暗雲
「忘れられてるとは思わなかった」
師匠は無感情に言う。
僕は焦って取り繕う。
「いや、優子が無事だったことで頭が真っ白になって」
「コトブキがなんか追求してくるからちょっと焦っちゃって」
そう、よりによってこの高難度ダンジョンで、僕と優子は師匠を置いてさっさと先を歩いていたのだった。
それは拗ねられるとも言うものだ。
「まあ、私の実力がいらないぐらい二人は強いよ、うん」
「そんなことないですよ!」
「先生がいなかったら死んじゃいます!」
本格的に拗ねてるなあと思い、ますます焦る。
優子も同じようだ。
レベルが上って安定感が増してきたこともあり、僕らは集団行動を取っている。
道幅が広くなり、別れ道も多くなり、どこから敵が襲ってくるかわからなくなったせいもある。
安定感がましたと言ってもそこは禁断の異界と呼ばれるだけのことはある。
数手間違えば致命傷を受けてもおかしくはない。
しかし、一手ではない。
リカバリーが効く余裕が出てきたということだ。
師匠が拗ねる余裕が出てきたということでもある。
「徹君はどうしてるかね」
師匠が呟くように言った。
声音が少し変わった。
心配しているような口調だ。
「徹は殺気を探知できるから、アドバンテージがありますよ」
「信頼してるねえ」
「徹はなんでもそつなくこなしますから。絶対にパワーアップして帰ってきます」
「ま、君と徹君はそう言える間柄だわなあ」
師匠は苦笑交じりに言った。
「まあ私達の方が危ない状況にある」
「と言うと?」
敵には安定して対処できている。
最悪の可能性は敵が徒党を組んだ場合。
今のところそんな組織的な動きがない。
「退路が断たれたって自覚はあるかな」
師匠の言葉で、優子の無事を確認して浮かれていた僕ははたと気づいた。
深い落とし穴から落ちたせいで、入った時のワープゲートを使えなくなってしまったのだ。
「私のグラビドを強化すれば三人であの穴を浮けるとは思いますが……」
優子が恐る恐る言う。
「やめときな。スキルポイントは有効に割り振らないとな。グラビドは落下死を防ぐ程度あればいい」
「となると……」
僕の脳裏に今回の冒険における最悪のケースが思い浮かんだ。
そして、それはまさに的中したのだった。
「うん。このダンジョンの主を倒さないと帰れないね」
異界から出る方法は二つ。
一つは、最初にある出入り口から出ること。
二つは、最深部にいる主を倒した時に出現するワープゲートで出ること。
今回は後者しか道が残されていない。
「これだけレベルの高い異界の主ってどんななんでしょ」
師匠の顔が一瞬深刻になる。
しかし、次の瞬間満面の笑顔になっていた。
「ま、二人で倒せるんでしょ?」
「いい加減拗ねるのやめてくださいよ……」
まあ、これも師匠なりに気を紛らわせてくれているのだろうとなんとなく表情の変化でわかった。
まったく、器用なんだか不器用なんだか。
「優子ちゃん」
「は、はい」
拗ねている師匠に唐突に呼ばれて優子の肩が跳ね上がる。
「私もコトブキも全力を出す。その上で、今の君はキーマンだ。それを忘れないでね」
「……はい」
優子は神妙な表情で頷く。
やっぱり何か隠されている気がする僕だった。
聖女のホルダーである優子は、確かにキーマンだ。
スペルマスターとも言える彼女のバフ、デバフスキルは、戦況を左右する。
けど、師匠の言葉にはそれ以上の含みがあるような気がする。
「コトブキ」
師匠が淡々とした口調で言う。
僕の肩も跳ね上がる。
「は、はい」
「男女間でも秘密の一つや二つは必要だよ」
「……」
やっぱり何か隠されている気がするんだよなあ。
優子は俯いて、僕の視線を避けていた。
続く




