Mission10.家に帰ろう_05
昼になって目を覚まし、エントランスホールの応接セットに座ってぼんやりと誰かの帰りを待つうちにまた、夜が来ました。
侍女やカーラや執事や料理長まで、代わる代わる私の様子を見に来てくれましたが、ここを動く気になれません。
「奥様、今日はイチゴが入ってますよ。これから毎日届きますからね」
カーラの言葉に私の肩がぴくりと跳ねました。
ああ、まさか本当に旬のイチゴを毎日食べられるように取り計らっていてくれたなんて。
目頭が熱くなって、みるみるうちに視界がぼやけていきました。
「ごめんなさい、カーラ。イチゴは……フィンリー様と一緒に食べたいの」
「奥様、ではお夕食だけでも――」
カーラが何か言いかけたとき、外が騒がしくなりました。フィンリー様がお帰りになったかと扉を開けて飛び出した先にいたのは、王家の使い。
マチルダと、カーラと、執事とそして私と。4人が並んで使いの言葉を待ちます。
彼は手に持った書面を広げ、眉根を寄せながら一語ずつはっきりと読み上げました。
「王室管理下、貴族議会名鑑へ名を連ねる家門へ通達。本日11時12分、プルーネル川下流域レンハイムにてフォーシル伯フェリクス様が……遺体となって発見されました。国に殉じたその功績に敬意を表し、王国法に基づき国葬を執り行うこととし、詳しい――」
待って、待ってください。
私には彼が何を言っているのか聞こえません。
まさか遺体と言いましたか? 国葬?
冗談でも絶対言ってはならないことがあるわ。
だって――
「奥様! 息を、息をしてください! 落ち着いて、ゆっくり吸って!」
マチルダに身体を支えられ、カーラに背をゆっくりと撫でられました。その手の感覚に集中するうち、呼吸が楽になっていきます。
使いの対応は執事に任せ、私はマチルダとカーラに支えられながら自室へ戻ります。様子を伺っていた侍従たちの一部が、こそこそと囁き合っているのが視界に入りました。
ああ、そうですよね。皆さん、まだフィンリー様はお城で忙しくしていらっしゃるのだと信じているのですよね。私もそう信じていられたらどれだけ楽だったでしょうか。
部屋に戻っても横になる気にはなれず、ソファーへと掛けました。カーラがお茶の準備をして出て行くと、マチルダも私の膝にフィーノを乗せて「詳細を確認してまいります」と言って飛び出して行きました。
彼女もフィンリー様のことで耐え難い心境なはずなのに、なんて強いのでしょうね。そしてカーラには、どう説明すればいいのかしら。
腕の中で背を向けていたフィーノをクルリとこちらに向けると、長い毛足に隠れた目がほんの少しだけ見えていました。
「あなたの目は真っ黒なのね」
彼の目はとっても綺麗なトパーズ色なのよ。
そんな言葉は続かなくて、私はフィーノを潰れるほど抱き締めました。
「彼の目の色を知っているのに、フィンリー様とは目が合ったことないのよ」
フィーノは何も答えず、私は彼の肩のあたりに顎を乗せました。
「いずれわかるって、彼は言ったの。でも大事なことは何もわからないじゃない。ねぇどうして私だったの? 大いなる神を裏切って、どうするつもりだったの? どうしてトパーズを贈ってくれたの……」
もう永遠に答えの得られない謎が私の心をえぐって、胸が詰まって、あまりの痛さにまた涙が溢れます。
「私と、私の愛する土地を守るって、誓ってくれたじゃない。イチゴは一緒に食べたかったの。甘すぎるイチゴに困った顔をするのが見たかったし、酸っぱいイチゴと交換したりしたかった」
思い浮かぶのはささやかな、だけど未来を予感させる約束。言われたそのときはびっくりしたし困惑もしたけれど、やっぱり嬉しかった。そうよ、黒獅子卿としての彼にだって、心のどこかで惹かれてたんだわ。
でももう、守られない。
「パーティーの報酬だって、まだもらってないのよ」
契約外の社交活動は、別途報酬をくれるって言ったじゃない。
小さな子供みたいに「あーん」と大きな声を出して泣いて、苦しくなって空気を求めて。いっそこのまま死んでしまえばいいのに死ねなくて。
「ばか。フィンリー様のばか。フィンリー様、フィンリー様」
クマはなにも答えてくれず、ただ私に潰されるまま。
「それはフィーノであってフィンリーではありません」
「わかってます」
当たり前でしょう。これはクマのフィーノであって、フィンリー様の目は金茶色だし本当はこんなもさもさの髪じゃない……。
「え?」
「最高級のイチゴを仕入れたんですが、そんな気分ではありませんか? 酸っぱいのをくれるとか?」
顔を上げた私の膝からクマが落ちました。
いつものようにきりっとセットしていないけれど、ダークブラウンの髪は確かに黒獅子卿のそれで。
いつものような鋭さはないけれど、温かな瞳は確かにトパーズ色で。
彼の手には宝石みたいにコロコロキラキラした赤いイチゴが盛り付けられたお皿があって。
長い足であっという間に目の前に来て、テーブルにイチゴを置きました。その手は大きくて厚くてごつごつとした、剣を握る手で……!
「フィンリー様っ――」
「わっ、えっ」
いきなり胸に飛び込んだ私を支えた彼の腕は、いつもと同じように安定感がありました。
「おかえりなさい、おかえりなさい!」
「た、ただいま」
私の後頭部を彼の手が撫でました。以前撫でてもらったときより、柔らかいタッチで。
「生きてた……」
「たくさん約束しましたから。約束は守る主義です。先ずは、契約外の報酬についてご希望をどうぞ」
頭を撫でていた手はそのうち私の髪を一房取り上げて、感触を楽しむようにくるくるといじり始めました。
そのくすぐったいような、でも心地いい感覚にうっとりしながら、フィンリー様の胸の鼓動を確認します。
「いえ。もう、いただきました」
 




