Mission11.別れを告げよう_01
対面の席から白い手袋をした手が伸びて、全体的に細いフォルムのフルーツフォークがイチゴの中心に刺さりました。
「それ、甘いですか?」
「どうかな」
もさもさの髪の毛と眼鏡が彼の表情を隠してしまい、そのイチゴが彼にとって美味しかったのかどうかわかりません。……まぁ、次から次へと手を伸ばしているのですから、お気に召したのは確かでしょうけれど。
突然お帰りになったフィンリー様は、私が泣き止むとすぐに自室へ戻って「フィンリー・ベイラール」として動き始めました。
その姿を見たカーラの怒りをなだめるのは本当に大変で。十日以上も新妻をほったらかしにしたバカ亭主というレッテルを貼られたフィンリー様は、こうして私の部屋でティータイムをとることとなったのです。
「んもう……。それで、ぜんぶお話しいただけるのですよね?」
「賢明な貴女ですから、予想はついているのでは?」
眼鏡をはずしたフィンリー様が金茶色の目を真っ直ぐにこちらへ向けました。
もさもさの頭も白手袋もフィンリー様なのに、端正なお顔で鋭い目を向けられるとギャップが凄いですね……。そもそも背筋の伸びたフィンリー様というのが新鮮すぎます。
「確か昨夜のダンスで、最初は鉱脈の規模を調べるためシェラルドへおいでになったとおっしゃってました。恐らく規模を確認したうえで、その利権を誰が握るのか、今後どの家門が台頭するかの予測を立てるというのが陛下からのご命令だったのではないでしょうか」
貴族間のパワーバランスという言葉は、フィンリー様とフォーシル伯爵がそれぞれ一度ずつ口にしていますから。それを見極めてコントロールするのは大切な使命だったのではと思うのです。
「はい、その通りです。それからどうお考えですか?」
「ええと……その後、スポンサーを申し出てくれたおじ様が亡くなり、奇病の噂もあって開発はとん挫。借金だけが残りましたから、未開発の鉱脈を売るしかないかというところでフィンリー様が……。あっ、もしかして」
「はい。次に与えられたのは、シェラルドが適切な相手と適正な開発契約を締結するよう調整する役でした」
「だから結婚を」
金銭的な援助をするには理由がいります。だからといってベイラール公爵家がスポンサーに名乗りあげれば、いらぬ反感を買う。
今でさえベイラールの天下と言っていいような状態ですものね。それまで中立的な立場をとっていた人々も、反発しかねませんから。
フィンリー様は小さく息をつきながら頷きます。
「もとより捨てる予定の名です。ベイラールを捨てたあとも貴女には苦労が及ばないようにするつもりで……」
わかっています。たいして社交の場に出る予定もないのに、淑女教育のほか、算術に語学に歴史のお勉強をさせてもらいました。いえ、させてもらっています。
マチルダにも「選択肢は多いほうがいい」と、そう言っていたそうですし。
「ええ、私が生きるための場所を隣国に用意してくださっていたんですよね」
「え?」
私の言葉にフィンリー様が口をあんぐりと開けたまま、こちらを二度見しました。比較的いつも冷静な彼には珍しい表情です。
……ええと、表情をちゃんと確認できたのはフォーシル伯爵のときだけですけれど。
「女子爵の勅許状や土地の権利証――」
「待って、貴女はあれを見たんだな? サインは? まさかしてはいないだろうな」
フィンリー様が立ち上がって、フィンリー様のお部屋へ通じるドアのほうへと歩き出しました。
「サインって、覚書ですか?」
「もちろん。……ああ、やっぱり開いてる! くそっ、オーブリーめ!」
もどかしげにこちら側の鍵を開け、自室へと入っていくフィンリー様の後を追います。
彼は真っ直ぐに部屋の奥の棚へ向かい、鍵のかかった引き出しから箱を取り出しました。
「オーブリーがどうかしたのでしょうか」
「フェリクス・フォーシルって男はいつ死んでもおかしくないんだ。恨みを買って襲撃されることもあれば、王室の秘密を知ろうと誘拐を目論む奴もいる。だから外出するときは鍵を開けておけとは言ったが……」
彼が箱を開けると、昨夜私が見つけた封書が一番上にありました。
言葉を切ったフィンリー様が封筒から覚書を取り出し、自分のサインだけが入った署名欄を確認すると、まっすぐ縦にその紙を破いてしまいました。
「え」
「まさか貴女が確認していたとは思わずここへ仕舞ったが、危ないところでした。もし貴女のサインがあれば、オーブリーはレイラ・ベイラールという人物を死なせていたでしょう、表向きには」
サインしなくて良かったですね。いえ、フィンリー様の死をこの目で確かめるまで、するつもりはありませんでしたけど。
「でもなぜ、破ったのですか? 私がベイラールの名を持ったままではいずれ困るのでは?」
フィンリー様は私の目を見て、そして両の腕を伸ばしてぎゅっと私をその腕の中に閉じ込めてしまいました。
「困るなんて! 僕はもうベイラールを捨てないし、貴女からベイラールを取り上げることもない。爵位はテオに譲るかもしれませんが」
「それも……お仕事ですか?」
陛下の命令を遂行するため、彼は私と結婚しました。
彼と一緒にいられるなら、ベイラールでいていいという言葉が例え任務でも構いません。だけど、知りたいのです。真実を。
「名前を捨てないことに決めたのも、貴女にここにいてほしいと望むのも、ぜんぶ僕の気持ちであって仕事は関係ありません。ただ、」
「ただ?」
彼の腕の中で、彼の心臓が大きく跳ねたのがわかりました。先ほどまでと比べてずっと速く打つ鼓動が、ほんの少しだけ私を緊張させます。
「ただ、単純に……お、おれ、俺は、君をあ、あいっ、愛してる」
「フィンリー様」
「違っ、これは演技じゃなくてっ、そっその」
慌てふためくフィンリー様が可愛らしくて、お返事をするのも忘れてクスクスと笑ってしまいます。
そこへ私の部屋のほうからノックの音が聞こえたため、私たちは急いで隣の部屋へと戻りました。




