決戦、悪魔
夜風が吹く中、僕は優子の家の前で立ち尽くしていた。
二階の優子の部屋の窓の灯りはまだ煌々とついている。
今頃師匠と一緒に彼女は女子会でもしているのだろう。
結局、師匠が優子の家に泊まることで護衛をつけると言う案に乗ることになった。
自分も何かをしたい。そんな思いだけで優子の家の前に立っている。
カードホールドにはユニコーンのカード。
いつでも変身する準備は十分だ。
優子に、夢の世界はそんなに楽しいかと昼休み中に聞いた。
楽しいよ、と優子は言った。
全てが自分に優しくて、想い人とは上手く行く、と。
想い人なんていたのか、と戸惑いながら訊くと、優子はこう返した。
「まあねー。コトブキにはわからないよね」
わからなかった。徹だろうかとぼんやりと思う。
優子を夢に逃げるほど追い詰めている徹に、嫉妬すると同時に少し憎らしく思った。
すると、優子は見透かすように言った。
「徹のことだと思ってるでしょ」
当たりだ。僕は思わず黙り込んだ。
「そういうとこなんだなー」
そう、優子は含み有りげに言ったのだった。
そして、時刻は今となる。
今日、優子は死ぬかもしれない。
頼れるのは、師匠とナンバースだけだった。
+++
なんでこの人は私の部屋に泊まっているのだろう。
それは当然と言って良い程の優子の疑問だった。
四法印歌世は布団を敷いて、優子をからかっていた。
「あはは、やっぱコトブキ君のこと、好きなんだ」
「ええ、ああ、まあ」
曖昧な返事になる。
改めて真っ直ぐに指摘されると、照れ臭くなる。
「想い始めて何年目?」
「十年、ぐらいかなあ」
「そりゃ長いね。格好悪いところも随分見ただろうに、一途だねえ」
「この命は、コトブキがくれたものだから。だから、私は格好悪くても、格好良かった時のコトブキを覚えていられる」
「そっか。そりゃあ、一途になるわけだなあ」
うんうん、と歌世は頷く。そして、掛け布団を羽織った。
「告白はしないの?」
「ほとんど告白してるようなものだってケースは何回もあったんですけどね」
「鈍感だからなあ、コトブキ。あと、自分が愛されるなんて信じられないんじゃないかな」
「そうなんですよねえ、自信がないというか、なんというか」
早く寝たい。そんな思いを噛み殺す。
夢の世界は幸せだ。そちらの世界のコトブキは、優子の想いを真っ直ぐに受け止めてくれる。
二人は理想のカップルとなり、学校の皆から祝福され、二人の時間を尊重してもらえるのだ。
「けど、恵さんに盗られそうで、ちょっと焦ってます」
「そうなの?」
歌世は意外そうに言う。
「なんか、似た者同士って言うか。どっか雰囲気似てるんですよね、あの二人。それが一つ屋根の下だなんて、神様は残酷なことをなさるものです」
「神を試してはならない。神は人を試すけどね」
「なんですか、それ。聖書ですか」
「まあそんな教訓を学べるものではあるね」
自分より経験豊富なのだろうな。そんなことをぼんやりと思う。
「じゃあ、私は寝ます。夢を見たいので」
そう言って、さっさと布団をかぶって横になる。
「あいわかった」
そう言って、歌世は部屋の電気を消す。そして、あぐらをかいて座り込んだ。
「なあ、優子ちゃん。私なら君とコトブキ君の間を取り持てる。取り持ってあげてもいいんだけどな」
「はあ、そうですか」
正直、現実のコトブキに突進していくのは怖い。
「だから、夢に依存するのは辞めるってわけにはいかないかな」
「……夢は優しくて、無責任で、どこまでも甘い。だから、私は当分は夢の中で幸せに暮らすんです」
「そうか。好意を受け止めてもらえなかった時が怖いか」
痛いところを突く。
夢ならそんなことはないのに。
「けどね。いつかはぶつからなければならない課題だよ、これは」
「点数はもらえますか?」
「学生時代で一番大事な単位とも言えるかもね」
そう言って、歌世は懐かしむように微笑んだ。
この人にも青春時代があったのだなあ、なんてことを思う。
当然だろう。大学まで出て教師の資格を得たのだ。自分より経験豊富なのは明白だ。
いつか、こんな大人になるのだろうかと思う。
一度、歌世の男性関係について訊ねてみたかった。
しかし、それを声にする前に、深い睡魔に襲われ、優子は寝入った。
+++
「さて、と」
歌世はカードホールドを腕に巻くと、エルフのカードを差し込んだ。
優子の頭に触れる。
かなり、邪悪な者に汚染されている。そんな反応があった。
エルフは清浄な空気の中に生きるもの。邪悪な存在いへの反応は敏感だ。
邪悪な者の囁きは強力だ。
優しく、無責任で、甘い。
そして、歌世は謎の睡魔に襲われて、そのまま横になった。
いけない、このままでは優子が危ない。
そう思いながらも、歌世の意識は宙空へと飛んでいった。
おぼろげな意識の中で、暗闇の中に立ち上がる者の存在を感じた。
「夢の世界はどうだい、お嬢さん」
老人の声だ。彼は、甘く囁いている。
「……随分依存しました。けど、断たなければならない」
優子は、はっきりとそう言った。
「私は現実に立ち向かっていなかった。だから、夢の世界に逃げた。けど、それじゃあ駄目なんです。現実の世界はなにも変わらない」
「終わらない夢があるならそれは現実と変わらないとは思わないかね」
焦るように老人は言う。
「夢は所詮夢です。無責任で、責任をとってはくれない。私は自分の発言に責任を負える世界の方が好きです。だからこそ、得た時に喜べる物もある」
「夢の世界を、拒否すると――」
「はい、そうなります。短い付き合いでしたが、図分と楽しい思いをさせてもらった。ありがとうございます」
沈黙が部屋を包んだ。
老人の笑い声が、部屋に響き渡った。
「一度は夢に堕ちた魂。半強制的に剥がすことはできる」
「いいや、できないね」
歌世ははっきりと、そう言っていた。
槍を腕に突き立てて、眠気を殺している。
そして、二の足でしっかりと立ち上がっていた。
歌世はついに、夢の世界の悪魔と向かい合っていた。
歌世にはわかる。その男が悪魔だと。その影には、人間ではない何かの気配がある。
「彼女は現実を選んだ。お前の出番は終わりだ、悪魔」
「私とやりあうと?」
心底驚いた、というように老人は言う。
「ああ、そうだ。アクセル――テン!」
一瞬で老人の背後に回る。
槍が老人の胸に吸い込まれるのと、老人が目を見開いたのは同時だった。
槍が老人の胸を貫いた。
「おおお、逃げていく。私の体から魂が……」
嘆かわしい、とばかりに老人は身を捩る。
心臓を貫いても生きている? 歌世は戸惑うしかない。
ならば、彼にとどめをさせるとすれば、聖なる者。
――聖獣のホルダー。
+++
ガラスを割って老人が優子の部屋から出てきた。
それを追って、腕に傷を負った師匠が飛び出す。
光が一閃した。
それは輝く槍。ユニコーンの角の穂先が輝いて弾ける。
それは、老人のカードホールドをバラバラに破壊していた。
「馬鹿な、逃げていく。私の集めた魂が……」
貫かれて中央に穴が開いたカードからは、色とりどりの輝きを持った光が逃げ出していた。
老人が月明かりに照らされる中で縮み、老いていく。
それを、師匠は電柱を蹴って、心の臓をあらためて貫いていた。
老人の体が師匠に押されて地面へと落ちていく。
そして、老人は物言わぬ遺体となった。
「多分、悪魔のホルダーだったんだな」
そう師匠は言う。
「誘惑して、魂を奪う。この男も若返りたくてやったみたいだし、ある種被害者みたいなもんだ」
「被害者しかいない事件ですか。虚しいですね」
それでも、優子は守れた。僕はそれを誇りたいと思う。
窓から、優子が外を見ていた。
僕と目が合う。
僕は切ない思いを込めて、優子は苦笑交じりに、視線を交わす。
「なあ。僕達、一度話さなきゃいけないと思うんだ」
「話すって、なにを?」
切り捨てるように優子は言う。
「色々な話だ。本当に、色々な話」
「そうね……そうかもしれないわね」
優子は、しおらしく言った。
「悪魔のカードが消えている……?」
師匠が、呟くように言った。
老人のカードホールド。
そこからは確かにメインカードが消えていた。
続く
次の話は二人の会話を挟んで異界攻略メインの話になりそうです。




