議でほぼ勝利をおさめると、アンジェリクははしゃいだ。
「そうだね……」
リオネルは虚無の顔で答えた。
「リオネル、嬉しくないの?」
「嬉しいよ。ただ、少し、驚いただけだ。聖職者の結婚禁止は当たり前のことだと思っていたから。こんなふうにひっくり返るなんて思わなかった」
リオネル自身は、反論者たちに少しだけ期待していた。
アンジェリクの指示で行ったリオネルの宣言を、反論者たちは覆してくれるかもしれないと。
反論者たちが勝利すれば、リオネルはアンジェリクとの結婚を回避できる可能性があるかもしれないと思った。
だが反論者たちは、自国出身の枢機卿の裏切りにより足元をすくわれ、一網打尽にされた。
枢機卿たちが各々の伝手を使い反論者たちの素行を調べあげたのは、もちろんアンジェリクの指示によるものだ。
愛人関係を暴露されて敗北した反論者たちに、霊魂に浮気して廃太子となった過去を持つリオネルは、ほんの少しだけ親近感を持ち、同類として哀れんだ。
(フェザント鳥も鳴かずば撃たれまいに)
――良き日。
聖都テネブラエの大聖堂で、教皇リオネル一世と聖女アンジェリクの婚礼の儀が行われた。
教皇の結婚という前代未聞の奇妙な慶事に、諸国は驚嘆した。
教皇から婚礼の儀の招待状が各国の国王に送られた。
各国の国王は名代を立て、名代が教皇の婚儀に参列した。
アルカナ王国からは、王太子夫妻、エルネストとマリスが参列した。
大聖堂で厳かに婚儀が行われた後、新郎新婦である教皇と聖女は、大聖堂のバルコニーに姿を現した。
「なんと神々しいお二人だ……」
バルコニーに現れた教皇と聖女の姿に、聖都テネブラエの聖職者たちは惜しみない祝福を与えた。
「これほど美しく気高い夫婦は、世界中を探してもそうはいないだろう」
聖職者たちは美しい二人の姿を賞賛し、また教皇の英知を称えた。
「リオネル聖下は教皇としての地位を良く理解していらっしゃる。さすがは王太子であらせられたお方だ」
「教皇聖下と聖女様がご結婚なさったのだ。聖職者の結婚に異を唱える者はこれでいなくなるだろう」
「これから聖職者の結婚が増えそうだな」
「今まで聖職者は当然のように秘密結婚をしていたからな。代々の教皇ですら。しかしリオネル聖下はその歪みを正された。素晴らしい教会改革だ」
「新しい歴史の始まりだ」
「リオネル聖下に神の祝福があらんことを」
「聖下、ご結婚おめでとうございます」
婚礼にまつわる一連の行事が終わると、エルネストとマリスは親族として、リオネルとアンジェリクに個人的に面会する機会を得た。
(アンジェリクが実在したなんて……)
リオネルの隣に、ピンク髪に金の瞳の花嫁アンジェリクが本当にいた。
実在した。
マリスはアンジェリクを目の前にしても、まだ信じられない気分だった。
「聖女猊下、お初にお目文字いたします。お会いできて光栄に存じます」
釈然としないながらもマリスはアンジェリクに挨拶をした。
「あら、妃殿下、私たち何度もお会いしていましてよ?」
アンジェリクは朗らかに微笑みながら言った。
「学院や王宮でお会いしましたわ」
「……大変失礼いたしました。再びお目にかかることができて嬉しく思います」
(何度も? 聖女の霊魂の話が本当だったということかしら?)
「リオネル聖下が本当に『アンジェリク』と結婚するなんて、驚いたわ……」
大聖堂での婚儀が終了した後、マリスとエルネストは滞在している聖宮殿の部屋へと戻った。
「現実味がないけれど、本当に現実かしら」
マリスのその呟きにエルネストは頷いた。
「空想の恋人が実在したんだ。現実味がないよね」
「幻覚を見ているような妙な気分です」
「うん……」
「アンジェリクが実在の女性だったなら、聖女の霊魂の話は何だったのかしら……」
「さあ……。でもこれで、しばらくは落ち着くんじゃないかな。このところずっと兄上に振り回されてたけど。兄上は念願の『アンジェリク』と結婚できたんだから、これからは大人しくなるんじゃないかな」
エルネストのその甘い期待は、すぐに打ち砕かれることになる。
アロガンティア帝国の皇帝が、教皇リオネル一世に宣戦布告をしたからだ。




