2-04 聖女の霊魂
「大司教には、本当にアンジェリクが視えたのですか?」
マリスはエルネスト王子に真顔で質問した。
「リオネル様に話を合わせただけではなく?」
「兄上ほどはっきりとは視えないらしいが。しかし兄上の隣には確かに高位の霊的存在がいると大司教は証言した」
エルネスト王子も半信半疑なのか、微妙な表情でマリスに答えた。
「アンジェリクは亡霊だったと言うのですか?」
「大司教がいうには、兄上に寄り添っているのは『聖女の霊魂』らしい……」
「ふわふわのピンク髪のアンジェリクが……聖女……?」
「大司教の言葉を信じるなら、そういうことになる……」
「大司教には視えざるものが視える不思議なお力があるのですか?」
「いや、そんな話は聞いたことがない」
大司教は国王の実弟で、エルネスト王子にとっては実の叔父だ。
それなりの親戚付き合いがあり、大司教の為人についてそこそこ知っているエルネスト王子は、苦い物を噛んだように盛大に顔を顰めた。
「でも、あの人は、大司教の地位にいる人だ。教皇庁に認められた大司教なんだ。彼は『聖女の霊魂』について、親族の内輪話としてではなく、大司教として公言した。大司教の公の発言は無碍にできない」
エルネストは諦めているかのように小さく溜息を吐いた。
「大司教がアンジェリクの存在を肯定して、尊んだことに、兄上は大喜びした。それで兄上は大司教に誘われるがまま聖職者になりクローネの司教に就任した」
「それは……」
頭の痛くなるような話に、マリスは眉を歪めた。
「同じく政治から遠退いた大司教の、リオネル様に対する憐憫からの優しさでしょうか。それとも、何かの理由で、リオネル様を取り込もうとしているのでしょうか」
「やっぱり何かおかしいって思うよね……」
エルネスト王子は頭を抱えた。
「何か変だとは思うのだけれど。でも、拒否する理由もない。王位継承権を失った兄上を教会が取り込んだところで、どうなるというものでもないし……」
「そうですね……」
リオネル王子は白髪紅目の美貌の王子でカリスマ性はあったが、頭が少し軽い王子だった。
大それたことを計画できる頭がある人物ではなく、また現在の彼は王位継承権を失っているため大それた計画に使われるような駒でもない。
「クローネの司教になった兄上が、仮に何か問題を起こしたとしても、兄上が破門されるくらいで終わると思う。今の兄上は聖職者でしかないから」
「そう……ですね」
少々頭が軽く危ういリオネル王子を、今までずっと支えていたマリスとエルネスト王子には、彼がやりそうなことについて大体の予想ができた。
祝賀会での婚約破棄騒動はあまりに下方に突き抜けていて予想できなかったが、しかしそれとて大した事件ではない。
リオネル王子が廃太子されたことは事件ではあるが、国家の危機などではなく、国民の生活に被害が及ぶような類のものでもない。
妄想を根拠に令嬢に失礼なことを言ったという痴話喧嘩だった。
もし問題が起こらずリオネルが国王となっていたら、マリスは王妃として、エルネストは王弟として、リオネルを支えることに一生を捧げる予定だった。
しかし意外な展開となり、幸か不幸か、二人はリオネル王子という肩の荷を下ろすことができた。
「兄上は昔から浮世離れしていたから、政治家より聖職者のほうが向いているような気はするよ……」
「そうですね。見えないものが見えても、聖職者なら不思議な能力ということで通るかもしれません……」
マリスとエルネスト王子はしみじみと語り合った。
一か月後、エルネスト王子は立太子する。
そのおよそ一年後、マリスはエルネスト王子と結婚。
二人は王太子夫妻となる。
二人の婚礼の儀にはリオネル司教も親族として参列し、二人を祝った。
マリスは結婚一年目にして王子を出産。
次代の王妃として足元を固めた。
元々実務に優れていたエルネストは王太子として精力的に働き、国王の摂政を務めるようになった。
若く有能な王太子夫妻の行く手は順風満帆に見えた。
しかし……。
「リオネル司教よ!」
「素敵!」
「リオネル様と目が合ったわ!」
市井ではリオネル司教の人気が、王家をも凌ぐほど高まっていた。
絶世の美貌のリオネル司教は、元王子という経歴も相まって、市井で、特に女性たちに絶大な人気を博していた。
この国の王家の始祖と同じ白髪紅目の色彩を持つ美貌のリオネル司教が、聖職者の黒服を纏い聖句を唱える姿は、まるで伝説の一場面のように神々しく清麗だった。
幾人もの芸術家が、リオネル司教をモデルとした絵画や彫刻を制作し、リオネル司教の名声はますます高まった。
貴族夫人や若い令嬢たちもリオネル司教が目当てでクローネの教会に足しげく通っていると聞く。
かつて魔法学院でリオネルの奇行にヒソヒソしていた令嬢たちの中にも、リオネル司教の精錬で神々しい聖職者姿に心を奪われた者が多数いるようで、教会に通っている者が少なからずいるとのことだ。
さらに半年前にリオネル司教に希少な光魔法の才能が顕現したという噂が流れた。
光魔法の才能の噂の真偽は定かではないのだが。
リオネル司教は稀有な光魔法の使い手としてその名を国中に轟かせた。
リオネル司教の教区であるクローネの教会には、他の教区とは桁が違う寄付金が集まっているという。
「兄上が謁見したいって言ってるんだけど、どうする?」
人気絶頂のリオネル司教から、王太子夫妻に謁見の希望があった。
王太子妃マリスの元婚約者だったリオネルは、王太子エルネストの実兄なので、今やマリスにとっては義兄だ。
「婚礼の儀から今まで音沙汰が無かったリオネル様が、急に私たちに謁見を希望するなんて。一体何があったのでしょう……」
「やっぱり嫌な予感がするよね?」
「はい。ですが断る理由もございません……」
「実の兄弟でありながらリオネル司教の謁見を断ったなんてことが市井に知れたら、それこそ、『王太子夫妻はリオネル司教の人気に嫉妬している』と言われそうだしね……」
「そうですね……」
マリスとエルネストは見えない何かを警戒しながら、穏便に事を収める手立てを考えた。




