勇者の心が折れた日
「調子に乗りすぎたな」
省吾が言う。
心外だ、と大吾は思う。
しかし、女子にちやほやされる自分をそう見ていただろう男子が少なくないだろうことは想像に難くなかった。
「男の僻みは怖いぜ。お前は授業中に女子を観察する変態だって男子が言いふらしてる」
「とんだデマだな」
「火のないところに煙は立たない」
「この場合……どれが火なんだ?」
「強いて言えば席の配置かねえ」
省吾に相談してみたものの、芳しい結果は出せなかった。
それから大吾は俯いてできるだけ人の目を見ないように過ごすようになった。
授業中も教師の言葉に集中してノートから視線を離さない。
「視線、感じるよね」
「だよねー」
前の席の女子が聞えよがしに言う。
そういえば大吾は前の席の女子の名前すら知らない。
視線を感じるとはどういうことだろうか。
エスパーでもない限り他人の視線の行き先なんてわからないものだと思うが。
しかし、それは大吾がノートに視線を落としているということも誰もわからないということだ。
結局は上手くいかない。
そうできている。
勇者だからとちやほやされる時間は終わった。
それから大吾は徹底的に聞こえよがしの声になぶられた。
周囲は大吾を変態として扱い、大吾はただそれに耐えた。
俯いてさえいれば、見ずに済む。
そうしていれば、好奇の瞳も無視できる。
そうと信じた。
そのまま、一ヶ月が過ぎた。
女子がかがみ込んで、大吾を見た。
眼と眼が合う。
女子はにんまりと笑うと小走りに去って行って、叫んだ。
「やっぱこっち見たよ!」
「やだー」
「やっぱ変態なんだ」
心の折れる音がした。
その頃の大吾には新しい友達もいなかった。
女子にちやほやされていた頃のことを面白くないと思っている男子の方が多いようだ。
そして、それよりも大吾を貶めたいと考えている男子の方が多い。
状況は詰んでいた。
省吾だ。
省吾に相談しよう。
大吾の友達は、最早省吾しかいなかった。
駆け足で省吾の教室へと走る。
女子の笑い声が中から聞こえてきて、大吾は慌てて足を止めた。
「けど、省吾君がいなかったらと思うとゾッとするよ。未だに、あいつの正体に気づかずに、見られてるとこだったんだからさ」
「気にすることないよ。俺は正しいことをしただけだ」
省吾の声がする。そして、自分の教室の前の席に座る二人の女子、噂の発生源の声も。
正体? 省吾がいなければ? なんの話だ?
「けど、俺も思いもしなかったぜ。あいつがあんな変態だとは。だから、君達には真実を教えたんだ」
「省吾君に、あいつがこっち見てるって教えてもらわなかったらやっぱり酷い目にあってたと思う。勇者だからって祭り上げられて勘違いしちゃったのかな」
「やっぱ人間舞い上がると駄目だよねえ」
その会話で、全てを悟った。
大吾は教室のドアを乱暴に開ける。
「どういうことだよ、省吾!」
「やば」
教室で僕の前の席の女子がニヤニヤしながら言う。
「聞かれちゃったよ」
隣の席の女子もにやけ面だ。
「省吾。お前か? お前が原因なのか?」
新しく入った環境で変態扱い。
日に日に増える言いがかり。
辛くないわけがない。
それでも乗り越えてこられたのは幼馴染の省吾が共にいてくれたからだ。
「気安く話しかけないでもらえるか」
省吾はそっぽを向きながら言う。
その顔が、こちらを向いた。
満面の笑みだった。
「変態君」
今度の今度こそ、心が完全に折れる音がした。
この日、大吾は学校における全てを失った。
どうやって帰ったか、その場でなにを話したか、ショックで記憶には残っていない。
だが、大吾は勇者のホルダー。
ホルダー競技にでも参加すればあっという間に何千万と稼げる立場だ。
専門学校を中退してヒーローになる。
そうと心を切り替えて、大吾の心は浮かんだ。
試しに、自室のベッドでスキルを使ってみる。これから競技で使うことになるスキルだ。組み立てを考えなければならない。
「プロテクション」
手をかざし、唱える。
しかし、いつもは現れる六角形を連ねたバリアが発生しない。
おかしいと思いながらも繰り返し唱える。
「プロテクション……プロテクション!」
苛立ちのあまり声を荒らげる。
おかしい。自分が平静ではない。
環境はここまで人を変えるものだろうか。
「なんだ……これ……」
カードホールドのメインカードスロットを見る。
勇者のカードがささっていたはずのそこには、戦士のカードがささっていた。
カードが、退化したのだ。
勇者は勇気ある者。苦境から逃げる者は勇者を語れない。
まだ逃げてはいない。しかし、一度は逃げると決めた。
その選択肢が、最終的に大吾から全てを奪った。
囁き声のストレス。言いがかりを受けながら聞く授業のストレス。好奇の視線のストレス。
頭の中に一ヶ月かけて溜め込んだそれが初めて心の外に溢れ出た。
扉が勢い良く開いた。
「お兄ちゃん、どういうこと? 噂エスカレートしてるんだけど? 私まで迷惑かかって……」
妹が入ってきた。
そして、大吾の顔を見て絶句した。
大吾は、泣いていた。
「どうしたの? 省吾君は頼れないの?」
妹は一転して心配するように言う。
大吾は、ただただ泣いた。
専門学校を辞める日、省吾と、大吾の前の席の女子が付き合い始めたと聞いた。
共通の敵を作って結束力を作る。
噂はそんな風に複数の生徒に利用され、学年の潤滑油となった。
大吾という生贄を尻目に。
続く




