久しぶり
深夜の公園に僕はやって来ていた。
師匠は、以前のように缶コーヒーを片手に待っていた。
その姿が、今は懐かしくすら感じる。
「ご飯はしっかり取りましたか、師匠」
「とんだダイエットだったよ」
そう言って師匠はおどけた表情で肩を竦めた。
「恵さんは大丈夫ですか?」
師匠は椅子に座り、缶コーヒーを横に置くと、頷いた。
「あの子はろくな情報を与えられていなかったみたい。トウジを倒したことでユニコーンのホルダーは警戒されるだろうし、当面は安全と見ていいと思う」
「警戒、ですか」
「舐められるよりはマシだろ? 降りかかる火の粉は少ない方がいい」
「それはそうですが」
得体の知れないアークスという組織の面々に自分の名が刻まれていると思うとぞっとしない。
「ま、不安がるのも仕方ない。私も不安だ」
そう言って、師匠は深々と溜息を吐く。
「思いの外君を巻き込んでしまった。反省してもしきれない」
「僕は師匠が無事帰ってくればそれで十分ですよ」
「まあ、そう言ってくれるとありがたい」
そう言って、師匠はコーヒーを一口飲んだ。
「恵ちゃんについてだけど、当面はナンバースに勧誘して、アークスと距離を取らせようと思う」
「恵さんが、師匠と同じ組織に……?」
「私のカードでアクセルスリーを使いこなせたのは彼女が初めてだ」
師匠のことだから、エルフのカードもガチガチの高スピード仕様なのだろう。
「資格はあると思っている。それに、アークスの手駒でいるよりは、うちに席だけ置いて安全に暮らすほうがマシだろう?」
「スパイみたいな真似、させられてましたもんね」
「そゆこと」
「ちょっと残念だな」
「と言うと?」
僕は落胆していた。
恵がスパイだったという事実に。
「僕は親しい友達ができたと思っていた。けど、相手は僕の監視と調査の為に一緒にいただけだった。なんか肩透かしを喰らったような、そんな気分です」
「それが全部じゃないんじゃないかな」
師匠はそう言って、缶コーヒーを振る。
「嘘つきは本当の話の中に嘘を巧妙に隠す。全て作り話だとボロが出るからね」
「彼女との間に真はあったと?」
「そうじゃなきゃどっかでボロが出てるさね」
今思えば、彼女の思わせぶりな台詞の中にはトウジとの戦いを先に見据えた含みがあったのかもしれない。
「転校、するんですかね」
「それに関しては、当面は安全な場所に送ろうということで意見が一致している」
「証人保護プログラムみたいだ」
「それがね、困ってる。彼女の経歴、プロフィール、全て滅茶苦茶だ。一から戸籍をでっちあげてあるから、どういじったものかわからない」
「恵さんは、話そうとしないんで?」
「知らなかった、という方が正しいかな。彼女も困惑していたよ」
「色々難儀ですねえ……」
「まあ、ホルダー同士の抗争の後始末なんてこんなもんだ」
そう言って、師匠はまた一口コーヒーを飲んだ。
「君にも護衛が必要だろう。その手はずは整っている。陰ながら君をサポートしてくれるはずだ」
「まあ、必要ないとは言えないですね。トウジクラスの人間が来たら危なっかしいったらない」
「ああ。そこら辺のアフターケアはしっかりやるよ」
そう言って、師匠は缶コーヒーの中身を一気飲みした。
「まったく。なんて醜態だ」
「捕虜生活は師匠には堪えたでしょう」
散々暴れてそうなイメージがある。
「だなあ。暴れたら食事を減らされてなお暴れる。そんなことをやってたよ。国から預かった大事なカードホールドも失ってしまった。まあトウジの分で帳尻をつけたが」
中空に向いていた彼女の視線が、不意に僕を捉える。
「何か質問はあるかな?」
「恵さんが無事ならそれでいいです。あるとしたら、師匠はこれからどうするのかなって」
「……しばらくは君の護衛だな」
師匠は苦笑交じりに言う。
僕は息を呑む。
「ってことは、以前みたいに鍛えてもらえるってことですか?」
「そうなるね」
「よしっ」
そう言ってガッツポーズを取る。
「そんなに嬉しいかい」
師匠が物珍しげに言う。
「はい。師匠は僕の心の栄養ですから」
「告白みたいだな」
「そんなつもりじゃないです!」
思わず声が高くなる。
師匠は立ち上がると、僕の唇に滑らかな人差し指を乗せた。
「深夜だぞ。気取られると厄介だ」
「すいません、気をつけます。けど師匠が変なこと言うのが悪いんですよ」
「君は愚直だからからかいたくなるのさ」
そう言って師匠は僕の唇から指を離す。
「まあ、後は明日一日過ごせばなんとなくわかると思うよ。仕上げを御覧じろってとこだ」
「……わかりました。今日は解散ですね」
「そゆこと。気をつけて帰りなね。私は少し離れた場所からついてくけど」
「了解です」
なんだか監視されているみたいで落ち着かないなと思う。
僕にはどんな明日が待っているのだろう。
今はまだ、なにもわからなかった。
+++
「朝だよー」
優子が呼んでいる。
いや、優子にしては距離が近い。
優子はいつも玄関で待っているはずだ。
「朝だよー、起きましょう、コトブキ君」
この声は優子の声じゃない。
その声質の持ち主に頭の中で行き着き、僕は上半身をはね起こした。
「恵さん?」
「ナンバース所属、貴方とお友達の護衛、三笠恵です」
恵は視線を逸らすと、申し訳なさげに頭を下げた。
「勝手な話だと思うけど、許してくれると嬉しい。私という存在が、君の傍にいることを」
「なに言ってんだよ」
恵は肩を小さく震わせる。
「大歓迎だ」
恵は目を大きく見開き、俯くと、目を軽く拭った。
こうして、師匠も、恵も、日情の中に戻ってきた。
両親は家にいる恵を、上司に任された娘だと説明した。
同い年の女の子と同居なんて、それどんなエロゲ? と思わんでもないのだが。
一先ずは今回の騒乱は丸く収まったらしかった。
僕と一緒に玄関に出た恵を見て優子が口をパクパクさせて過呼吸気味になったのは余談である。
続く