終わりへのカウントダウン
それは、釣具が乱雑におかれた部屋のベッドだった。
一人の青年が布団を抱きしめて寝ている。
心地よい夢を見ているのだろう。顔に笑みが浮かんでいる。
その時、ベッドの影から人の頭が生えた。
胴体から細長い足へと徐々に浮かび上がっていく。
そして、老人はその場に立っていた。
腕にはカードホールドが巻いてある。
「おはよう」
そう言って老人は微笑む。
青年はその言葉で跳ね起きた。
「あんたか……」
「どうだい。私の用意した夢の世界は満足してくれたかい」
青年は満面の笑みで答える。
「あんたの誘いに乗って大正解だったよ。夢の世界。最高の世界だ」
「なら、選びなさい。永遠に夢の世界で生きるか、世知辛いこの世を取るか」
青年は俯いて、しばし考え込む。
「このままってわけにはいかないのか?」
「それでは私にメリットがないね。夢の提供はここまでが限界だ」
「そうか……なら……」
青年は暫し沈黙し、答える。
「夢の世界、がいいかなあ」
「それは私との契約にサインするということだ」
しがらみがなくなったように、青年はまくしたてるうように言う。
「いいから俺を夢の世界に返してくれ。一度あの世界を知ってしまったら、こんな現実、気が狂いそうだ」
「ほっほっほ」
老人は目を細めて微笑む。
「よかろう。契約はなされた」
老人の影が巨大になる。
そして、その瞬間、青年の体から輝く光が吸い出された。
それは宙を浮き、老人の手に渡る。
青年の体は、その瞬間にベッドに倒れていた。
幸せそうな死に顔だった。
そう、青年は絶命していたのだ。
傷もなく、痛みもなく、夢の中に入るかのように死んでいた。
「ほっほっほ」
老人は微笑んで、手の光を握りしめる。
その瞬間、光は老人の中へと吸い込まれていった。
その時、異変が起きた。
老人の姿が、俄に若々しくなったのだ。
「まだ……足りない」
老人は呟くように言う。
「次のあの娘、あの純粋な魂を受け入れられるなら、私の目的に近づくだろう」
そう呟くと、老人は影の中に溶けるように消えてしまった。
+++
「優子ー、朝だぞー」
僕は優子の家を早朝に訪れていた。
普段は優子が迎えに来るが、今日はその逆をしてやろうと思ったのだ。
「あら、珍しいわね琴谷君」
優子の母親が弾んだ声で言う。
「たまには迎えに来ようかと」
それに、こうすれば暫くの間二人で登校できる。
優子の母親が二階に上がっていく。
「優子ー、琴谷君が迎えに来てくれたわよ。起きなさい」
「優子はまだ寝てるんですか?」
始業時間にまだ余裕があるとはいえ、とても弁当を作れる時間ではない。
「ごめんね。寝入ってるみたいで。悪いけど、先に行ってくれるかな」
「わかりました……」
謎の徒労感を覚えつつも、外に出る。
狙いすましたかのようにスマホが鳴った。
師匠からの着信だ。
電話に出る。
「おはよう、コトブキ君」
師匠はいつになく、緊迫した口調だった。
「どうしたんですか? 師匠。切羽詰った声して」
「いやさ、それが聞いてくれよ。例の海で寝てた男。死んだんだってさ」
僕は心臓を射抜かれたような気分になった。
「エージェントが護衛についてるって」
「窓からも玄関からも侵入者はいなかったって話だよ」
僕は息を呑む。
心音がどんどん高く鳴っていくのを感じる。
「なら、敵の次のターゲットは……」
「恐らく、だが」
そう言って師匠は言葉を切った。
その続きを、聞きたくはなかった。
「優子ちゃんだな」
僕は優子の部屋を外から見上げる。
優子が、死ぬ?
それは幼馴染として過ごした十数年の繋がりの終わりを意味していた。
続く