2-13 闇より暗黒~聖都事変~
「他人の体の魔力回路を借りるなんて、簡単には出来ないことなのよ」
魔王アンジェリクは恥ずかしがっているような素振りをしながらも、満更ではないようで、頬を紅潮させて言った。
「真実の愛があったから出来たんだわ」
「……」
リオネルは取り返しのつかない失敗に呆然としながら、アンジェリクの惚気話を聞いていた。
「自分の回路とは違うから全力は出せなかったけれど。魅了魔法くらいなら常時発動もできた。私たちきっと相性が良いのよ。属性も同じだもの」
「……魅了魔法?!」
聞き捨てならない単語に、リオネルは顔を上げた。
魅了魔法は、魔王が使ったとされる伝説の闇属性魔法の一つだ。
「闇属性の魅了魔法のことか?!」
「そうよ」
「アンジェリク、君は、闇魔法も使えるのか?!」
「光と闇は同じものなの。光属性は闇属性でもあるのよ」
「君は魅了魔法で、私を魅了していたのか?!」
「いいえ」
アンジェリクは嬉しそうに答えた。
「リオネルには魅了魔法が効かないの。私と同じ属性だからじゃないかしら」
「いや、私は光属性は持っていない。七歳の洗礼式で、私は火属性だった。アンジェリクに力を借りなければ、私は火属性だ」
「魔石水晶を使った属性検査は正確ではないの。微弱な魔力では、人の目に見えるほど色が出ないからよ」
魔力属性により色が変化する魔石水晶を使った属性検査では、水晶玉に魔力を流し、その色の変化を見て属性を判別する。
流された魔力が強いほど色ははっきりと濃く出て、魔力が流されなければ水晶玉は透明なままだ。
「リオネルは光属性を持っているけれど、とても微弱だから、水晶玉の色を変えるほどじゃなかったのよ」
「……まさか……?」
「リオネルは私と同じ属性だから、私の魅了魔法を打ち消す力を持っているんじゃないかしら。それとも、私は魅了魔法を発動するためにリオネルの回路を借りていたから、リオネル本人には効かなかったのかしら。とにかくリオネルには魅了魔法は効かなかった。これは確かよ。だから、安心して! リオネルが私を想ってくれている気持ちは本物よ!」
「……」
世界の危機を招いてしまったリオネルの罪悪感は、魅了魔法のせいだったかもしれないという可能性をつぶされ、逃げ道を断たれた。
「私もリオネルを愛しているわ。真実の愛よ。私たちは相思相愛。運命の相手なのよ」
アンジェリクはうっとりとした表情でそう言うと、リオネルの腕に自分の腕を絡め、甘えるようにしなだれかかった。
(ひぃっ……!)
圧倒的な魔力を持った得体の知れない不気味な存在、魔王アンジェリクに密着され、リオネルは内心で恐怖に慄いた。
しかし必死に表情を取り繕った。
アンジェリクの機嫌を損ねたら命が無いかもしれないと思ったからだ。
アンジェリクがその気になれば、リオネルは瞬殺されるだろう。
「結婚しましょう、リオネル!」
「あ、ああ、そうだな……」
(結婚……。泥の塊の、魔王と、結婚……しなきゃ駄目なのか……?)
「結婚しよう……」
(ひとまずは恭順を示そう。逃げ出せるチャンスが来るのを待つのだ……!)
「嬉しい! じゃあ早速、結婚の準備を始めちゃいましょう!」
アンジェリクは金色の瞳を輝かせた。
次の瞬間。
(……っ!!)
渦巻いている魔力の圧と勢いが、ぐんと、一気に倍増した。
アンジェリクは昏い三日月のように微笑み、その鈴のような声で呪文を唱えた。
「闇より暗黒」
真っ黒な暗闇が弾けた。
聖都テネブラエ。
そこは聖職者だけが住まう都市国家であり、一つの街ほどの大きさしかない大陸最小の国家だ。
天国に最も近い国であるとも言われている。
――ゴゴゴゴ……。
その聖都テネブラエに、低い轟音が地鳴りのように響いた。
突然の不気味な異音にテネブラエの聖職者たちは反射的に周囲を見回した。
教皇庁で、大聖堂で、聖宮殿で、修道院で、図書館で、薬草園で……。
聖都中の聖職者たちが仕事の手を止め、周囲を見回した。
「あ、あれは……!」
屋外にいた聖職者たちは、教皇庁が黒い煙に覆われていることに気付いた。
「教皇庁が……!」
「火事?!」
教皇庁から発生している黒煙は、瞬く間に増殖した。
まるでそこが嵐の中心であるかのように分厚い黒雲が渦を巻いた。
黒雲は巨大な竜巻のように発達し、教皇庁をすっぽり覆い天高くまで伸びた。
「な、邪悪な……!」
光属性を持つ聖人聖女たちは、未だかつて感知したことのない異様で異質なおぞましき魔力を感知して蒼ざめた。
「あの黒雲は、水魔法の暴走か……?!」
「いや、それにしては……」
「あっ!」
教皇庁を覆っていた黒雲が、突如、破裂した。
驚愕の声をあげた聖職者たちは、次の瞬間には、黒雲に飲み込まれていた。
「神よ……っ!」
黒雲は弾け飛ぶように全方向に拡散して聖都テネブラエ全体を飲み込んだ。
最も天国に近いと言われていたテネブラエは、真っ暗な闇に沈んだ。
「……!」
強烈な魔力衝撃を受け、気を失っていたリオネルは目を覚ました。
目を開けた視界には、ランプの灯り。
そこは暗く、古ぼけた小さな部屋だ。
(そうだ、勇者の祠へ来て、それで……)
リオネルはまだぼんやりとしている頭で記憶を辿った。
「リオネル、大丈夫?」
アンジェリクの鈴のような声がリオネルの名を呼んだ。
(あっ! 魔王!)
リオネルは思い出した。




