この世界のスライムは服を食べます
ガラガラと揺れる狭い木の箱の中に俺は居た。両手は縛られていて結び目は洗練されている。
それが馬車である。そう気がついた時、俺はもう一つ気がついた。目の前に小さな子供が座っていた。
「・・・君は?」
当然のように返事は無い。声が小さかったのかもしれない。そう思って、少しだけ声のボリュームを上げて俺は立て続けに質問を投げかける。
「お父さんと、お母さんはどこにいるんだい?」
俺の声にその子は反応して頭を持ち上げた。
灰色の汚れた布中で金属がこすれて音を立てる。首飾りじゃない、鎖だ。
「・・おい!なんだよそれは・・・!?」
俺が前に乗り出したのと、その子が体を強張らせたのと、俺の首が締め付けられたのはほぼ同時に起こった出来事だ。その子と同じ物が俺の首にも巻き付けられている。
喉がぎゅうと締め付けられて、その隙間をこじ開けて息が出た。
「げほっげほっ!くそ!なんだこれは!」
「・・・こほっ・・・こほっ!!!」
意地の悪いことに、この鎖はこの子の首に巻かれているものと繋がっている。
どちらか一方を引けば、もう一方も締め付けられる。そんな仕組みだ。
ああなんてこった。苦しかったよな?ごめんな・・・。
それにしてもいったい誰がこんなてひどい事を考えやがるんだ!俺はともかく、こんな小さな子供にまで。。。
けどな、絶望するにはまだまだ早すぎる。希望ってやつはいつだって、すぐそばに転がってるのさ。家の近くにあったバカでかいゴミ捨て場みたいにな。
見たところ、こいつは丈夫な鎖だがそいつを固定している鍵の部分はお粗末だ。暗くてよく見えないけど、仕組みとしては松竹錠にちょこっと毛が生えたくらいの物だろう。
松竹錠ってのはお風呂屋さんとかの下駄箱にあるあれの事だ。
と。
ここまで考えたのは一瞬にも満たない僅かな時間。俺は反射的にその子の心配をする。
「ごめん!大丈夫?俺さ大神太一!37歳!!この世界の事全然知らなくて!」
おいおいおい!!!大神太一37歳独身!!我ながらもっと上手な歩み寄り方ってもんがあんだろうが・・・。ほら見てみろよ、この不思議そうな顔をよ。これじゃあ、ただの白衣を着たコミュ障変態おじさんだよ!通報確定だよ。。。その子が鼻をひくつかせて顔を持ち上げた。
「にゃ?」
「・・・にゃ?」
灰色の汚い布の下から現れる顔は。幼いながらも整っていた。そのことが俺をより一層不安にさせる。
人間のような口があって、鼻あって、どちらも小さくうっすらと産毛に覆われていたり、尖った歯が覗いて居たりするがどちらも人間と変わりない物だ。
その上には当然目があるが、目じりには樹液のようないっぱいの目やに溜まっていた。瞼は痛々しく閉ざされていた。
「もしかして君・・・目が・・・?」
俺が何かを言いかけたそのときだ。とつぜん薄暗い木の箱全体に衝撃が走った。俺たちは貯金箱に入った小銭みたいに思いきり振り回されて壁に叩きつけられる。ぐんと体に引っ張られた首がむち打ちになった。
外から馬の絶叫が聞こえて、すぐに何かあったのだと気がついた。
苦しかったよな?俺がそうだったんだ。きっと君だって・・・可哀そうに。
馬車内の空気はビタッと停まる。だが実際には小さな気流が生まれていたはずだ。天井から伸びている沢山の鎖はまだ揺れていたんだ。
不慮の事故。一言でかたずけてしまえばそれだけだ。けど、突如として襲い掛かる災難は、いつだって二次的な被害を生む。
「・・・ぐっ・・・ぅぐ・・・・」
「はっ!だいじょう・・ぶ・・・カッ・・・く・・・」
馬車は地面に突き刺さるように倒れてしまっていた。この馬車が縦長の6面体だとして、普通そうなる確率はめちゃくちゃ低い。だが実際、それが起きてしまった。
ある種の物理法則を無視する奇跡や魔法のような体験を味わう羽目になった俺たちを、星の引力は嘲笑う。
宙吊りになった幼い子供は、首に巻き付けられた鉄の錠にしがみ付いて苦しそうに足をばたつかせた。
当たり前だが俺も苦しい。息なんてろくにできない。
何とかしないと!このままじゃ二人仲良くあの世行きだ!俺はともかく、この子は・・・。その時だ。俺は気がついた。気がついちまったんだ。
がりがりに痩せた手足が覗く、生傷だらけだ。鞭で打たれた痕だってあるじゃないか。。。きちんと歩けるのか?この体で・・・?
いや!考えるな!!助けろ!誰かを助けろ!!
「はず、れろ・・ぉ!」
他に方法なんて思いつかない。単純な仕組みに小手先の技術は通用しない。力だ、だけどそれは命をてこに使って釘を抜こうとするようなもんだ。苦しいなんてもんじゃない。
喉はもっともっと締め付けられて、少しでも油断したら目玉が裏側に引きずり込まれそうになる!
俺は大丈夫だ。タイミングを自分で測れるから。
けどこの子は・・・!耐えてくれ!
ズヘオラ様は神様なんて居ないといった。俺も同じ意見だ。
だから俺たちが助かったのはどこか気まぐれな神様なんかのお陰じゃない。この子の生きたいって言う思いが。定められた運命とかいうくそみたいなヤツから自分の未来をむしり取ったんだ。
「もう大丈夫。じっとして。大丈夫だから」
「・・・ひゅー・・・ひゅー・・・」
一度潰された喉は元に戻るまでしばらく掛かるだろう。けど大丈夫。
鎖の留め具はリング状の釘のようになっている。ねじ山は切られていない。
渾身の力を込めて、それを引っこ抜く。一発じゃ無理だ。何度もやる。その度に留め具の遊びが上下に広がるのがわかった。
ガンッ!
剥けた!しまったミスタイプ!抜けた!
鎖緩む。ずっと険しかった顔にはようやく子供らしい安堵の表情が浮かんだ。とりあえずは一安心だ。
けど、その子は俺の顔を見るなり。ぶっ壊れた窓から飛び出そうとする。ちょっと待てよ!鎖はまだ切れていないぞ!
「・・・ぐぅぇ・・・っこほこほ!」「はぁ゛っ・・・!!!」
一難去ってまた一難。俺たちはまたあの苦しみを味わった。
子供は、俺の存在を視覚以外の何かで感知したらしい。さっと身を引いて角に背中を張り付ける。
偉いぞ。そのままじっとしていてくれ。
俺は鍵の詳細を確かめるべく、手を伸ばした。
するとその子は、やっぱり何かしらの感覚で俺を感知している。だってそうとしか考えられない。何をされたかというと思いきり噛みつかれたんだ。
「いててっ!くそ・・・鍵穴は、ここか・・・」
やっぱりだ、松竹錠と仕組みは同じ。鍵をつくることは容易い。良かったな、すぐに自由になれるぞ?
俺はこの子をまず落ち着かせることにする。
今のこの子はひどく怯えたキツネリスみたいなもんだ。大人しくさせる方法は俺も知っている。
まずは優しいきらきらとした眼差しをつくる。それから語り掛けるようにこう言うんだ。
「・・・ほら。怖くない怖くない」
「・・・?」
「怯えていただけなんだよね?」
「ゥゥゥッ!!ゥゥっううっうウウウ!!!!」
いやね、俺はうまくいくと思っていたんだ。けどここは腐っても異世界。常識なんて通用しないよ。
子供は俺の手にさらに深く食らいつく・・・すげぇパワーだ!!
「ゥゥゥウウウッ!!!!!ヴヴヴヴッ!!!」ぶんぶんぶんっ!!ぶんっぶんっ!!!
ギャー!!!
ち・・・千切れる!くそ!俺の手!持ってくれ!
幸い子供の体は軽い!このままキーを作るぞ!
うおおおおおおお!!
・・・。
ガッチャン!
「・・・よし!」
「・・・にゃ?!」
首輪が外れた途端、その子は元気に窓から飛び出して逃げて行った。
ふー、いてぇ。でもあれだけ元気があればきっと大丈夫だろ。。。
さてさてそとは・・・!
ってえええええええええ!?
なんてこったバカ野郎!何があったんだスライムだバカ野郎!!このバカ野郎!2階建ての家くらいデカいスライムの中にバカ野郎!!素っ裸のねーちゃんが捕らわれてるじゃねぇかバカ野郎!!
いきなりすぎる!なんてこったバカ野郎!鼻血だ・・・・!
『・・・・!』
俺がうろたえているその時だ。今にも溺れ死んじまうような顔をしたねーちゃんと目があった!
「・・・はっ!」
こんな時どうすれば!
俺はその答えをすぐに出せなかった。だって答えなんて知らないよ!
けど彼女はきっと優秀なんだろう。俺なんかと違ってその答えをすでに知っていた。
だけどなんてこったバカ野郎!
俺は腕とかでなんとか身を隠してくれることを期待していたのに!俺が見ちゃいけない場所を無理にでも隠してくれると思ったのに!
ああどうしてなんだ。なんでこんなにも思い通りに行かない!
彼女は俺を睨み付けて堂々としたんだ!粘菌みたいな下等生物に素っ裸にされた上窒息死しそうだが・・・私は一向構わん!!!じゃねーんだよ!!堂々とするなバカ野郎!頼むから恥じらってくれよお願いだよ!おじさん目のやり場に困っちゃうんだからさ!
『・・・ごぼっ!』
限界だ!気絶しやがった!
・・・・くそ。迷ってられるか!
タイチ!いきまーす!!!