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冬の星と彼女と僕

作者: 蜜子

 いつものように、彼女は唐突だった。

「満天の星空が見たい。今夜付き合って。」

 朝の5時過ぎに鳴ったメールの着信は、目覚ましアラームよりもずっと短かったのに、低血圧気味の僕を目覚めさせるのに、十分な役目を果たしてくれた。

 ろくに回らない頭を一生懸命動かしながら、次々と浮かんでくる迷惑、非常識極まりない、などという文句が次第に彼女だからという諦観に変わる。

 もそもそと布団の中で、了解という短い単語をなんとか打ち出した。

 返信はなかったので、僕は溜息を貴重な温もりをとどめたままの布団の中に吐き出して、再度夢の世界へ旅立つことに成功した。 あと2時間ほどすれば、現実という名の戦場へと舞い戻らなければならない。せめて今だけは、ほんの束の間の安らかな休息を、惰眠という名をつけて貪ろうと思った。



 朝は綺麗に晴れていた。洗濯日和だった。

 お昼もすぎた頃には、あっという間に表情を翳らせた空は、いつのまにやら真っ白の溜息を空から降らし始めた。

 約束の時間には、雪は5センチほど積もっていた。

 雪と同化しそうな真白のコートに夏の空よりも濃い青のマフラーに顔の半分程埋めた彼女は、

「世界がこんなに壊れてるから、私が壊れていてもおかしくないね」

とやけに真面目な顔をして言った。

 こんなにころころと天気が変わるのはおかしい。 その主張は天気よりも変わりやすい気分屋の彼女の口から出るとなんだか面白い。

「うん。これじゃあ星が見えないね」

 彼女が悲劇ぶるのには僕は慣れていたので、きわめてのんびりとした口調を心掛けながら言った。

「冬の星は綺麗なのにね。空気が澄んでいるから」

「澄んでる?寒いだけでしょ」

 彼女は少しだけかさついたピンクの唇を尖らせた。

「人の生きるこの世界はひとの吐き出した二酸化炭素に満ちているし。そこから酸素を取り込まなきゃ生きていけないなんて、ほんとにぞっとする」

 彼女は潔癖症ではない。彼女は掃除ができない。したことがないことをできるはずがないという。彼女のワンルームは週に一度、僕が掃除をしている。一度、自分でしなさいと提案してみたところ、

「どんなゴミ溜めでも私は生きていけるけど、あなたは無理でしょ?だから一緒にいるためには、あなたが努力してくれなきゃ」

と僕の一番好きな笑顔で言われた。

 出逢った頃から、一緒にすごすための努力は惜しまないと決めている。 惚れた弱みなんて言葉を擦り切れるほどに繰り返した僕はそのときも同じように念仏のように頭の中で唱えた。

「ちょっと唇が荒れてるよ」

 彼女は突然背伸びをして僕の唇に最近購入したという某美のカリスマが大絶賛したというリップを塗り始めた。思わず及び腰になる僕の唇は艶々の光るジェルに覆われた。

 そして最後の仕上げとばかりに、彼女は軽くキスをする。

「わたし、キスは好き。だから唇のケアはちゃんとして?」

「・・・うん」

 彼女が下ろしたブーツの踵で、灰色の雪がぐしゃりとつぶれた。

 まるで僕の心臓みたいに。



 冬の星を見たがった彼女の思いとは裏腹に、空はぐずり続けた。 とても満点の星空を見上げて、というわけにはいかなかった。

「待てど暮らせどこぬひとを、宵待草のやるせなさ」

 なんだか、薄暗いものを背負った彼女が歌う。

「今宵は月も出ぬそうな」

 オクターブ高い音程がちょっと怖かった。

 ていうか、いつの歌ですか。

 なんであなたはそんな古い歌を歌えるんですか。

 原詩の方を知っている僕は突っ込むこともできずに、どこかむくれたままの彼女の傍で、さてどうやってなだめようかと考えあぐねた。

 天気予報は、このまま晴れないだろうとのつれない予測をたててくれている。星が見れる場所までドライブっていうのも、互いに明日も朝から仕事があるので、難しそうだ。

 プラネタリウム、はこのあたりにはない。もし探すとしても、この時間から観覧するのは無理だろう。

 プラネタリウム・・・そのとき、僕の頭の中で、一番星よりも明るい豆電球のフラッシュが瞬いた。

「プラネタリウム、作ろうか」

 彼女は僕の顔を覗き込み、「楽しそうだね」と頷いた。

 いつもの笑顔より2割り増し無邪気な笑顔がやっぱり可愛いなぁなんて思った。



 手作りプラネタリウム。僕の一番好きなバンプの歌から思いついた。

 厚紙、豆電球、テープと針・・・閉店間近のホームセンターに駆け込んで揃えた即席の材料と必死に向き合って、僕は久しぶりの工作にかなり真剣に取り組んだ。

「それ、やりたい」

「危ないよ」

 身を乗り出した彼女を避けて、塩化ビニールの半円球体に穴を空ける作業が中断する。

「・・・これをこうして。気をつけてね」

「うん」

 僕はいつでも彼女から差し出された手には無条件降伏する。

「これネットからみつけた星図なんだけど、これを見て穴を空けていくんだ・・・って、もうやっちゃってるし」

 彼女は僕の方をまったく見向きもせず、どんどん穴を空けていった。

 まあ正確な冬の空を再現する目的ではないのだからと見守っているうちに、あっというまにそれは出来上がった。

 渡された小さな天体を見て、僕はかなり驚かされた。

 小さな半球形は、見事に冬の空を模していた。大小の形も、方角や位置もほとんど一致している。

「そんなに星が好きだったなんて知らなかった」

「好き?」

 意外なことを聞かれたひとのように、彼女は目を瞬かせた。

「星に詳しいんじゃないの?」

 僕の問いかけに少し考え込むような間を置いた彼女はいつもより少しだけ真面目な顔をしていた。

「日本地図って書ける?」

「・・・まあ、大体は」

「それって、自分が今生きて、いる場所だから書けるんだよね」

「まあ、そうなのかな」

「これも一緒でしょ」

 指差した先には少しいびつな天体がある。

「今、生きて、存在している場所だから」

 だから、知っているだけなのだと。

「いやいやいや」

 大真面目な彼女に冷や汗を掻いた。

「・・・ちょっとそれはスケールがでかすぎます・・・」

 だって僕は日本地図でさえも、海岸線やらの造形を正確に書き出す自信がない。住んでいる街の地図でさえもそうだ。

 なんて曖昧なところに僕はいるんだろうか。

 ぐるぐる考えているうちになんだか気分が滅入ってきた。

 ていうかここは僕が凹むところなのか?

「まあどうでもいいから、早く完成させてよ」

 あっさりと。

 やりたかったのは穴を空ける作業だけだったらしい彼女の声が思考の小道に迷い込みかけた僕を現実に引き戻した。

 了解しました。

 あとは台座を組み立てて、半球を黒く塗って・・・作業工程を確認し始めた僕の腕を軽くつまんで引っ張る。

「ねえ、ここ見て」

「ん?」

 桜色の爪が指し示した場所は、作りかけの夜空に、たくさん空けられた穴の中でもひときわ小さな穴だった。

「一緒に、この星が見たかったんだから」

 思わず星図と見比べても、存在しない小さな星。


・・・実在しない穴を空けて恥ずかしい名前をつける気?






この小さな星の名前は、君とか、あるいは恋とか愛とか呼んでみようか。



以前mixiで公開していた短編です。

こちらで様々な作品を読ませていただき、久し振りに小説が書きたい気持ちが少なからず湧き上がってきました。

私がそうだったように、ほっこりしていただければ幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ほっこりさせて頂きました。冬の澄んだ星空が目に浮かぶようで、面白かったです。ありきたりな言葉で申し訳ございません。次回作にも期待してます。 [気になる点] 自分の読解力の低さによるものです…
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