Mission2.夜会に参加しよう_01
私がストラスタン邸で生活するようになってから、早くもひと月以上が経過しました。季節はすっかり春めいて、今夜は本格的な社交期の始まりの合図と言われるパーティーです。
日中には前年に大きな功績をあげた人物への褒章授与式があり、夜はその懇親会を兼ねた夜会が催されるのが通例。
名をあげた人物とお近づきになろうと、参加者は毎年膨大な数になるのだと聞いたことがあります。
規模を抑えた結婚披露宴を除けば、デビュタントボール以来はじめてのパーティー。そこかしこから視線を感じて緊張してしまいます。カーラさんが、社交界全体が注目しているなんておっしゃるから、すっかり自意識過剰に。
それでも、グラスを掲げればそこに私の胸元で輝くガーネットが映り込み、勇気をくれるのです。カーラさんが用意してくださったこのブラウンガーネットは、フィンリー様の髪色によく似た発色。
私はストラスタン伯爵夫人。そう言い聞かせて前を向きます。
「せっかくいらしたのに、俺のエスコートで申し訳ないな……なんかすみません、レイラ義姉さん」
明るい金色の髪をふわりと揺らして、私の手をとった男性が笑いかけました。
仕事があるからとお城で待ち合わせをしていたはずのフィンリー様は、さらに遅れるとの連絡を義弟であるテオ様へ言付けられたのです。
馬車から降りるや否や、都会の華やかな美男子に出迎えられる私の気持ちも考えてほしいものだわ!
そして結局、テオ様が私のエスコートを申し出てくださったのでした。
「いっいえ! お仕事が長引いてしまうのは仕方ありませんし、私のほうこそ……他にお約束した方がいらっしゃるのでは?」
「いやいや、俺の青春はこれからなので」
ひまわりのような人懐こい笑顔は、フィンリー様とは正反対の性格に見えます。お母様が亡くなったのは彼を産み落としてすぐのことだそうですから、流れる血は全く同じはずなのですけど。
「まだお若いですものね」
「これでももうすぐ18です。義姉さんとひとつしか違いませんよ」
「そ、そうでしたね!」
私は慌てて頭の中に叩き込んだ貴族名鑑をパラパラと捲りました。
ストラスタン邸へ来てからの毎日は、家庭教師をお呼びして伯爵夫人、あるいは未来の公爵夫人としての立ち振る舞いやダンスのレッスン、算術や語学に歴史のお勉強ばかりです。
加えて、主だった貴族たちを覚えることも大事だと言い付けられていました。が、まだ実戦で活用できるほどではありません……!
「しかし兄さんも隅に置けないなぁ。こんなに可愛らしい女性を隠してたなんて」
「お世辞や社交辞令にはまだ慣れてなくて」
「ええっ、本音なのになぁー」
片目をぱちりとつぶって見せたテオ様に、私は眩暈を覚えました。社交界、恐ろしいところ。テオ様、恐ろしい子!
テオ様のご提案で、ベイラール公爵夫妻の元へご挨拶へ行くことになりました。夫妻、というのは公爵閣下が後添えをお迎えになったということですね。
フィンリー様のご説明によると、ご夫妻のお付き合いは長いもののテオ様の成人まで結婚を待っていたのだとか。
緊張でガチガチになった足を公爵夫妻のいるほうへ向けて一歩踏み出したとき、女性の弾むような声が聞こえました。
「いらっしゃったわ!」
それを皮切りに会場内が一層ざわめきます。どうやら本日の主役であり、昼間に褒章を授与された方々がご入場されたようです。
「ほら黒獅子卿! 今夜も素敵ね……」
「お姿を拝見するの2年ぶりですわ」
中でも女性たちの視線を一身に集めているのは、目つきの鋭い男性でした。暗い茶色の髪を後ろに撫でつけ、ピンと伸びた背筋と長い足はそれだけでカッコ良く見えます。
「黒獅子……」
「あれ、義姉さんはご存じないかな。フェリクス・フォーシル伯爵ですよ。フォーシルの紋章の黒獅子と彼のマントの黒からそう呼ばれてます」
獅子は王国の紋章にも使われる意匠です。それを使うことが許されるフォーシル伯爵家が、いかに王家と密な関係を築いてきたかがわかります。
「凄い方なのですか?」
「終わりの見えない諍いでさえ、彼が出張るとその日のうちに終わるなんて言われてるんですよ。かっこいいなぁ」
私たちの目の前を、件の黒獅子卿が通り過ぎました。一瞬だけ目が合ったような気がしましたが、これがファン心理というものでしょうか。劇場へ足を運ぶと演者と目が合う錯覚に陥る、という話を聞いたことがあります。
まぁ、私は別に彼のファンではないのですけれど。ただ透明感のある金茶色のトパーズの瞳は不思議と温かみがあって、ずっと見ていたいような気にさせられます。
「皆さんの様子から察するに、彼はあまり人前に出ていらっしゃらないのですか?」
「はい。社交がお嫌いみたいです。今夜も陛下に挨拶したらすぐお帰りになるんじゃないかな。彼のおかげで、俺をはじめ婚約できない男が増え続けてるんですよ。旅回りの女優に愛を捧げているだとかの噂もあるんだけど」
なるほど、彼は独身ということなんでしょうね。確かに、周囲の女性たちはいつ声を掛けようかと様子を窺っているようです。
「テオ様なら引く手あまたでしょう」
「わー、優しいなぁ。やっぱり兄さんじゃなくて俺にしません?」
そんな冗談を言っている間にも、黒獅子卿フェリクス様は陛下へご挨拶を終え、早々に会場を出て行かれました。
さぁ、改めてベイラール公爵ご夫妻へご挨拶に行きましょうか。