歌世の推察
「……あれ?」
いつも通りの時間に公園に来たのに師匠がいない。
その状況に僕は戸惑っていた。
なんとなく、師匠がいつも座るベンチに腰掛ける。
いつも着いた時には彼女が飲んでいる缶コーヒーが残っていたから、案外到着時間は近いのかもしれない。
三十分程待つと、空から高々と彼女は着地した。
緑色の髪に尖った耳。エルフのホルダーとしての姿。
彼女がカードホールドからカードを抜くと、その姿は一般女性の物に変わった。
「待たせたね、コトブキ君。会議が長引いて中々帰れなかった」
「四天王も二匹目、でしたもんね」
「それに、今回は相手が重要なメッセージを残したこともある」
「重要なメッセージ?」
師匠は微笑んで歩み寄ってくると、僕の隣りに座った。
香水の甘い香りがした。
そして、彼女はポケットから缶コーヒーを取り出しプルタブを開ける。
「異界は悪魔が現実世界に到達するための道って台詞さ」
「ああ、確かに」
あれは、異界が当たり前に世界各国に存在する現在では常識を揺るがしかねない台詞だった。
「伝承の悪魔は契約を結んで被害者の願いを叶える。そして被害者はその代償を支払う必要がある」
「命だったり、大事な存在だったり」
「そうだ。あの異界というものは第一発見者の心象風景を色濃く受け継ぐ。宝などを内包して。それは悪魔との契約のステップなんっではないか? という結論に皆が達してね」
「異界が、悪魔との契約によって完成する……と?」
「そういうことだ」
そう言って、歌世は缶コーヒーを一口飲む。
「悪魔は現実世界への侵攻を最終目的にしている。そのステップとしてまず小さな穴を開けている。それが異界。魔物が溢れているが、本当に強い魔物、例えばボスモンスターなんかは上層まですら到達することはできない……今のところは」
「ニムゲはカードに力を分散させたから出られたというわけですか」
「それもそういうことだね。そしてボスモンスターを倒せば我々の願望通り悪魔や魔物に対抗できるカードホールドとカードが授けられる。悪魔との願いは叶うわけだ」
「……異界って年々増えてるんですよね?」
師匠は暫し沈黙した。その表情に影が差す。
「そうだ」
「それって、思ってるより危険なことなんですね?」
「そうなるな。対抗策を取ってはいるが、後手後手だ。今では当たり前になっているものだが、本当は特効薬のようなものが必要なんだ。コロナウィルスのように」
師匠は天を仰ぐ。
「ホルダーと異界発見者の平均寿命をちょっと見てみたい感じはするね」
僕は腕に巻いたカードホールドに触れる。
僕らと異界との戦いに欠かせないカードホールド。
これも悪魔の道具なのだろうか。
「もっとも、異界純正のカードホールドなんて今は殆ど使ってないけどね。ドワーフのホルダーの手作りだ」
安心させるように師匠は微笑んで僕の肩を叩く。
僕は俯いた。
「けど、ちょっと不安になります」
「それも仕方がない話だ。しかし、知らないのもアンフェアだと思ってね」
「徹や優子にこの話をしても?」
「一応機密だ。ただ、君はアークスについても知っている。知る権利があると思った」
僕は目を見開く。
思い出すのは、異界を思うがままに操るトウジや、エリカ。
「そういえば、アークスは異界を閉じたり開いたりする手段を知っていた……」
「そう、人類にも対抗手段があるというわけだ。それがアークスだっていうのが不本意だがね」
そう言って彼女は足を振り始める。
苛立たしさの現れかもしれない。
「四天王も後二体。今回や前回みたいな搦手で攻めてこないとは限らない。君の力が必要だ。ユニコーンのホルダー」
その一言を、僕は信じられない気持ちで聞いていた。
今まで、師匠は僕達をアークスが絡むような事件から引き剥がそうと動いていた。
それが初めて、僕に手を差し出した。
仲間と共に四天王を二匹倒した。
それが評価されて、一人前だと認められたのかも知れない。
「不本意だ。本当に不本意だ。君には日常の象徴であってほしかった」
師匠はベンチに座ったまま足を規則的に揺らす。前、後ろ、前、後ろと順番に。
「任せてくださいよ、師匠」
僕は師匠の手を握る。
「残り二匹の四天王も、僕と徹のコンビには敵いません」
師匠の足の動きが、止まった。
「素直な子だ。もう少し君は捻くれていてもいい。思春期なんだから」
「師匠のために、人類のために、なにかしたいんです。その力になれるなら、これほど嬉しいことはない」
「けど、君が危険な目にあって悲しむ人間もいることは忘れちゃいけない」
「大丈夫です」
僕はカードホールドを一つ叩く。
「僕には英治が作ってくれたカードホールドと、師匠から授かったユニコーンのカードがある。必ず帰ってきます」
「約束だぞ?」
師匠はそう言うと、僕の手を自分の手から剥がして、互いの小指を絡めた。
「指切りげんまん」
「嘘ついたら針千本飲ます」
「指切った」
二つの小指が離れる。
「君は私の誇りだ」
そう言って、師匠は微笑んだ。
その笑顔をみせてくれるだけで十分だと僕は思う。
「ただ、四天王は魔王の配下にすぎない。油断しないことだ。世界は今、いつ魔王を迎え入れるかわからない」
僕は息を呑む。
養成所二年目の春は、こんな感じで激動の幕開けとなったのだった。
続く




