1-16 闇より暗黒
――塔の最上階。
「わあ! 良い眺め!」
かつて砦の見張り台として使われていた場所からは、辺り一帯が、地平線まで見渡せた。
雄大な風景を前にアンジェリクが歓声を上げる。
アンジェリクは子供のようにはしゃぎながら、見張り台の中をあちこち移動して風景を眺めた。
「遠くまで良く見える! これなら良さそう!」
「ああ、良い眺めだ」
リオネルも風景に見入りながら感想を口にした。
「しかし本当に田舎だなあ。森と荒地ばかりだ」
眼下のテネブラエ村の向こうには、ここに至るまでに通って来た村々が見渡せた。
村々の反対側には深い森。
その森のさらに遠くには、厳つい建物が見える。
「……あれはアンフェール要塞か?」
リオネルは答えを期待して質問を口したわけではない。
だがいつもならすぐに相槌を打ったり、何らかの反応を示すアンジェリクの声が聞こえなかった。
リオネルは不審に思い振り返った。
「……アンジェリク?」
ピンク髪を風に吹かれるままにして、立ち尽くし、暗い笑みを浮かべているアンジェリクがそこに居た。
「……っ!」
凡才とはいえ、リオネルも魔法学士の端くれ。
明らかに異様な、巨大な魔力の流れを感知することくらいは出来る。
「な、なんだ! この魔力量はっ!」
目に見えない巨大な奔流の中でリオネルは狼狽えた。
それは未だかつて体験したことのない甚大な魔力だった。
爆発的に発現した膨大な魔力の渦に、空気が粘るように重みを増し、まるで水の中にいるかのように体の自由がきかなくなる。
――パチン! パチパチン!
息がしずらいほど濃密な魔力の中で、細いひび割れのような小さな雷が周囲に散乱し、弾けるような音を立てた。
激しい魔力の暴風雨の中で、アンジェリクが昏い三日月のように微笑む。
その声が失われた呪文を紡ぎ出す。
「闇より暗黒」
真っ黒な暗闇が弾けた。
――テネブラエ村。
村人たちは遠い雷鳴のような低い轟音に仕事の手を止めた。
「……?!」
その異変に、家の外に出て様子を見た者。
畑仕事の手を止めて周囲を見回した者。
彼らは、丘の上の古城に、異様な黒雲が渦を巻いている光景を見た。
「何だあれは!」
「に、逃げろ……!」
それはあたかも地獄の門が開いたかのごとく。
古城に集う異様な黒雲はみるみる体積を増し、渦を巻きながら膨らんで行く。
「か、神様……!」
黒雲が破裂した。
真っ黒が濁流となり押し寄せる。
テネブラエ村は深淵の闇に沈んだ。
「……っ!」
床に横たわっていたリオネルは目覚めた。
ぼんやりした頭で、目だけを動かして周囲を見回す。
そこは記憶の最後の風景である、塔の最上階の見晴らし台。
「リオネル様、お目覚めですか?」
アンジェリクの声がして、リオネルは弾かれたように体を起こした。
「アンジェリク……?!」
ピンク髪に金色の瞳のアンジェリクが、天使の微笑みを浮かべながら、リオネルを見下ろしていた。
「やっぱりリオネル様は何ともないんですね。思った通り」
「……何の、ことだ?」
「リオネル様も光属性ですよ」
金色の目を細め、アンジェリクはにっこりと微笑んだ。
「ちょ、ちょっと、待ってくれ……」
リオネルは目覚める前の記憶の、最後の断片、巨大な魔力の奔流と暗闇とを思い出した。
「アンジェリク、あの巨大な魔力は何だったのだ? その様子だと君は大丈夫のようだが?」
「はい。私は大丈夫です」
「それは良かった」
「だってあれ、私の魔力ですもん」
アンジェリクは面白そうに笑った。
「ん?」
リオネルは首を傾げた。
「それはないだろう」
リオネルは真顔で言った。
アンジェリクの魔力量が少ないことをリオネルは知っている。
年々、減少していたはずだ。
「魔力量を隠すくらいのこと、簡単ですよ」
悪びれずにアンジェリクは言った。
「魔力を今まで隠していたのか? 何のために?」
リオネルの頭は混乱した。
「あれが君の魔力なら、文句なく学年首席だろう。しかも光属性なら国家の重要人物だ」
リオネルはそう言った後、自分の記憶との違和感に気付いた。
最後に聞いたのは失われた闇魔法の呪文、最後に見たのは暗闇だった。
「アンジェリク、君はっ!」
リオネルは紅い双眸を驚きに見開いた。
「闇属性なのか?!」
「はい。闇属性で光属性です」
「二属性を操れるのか?! しかも光と闇?!」
「光と闇は同じものなのです」
「いや、別物だろう」
「同じです」
アンジェリクはその底知れない金色の瞳で、リオネルの顔を覗き込んだ。
「そしてリオネル様、あなたも光属性ですから闇属性でもあります」




