優子、やきもきする
最近優子が拗ねている。
僕の家に恵が寝泊まりしているのが面白くないらしい。
昼休憩の時間も笹丸や緑と一緒だし、帰り道も五人だしで、考えてみれば二人で話す時間はなかった。
幼馴染を盗られた気分、なのだろうか。
けど、僕は優子の所有物ではないし、恵と同居したのは止むおえない事情があったからだし、我慢してほしいのだ。
ある日、昼の弁当を開けると、ぎっしりつまった白米にゆかりで大きくクエスチョンマークが書かれていた。
生きた心地がしないまま平らげる。
そして、立ち上がった。
「優子、ちょっと二人で話せるかな」
「いいよ」
優子は穏やかに微笑む。
なにかその笑顔の裏に殺気を感じるのは気のせいだろうか。
僕らは弁当を美味い美味いと食べている不良二人組や、パンを食べている恵を置いて、学校の敷地の外れに移動した。
肌寒い風が吹いている。
もう少しすれば、外で食事をとることも不可能になるだろう。
「どういうことなの? なんで恵ちゃんがコトブキの家に住んでるの?」
口火を切ったのは優子だった。
「いや、それが、親が頼まれたらしくって」
「非常識だよ。年頃の男の子のいる家に同年代の女の子を任せるだなんて」
「親の面子がかかった話でもあるんだ。滅多なこともないさ」
「あったら困るわよ」
優子は怒鳴るように言う。
「なんで優子が困るんだ?」
僕は素直に疑問を覚えたので言う。
「いや、それは……教育上よろしくないというか」
優子は口ごもってしまった。
「確かに僕と優子は幼馴染だ。口出しする権利はある。けど、これは恵さんの親戚と僕の両親の間の話だ。僕にはどうにもできないよ」
優子は黙り込んで、俯く。
しばらく、何時間にも思える沈黙が流れた。
「幼馴染って不便だな。徹もどっかに行っちゃったし、コトブキも恵さんと一緒に時間の方が私と過ごす時間よりも長くなったし。最後には二人共遠くに行っちゃうんだ」
「例え遠くに行っても」
僕は、優子を抱きしめてしまいたいと思った。
けど、それはできない。
僕は所詮幼馴染でしかないから。
「遠くに行っても、優子のことを忘れることはないさ」
恵と暮らす時間の方が長くなるのは仕方がない。
家も一緒、クラスも一緒、部活も一緒なのだから。
「ふーん?」
優子は、横目で疑うように僕を見る。
「今度二人でどっか出かけよっか」
「思えば、コトブキと二人で外出することってあんまないね」
いつも僕らは三人で一緒だった。仲良し幼馴染グループ。
それが五人の部活グループになって、優子は寂しく感じているのかもしれなかった。
「どこでも付き合うぜ。映画でもゲーセンでも食い歩きでも」
「ピクニックでも?」
「いいよー、付き合おう」
「じゃあ私。おべんと作るね」
優子は目を輝かせた。
問題は行き先だ。
「どこへ行こうかな」
「蓮見の浜はどうかな」
「少し寒い気もするけど、まあいっか」
「じゃあ、約束ね。今度の休日、二人きりで外出だって」
「ああ、わかったよ」
その夜、僕は師匠にその話をしていた。
「めぐみんも連れてくべきだねえ」
師匠は残酷だった。
そんなことになれば優子がどれだけ荒れ狂うかわからない。
今度は弁当に針が入っていてもおかしくないほどだ。
安全な昼食を確保するためにも恵には留守番していてもらわなくてはならない。
「いや、だってさ。護衛対象が分散するんだぜ。私の苦労もわかってくれよ」
「どうにか、仲間に頼むとか」
「仲間かぁ……」
師匠は顎に手を当てて渋い顔で考え込む。
「わかった。なんとか手配しよう」
「お願いします。この一日でいいから」
「けど困ったね。君と恵ちゃんの家もクラスも部も一緒って環境にナンバースは正直甘えてる。けどそれじゃああ優子ちゃんが爆発するんだな」
「僕も困りました。優子の意外な独占欲に驚くばかりです」
「……君も君で大概鈍感だしなあ」
同情するように師匠は言う。
「鈍感、と言うと?」
なにか優子の気持ちを見落している点でもあるのだろうか。
師匠はふと微笑んだ。
「なんでもないさ。今度の休みは楽しんでくると良い。護衛の件は私が動いてやりくりするよ」
「ありがとうございます。教師の仕事の傍らご苦労おかけします」
深々と頭を下げる。
「いいさ。あれはあれで良い気分転換になっている。普通の學校じゃないから私も経験談で乗り越せるしね」
そう、師匠の授業は実体験を元にしたもの。それがなんと好評なのだ。
「土曜日の十時出発だっけ」
「ええ」
「楽しんでおいで。久々のデート」
「そういうんじゃないですよ」
僕は真顔で言っていた。
「もしも徹がいれば優子は徹も誘うだろうし、あくまでも幼馴染同士の交流の時間です」
「どうかなあ。まあ」
師匠は軽く失笑した。
「優子ちゃんも苦労するねえ」
ん? 今呆れられた?
「じゃ、訓練に移ろうか」
「はい!」
その日の訓練は、師匠相手に一本とるまで戦うというものだった。
スピードで勝るこちらを相手は経験からくる予測でカバーしてくる。
ダンスを踊るように訓練は深夜まで続いた。
帰ると、恵が玄関で待っていた。
「部屋見たらいないから吃驚しましたよ」
恵が咎めるように言う。
僕の護衛として素直に怒っているのだろう。
「大丈夫だ。歌世さんと一緒だった」
「ああ、四法印先生と。そうならそうと先に言ってください。貴方の身は、正直安全とは言い難いんですからね」
「そうだなあ……」
変な話になってしまったものだと思う。
アークスとの遭遇。それは僕の人生をナンバース側に大きく傾けた。
それにしても落ち着かない。
恵は寝間着姿なのだ。
風呂上がりで湿った髪や、しっとりとした白い肌が、輝いて見える。
「先に寝るよ。明日は約束があるから」
「私もついていきます」
「護衛の増員なら師匠……歌世さんのことね。に頼んどいたから大丈夫」
「ふむ、そうですか……」
恵は顎に手を当てて暫く考え込んでいたが、そのうちひとつ頷いた。
「そうですね。たまには二人きりにしてあげるべきですね」
どうやら全てお見通しらしかった。
翌日十時、僕は玄関で彼女を待つ。
流れとしては焦りもしたが、今となっては楽しみでたまらない。
優子はバスケット片手に、玄関の扉を開けた。
「おはよう、コトブキ。行こう」
「うん、そうだな。準備はばっちりだぜ」
「まあまあ優子ちゃん。休みの日まで悪いわねえ」
母親が台所から顔を出す。
「いえ。私が言い出しっぺなんで。最近二人の時間が取れないなあと思っていたものですから、この際に積もる話でもと」
「それもそうね。コトブキ、しっかりね」
母親は苦笑交じりにそう言うと引っ込んでいった。
恵の件について追求されると母も弱いのだろう。
「それじゃ、行くか」
液まで自転車で十五分。前後に並んで少し冷たい風を切って走る。
そこから出る電車に揺られること十分。
優子は楽しげに今日の昼食の話をしてくれた。
そして、最寄り駅から歩くこと十五分。
僕らの馴染みの海水浴場、蓮見の浜への到着だ。
優子はシートを敷こうとするが、風に押されて中々上手くいかない。
シートの四方に砂を掘って、何気なくフォローしてみせると、優子は上機嫌でシートに座った。
「もうすぐ冬がくるね」
「そうだな。外で弁当を食えるのも後少しだ」
「二年になったら実践訓練増えるらしいね」
「どこ情報よそれ」
「番長さんが言ってた。あの人はあの人でこっそり異界にレベル上げに行ってたみたいだけどね」
「だろうなあ。部活に所属してなかったのにあの強さは違和感あった」
「おべんと、食べる?」
「よろこんで」
優子はバスケットの中身をシートの上に置いていく。
サンドウィッチだ。
一つ一つ具材が違い、その全てがとても美味しそうに仕上がっている。
「それじゃ、食べよっか」
優子が音符のオトマノペでもつけてそうな笑顔で言う。
「いただき……」
「大変、誰か来てえ!」
悲鳴が浜に響き渡った。僕はサンドウィッチを置いて、駆けようとする。
その肩を、いつの間にか傍まで接近していた師匠が抑えた。
「君らはゆっくりしてな」
そう言って、師匠はウィンクして声のした方向へ走っていく。
「四法印先生? なんで?」
優子は戸惑うように言う。
「……まあ、先生が大丈夫って言うなら大丈夫なんだろう」
そう言って、僕はサンドウィッチを一口食べる。
「なんか落ち着いてるね、コトブキ」
優子は疑わしげに僕を見る。
まるで、遠くの人間を見るかのような。
「普通だよ」
「そうかな?」
優子は、溜まり溜まったものが今にも爆発寸前といった様子だ。
「なにか私に、隠してるんじゃない?」
「隠すほどのものがあると思うか? 僕に」
「そういえばユニコーンのカードの入手方法からして聞いてない」
僕は黙り込む。
「貴方は……誰?」
優子は、怯えるように言った。
楽しくなるはずだった二人きりの外出は、目に見えぬ溝を生むだけに終わった。
僕は無言で、サンドウィッチを食べ続けた。
優子も、なにも言わなかった。
続く




