学校祭を優子と 前編
学校の中央に位置する巨木の下で、優子は待っていた。
木の幹に背を預け、風の声を聞いている。
その視線が、不意に僕を捉えた。
「こんにちは、コトブキ」
「こんにちは、優子」
挨拶を終えると、優子は立ち上がって尻についた草をはたく。
そして、僕の隣にやって来た。
「食い歩きでも楽しみましょうか」
「うーん、期待できるのかなあ」
所詮は素人の料理だ、という思いが胸にある。
「それがね、一年二組の教室の指揮してるの、プロの料理研究家なんだって」
「へー、そりゃ凄い」
父母を頼ってみれば意外な縁があるものである。
「どこで聞いたんだ、その情報」
「お母さんから。お母さんは友達から聞いたって」
「……なんかあんまアテにならなそう」
「そう言わない。残り半日楽しむぞ~」
そう言って、優子は僕の背を押して行った。
自分で歩くことにし、再び二人並んで進み始める。
他愛のない会話が心地いい。
色々な友達がいるけれど、帰ってきたと思うのは優子と喋ってる時だと思う。
それほど優子は僕にとって貴重な存在だ。
一年二組の教室は、店の外に行列ができていた。
待って四十分というところだろうか。
中々盛況しているようだ。
優子は困ったような表情になった。
「ううん、ここでのタイムロスは痛いな」
「体育館ででも時間潰すか? 昼飯時だからだろ、この行列」
「そうだねえ、体育館でも行きますか」
そう言って、優子は気分を切り替えて歩き始める。
その隣に並ぶ。
後何回、一緒に並んで進めるだろう。
高校卒業までの三年間は、きっと何度もこんなことがある。
けど、その後は?
僕は一人でも生きていく術を覚えなければならなかった。
体育館のござに共に座る。
「映画かあ」
優子は囁くように言う。
「いいじゃんね」
「そうだな」
何処かチープな演技の中で、演出のスキルが輝く。
特に戦闘シーンはお互いスキル合戦になり迫力満点で、僕は気がつくとそれに見入っていた。
「ねえ、コトブキ」
「なんだ?」
「後夜祭でキャンプファイヤーやるんだって。マイムマイム一緒に踊らない?」
「いいよ」
僕は深く考えずにそう言った。
「じゃあ練習もしないとね」
そう言って優子は立ち上がると、中腰で人だかりを抜けていった。
慌てて、その後に続く。
屋上の鍵を開けて、外に出る。そして、鍵を閉める。
優子が手を差し出した。
「さ、コトブキ。踊るよ」
「なんとなくでいいんじゃないかなあこういうのって」
「だーめ。皆が見てるんだから恥ずかしい踊りはできないわ」
「そういうもんか」
「そういうもんです。特にコトブキは有名人だからねえ」
そう言って苦笑する。
それならそもそも一緒に踊ろうなんて誘わなければいいのに、と思う。
そういう発想が陰キャなんだな、と僕は自分で自分に呆れた。
せっかくのお祭りだ。
優子の好きにやらせてやればいい。
徹のいない間、唯一僕ができることだ。
訓練が始まった。
「あー、そっちじゃないそっちじゃあない。動きそのものは単純なパターンなんだからややこしくしないで」
「そこで私が一回転するから右手を上げて」
「それは左手よ。私から見て右手」
「ステップはもっと軽やかに」
(注文、多いなあ)
苦笑交じりに心の中で呟く。
まあ、それも優子らしくていい。母親気質なのだ。
彼女の子供になる人間はきっと几帳面になるだろう。
何時迄も彼女の隣にいられる人間。将来存在するだろうそれに、僕は軽い嫉妬を覚えた。
「よし、できたじゃない」
優子は上機嫌に言う。
「それじゃ、お腹空いてきたから、一年二組に戻りましょうか」
「計算づくなのな」
「コトブキは運動神経いいからそこまで時間はかからないと思ってたよ」
優子はそう言って、手を後ろで組んで、階段を降りていく。
僕も、その後に続いた。
一年二組の行列は三分の一まで減っていた。
これなら程良い時間で食事にありつけそうだ。
「なんか去年もこんなことしてた気がするな」
「そうだね。私は基本コトブキを引っ張り出すから」
鈴のようにころころと笑う。
「そうなんだよな。去年もサボりたかったのに気がつくとお前と教室の当番してた」
「ああいう場所はサボると顰蹙買うんだから出ないとね」
「ほい」
自分達の番がやって来た。
優子がチケットを渡し、それを魔力で識別した学生が僕らを中に案内する。
皿はなんと、宙を浮いてやって来た。
僕らの前に順番に音を立てて並ぶ。
それでこぼれないのだから大したものだ。
「美味しそうだな。これはコーンスープかな。こっちはバケットか」
「私なんでか牛丼……おかしいなあ。スイーツ券だったはずなんだけど」
「じゃあ交換しようぜ、俺牛丼食べたい」
「いいの?」
優子は目を輝かせる。
こんなことで機嫌を損ねずに済むなら安いものだ。
僕と優子は皿を交換した。
そして、牛丼に箸をつける。
舌の中で、肉が溶けた。
「う、美味い」
全身に肉と油の旨味が駆け巡っていく。
優子もスープを飲んで、頷いた。
「舌触りも丁度いいし、味にもコクがあるね。これっきゃないって感じだ」
「凄いなあ料理研究家。優子に付き合って良かったよ」
「それは良かった」
優子は嬉しげに微笑んで、バケットを一口食べる。
当然の如く、後夜祭までの時間は余った。
「なにしようかね」
「食べ歩きっしょ」
「まじで?」
「行くっきゃないない」
「また最後に財布の中身見てショック受けるハメになるぞ」
「今回は食券があるから問題なし!」
「さいで」
そうなると話は決まってくる。
「わかった、付き合うよ」
「コトブキはなんかしたいこととかないの?」
「映画がちょっと気になったぐらいかなあ」
「そっか。じゃ、後から体育館にも行こう」
この仕切りぶり。懐かしさすら感じる。
そういえば徹が失踪したのもあってここ暫くは三人で遠出することもなかった。
まずは優子はチキンナゲットを食券と交換した。
「学生に油ものを許すとは懐が広いというかガバガバというか」
「まあこの学校らしいよね。中が生じゃなきゃオッケーよ」
そう言って、優子は一口食べる。断面は真っ白だ。
「美味しい! なにこれ!」
「良かったら特製ソースも試してみてください。美味しいですよ」
保護者らしき店員が微笑んで言う。
優子はソースを付けて、食べた。
彼女は絶句すると、熱心に咀嚼を始めた。
そして、次の一個へと爪楊枝を伸ばす。
「コトブキも食べなよ。別格だよ」
食べてみて、思う。
確かに美味しい。
今まで食べてきたチキンナゲットの中で一番かもしれない。
「甘く見ていたみたいだな。この場はそれぞれの家料理を持ち寄った決闘場だ」
「だね! レシピ本買わなきゃだ」
「後から薄くなった財布を見て嘆かなきゃいいけどな」
「必要経費だよ。コトブキだってお弁当は美味しい方がいいでしょう?」
「まあなあ」
苦笑交じりに相手をする。
その時、人混みの中で、僕は目立つ男に視線を向けていた。
髪は女性のように長く、顔立ちは整い、背は高い。
女性なのか男性なのか一見するとわからない男。
トウジだ。
トウジは僕を確認すると、振り返って去っていく。
「ごめん、ちょっと待ってて」
そう言うと、僕はトウジの後を追った。
トウジはどんどん離れていく。まるで廊下が僕の分だけ引き伸ばされているかのような。
そう思った次の瞬間、僕は肉の壁が形作る部屋の中央に立っていた。
「生きていたのか、トウジ……」
僕は半ば、呆れ混じりに言う。
崖から落とされても、師匠やその仲間に追われても、彼はまだ生きているらしい。
最低でも牢屋入りという想像だったのだが。
ならば、師匠はどうなった?
「師匠は……歌世さんはどうした!」
「彼女はいい捕虜だよ」
トウジは薄っすらと微笑んで歌うように言う。
「君は取引に応じなければならない。歌世の命が惜しいのなら、だが」
僕は両手に握りこぶしを作り、眉間にしわを寄せ、トウジを睨んでいることしかできなかった。
続く




