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君の生きる理由

 もう少しで公園での修行の時間。

 相変わらず禁断の異界への突入は先延ばしになっている。

 そんな夜更けに、電話がかかってきた。


 僕はベッドの上で半身をよじり、スマートフォンを手に取る。

 画面には、師匠の名前。

 なんだろう、と思いつつ電話に出る。


「不味いことになった」


 第一声がそれだった。


「今日の集まりは中止だ。優子ちゃんにもそう伝えてくれ」


「それはいいんですけど、理由は?」


 暫しの沈黙。

 師匠の迷いが透けて見えるようだった。


「蹴鞠ちゃんと連絡がつかない」


 今度は僕が黙り込む番だった。

 父を失って、先輩は少し様子が変わった。

 人の輪の中に入ろうとしたり、集団に入ると黙り込んでいたのが発言をしようとするようになった。

 それが、何故?


 あれは今思うと先輩なりの迷走だったのだろうか。


「バイト先から連絡があって、蹴鞠ちゃんのスマホにかけてみたんだけど、繋がらない。今からアパートに行ってみようと思う」


「僕も行きます」


 僕ははじかれたようにそう言っていた。

 先輩がこのままいなくなりそうな、嫌な予感があった。

 師匠はしばし考え込んだが、こう答えた。


「わかった。一緒に行こう。君んちに車で行くよ」


「お願いします」


 通話が途絶える。

 僕は玄関に出ると、極力音をたてないように家を出た。

 十分もすると、師匠の赤いスポーツカーが家の前に止まった。

 勝手知ったるもので、さっさと移動して助手席に乗る。


 僕がシートベルトを閉めると、車は発進した。


「無理してたのかな」


 師匠が悔いるように言う。


「皆と話すようになって、良い傾向だと思ってたんですけどね」


「そもそも蹴鞠ちゃん、そういうタイプじゃないもんな」


 車は夜の町を走っていく。

 そのうち、古びたアパートの前で止まった。


 シートベルトを外すと、車の外に飛び出て、アパートの扉をノックする。

 反応はない。


 師匠はポケットから鍵を取り出すと、鍵穴に挿し込んで、捻った。

 すると、施錠されていたドアは、音もなく僕らを迎え入れた。


 中は真っ暗だ。


「蹴鞠ちゃーん、いるー?」


 師匠は言いながら、部屋の電気をつける。

 生活感がなかった。

 晩御飯を食べた痕跡も、着替えた痕跡もない。


 そして、仏壇の前からは、遺灰の入った箱が消えていた。


「不味いことになったな」


 師匠は苦い顔で言う。


「そんな父に依存しているようには見えなかったが。それでも唯一の肉親だ。そういうこともあるか」


「どうします?」


「しゃーなしだ」


 師匠はそう言って、スマホを操作し始めた。


「私達より蹴鞠ちゃんに近い人がいる」


「バンチョー……ですか?」


「他に誰がいるよ」


 先輩の父が死んだ時、卒業までの生活費を肩代わりすると買ってでたバンチョー。

 確かに、彼は僕らより先輩に近い。


 バンチョーはアークスだ。

 それでも、先輩が無事帰ってくるならそんな相手でも頼らないよりはマシだった。

 僕はただ、先輩が帰ってくることを祈った。

 師匠は暫し話した後、電話を切った。


「心当たりがあるそうだ」


 師匠はそう言うと、ポケットにスマートフォンをしまう。

 バンチョーがやって来たのは、電話をして三十分も経った頃だった。

 体感的には、五時間ほど。


 一分一秒が、やけに長く感じた。


「警察には電話しましたか、歌世先生」


 バンチョーが師匠に問う。


「まだだ。大事にしていいものかという迷いがある」


「それは好都合。俺の心当たりが外れていたら、その時は警察を頼りましょうや」


「頼むよ、バンチョー君。君が最後の希望だ」


 そう言って、師匠は肩を竦めた。


「心当たりって、なんです?」


「そうじゃのう。一言で言うなら、蹴鞠と父親の思い出の場所よ」


 そう言うと、バンチョーは玄関に向かって歩き始めた。


「僕も行きます!」


 僕は叫んでいた。


「先輩までアークスに取り込まれたらたまらない。僕は先輩と敵対したくない」


 バンチョーは立ち止まる。


「ええじゃろ。アークスに鞍替えした俺が今更信用されてるとは思っとらん。ついて来い」


 そう言うと、バンチョーは靴を履いて部屋の外に出た。

 僕も、その後を追った。


 バンチョーの車に乗って発進する。

 沈黙が場を包んだ。

 バンチョーと僕は裏切った者と裏切られた者の関係にある。

 それは、会話が弾むはずもない。


 少々陰キャな僕には不安が募る時間だった。


「蹴鞠んちはのう。離婚しとるんじゃよ」


 バンチョーが、不意に口を開いた。


「離婚?」


 初耳だった。

 けど、確かに蹴鞠の母の存在を感じた記憶はない。


「父親は心が弱く、職場で精神のバランスを崩し、専業主夫をしておった。自然、蹴鞠と接する時間が長くなった。母親はキャリアウーマンで、家に帰るのはいつも遅かった。それでも蹴鞠は両親が好きだったと言っておったよ」


「離婚の原因は……?」


 バンチョーはしばし前を見て運転していたが、そのうち視線を伏せて溜息を吐いた。


「母親の浮気じゃよ」


 僕は絶句した。

 そして、それが幼少期から現在に至るまで先輩の心を傷つけていることは想像に難くなかった。


「仕事で帰るのが遅くなる。そう言えばアリバイになるんじゃから、まあ容易かったんじゃろうな」


 ハンドルとウィンカーを操作して、車は左折する。


「母親は慰謝料を払って父親と離婚した。そこからじゃ。蹴鞠の父親がギャンブル狂いになったのは。最初はやけっぱちになって慰謝料を使い切ろうとしたらしい。それがビギナーズラックって奴で思いの外当たったらしくてのう」


「そんな話……先輩は一度もしてくれたことはなかった」


「蹴鞠は思ってたんじゃなかろうか。自分が立派になれば。自分が頑張れば。その姿を見て父親も襟を正すんじゃないかと」


 それはあんまりな想像だ。

 結果的に、その道の途中で先輩は父を失った。

 生きる意味を見失うに等しい。


 最悪の結末を想像して、僕は顔面蒼白になった。


「もうすぐ着くぞ。アークスには勧誘せんから、少し二人で話させてくれんかの」


「……わかりました」


 話をしてわかった。

 今回の件では、僕よりバンチョーの方が余程適格者だ。

 僕は先輩のことを何も知らない。

 先輩が借金の返済に度々顔を合わせているバンチョーのほうが、会話した回数は多いのかもしれなかった。


「アークスの貴方にこんなことを頼みたくない。けど、お願いしますね」


「俺は蹴鞠が好きだ」


 バンチョーは真っ直ぐに前を見て言う。


「そりゃあ、全力を尽くすというもんよ」


 心強い。

 一瞬、僕は同じ部で活動していた頃の、味方であるバンチョーの心強さを思い出していた。



+++



 蹴鞠は骨壷を抱えて座り込んでいた。

 空は満面の星。

 田舎だから、夜になると綺麗な星々が見える。


 父は逝ってしまった。

 人間ではないと蹴鞠が目してる使によれば、魂は循環するものだという。

 ならば、父の魂は、もうここにはないのだろう。


 それなのに何故骨壷を抱えるのか。

 自分でもわからなかった。


「やっぱり、ここにおったか」


 聞き慣れた声がして、蹴鞠は肩を震わせた。

 振り返るまでもない。

 バンチョーだった。


「……なにさ」


 拗ねたように言う。


「バイトはサボり家からは消え、そのまま連絡もしない。ガキみたいな真似をしておいて、なにさとは良くいえたもんじゃ」


 バンチョーは滑稽そうに言う。


「どうでもいいだろ。消えな」


「そうはいくまい」


 バンチョーは蹴鞠の隣に座る。


「綺麗な星じゃの。小さい頃は父親が望遠鏡を出してくれたんじゃったか」


「まあね。牛丼屋で話したの、覚えてたの?」


「お前の話は一言一句覚えておるよ」


 大げさな、と蹴鞠は思う。

 心が、緩む。

 後輩の前でも固く縛っていた感情が、溢れ出しそうになる。

 それを、蹴鞠は意志の力で封じ込めた。

 開きかけた扉が、締まる。


「悪かったね。帰るよ。明日は普通に学校に行くし、バイトで借金も返済する。プチ家出はお終いだ」


「終いにならんじゃろうよ」


 バンチョーは淡々とした口調で言う。


「お前さん、消える気じゃろ?」


 蹴鞠は絶句した。

 何故この男はここまで正確に自分の心を読んだのだろう。


「後輩達と上手くやっていくつもりだった。けどやっぱりできなかった。集団の中は落ち着かない。もう集団の中にいる理由もない。なら、逃げもするわな」


 バンチョーは淡々と、蹴鞠の心の扉をこじ開けていく。


「あんたに何がわかる! 集団が苦手なのに集団に属さないと生きれないこの世の中の生き辛さがあんたにわかるか!」


 蹴鞠は思わず、声を荒げた。

 扉が、僅かに開いていた。


「わかるつもりじゃよ。お前さんは父親の為に、かなーり無理をしていたんじゃな」


 蹴鞠は黙り込む。

 どうしてだろう。涙腺が緩んで視界が滲んだ。

 扉が、また僅かに開く。


「ちょっとぶちまけていけ。そうすれば、また学校に行こうという気になるかもしれん」


「行ってどうなるっていうの?」


「対人関係の練習は必要じゃろう。お前さんはこの先も、お前さんが言うところの生き辛い世の中で生きていくんじゃ。それに、ここで中退して何が残る。優秀な高校を出たわけでもないし、お前さんは高認組じゃろ? 中卒という肩書きは職業選択の幅を狭くするぞ」


「私は……」


 悔しいが、言う通りだった。

 蹴鞠は高校を中退し、高認を経由して今の専門学校に入った形だ。


「昔はどんな馬鹿をやっても父親を見限らないお前さんが不思議でならんかった。けど、今はわかる気がするよ」


 蹴鞠は黙り込む。

 涙が溢れる。

 扉が、音をたてて、徐々に開いていった。


「立ち直るはずだったんだ」


 蹴鞠は叫ぶように言う。


「MTとして、公務員として立派になった私を見れば、お父さんは立ち直るはずだったんだ。今の学校に入学した時も、高認を取った時も、お父さんは喜んでくれた。お父さんは、立ち直るはずだったんだ!」


「人生には運もある。やむないことじゃ」


「私はなにもない! 母の愛情も、クラスメイトとの友情も。一人だ! この先もずっと一人だ! 生きていてなんの意味がある! 誰が私をわかってくれる!」


 声を荒げていた。

 肩で息をしていた。


 集団が苦手だ。

 母親に裏切られてからずっとだ。

 しかしそれは、集団が嫌いなわけではない。

 蹴鞠とて、器用に立ち回れるならば集団の中にいたかった。


「俺じゃ、駄目か」


 バンチョーは、隣に座り込む。


「お前の生きる意味。俺じゃ、駄目か」


 それは、直球の告白だった。

 あまりにもの直球さに、思わず絶句する。


「なんで俺がお前さんに金を貸すかわかるか」


 バンチョーは優しい口調で問う。


「片思いの下心」


 切って捨てる。

 バンチョーは苦笑した。


「返してもらう時に、少しでも栄養のあるご飯をお前に奢れるからじゃ。なんで俺がお前の思い出話を聞きたがるかわかるか」


「話題がないから」


「少しでもお前という人間を知りたいからじゃ」


 あまりにも慎ましい言葉に蹴鞠は言葉を失う。

 正直、どう反応したものかわからない。


「今の俺にとって、お前はそれほどの存在になっているということよ。嫌われてもいい。ビジネスライクな付き合いでもいい。お前さんが生きているだけで神様に感謝したくなるような、そんな心持だ。恋である時期はとうに過ぎた。もう、お前さんが妹のようにも姉のようにも思える」


「……私は、あんたが苦手。暫く会ってなかったと思ったら、あんな滅茶苦茶やってるアークスに入ったとか言うし。説教臭いし。お節介だし」


「けど、今となってはお前さんの一番の理解者だと思うがの」


 蹴鞠は黙り込む。

 確かに、ここまで正確に蹴鞠の心を理解する人間は他にいないだろう。

 心の扉が、また少し開く。


「生きろ、蹴鞠。お前が頑張れば俺が喜ぶ。お前が卒業すれば俺が安心する。お前さんの父親がお前にしてやれなかったことを俺は肩代わりできる。クラスメイトがお前さんにしてやれなかったただの世間話も、俺はできる」


「けど……」


「お前は独りじゃない。お前には、俺がいる」


 心の扉が完全に開いた。

 蹴鞠は声を上げて泣いていた。

 父親が死んでから、ずっと閉じ込めていた涙だった。


「こんなに不安定になるなんて、思ってなかった」


「ああ」


「私、思って見ればお父さんかあんたぐらいにしか本音で話すことができてなかった」


「ああ」


「お父さんが、私の生きる意味になってた」


「ああ」


 バンチョーはそう言うと、蹴鞠の手から骨壷を取り上げた。


「これからは、俺がお前を見守ってやる。大人だからな」


 もう、声も出せなかった。

 蹴鞠は、涙をぐっと堪える。


「他の人と付き合うかもよ?」


 バンチョーは苦笑する。


「それでもええ。お前が幸せなら、それでええんじゃ」


 今度こそ、言葉にならなかった。

 蹴鞠はバンチョーに抱きついて、ただただ泣いた。



+++



 僕は車で待っていた。

 十五分もしただろうか。バンチョーが先輩を伴って帰ってきた。

 窓を開けて、微笑む。


「先輩、心配しましたよ」


「あー、うん。悪かった。ちょっと正気じゃなかったんだ」


「仕方ないですよ。唐突にお父さんを失って動転するのは当然です」


「あんたは相変わらず優しいね。私の周りは優しいヤツばっかだ」


 そう言って、先輩は肩を竦める。

 いつもの調子の先輩だ。僕は胸を撫で下ろす。

 ただ、先輩の目尻に涙の痕があるのが少しだけ気になった。


「私、こいつと付き合うことになったから」


「へ」


 先輩が、バンチョーと?


「それって……アークスに入るってことですか?」


「違う違う。アークス所属ってのは私も反対だ」


「俺は知りすぎた。今更抜けても暗殺されるだけじゃろうの」


「はー。なあんでそんな道を選んだかねえ。逃げ道ないじゃないか」


「仕方がない。もう引き返せない。ただ、お前さんが一人前の探索者になるまでは……」


「私の生きる理由になってくれるんでしょ?」


 バンチョーは苦笑する。


「そうじゃの。長生きするわい」


「コトブキ」


「なんですか、先輩」


 ことの成り行きに受けた衝撃を飲み込めないまま返事する。


「心配かけて悪かった。私は、もう大丈夫だ。ただ」


「ただ?」


「ちょっと父親がいなくて本音で話せる相手が減った。本音トークできる相手がほしい。あんたがなっちゃくれないかい」


「俺だけじゃ不服かのう」


「不服だねえ」


「いいですよ」


 僕は微笑んでいた。

 先輩が前向きになった。それだけはわかった。


「いつでもバンバン本音トークしましょ」


 先輩は拳を突き出す。


「ヨロシク」


 僕はその拳に、拳をぶつけた。


「ヨロシクお願いします!」


 一人の少女は生きる理由を見失った。

 けど、新たに得た。

 ここ数日の物語は、たったそれだけを描く物語。


 僕はその一区切りに胸を撫で下ろしたのだった。

 蹴鞠の父が死んでしまった以上、ハッピーエンドにはならない。

 けど、これはそれに限りなく近いビターエンドと言って良いのではあるまいか。


 人生山あり谷あり。

 それでも僕らは進んでいく。

 近くにいる人と、手と手を取り合って。


「さ、帰ろう。日常に」


 そう言って、先輩は車に乗った。

 バンチョーが運転席に乗る。

 そして、車はその場を後にした。


 多分、先輩はもうこの場所が必要なくなったのだ。

 そんなことを、思った。



+++



 スマートフォンの画面を見て、歌世は安堵の息を吐いた。

 蹴鞠の問題は一先ずは片付いたようだ。

 ならば、今度は自分達の問題を片付けなければならないだろう。


 メールを打つ。


『もう暫く蹴鞠ちゃんの様子を見て』


 そこで指を止めるが、これ以上は待てないだろう。


『良さそうなら禁断の異界での修行に移行する。心の準備を再度しておいてくれ』


 たっぷり一分待って返事が来る。


『覚悟はもうできています』


『それでいい。待ってるから早く帰っておいで』


 そんなメッセージを送ると、歌世はポケットにスマートフォンをしまった。

 さて、鬼が出るか蛇が出るか。


 禁断の異界は、ナンバースですら攻略達成者はおろか、深層まで辿り着いた者もいない。

 それに、挑む。


「まあ、いつだって私はチャレンジャーだ」


 歌世は、歌うように言うと、コーヒー缶のプルタブを開けた。

 彼等が帰ってくるまで、まだ暫しの時間が必要だった。



続く

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