2-06 光魔法
「兄上、条件を三つ飲んでくださるなら、枢機卿に推薦します」
しばし呆然としていたエルネストは、眉間に深い皺を刻んだ顔のまま、意を決したように言った。
(推薦してしまうの?!)
「エルネスト、待って。それはいくら何でも無謀じゃないかしら」
教皇庁の枢機卿の人数は、各国平等になるよう暗黙に調整されている。
一国だけに偏ることはない。
一国につき枢機卿は一人、多くて二人だ。
政治情勢によっては、自国の枢機卿を増やそうとしたり、敵国の枢機卿を排除しようとしたりする動きが教皇庁の中に生じることもある。
だが神の御前に、信仰国は概ね平等であり、現在は一国につき一人ずつの枢機卿を立てている。
「シャミナード枢機卿が教皇庁にいらっしゃるわ。我が国から二人目の枢機卿を出すのは厳しいと思うの」
自国アルカナ王国の国王に推薦され枢機卿となったアルカナ人枢機卿シャミナードの名をマリスは挙げた。
「陛下の推薦がなくても、兄上は枢機卿になる気だ……」
エルネストが心労に顔を曇らせてそう言うと、リオネルは曇りない明るい笑顔で頷いた。
「その通り。父上の推薦がなくても私は枢機卿になる」
「廃嫡されたとはいえ兄上は陛下の息子。他国は当然、王家が関わっていると考える。国王の推薦もなく、アルカナ王国の二人目の枢機卿として教皇庁に行くのはおかしな事だから、何か企みがあるのかと変に勘繰られて他国に警戒される。無い腹を探られて要らぬ敵意を向けられるよりは、正面から正直に推薦して後腐れなく綺麗に砕けたほうが良い」
「エルネスト、心配するな。きっと枢機卿として認めてもらえる」
リオネルはエルネストを励ますように言った。
エルネストは表情の抜け落ちた顔で、リオネルの励ましに台本を適当に読みあげているかのような感情の無い平坦な声で応えた。
「そうですね。認められると良いですね」
「……」
(どちらを選んでも残念でしかない、嫌な選択ね……)
マリスのその憂鬱を察したかのようにエルネストは補足した。
「厳しい状況だが、兄上に条件を飲んでもらえれば幾分マシだ」
エルネストはリオネルに向き直った。
「兄上、人前では、アンジェリクのことを口にしないと誓ってください。これが一つ目の、一番大事な条件です!」
エルネストは二階から飛び降りようとしているかのような悲愴な決意の表情で、リオネルに懇願するように言った。
「兄上ご自身のためでもあります。他の人にはアンジェリクは見えないのです。アンジェリクはいないものとして振舞ってください。お願いします! 我が国のために!」
「なんだ、そんなことか」
リオネルはへらりと笑った。
「約束しよう。人前ではアンジェリクの話はしない」
「絶対ですよ!」
エルネストは念を押すと、二つ目の条件を言った。
「聖都テネブラエへ行ったら、シャミナード枢機卿の言うことを、よーく聞いてください!」
(シャミナード枢機卿にリオネル様の手綱を握っていただくのね)
マリスはエルネストの意を理解した。
(リオネル様がシャミナード枢機卿の指示に従ってくださるなら、何とか……なるかもしれない)
絶望的な暗黒の中で、マリスは一条の希望の光を見た。
「シャミナード枢機卿は、教皇庁の情勢や慣習などについてよくご存知です。教皇庁ではシャミナード枢機卿の教えに必ず従ってください。勝手な行動は絶対にしないように!」
「解った、解った。猊下の言うことを聞くよ」
リオネルは安請け合いするかのように軽く了承した。
「最後の条件は光魔法のことです。光魔法の使い手だなんて嘘は、あちらでは絶対に言わないでください!」
「嘘じゃないぞ」
「兄上……」
リオネルの魔力が火属性であり、リオネルが繰り出す火玉がとても慎ましい威力であることを知るエルネストは嘆息した。
「光魔法は希少な属性ですが、それ以上に、ニール教では特別な意味があります」
「神の奇跡だろう?」
「そうです」
ニール教において、光魔法は、神が与えた奇跡の魔力だった。
それゆえ、強い光属性の魔力を持つ者は聖人あるいは聖女とされ教会により保護され手厚く遇された。
だが聖人聖女の称号を得るためには、必ず教皇庁で『神の審判』という試練を受ける。
試練はごく単純で、一定以上の光属性の魔力にしか反応しない聖遺物が輝けば合格だ。
熱とともに光を発する火魔法や、光を集めることができる水魔法などを使えば、光魔法に似た輝きを見せることは可能だ。
だが光魔法にしか反応しない聖遺物にそういった誤魔化しは通用しない。
「火魔法でそれっぽく見せても、教皇庁では通用しません」
「ちゃんと光魔法だよ」
「枢機卿に推薦されている者が光属性を自称したら、必ず『神の審判』を受けることになります。光属性を詐称していたことが明らかになれば、そこで終わりです。枢機卿にはなれません」
(リオネル様は火属性ですものね……)
エルネストの言葉に、マリスは内心で頷いた。
リオネルは国王の息子で、叔父は大司教だ。
国内の教会ではリオネルは破格の優遇をされており、聖職者として神の家の住人となった翌日には司教の位を得ている。
これは一般の聖職者では有り得ない出世だった。
出自が高貴で、忖度され優遇されているリオネルであれば、光属性を自称しても、国内であれば大目に見てもらえる。
だが教皇庁にリオネルを忖度する理由はない。
光属性の詐称は、リオネルを枢機卿として認めない正当な根拠となるだろう。
「私は光魔法が使えるから、神の審判も大丈夫だ」
リオネルは朗らかに微笑んでそう言ったが、エルネストは顔を顰めた。
「兄上は火属性でしょう。教皇庁は、我々ほど兄上に優しくないのです。アルカナ王国からの二人目の枢機卿を教皇庁は歓迎しません。枢機卿になる気があるなら、不利な要素は取り払ってください」
「本当に光魔法が使えるのだ」
リオネルはけろりとした顔で言った。
「何なら見せてやるぞ」
「ああ、そうですか。では見せていただきましょうか」
「リオネル様、これは……!」
「兄上! これは何のトリックですか?! 正直に白状してください!」
リオネルが見せた光魔法に、マリスもエルネストも驚愕に目を剥いた。
リオネルがかざした右手が、輝く黄金色の光の粒を纏った。
その黄金色の光の粒を、リオネルは花瓶の花に照射した。
すると花は急速に丈が伸び、葉がわさわさと茂り、雑草のごとく蔓延って花瓶から溢れた。
「光魔法の癒しの術だ」
驚愕しているマリスとエルネストに、リオネルは呑気な調子で言った。
「アンジェリクのおかげで出来るようになったんだ。アンジェリクが力を貸してくれているんだよ。この光魔法は愛の共同作業なのさ」
リオネルは幸福をにじませて微笑んだ。
「教会の属性検査の水晶玉では光魔法の反応が出た。ちゃんと光魔法だ」
(アンジェリクって……存在するの?)
マリスは混乱した。
リオネルの魔法は文献で学んだ光魔法の特徴に同一だった。
マリスは公爵令嬢だったときに、アルカナ王国の聖人トマの光魔法を見たことがあったが、それに酷似している。
聖人トマの光魔法は、リオネルほどの輝きも威力もなかったが、光の粒が植物の成長を促す部分は同じだった。
(アンジェリクがいないなら、では、この光魔法はどう説明するの?)
アンジェリク・メルルという少女は存在しないと、かつて断言したマリスは、その価値観や常識を足元からひっくり返されたような衝撃の中にいた。




